パパンとママン【2007年度小説】
2026/03/19 thu


執筆期間 2007年11月21日~2010年04月10日
原稿用紙412枚
※トータル134,009文字の記事になります

第一章《置き土産》

先輩らと一緒にゲームセンターへ行った日の事だった。
十八歳で免許を取ったばかりの僕は、目的もなく家の車を乗り回し、暇してた先輩を途中で乗せた。
「おい、努! おまえの運転、危ねえよ」
「大丈夫っすよ。心配しないで下さい」
「絶対に事故るなよな。そういやあ腹減ってねえか?」
「じゃあ、牛でもしばきに行きますか~」
金のない僕らは牛丼を胃袋に詰め込んだ。たまには分厚いステーキを食べてみたいが、今の身分では難しい。
近くに新しくできたゲームセンターがあるというので、僕らは今、そこへ向かっている。
「何だよ、そんな大した大きさのゲーセンじゃねえな」
到着するなりブツブツと先輩は言っている。建物の横が駐車場になっており、一番右に車を停めた。辺りは雑草がぼうぼうに生い茂った状態で、少しは刈ればいいのにと思う。
ゲームセンターの中は最新のゲーム機があったので、両替を済ませ、早速プレイしてみた。
普段ならゲームに集中するはずの僕が、店内に漂う妙な臭いがして非常に気が散る。何だ、この臭いは……。
辺り一帯、何故かウンコ臭いのだ。建物も新しいのに、何でこんな臭いが……?
あまりにも臭いのでクンクンと鼻で嗅いでみると、臭いの元は下からきていた。どこかに犬のクソでも落ちているのか?
「……!」
この時、自分の右足の裏に妙な物体がついているのに気付く。まさか、これは……。
靴を脱ぎ裏返すと、臭いを嗅ぐ必要もない事が分かった。僕が車から降りた時に、犬のクソを踏んづけていたようである。土踏まずの部分にこんもりとついたクソ。

僕は辺りを見回しながら、入口のカーペットのところでクソをなびりつけた。すぐにトイレへ向かい、トイレットペーパーで靴の底を拭く。溝に入ったしまったクソはなかなか取れない。水を掛けてみたが、非常に頑固である。
多少はしょうがないか…。帰ったらこの靴は捨てよう……。
再びゲームをしようと椅子に座ったが、先ほど入口でなびったクソが気になり、ゲームに集中できない。あまりキョロキョロして店員に不審がられても嫌なので、僕は入口が自然と視界に入るようなゲーム台に移動した。
五分ほどして、暇そうな店員が店内を歩き出す。入り口のほうへ近づいた時、店員の表情が険しいものになる。あの臭いが漂っているのだ。気付かない訳がない。
店員は臭いの元を探しているのか立ったまま近辺を見渡していたが、下を見た時に動きが止まった。「何じゃ、こりゃ!」とでも言いたそうな店員の驚いた顔。入口のカーペットになびってある黒い物体をしばらく凝視していた。
僕はその表情を見て吹き出しそうになったが、懸命にこらえる。ここで笑ったら、「犯人はあなたですか?」と真面目な顔で詰め寄られそうだ。絶対にバレる訳にはいかない。
ゲームに熱中していた先輩の肩を叩き、「もう帰りましょうよ」と言ったが、「まだ来たばっかじゃねえか」と帰る気はないようだ。
「じゃあ、先に車の中にいますよ」
「お、おい、待てよ!」
僕は先輩の声も無視して入口へ向かった。カーペットのところでは店員が二人に増え、話し合っている。
「誰だよ…。こんな酷い事しやがったの……」
「普通、入口にクソなんてなびらねえよな。今いる客の誰かか?」
店員同士の会話が聞こえてきた。かなり頭にきている様子だ。当たり前だろう。これからこの二人は、僕のなびったクソを何とかしなくてはならないのだから……。
今、入口に近づくは危険過ぎる。「お客さん、ちょっと靴の裏を見せてもらえますか?」なんて言われたら、僕だと分かってしまう。店員がこっちを見たので、自動販売機のジュースを見るふりをして誤魔化した。
非人道的な行為をしているのは百も承知だが、バレたらヤバい。後始末をさせられる。
僕は常に入口を監視できる場所に行き、店員がいなくなるのを確認すると、ダッシュで外へ逃げだした。
「ちょっとすみません、お客さん……」と、背後から声が聞こえたが、構わず僕は全力で逃げた。
実家の食堂で働く僕は、家を継ぐ決心がある訳ではない。どこへ行っても長続きしないので、いつも金欠状態だった。見るに見かねたうちのパパンが、「ただ飯は食わせねえぞ。少しはうちを手伝え」と怒られ現在に至る。
雀の涙ほどの給料をもらい、嫌々働く毎日。僕の仕事は頭に捻りハチマキを巻いたような汚いオヤジ連中の飯を運び、後片付けと皿洗い。それに掃除ぐらい。
この状況を抜け出すには、就職するしかない。
「ねえ、ママン。もしさ、僕が他で働き口を見つけたら、パパン怒らないかな?」
「う~ん、そうねえ……。できれば、このまま頑張ってほしいんじゃないかな。ああ見えて、努が食堂を継いでくれるの、パパンは楽しみにしてるんだよ」
現実問題として一人っ子の僕しか家業を継ぐ者はいない。あんな小汚い店で働いて生涯過ごすのを考えると、ゾッとした。
「でもさあ、まだ僕は十八だよ? 色々世の中を見て、勉強する時期なんじゃないかなと思ってさ」
「だってあんたさ、この半年で三つも職を変えたでしょ。すべて一ヶ月持たないし。私だってパパンだって、そりゃ心配するわよ」
「今までの仕事が僕に合わなかっただけだよ。だって嫌々続けて年を取り、やり直しのきかない年齢になったらまずいでしょ。それなら見切りをつけるのは早いほうがいいに決まってるしさ」
「石の上にも三年って言うでしょ」
「嫌々三年も続けたって意味なんかないよ」
「じゃあ、好きになさい」
「ああ、好きにするよ」
自分の部屋に戻り、布団に寝転がった。天井を眺めながら、何がしたいかを考えてみる。
元々サービス業は向いていない。かといって黙々と作業をこなす仕事も合わない。可愛い女の子に囲まれながらデスクワークが理想だが、パソコンの知識も何もない僕を雇ってくれる会社などない。
偉そうな事を言ってみたところで、僕には力など何もないのである。
とりあえず牛をしばきに行っても卵やお新香は我慢して、数ヶ月家業を頑張って小銭を貯め、新しい仕事を探すしか、今の僕には方法がないのだ。
それにしてもパパンは厳しい。「僕が憎くてしょうがないのか?」と言いたくなるぐらいだった。
天井の木目をジッと眺めながら考えていると、急にチンチンが立ってくる。彼女のいない僕は右手だけが恋人さ。以前、左手でやってみたが、どうも気持ちよくない。右手が一番しっくりくるのだ。
ズボンのボタンを外し、チャックを下ろそうとした時だった。
「おい、努。明日の仕込みをするぞ」
下からパパンの声が聞こえた。今日は日曜日で休みなんだから、仕込みなんて明日にすればいいものを……。
いや、何よりも、人のテッシュタイムを邪魔しくさって……。
まあ、いきなり部屋のふすまを開けられ、現場を見られるよりはマシか。
僕は仕方なく階段を降りていった。
「はい、炒飯!」
「はい、味噌ラーメン!」
大きな声を出しながら、テキパキと料理を作るパパン。
「へ、へぃ……」
「おい、努! 何だ、その覇気のない声は! ちゃんと『へいっ!』ってでかい声で言え」
お盆に料理を乗せて運ぼうとすると、パパンが怒鳴ってきた。
「へ、へいっ!」
チクショウ、何も客がいる前で文句を言わなくたっていいのに、パパンの意地悪……。
各テーブルに料理を置いていると、入口の戸が開いた。また客か……。
「い、いらっしゃぃ……」
「へい、らっしぇーっ!」
背後からパパンの威勢のいい声が聞こえる。二人組の若い客は、入口近くのテーブルに腰掛けた。
パパンの店は、そんなに大きな店ではない。カウンター席が六席に、四人掛けテーブルが三つある。ビッチリと詰めさせたとしても、十八名しか入らないのだ。
現在客は七名。このぐらいの数なら僕もやりやすいが、たまに馬鹿みたいに「水、水」と何度も飲む奴がいると面倒である。
先ほど入ってきた二人が「お兄さ~ん、注文いい?」と言ってきた。
僕にはちょっとした能力がある。客の顔を見ていると、だいたい何を食べるのかが分かるのだ。この客はナポリタン、こっちは焼そばといった感じで脳裏にその映像や言葉が浮かんでくる。しかし、正解率百パーセントではないので、あまり意味のない能力であった。
客の顔を見ると、《焼肉定食大盛り》、《メンチカツ定食》というキーワードが、頭の中で浮かび上がってきた。でもこの客、うちの店に来るのは初めてだけど、どこかで見たような……。
「俺はメンチカツ定食」
「う~ん、俺は焼肉定食の大盛り」
「へ、へぃ……」
注文を聞きながらも、どこかで見た事のある人だなと思っていたが、どこで会ったのか思い出せない。向こうも僕の顔を見て、「おや?」という表情をしていたが、それ以上特にお互いの会話はなかった。
「注文です。メン定一丁、肉焼き大一丁」
「おいす。メン定一丁、肉焼き大一丁! ウォンチュ!」
パパンが決めた妙な掛け声。メニューにはメンチ定食と書いてあるのに、僕が言う時は「メン定」。焼肉定食も何故か逆に置き換えて「肉焼き」と言わされていた。最後の「ウォンチュ」は多分、了解したという意味合いなんだと勝手に思っている。

「チェックして~」
常連客の竹花さんが席を立った。
「へ、へぃ、六百三十円になります」
レジに行き、客の出した千円札を受け取る。
「三百七十円のお返しです」
「ごっちょさん」
「ありがとうございました」

この時、妙な視線を感じ、その方向を振り返った。すると、注文したばかりの二人組が真剣な顔で僕を見ていた。ひょっとしてホモなのだろうか? そう思った瞬間、僕の体は鳥肌に包まれた。
「ちょっとお兄さん」
例の二人組に呼ばれる。今晩付き合えとでも言うつもりだろうか? 最悪の場合、厨房にパパンがいるから問題ないだろう……。
恐る恐る近づき、「何でしょうか?」と聞くと、二人組は、「先週の日曜日、ゲームセンターにいませんでしたか?」と聞かれた。
先週の日曜日は、先輩と牛をしばいて……。
あ、そうだ。駅近くにできた新しいゲーセンに行ったな。けど、この人たちは初対面の僕に、何故、そんな事をわざわざ聞いてくるのだろう。
「はぁ……」
「それって駅から近いところのゲームセンターですか?」
「はあ、そうですね。それがどうかしましたか?」
「いえいえ、どこかで見た顔だなと思いましてね」
そう言うと、二人組はニヤリと笑った。ひょっとしてこいつら、ゲーセンにいた時から僕を狙って、この店までつけてきたのだろうか? だとしたら、筋金入りのホモだ。
「はい、メン定。それと肉焼き大!」
パパンが料理を作り終えたようだ。「ちょっと失礼します」と、僕は料理を取りに行く。
ホモたちに家まで知られては、張られる可能性も高い。色々な状況を考えていると、暗い気分になってしまう。
しかし、二人組は料理を食べ終わると、何事もなかったように帰っていった。
僕の杞憂に過ぎなかったかと、ホッと胸を撫で下ろした。
ホモ二人組は、翌日もパパンの店にやってきた。昨日と違うのは、妙にうすらでかい男を連れてきた事である。
水を置く僕に、「どうも」と愛想のいい挨拶をしてくるが、油断させる罠かもしれない。
「あ、すみません。トイレってどこですか?」
大男が体に似合わないハスキーな声で聞いてくる。
「一番奥になります」
「そうですか」
注文する前に、大男はトイレに行ってしまった。先に注文しろよな、二度手間なんだからさ……。
「ご注文は……」
「あっ! いっけね……」
「え?」
「すみません。俺たち、ちょっと大事な用事を思い出しちゃって…。またあとで来ます。まだ注文してないからいいですよね?」
そう言うなり、二人組は大男がトイレに行っているのに注文もせず、店から出て行ってしまった。
何だ何だ? 僕の体目的じゃなかったのか?
あの大男はどうするつもりなんだ。トイレから帰ると、来たばかりの連れがいない状況。八つ当たり気味に店で暴れられても嫌だな……。
「お~い、努ちゃん。ビール、それと餃子ちょうだい」
「コロッケ定食ちょうだい」
他の客から声が掛かりだし、僕は店内を世話しなく動き回る。
「はい、味噌おでん!」
「はい、唐揚げ!」
「はい、きりたんぽ鍋!」
「へいっ!」
ママンも二階でテレビを見ているのなら、少しは手伝ってくれればいいのに……。

奥から大男が、のそっと出てくるのが見えた。
「あの~、お連れの方、用があるって出て行ってしまいましたが」
とりあえず声を掛けると、大男は「あ、そう」と大して驚いた様子もなく、外へ出て行ってしまう。
テーブルの後片付けやレジの会計をしつつ、料理を運んでいると、客の一人がトイレから出てきて、「くさっ!」と大声を上げた。
何があったんだと思い、その客のところへ行くと、「何だよ、あの便所。臭くてたまんないよ」と非常に不機嫌だった。
うちのトイレは和式の便器である。客があまりにも「臭い、臭い」と連呼し大騒ぎするので、仕方なく様子を見に行く事にした。
ドアノブに手を掛け少しだけドアを開くと、凶悪な異臭が鼻をつく。
「う、うぐぁ~!」
バタン……。
思わずドアを閉めてしまうぐらいの臭さだった。
一体、今の臭さは何だ?
一瞬気の遠くなるようなもの凄い臭さだ。
最後にトイレに行った客は、あの大男しかいないはずである。あの野郎め、うちでクソだけして帰りやがったのか……。
どっちにしても、トイレをこのままの状態にしておく訳にはいかない。客だって僕だってパパンだってトイレを使う。
僕は勇気を奮い立たせ、再びドアノブを掴んだ。
眼前には、大きな大きなウンコがあった。
横四センチ、長さ二十センチぐらいの巨大グソである。
それはもの凄い異臭を巻き起こしていた。
僕はレバーを「大」の方向へ押し、便器に水を流す。
「ゲッ……!」
巨大グソは、ビクともしない。タンクに水が溜まるまで、一度外に出て、ゆっくりと新鮮な空気を肺に入れる。
あの大男め、体通りのでかいクソをしやがって……。
一体、どうすればいいんだ?
少しだけドアを開けてみる。異臭が隙間を掻い潜って店内に漏れだした。
「何だ…? く、くせっ!」
トイレに一番近いカウンター席に座っていた客が、鼻を押さえながら大声で騒ぎ出した。
店内の客が、いっせいにこちらを見た。
別に自分が悪い訳ではないが、このままではマズいと感じる。早くあの巨大グソを何とかしなければ……。
あんなでかいクソは生まれて初めて見た。常軌を完全に逸した世界標準のクソ。いや、あんなでかいのは、世界を探しても稀だろう。
大きく息を吸い込んで、トイレの中に入る。先ほどと変わらない状態で巨大グソは横たわっている。
もう一度、水を流してみるが、やはりビクともしない。他に方法が思いつかないでいると、「おまえ、さっきから何をやってやがんだ?」とパパンが入ってきた。
「うぉっ、何じゃこりゃ?」
パパンは鼻を押さえ、トイレから出てしまう。僕も一旦、外へ出る事にした。
店内の客たちは食べるのも忘れ、野次馬根性丸出しでトイレの近くまで集まっている。
「マスターどうした?」
「何があったんだ?」
「ん、何か臭いな、この辺……」
このままだと近所で「でかいクソのある店」と変な噂を立てられてしまう。
「おい、努。何だ、ありゃ?」
「し、知らないよ。多分、さっき飯も頼まず、トイレだけしていった大男のせいだ」
「流しても駄目なのか?」
「二回流してみたけど、ビクともしないよ」
「ふ~む……」
僕たち親子は二人して腕を組みながら、巨大グソの対策を考えた。
「まずは窓という窓を全開に開けよう。この悪魔のような異臭が店に染み込んだら、誰一人、客なんか来なくなるぞ」
「おいおい、マスター。俺たちを侮るなよ。俺たちゃよ、マスターの料理が食いたくて、毎日のように来てるんだ」
常連客の竹花さんが、自信満々に言った。
「ふん、この臭いを嗅いでも、そう言えるのか?」
パパンはドアを少しだけ開く。
「ゲッ、くさっ! 何だ、このドブの腐ったような臭いは…。冗談じゃねえ、こんなところで飯なんか食えるかよ。マスター、カウンターに勘定置いとくからな」
そう言って、常連の竹鼻さんは帰ってしまった。
おぞましい臭いは、人間の温かい心までいとも簡単に破壊してしまう。
「ちょっと、どうかしたの?」
ママンが下まで降りてきて、トイレの前にいるみんなに向かって不思議そうな顔をしていた。
とりあえず今日の営業は終わりにして、入口ののれんをしまう。
残っていた客には、「お代は結構ですから」と強引に帰ってもらった。
店に残されたのは僕と、パパンとママンの家族のみ。
この巨大グソを何とかしないと、店の死活問題になってしまう。うちの二階にはトイレがなかった。パパンが店を建て直す時、工事代をケチったから、一階だけになってしまったのである。
「普通に流したんじゃ、ビクともしないクソだ。努、バケツに水を汲んで来い」
一気に流せば、あのクソも流れるかもしれない。パパンはなかなか冴えている。無駄に年だけ食っている訳ではないのだ。
バケツに水を汲み、僕は急いでトイレまで向かう。
「よし、寄こせ」
パパンはドアを開き、一気に水で流し込んだ。
「……」
巨大グソは、僅か二センチほど奥へ移動した。大きさに比例して、重さも半端ではない。
「何て強情なクソなの……」
ママンは吐き捨てるように言った。
「努、もっと水持って来い。少しずつでも動いてはいる。何回か繰り返せば、いずれ奥まで行き流れるはずだ」
親子連携のバケツリレーが始まった。
「うんしょ、ほれママン!」
僕が厨房でバケツに水を汲み、カウンターまで置く。
「ほいきた、パパン!」
ママンが必死の形相でトイレまで運ぶ。
「よっしゃ、うりゃさ!」
パパンが受け取り、便器に向かって水を流す。
この中で一番嫌な役といえば、やはりパパンだろう。凶悪な臭いの元に一番近いのだから……。
「駄目だ…。座礁してしまった……」
七回ぐらい繰り返すと、パパンが言った。
「座礁?」
「ああ、座礁だ……」
気になったので、厨房から出て僕もトイレへ向かう。
「……」
見た瞬間、僕は声を失った。
「少しずつ便器の奥に向かって動いていた巨大グソは、とうとう先端が浮いた状態になり、もう少しだと我々を期待させた。しかし、とどめとばかり勢いよく水を流すと、三分の一まで浮いた状態になったが、それ以降はまったく動かなくなってしまったのだ…。まるで船が浅瀬で乗り上げ動かなくなった座礁のようにな……」
バケツで流しても駄目だった。
どうやら僕らは、次の手を考えなければいけない展開まで追い詰められていた。
「普通なら折れるよな?」
「う~ん、あれ、本当にウンコなのかな?」
「あなたたち、喋ってないで何とかしてよ」
ママンが不甲斐ない僕らに怒鳴りだす。
「そうだ、努。割り箸で真ん中辺りを突き刺して、割ってしまえばいいんだよ」
「そっか、パパン。頭いい!」
パパンは立ち上がると、テーブルの上にある割り箸を取り、僕に渡してくる。
「え、ひょっとして……」
「そうだ。俺は作る側だから、臭いが体に染み付いても困る。おまえはまだ若いから大丈夫だ、多分……」
「た、多分って何だよ? 多分って……」
「まあまあ努も、たまにはお父さんの言う事ぐらい聞きなさい」
ママンまで僕を戦場へ駆り出そうとしている。しょせん人間なんて我が身が一番可愛いのだ。もし、大地震が起きて食糧不足になったら、パパンとママンは僕を食べてでも生き残るんだろうな……。
それにしてもこの割り箸で、あの巨大グソを真っ二つにできるのだろうか?
いや、やらなくてはならないのだ。
異臭漂うトイレの中。僕は割り箸を割り、座礁した巨大グソに突き刺した。
「ん? 思ったより楽に入ったぞ…。うっ……」
つい口を開いてしまったので、悪臭が口内に侵食してきた。慌てて外に出て体勢を立て直す事にする。
「パパン、水!」
「何をすんだ?」
「いいから、早く!」
念入りにうがいをして口の中をゆすいだ。あの臭いが口内に染み付いたら困る。
気を取り直し、僕は便器へ向かう。
割り箸は三分の一ほど、突き刺さった状態。ここからどう動かすかによって、状況はいくらでも変わってくるだろう。
無難に外側へ向けて割り箸を動かせば、うまく真っ二つに割れると思う。
それとももっと深く突き刺せば、その勢いで割れるかもしれない。しかしこの場合、リスクがある。勢い余って僕の指まで巨大グソに触れてしまうかもしれないのだ。それだけは勘弁願いたい。
そっと外側に向けて動かそう。僕は外に出て新鮮な空気を目一杯吸い込み、勝負に出た。
パキッ……。
「あっ!」
割り箸が途中で折れてしまった。駄目だ。僕には荷が重過ぎる。
「どうした、努?」
パパンが来た。
「こ、これ……」
「わ、割れたのか?」
巨大グソに突き刺さった三分の一ぐらいの割り箸。これで、水で流す選択はなくなった。折れた割り箸を手で取ろうにも、あの凶悪な巨大グソに触れてしまう事は必須。いくら何でもそんな事まではできない。
割り箸で中をほじくったせいか、異臭はさらに強くなっている。
ママンが軍手を持ってきて、僕に手渡しながら言った。
「努、これで割れた箸を取りなさい」
「嫌だよ。冗談じゃねえよ」
「だってあなたが割ったんだから、自分で責任はとらないといけないわ」
「無茶いうなよ」
「大丈夫。軍手なら捨てていいから」
「嫌だよ! そういう問題じゃない」
「じゃあ、ちょっと待ってなさい」
ママンはビニールの手袋を持ってきた。
「おお、これなら安心だ。頑張れよ、努」
他人事だと思って、パパンが白い歯を見せながら無責任発言をしてくる。
「ママンがやればいいじゃん」
「じゃあ、努はもうご飯いらないのね?」
「何でそうなるんだよ? 関係ないじゃん」
「あるわよ。私のこの繊細な指にあんなものがついてごらんなさい。食事の支度なんて、一生できなくなるわ」
「……。じゃあ、パパンに……」
「俺だって同じだよ。誰がこの店の料理を作るんだ? やるのは、おまえしかいないんだって。男ならいい加減腹を決めろ! 俺はそんな軟弱に育てたつもりはないぞ」
調子のいい事を…。何だかんだ言って、結局、僕に押し付けているだけじゃないか……。
「分かったよ。やればいいんだろ、やれば……」
こうなったらヤケクソだ。力なき僕は、一人では生きていけない。汚れ仕事はすべてやらなければ、明日などないのである。
ビニール手袋に手を通し、ゴミ箱も一緒に持っていく事にした。引き抜いたあと、すぐ捨てなければ危険だ。生命の危機にもなる可能性がある。
これまでの人生で一番慎重に動き、ジッと目を凝らす。
指の先端が折れた箸に接触したので、そっと掴む。軽く引っ張ってみたが、ビクともしない。やはり指先を巨大グソの中まで入れなければ、割り箸はとれないようだ。
「てやぁーっ!」
覚悟を決め、クソの中に指を沈める。気色悪い感触と共に、何ともいえない香りが鼻をつき意識を失いかけた。でも、ここで力尽きる訳にはいかない。
よし、掴んだぞ。僕は一気に折れた割り箸を引っ張った。
その勢いで、不沈艦のようだった巨大グソは真っ二つに折れた。
「やった……」
クソが割れた瞬間、この世のものとはいえない強烈な臭いが身体に飛び込んでくる。僕はそれで意識が遠退いていった。
「おい、努。大丈夫か?」
ん、何だか声が聞こえるぞ。パパンの声……。
「努、しっかりして」
これはママンの声……。
目を開けると、両親が覗き込むようにしていた。
「パパン、ママン……」
「良かった。意識を取り戻したぞ」
「パパン…、あれは?」
「大丈夫だ。もう問題ない……」
心なしかパパンの目は潤んでいる。
「あなたの勇気と行動がね。あれを二つに割り、便器の下までようやく沈んだのよ」
ママンは泣きながら言った。
「じゃあ、早く流さないと……」
「それがまだ、でか過ぎて流れないんだよ」
「え……」
「だから今、しばらく放置して水につけているところだ。明日になれば、幾分浸って柔らかくなるはずだ。本当におまえはよくやった。おまえは俺の息子だ」
パパンの目から一粒の涙がこぼれた。
流れない巨大グソ。店にとっては非常に迷惑なものだったが、この強敵に挑戦する事で家族の結びつきが前よりグッと増したような気がした。

第二章《兄弟》

僕は一人っ子。家は食堂である。
捻りハチマキを頭に巻いた常連客相手に、パパンが料理を作り、僕が運ぶ。狭く小汚い店ではあるが、僕ら家族が食べていけるぐらいの収入はあった。
ママンは、一切お店にタッチしない。どんなに忙しくても、二階で口笛を吹きながら涼しそうな表情をしている。
今日も忙しいのに、ママンはそ知らぬ顔。食堂内は戦場と化していた。
「注文です。肉焼き一丁、茄子味噌一丁」
「おいす。肉焼き一丁、茄子味噌一丁! ウォンチュ!」
最後につく『ウォンチュ』の意味合いが未だよく分からないが、多分了解したという意味なのだろう。毎度の事ながらいつも不思議に思う。
「おい、兄ちゃん、水」
「こっちも水、水」
「は、はい、只今」
あちこちのテーブルに水を注ぎながら、「たまにはコーラでも頼みやがれ」と心の中で悪態をついてみた。
「あ、水ちょうだい」
「こっちもちょうだい」
「はい、今行きます」
どいつもこいつも……。
「あらあら忙しいわね~」
階段のほうから声が聞こえたので振り向くと、ママンが目を丸くしてホール内を見ていた。
「ママン、ちょっと手伝ってよ」
「無理無理。私はこれからやらなきゃいけない事があるんだから。頑張ってちょうだい」
薄情なものである。ママンは食堂という名の戦場の中を堂々と歩き、外へ出た。ママンの歩き方の癖なのだろうが、お尻をプリプリさせながら歩く。なので客の大半はママンのお尻に視線が釘付けになる。
「奥さん、いいケツしてるよな~。もうプリンプリンじゃんよ」
「あんなケツに、チクワぶっ刺したらどうなんだろうね?」
「そんな奴はいねえよ」
この平和ボケした馬鹿共め。ママンはパパンの奥さんであり、僕のママンでもある。おまえらみたいな汚い連中に、誰がチクワなど刺させるかってんだ。
ガラ……。
入口のドアが開き、うすらでかい大男が入ってきた。
「あっ!」
思わず声を出してしまう。以前うちに来て、でっかいクソだけして帰った野郎だ……。
あの時は店内大パニックになり、営業ができなかったのだ。何度流してもビクともしないでかいクソをしやがって、ボケが……。
呑気に大男はメニューを眺めている。自分のしでかした事の重大さをまるで分かっていないのか?
まず何て言ってやるか……。
《お客さん、先日でかいクソをうちでしてったでしょ?》
いや、トイレだけしかしていないからお客さんではないか……。
《困りますよ、あんなでかいクソだけされたって……》
待てよ。客じゃないのに、敬語を使うのもおかしいな。
《あのさ~、あんな巨大クソをされても困るんだよね》
ここまでタメ口だと、この大男が怒りだすかな? 喧嘩になったら嫌だし……。
何て言うか考えている内に、ママンが小松菜を鷲掴みにして戻ってきた。やらなきゃいけない事って、小松菜を摘む事だったのかよ。
うちの店の横には、我が家自慢の大きな花壇がある。ママンはそこで茄子やら小松菜を作っているのだ。一日十八回ぐらいは様子を見に行くぐらい、ママンの可愛がりは常軌を逸していた。
「今日のおかずは小松菜のゴマ和えよ」
「他には?」
「何贅沢言ってんの。それだけあれば大丈夫でしょうが」
「え~っ」
ママンの料理はうまいが、いつだって一品しか作らない。よくパパンは文句も言わず、黙々と食べ続けられるものだ。口笛を吹きながら、ママンは呑気に二階へ上がってしまう。
「おい、肉焼きできてんぞ! 茄子味噌も」
「へ、へい!」
チクショウ。この忙しさが恨めしい。どれだけ忙しくたって、僕の給料には何の影響もないのだ。早いところ就職口を探してこんなチンケな店から撤退しなければ、僕の未来は暗いままである。
「おい、さっきから注文って言ってんだろ」
巨大クソをした大男がクソ生意気な声で呼んでいた。「忙しいから、おまえだけ見ている訳にもいかないんだよ」と怒鳴ってやるか。
ゆっくり息を吸い込みながら、大男に近づく。
「は、はい。何にいたしましょう?」
実際に喧嘩などした事のない僕。目の前に来ると何も言えず、ただの小心者に過ぎないでいた。
今日も忙しかったなあ……。
仕事を終え、部屋へ戻るとドアの鍵を掛ける。
恒例のテッシュタイムだ。毎日これだけが楽しみで生きているといっても過言ではない。以前パパンから仕込みの手伝いをしろと、急にドアを開けられてしまい、恥ずかしい姿を見られた事が三回もあった。そういった経緯を踏まえ、僕は鍵をつける決意をしたのである。安月給の中から血を吐くような思いでつけた鍵。しかしこれでもう安心だ。
さて今日は何をおかずにしようかな……。
『漏らしちゃうの、イヤン!』にするか。これは何度見ても飽きがこない。業界ではいまいちの人気だったらしいが、こんな名作は他にないだろう。
「駄目、あなた……。あん……」
「ゲッ……」
薄い壁の向こうから、ママンの声が聞こえてきた。勘弁してくれよ。いくら何でもオナニーの時に、実の母親の感じた声など聞きたくもない。
「ママンのお尻、プリンプリンしてて最高だよ」
パパンもいい年して何を言ってんだか……。
十八歳の年頃の息子がいるのもお構いなしに、隣でいきなりおっぱじめる両親。
とてもじゃないが、オナニーなどしていられない。僕は窓を開け、ぼんやりと夜空を眺める事にした。
「ん……?」
僕の部屋の真下は、ママンが大事にしている花壇がある。そこへオヤジ二人組が近づいてきた。息を潜め、様子を伺う事にする。
オヤジ二人は辺りをキョロキョロ見回し、誰もいないのを確認すると、花壇から小松菜を引き抜きだした。二階から見ている僕に気づく様子はない。
今日のおかずは小松菜のゴマ和えだった。多分、明日も明後日も小松菜だろう。うんざりするが、ママンは同じような料理を何日でも続ける。
このまま小松菜を引き抜いてくれれば、明日のおかずは別のものになるかもしれない……。
いや、朝になればママンが大騒ぎするだろう。それに手塩に掛けて大事に育てた小松菜が可哀相である。
気付けば僕は下に降りて、外へ飛び出していた。
路地の先には、オヤジ二人組が小松菜を手に持ちながら、意気揚々と歩いている。
「待てっ! 待ちやがれ」
僕は慌てて追い駆けた。小松菜泥棒を見て、知らんぷりはできない。
「何だ、このガキは?」
僕の言葉に振り向いたオヤジたちは睨んできた。喧嘩などした事がない僕は、咄嗟に怯んでしまう。
「ま、負けないぞ」
「はぁ?」
「おまえたちが持っている小松菜はどうした?」
心臓が飛び出そうなぐらい怖かったが、絶対にママンの大事な小松菜は、この僕が取り返してやる。
「あ、これか? 道端に落ちていたのを拾っただけだ」
「う、嘘をつくな!」
ちゃんとこっちは、うちの花壇から盗んだのを見て知ってるんだ。
「うっせぇぞ、クソガキ」
「じゃあ、小松菜を返せ!」
自分のしている事は矛盾しているのかもしれない。小松菜を取り戻せば、また明日や明後日のおかずも小松菜になってしまうのだ。それでも僕は取り戻さなければならない使命感に燃えていた。
「分かったよ。ほら。うるせえガキだ」
オヤジは持っていた小松菜の内、一束だけ放り投げてくる。ラッキーだ。一束だけなら、ママンもおかずにしないだろう。いや、そういう問題じゃない。こいつらは泥棒なのだ。小松菜泥棒をこのままにしておく訳にはいかない。
「冗談じゃないぞ。その小松菜は、うちのママンが作った大事なものなんだ。とっとと返しやがれ!」
一対二で、圧倒的に不利な状況。それでも男は背を見せてはいけない時がある。
「行こうぜ。こんなガキ、相手にしていてもしょうがねえ」
勝った……。僕の気迫に押されてオヤジ二人に逃げていく。いや、違う。残りの小松菜も取り戻さなければ意味がないのだ。
「待てっ! 小松菜を返せ」
「け、勝手に拾いやがれ」
オヤジはもう一束を放り投げると、その場から駆け足で逃げ出した。T字路の路地の突き当りを左に曲がると、姿は見えなくなる。
チクショウ。僕はママンの大事な小松菜を二束した取り戻す事ができなかった。次は絶対に承知しないぞ。
翌日になると、ママンが朝から大声を出しながら錯乱していた。パパンは必死になだめている。「小松菜が三束ほど花壇から消えている」と大騒ぎしているママンを見て、僕は昨夜の事を思い出していた。
あのオヤジ二人組は、また味をしめて小松菜を盗みに来るだろう。その時はこの僕が捕まえてやる。
「今日はママンの機嫌が悪いから、おまえもあまり刺激するなよな」
「分かってるよ、パパン。ママンがどれだけ小松菜を愛してきたかぐらい、僕にだって分かるからね」
昨夜の出来事は、誰にも言わないでいた。この手であのオヤジたちを捕まえてやるのだ。
ここ三日間ほど、小松菜泥棒は来なかった。夜になりオナニーを我慢しながら、僕はひたすら泥棒が現れるのを待つ。先日僕が怒ったのが利いたのだろうか。だとすれば、これ以上、見張っていても意味がない。
今日はゆっくりオナニー三昧としゃれ込もう。今まで力を入れ過ぎていたので、相当溜まっている。
ズボンを脱いで、畳の上に腰掛けた時だった。下からガサゴソと物音が聞こえる。もう両親は寝ているはずだが……。
僕は音を立てずに部屋を出て、忍び足で廊下を歩く。階段のところまで来ると、「誰かいるのか!」と大声で叫んだ。
ガタッ……。ゴトゴト、バタンッ!
下の食堂に誰かがいる。僕の声で、慌てて外へ逃げたんだ。急いで下へ出ると、外からハスキーな声が聞こえてくる。
「誰かぁ~。泥棒よぉ~」
外へ出ると、どう見ても五十歳はいっているオヤジが、女装をした状態で大声を上げていた。初めて見たが、これがオカマというものだろうか?
「今、お宅から泥棒が……。あっちへ逃げていったわよぉ」
「あっちですか?」
「ええ、じゃあ私は行くわね」
オカマはそう言って去って行った。
夜中なので、辺りを見ても人通りはない。僕はオカマが路地を左折するのを見届けると、家へ戻った。
「酷いありさまだな……」
両親も降りていて、散らかった店内を見ていた。
しばらくして「あ、レジの金がないっ!」と、パパンが声を荒げ、ママンが「ちゃんと鍵を掛けていたの?」と追求しだす。「いや、家の中だし掛けてない」とパパンが言うと、ママンは烈火の如く怒りだした。
僕が先ほどの状況を説明すると、ママンは「オカマの人がいた? どこに?」と聞くので、「玄関出てすぐそばにいたよ」と言うと、「ひょっとしたら、自作自演かもしれんな」とパパンが口を挟んできた。
自作自演とは、本来論争中、相手の意見に反論する人を少しでも増やそうとしたり、自分を擁護する意見を自分で行ったりする事。それによって論争を打破し、自分の主張の正当性を際立たせるというものである。
ひょっとして、あのオカマオヤジが犯人という事だろうか?
「何が自作自演よ。一体いくらレジに入っていたのよ、このトウヘンボクが!」
「ひぃ~、許してママン……」
ママンがパパンの髪の毛を持ち引きずり回しているのを横目に、僕は警察へ電話をした。
警察の調べによると、指紋一つ残っていないプロの手口だと言われた。
結局犯人は見つからず、うちは泣き寝入りをするハメになる。
ママンは大泣きし、パパンはガックリと首を落とした。
冷静に思い出してみると、あのタイミングで外にオカマがいたのはおかしい。他に誰一人いなかったのである。
四日前は小松菜泥棒。
今日は現金泥棒。
この一週間、うちは被害に遭い過ぎている。警察に見張っていてほしいところだが、そこまで暇じゃないだろうし……。
「待てよ……」
僕は一つの共通点に気がついた。
小松菜泥棒のオヤジ二人組が逃げていった方角と、オカマオヤジが逃げていった方角は同じなのだ。何か繋がりがあるかもしれない。盗まれたものは違うが、盗んでいった人間に共通の匂いを感じたのだ。
だらしない管理をしていたパパンは、ママンに散々怒られ小遣いを減らされたらしい。馬鹿なパパンは、食堂のメニュー全般を五十円値上げした。
「みんな、本当にすまない。実はうちに先日泥棒が入ってしまってな。値上げせざるえないんだ。申し訳ないが、五十円だけ全品値上げさせてもらった」
来る客に同じような言い訳をして、平謝りに頭を下げるパパン。見ていて気の毒だった。
常連客の竹花さんは、「気にするなよ。いくらになったって俺は食いに来るって」と励ましてくれる。
「何、本当か? じゃあ、全品百円ずつ値上げとくか」
調子に乗るパパン。
「ふざけんじゃねえよ。これ以上高くなったら、もう食いに来ねえからな」
「何だと? さっきと言ってる事、違うじゃねえか」
「うるせえ。おまえは余計な事しないで、黙々と安い飯を作ってりゃあいいんだよ」
「ふざけるな、この野郎! 偉そうな事言って、この間なんかクソの匂いをちょっと嗅いだだけで逃げやがったじゃねえか」
「当たり前だろうが! 臭いもんは臭いんだよ。そのあとだってちゃんと食いに来てるじゃねえか。これ以上値上げすんじゃねえ」
パパンと竹花さんは、他の客がいるのも構わず、店内で取っ組み合いの喧嘩をしだした。
泥棒騒動から三日間が過ぎた。
僕の予想では、今日辺り何かありそうな予感がする。
夜中になると窓を開け、外の様子を伺った。横ではまた、パパンとママンが卑猥な事をおっぱじめた声が聞こえる。呑気なものだ。息子の僕が家の為に真剣に見張りをしているというのに……。
「ん……。来たっ!」
うちの目の前にあるT字路から、二人の老夫婦が歩いてくる。他に人通りはない。こんな夜中に歩いているのはおかしい。
案の定、老夫婦はうちの花壇の前に来ると、辺りをキョロキョロ見回しだした。おばさんは背中にリュックを背負っている。まさかと思っている内に、「今だ!」という声が聞こえ、おじさんはおばさんのリュックに花壇から小松菜を引き抜き入れだした。
「……」
怒鳴りつけたい衝動を懸命に抑え、僕はジッと様子を伺いつつ、デジカメで証拠写真を撮った。よし、うまくファインダーに納まったぞ。
老夫婦は、小松菜をあらかたリュックに入れると、最初に来たT字路を戻りだす。僕は急いで階段を駆け降りた。
警戒していないのか老夫婦の足取りは遅く、僕が外に出た時も、まだT字路を歩いている。突き当たりまで来ると、老夫婦は左折したので、駆け足であとを追った。
「あれ、いないっ!」
すぐ僕もあとを追ったのに、老夫婦の姿は見えない。T字路の角にある『居酒屋 兄弟』という店から笑い声が聞こえてきた。
夜中の三時だというのに『兄弟』は看板をつけ、堂々と営業している。風営法などまるで関係なしといった感じである。家から三十メートル先にある『兄弟』は、訳の分からない居酒屋であった。近所の噂だと色々な店を出入禁止になった人間たちの唯一の溜まり場だと聞いた事がある。
幸いに窓が少しだけ開いていたので、覗いてみる事にした。
「……!」

思わず声が出そうになる。『兄弟』の中には、先ほど小松菜を盗んでいった老夫婦だけでなく、前に小松菜を盗んだオヤジ二人組や、オカマオヤジまでいた。仲良く同じテーブルに腰掛け、笑顔で酒を飲んでいる。

「あそこにまた小松菜あったからさ。また私らで引っこ抜いてきたよ。女将さん、これ調理してつまみにしてちょうだいよ」
「あそこってレジの鍵、掛けてないからやりたい放題なのよぉ。私なんか、用意周到に一回の見取り地図作っちゃったものぉ~」
オカマオヤジが口に手を当てて「オホホ」と笑った。
一連の騒動は、全部こいつらの仕業だったのか……。
僕は急いで家に帰り、両親の部屋を開けた。
「ば、馬鹿野郎! ノ、ノックぐらいしろ!」
パパンが裸のまま、ママンに布団をかぶせた。でも僕は見てしまった。黒い紐で全身を縛られたママンの体を……。
「そ、それどこじゃないって。また泥棒が来たんだよ。今までの泥棒連中が、『兄弟』って店にいるんだ。パパンも一緒に来てよ」
「うるさいっ! 子供はもう寝なさい。早くドアを閉めろ! 閉めやがれ!」
駄目だ。卑猥な行為を息子である僕に見られたパパンは、すっかり逆上して話を聞いてくれない。僕はため息をついて、自分の部屋へ戻った。
確か窃盗罪って、現行犯じゃなかったかな……。
僕は悔しさの余り、朝までなかなか寝つかなかった。
昨夜の出来事を見てしまったからか、パパンは仕事中、一切口を利いてくれない。
「マスター、今日はたっぷり味噌の聞いた味噌チキンカツを作ってくれよ」
昨日喧嘩したはずの竹花さんは、懲りずにうちへ来ている。いつもなら「息子にオーダーを通せ」と言うのに、今日は「おいっす。味噌チキ一丁。ウォンチュ!」と受けていた。よほど僕と口を利くのが恥ずかしいのだろう。
「そういやさ、マスター。あの時の巨大クソ、本当に臭かったよな~」
「味噌料理を作っているのに、そういう話題はやめろ!」
この二人は昔からの同級生で腐れ縁らしい。前にママンがそう言っていた。
ドアが開き、客が入ってきた。
「いらっしゃ……」
何と入ってきたのは『兄弟』の連中だった。小松菜を盗み、この店のレジの金まで手をつけておきながら、堂々とした表情で入ってくる。
先頭が老夫婦。次にオヤジ二人組。そしてオカマオヤジ。最後に店の女将らしい人間が来た。女将の髪型は、昭和を彷彿させるような感じで、「それってカツラじゃないの?」と思わず突っ込みを入れたくなるようなものだった。
僕はパパンに小声で伝えようとするが、「仕事中、私語は禁止だ」と取り合ってくれない。
「ちょっと、お水ぐらい早く出しなさいよぉ~」
オカマが偉そうに言ってくる。
「い、いらっしゃいませ……」
唇を噛みながら、僕は必死に我慢した。
泥棒連中は、ビールやつまみをたくさん注文し、楽しそうに飲んでいる。女将は老夫婦の男に酒を勧めていた。
一時間ほど過ぎ、その男だけを残してみんな帰ってしまう。散々酔わせておいて会計を押しつけたのは見え見えである。
老夫婦の男は、気持ち良さそうにテーブルへ突っ伏して寝ていた。その内、店も混みだしてきたので、パパンが「その客、叩き起こせ」と言ってくる。
言われなくてもそのつもりだ。僕は男を乱暴に起こす。
「うにゃ…。あれ?」
「もうお連れの方たちはとっくに帰りましたよ。ここで寝られても困ります。お勘定だけしといてもらえますか?」
「あ、あ~……。女房が財布持ってんだよな……」
「払ってもらわないと、困るんですけど」
「多分、『とんかつ原田』へ行ってると思うんだ。兄ちゃん、一緒にそこへ付き合ってもらえんかのう?」
「はあ、何で僕がそんな事を?」
「会計はいくらだっけ?」
「一万二千円です」
うちの食堂で一万を超える会計なんて、滅多にない。それだけ酒や食い物をたくさん頼んだからなのだが、それで金がないは通らない。
「高いのう……」
「大人数でそれだけ飲んで食ったからでしょうが!」
「分かった分かった。じゃあ、『とんかつ原田』へ付き合っておくれよ。そこに、うちのがいると思うから」
持っていない人間からはさすがに取れない。僕はパパンに事情を説明した。
「仕方ない。じゃあ、おまえ行って来い」
「お店、大丈夫?」
「しょうがないだろう。一万二千円、キッチリ取って来い」
「分かったよ、パパン。頑張ってね」
僕は後ろ髪を引かれる思いで、店をあとにした。

老夫婦の男の言う『とんかつ原田』は、歩いて百メートルぐらいの距離にある。ここの揚げるとんかつはおいしいと近所でも評判であるが、うちの食堂でもとんかつのメニューがある為一度も行った事がなかった。
「そういやあ、おまえさん。原田のとんかつを食った事あるか?」
「ありませんよ……」
どうでもいいけど、講釈垂れる前に金を払いやがれって感じである。僕は早いところ金を徴収して、店に戻らなきゃいけないんだから……。
『とんかつ原田』へ到着すると、男は中へ入り、座敷に座り込んだ。
「ちょっと何をしているんですか? 奥さんは?」
「まあ、いいから若いの…。そこへ座れ」
何だ、こいつは……。
「座れじゃないですよ! 奥さんはどこにいるんですか?」
「いいから座れ! おう、オヤジ。酒を冷で二つ」
「飲んでいる場合じゃないでしょうが!」
「いいから座れって」

店にいる客が僕を白い目で見ているので、仕方なく座敷に上がる。
「ほれ、飲め」
男は金も払っていないのに、偉そうに酒を勧めてきた。こんなところで時間を潰している暇ないのに…。だけど金を徴収しないで帰ったら、パパンからもっと怒られてしまうだろう。仕方なく僕はおちょこを手に取った。
「カンパーイ!」
ひょっとしてこの男、奥さんがここにいると言っていたが、それすらもデマなんじゃないか?
男はいい感じで酔いだし、目も虚ろになってくる。
「おい、若いの。おまえ、ここのカツ食った事ないって本当か?」
「え、ええ…。そうですね……」
その時、ヨボヨボのおじいさんが、ドアを弱々しく開けながら中に入ってきた。
「見ろっ!」
男は、ヨボヨボなおじいさんを指差しながら口を開く。
「あんな死に掛けのジジーだってな~。ここのカツ、食いてーんだよっ!」

「……」
あんな年取ったおじいさんに、何て酷い言い草を……。

こいつ、相当酒癖が悪いな。
「おまえも注文してみろ。ここのカツをよ」
「は、はぁ……」
そんな訳で金を取りに来た僕は、いつの間にか『とんかつ原田』のとんかつを食べる事になってしまった。
「どうだ。うめえか?」
「は、はぁ……」
「若いんだから、もっとシャキッとしやがれ」
「は、はい……」
「こんなうまい料理教えてやったんだから、ここはおまえ、出しとけよ」
「はあ?」
「俺っちはな、宵越しの金は持たない性格でよ」
「何を言ってんですか? うちでも料金を払っていないんですよ?」
「まままま……。細かい事は気にしなさんなって」
「気にしますよ! こうなったら『兄弟』の女将からもらうからいいです」
話にならない。こんな馬鹿をまともに相手した自分が駄目だったのだ。靴を履き、帰ろうとすると、肩を後ろから掴まれた。
「おい、ちょっと。会計まだだよ」
店のマスターが渋い顔で手を出してくる。
「あ、すみません。払います。でも、僕の分だけしか払いませんよ」
「一緒に来といて何を抜かしてんだ、あんたは?」
「だって、別に知り合いって訳でもないし……」
「お連れさんは、あんたが会計を払うって言ってるぜ」
「そ、そんな…。あっ……!」
座敷にいたはずの男の姿はいつの間にかいなかった。僕が『とんかつ原田』のマスターと揉めている間に逃げたのだろう。
納得がいかないまま僕は二人分の会計を済ませ、店をあとにした。
怒り心頭で道を歩く僕。はらわたが煮えくり返っていた。
うちの店では、六人で飲み食いして食い逃げ同然。挙句の果てに『とんかつ原田』では、僕が金を払わされた……。
行く先は一つ。『居酒屋 兄弟』だ。
すぐ近所であんな真似をしといて、『兄弟』は堂々と店を開けている。僕は乱暴にドアを押し、中へ入った。
「あっ!」
そんな強く押した訳でもないのに、入口のドアは、ガタンと外れてしまう。何てボロい作りなのだろうか……。
「ちょっとあんた! 何、うちのドアを壊してんだい」
昭和の香りを持つ厚化粧の女将が、僕を睨みつけながら怒鳴ってきた。他にはいつもの面子が座っている。先ほどの老夫婦の男だけがいない。
「す、すみません……」
「キッチリと弁償してもらうよ」
「は、はい……」
待てよ。何か立場がすっかり逆転していないか?
「手付けでとりあえず三万円ほど置いていきな」
「そ、そんなに持っていませんよ……」
「冗談はおよしよ。人の店の入り口を壊しておいて、そんなんで済むと思っているのかい?このすっとこどっこい!」
何で食い逃げした奴に、ここまで偉そうに言われなきゃいけないんだ。もっとしっかりしなきゃ駄目だろ。
「分かりました。ドアは弁償します。だけど、うちで飲んで食べた会計がまだ払われていません。そっちを先にお願いします」
「知らないよ、そんな事は」
「え? だって一緒に来て飲んでいたじゃないですか!」
「たまたま別のお店で飲んでいて知り合っただけだよ。うちの客でもないしね。勘定なら、最後に残っていたオヤジから取るんだね~」
「嘘だ……」
「嘘なんかついたって意味ないだろ。まったくあんたは根性悪だね~」
この僕が根性悪? 言うに事欠いて……。
「ふ、ふざけるなっ! そこにいる連中、うちの小松菜を盗んだり、そっちのオカマオヤジはうちに泥棒に入ったりしただろうが!」
とんでもない連中だ。僕は溜まっていた怒りを爆発させた。
「は、証拠でもあんのかい? 下手な事を抜かすと、訴えるよ?」
証拠…。ある……。
老夫婦がうちの小松菜を盗んでいる時、デジカメで撮影しているのだ。
「ちょっと待ってろ。証拠を持ってきてやる!」
「ふん、何が証拠だよ。笑わせてくれるねえ」
女将はおろか、周りの泥棒連中までニヤニヤしている。
僕は猛ダッシュで家へ帰り、デジカメをポケットに入れた。家の食堂は混雑して、パパンが一人できりきり舞いだったが、構わず僕は外へ出た。背後から「おい、貴様。何をしてやがんだ!」と怒鳴り声が聞こえたが、あえて無視する。
食い逃げ同然の連中に、言いようにされたのが悔しかった。あいつらの余裕を奪いたい。それにはこのデジカメしかなかった。
『兄弟』へ再び戻ると、僕はデジカメの電源を入れ、老夫婦の写る場面を出した。
「ほら、これを見てみろ! 動かぬ証拠だ」
「ほう、ここからじゃよく見えないね~。よく見せてごらん」
女将にデジカメを渡す。しばらく老夫婦の写る画像を眺めていたが、「あ、目眩が……」と言い、その場に崩れ落ちた。
ガチャッ……。
「あ、デジカメがっ!」
僕はハッキリ見た。女将が倒れ込む際、デジカメを床に叩きつけたのを……。
作動状況を確認してみる。しかしデジカメはまったく動かず、スイッチすら入らない状態だった。
「よくも僕のデジカメを壊しやがったな……」
「馬鹿言ってんじゃないよ。あんたが私を突き飛ばしたりするから、転んだんじゃないか」
「何だと?」
「ねえ、みんな。みんなも見てたでしょ?」
女将が客に促すと、みんなも「そうだ。俺たちは見たぞ」と言い出す始末。
あまりの悔しさで、目に涙が滲む。
「あそこの食堂の倅だろ? 今日のところは帰っていいよ。後日、ドアの請求に行かせてもらうから。さっさと帰んな」
食い逃げした金は取れず、大事なデジカメまでも壊され、しかもドアの弁償までさせられる。僕は敗北感に打ちのめされながら家へ戻った。
メチャクチャ怒られると思っていたが、パパンは冷静に僕の話を聞いてくれた。
「そうか。悔しかっただろうな……。あとはこのパパンに任せておけ」
「ぼ、僕、ぐやじい……」
ずっと堪えていた涙が溢れ出す。店内の客は、何だ何だと僕を見ている。
「おい、見世物じゃねえんだ。今日のお代はいらねえ! みんな、帰ってくれ」
パパン……。
これほどパパンが偉大に見えた事などなかった。非常に頼もしい存在。
ガランとした店内には、常連客の竹花さんだけが残っていた。
「おい、竹花ちゃんよ。おまえも帰ってくれ」
「おいおい、冷たいじゃないのさ。俺とおまえの仲だろうが。俺も協力するぜ」
「竹花ちゃん……」
「久しぶりに『肥溜めブラザース』の再結成と行くか」
「ふむ、竹花の…。何年ぶりよのう……」
パパンは遠くを見るような目つきになり、口調まで変わりだした。
パチパチパチ……。
二階からママンが拍手をしながら降りてきた。
「そうよ。事情は上から聞いていたわ。ここはパパンに竹花さん。あなたたちの出番ね」
一体何だ、『肥溜めブラザース』とは?
ママンによると、昔々パパンと竹花さんは、手のつけられない悪ガキだったらしい。この二人を敵に回すとロクな事にならないと噂され、いつからか『肥溜めブラザース』という異名を持つようになったという。
「腕は錆びついちゃいないぜ、竹花の」
「そうか。ならば『兄弟』とやら、相手にとって不足はないぜよ」
「竹花君、格好いい! さすが私が昔、抱かれた事だけはあるわ」
げ、ママン。調子に乗って何て事を言うんだ……。
「何? 今、何て言ったんだ、ママン?」
パパンの顔つきが変わる。
「ん、何でもないわよ……」
「嘘をつくなっ! 竹花の奴に抱かれたとか言っただろうが!」
「言ってないわよ」
何だかマズい展開になりそうだ。竹花さんはその光景を見ながらタバコを吸い、ニヤリと笑っている。
「おいおい、男のジェラシーはみっともないぜ」
「何だと、この豆泥棒がっ!」
「昔の事をレディに、グチグチと聞くもんじゃねえって事よ」
「貴様っ!」
ママンの余計なひと言で、十数年ぶりに復活した『肥溜めブラザース』は、すぐに解散となった。
第三章《先輩》
ここ最近のパパンとママンは仲が悪い。だって常連客の竹花さんと、過去に関係があった事をママンがつい口を滑らせてしまったんだから。何もあのタイミングで言う事ないと思うんだ。自分の女房が、過去の話とはいえ昔からの友人に抱かれたという事実。知らないでいるほうが、人間幸せな時だってある。パパンが気の毒に思えた。
僕にとって幸いな事といえば、夜オナニーする時、両親の卑猥な声を聞かずに済むという点である。ゆっくり自分の好きな時間を堪能できる訳だ。
うちの両親はどちらかといえば、パパンがママンに惚れているという図式である。パパンはママンに当たる事ができないので、必然的に僕が八つ当たりの対象になってしまう。先ほどパパンが気の毒だと感じたが、そんな気持ちはあっという間に吹き飛んでしまう。
「おい、努! おまえはこんな事もできないのか?」
店を開けて間もないのに、パパンは無理難題を押しつけてくる。
「今まで料理を運ぶだけだったのに、いきなりキャベツの千切りをしろって言われたってできる訳ないじゃん。包丁一つ、ロクに扱った事ないのにさ」
「気合いだ。気合いさえあれば、何でもできるものだ」
そんなもの、気合いなんかでできる訳がないのだ。頑固になった時のパパンは本当に性質が悪い。
「今まで通りでいいじゃんか。別にここを継ぐって訳じゃないんだから」
「駄目だ。おまえはここを継ぐ運命にあるのだ」
パパンはすっかり僕に継がせるつもりでいる困ったちゃんだ。職業選択の自由など、まるでお構いなし。つい、年を取った自分を想像してみる。
頭に捻りハチマキを巻きながらフライパンを片手に転がす僕。カウンター席には、『肥溜めブラザース』こと、パパンと竹花さんが二人でいつも飲んだくれている。注文が殺到し調理場が火の車なのに、「おい、努。早くレバニラ作れや」とパパンが真っ赤な顔で怒鳴りだす……。
「冗談じゃないよ! 小汚い連中を相手に、生涯をまっとうしろって言うのかよ?」
「何を抜かす、この小僧が! 小汚い連中だと? おまえの給料はその小汚い客が払う金が収入源なんだぞ」
自分が小汚いなんて、露ほども思っていない幸せなパパン。
「何が給料だよ? 一ヶ月必死に働いたって、十万もないじゃないか」
「ふん、おまえは黙って俺の言う通りに働いてりゃあいいんだ。余計な事を考えるのは、あと十年経ってからにしとけ」
「冗談じゃないやい。労働基準法に違反してるじゃないか。こんな安賃金でボロボロになるまで働かせてさ」
「何が労働基準法だ。このコッパが。おまえがやっている事は仕事じゃない。ただのお手伝いに過ぎん。それで十万ぐらいのお駄賃もらえているんだから、俺に感謝しやがれ」
いくら何でも酷過ぎる。僕が毎日ひいひい言いながらやっている事をお手伝いだなんて……。
「う、訴えてやるからな」
「どうぞ、ご自由に。民事不介入に過ぎん。まあそんな面倒な事をしたら、もっとお小遣いを下げてやるだけだけどな」
「き、汚いぞ」
「汚くねえよ」
とぼけ顔で口を開くパパン。無性に腹が立ってきた。
「汚いじゃないか!」
「いや、北あるよ」
こんな時にクソつまらない駄洒落など使いやがって……。
「つまんないんだよ!」
「ふん、おまえなど黙って俺の言う通りに生きていればいいのだ」
「酷いや。それじゃあまるで僕は、パパンの道具じゃないか!」
「け、道具? おかしな事を言うな……」
「何でだよ? 指図されっ放しの人生なんて、まるで道具じゃないか!」
「チ・チ・チ……。道具は喋らん。愚痴も言わん。それに飯も食わん」
勝ち誇ったような表情でパパンは言った。
「ひぃ~、酷いや……」
「ふん、泣いたってキャベツの千切りを誤魔化せた訳じゃないぞ? とっととやれ」
「パパンの馬鹿」
「何だと?」
「そんなんだから、ママンを竹花さんに寝取られるんだ」
「馬鹿者!」
パチンと乾いた音がして、僕の頬は熱を帯びたように熱くなる。パパンが感情的になり、僕のつるんつるんの頬に平手打ちをしたのだ。
「ち、ちくしょう~!」
僕は泣きながら、家を飛び出そうとする。その時、階段から足音が聞こえ、二階からママンが降りてきた。
必要以上にお尻をプリプリ揺らしながら階段を降りるママン。いつもそんなオーバーアクションだから、うちの小汚い客どもに、「あんなケツに、チクワぶっ刺したらどうなんだろうね?」とか言われるんだ。ひょっとしたら、あいつらのマスターベーションのおかずにされているかもしれないのに……。
「あらあら努。何を泣いているのよ?」
僕のキラリと光る涙に気付いたママンは、覗き込むようにして声を掛けてきた。
「パパンが酷いんだよ、ママン」
「う~ん、何でそんな状況になったのか、私は分からないわ」
「あのね……」
「ううん、私はそんな事を聞きたい訳じゃないのよ、セニョリータ」
「ぼ、僕はセニョリータなんかじゃないよ」
「いいのよ、今はセニョリータで。じゃないと話が進まないから」
「はあ? 訳が分からないよ」
「いいから黙って私の歌を聞きなさい。ほら、耳を澄ませて。私が唄うなんて滅多にない事なんだから、耳をかっぽじってありがたく聞きなさい」
そう言うとママンは階段の途中で立ち止まったまま、両腕を組み、天井を見上げながら唄いだした。
「男は~、な~み~だ~を~流さない! プリプリン! ロボットだから、マシーンだ~から~、プリプリン!」
何だ? どこかで聞いた事あるような曲だが……。
「あ、ひょっとして『グレートマジンガー』の主題歌じゃないの? それならちょっと違うよ。最初は『男は~』じゃなく、『俺は~』だし。それに『プリプリン』じゃなくてさ、『ダダッダン』だよ?」
「いいの、いいの。そんな細かい事は。私が歌う時は『プリプリン』でいいのよ」
「そんなの変じゃないか」
「ちっとも変じゃないわ。それに最近ね、近所で『若奥さまカラオケ突撃隊』ってグループ作ったのよ。私はそれの副会長でもあるんだけどね」
また訳の分からない怪しい団体を……。
「全然ママンは若奥さまじゃないじゃないか」
僕の台詞にママンの目がキッと釣り上がった。
「いいのよ、実際の年齢なんて。見た目が若く見えればそれで若奥さまの条件を満たしているんだから」
「だって僕が十八で、パパンが四十二でしょ。パパンとママンは二つ違いだから……」
「努! つまらない計算なんかしてんじゃないよ。今日の晩御飯のおかずのコロッケ。努のだけ半分にするわよ。いいの?」
「何でそうなんだよ」
「目上の年を気にすると、そういう目に遭うという教訓よ」
いつもママンは自分が不利になると、これだ。我が家の食卓の実権はママンが握っているから、ここは大人しくしておこう。
「悪かったよ。ママン、うちのお客にも人気あるもんね」
「そうそう、私って自分で思っているよりも人気者なのよね。うちが何とか常連客ついているのも、私のプリプリのお尻が目当てに決まってんだから」
「……」
一体、何て台詞を……。パパンが聞いたら烈火の如く怒り出すだろう。ママンは自分から狙ってお尻をプリプリ動かしていたのだ。店の手伝いなど何もせずに……。
「そういえば、あなたは私の歌の真意が何も分かっていないようね」
「真意? 何それ? そんなの分かる訳ないじゃないか」
「私が言いたいのはね。男は涙を流さないって事を伝えたかったのよ。お分かり?」
それなら普通に言えば済む事じゃないか。別にわざわざ古いアニメの主題歌を変えて唄う必要など、どこにもないのに。
「何がお分かりだよ。何で僕が泣いていたのか理由すら聞かないでさ」
「今はもう泣いてないじゃないの。早くパパンの手伝いをしないと、また怒られるわよ」
まったく誰のせいでパパンの機嫌が悪いと思っているんだ。毎度の事ながらママンは本当にお気楽だ。この人と話していても何の解決にならないので、仕方なく僕は食堂へ戻る事にした。
パパンはタンタンとリズミカルな音を立てながら、キャベツの千切りをしている。僕が来たのに視線すら向けようとしない。
「お手伝いに来ましたよ」
あえて嫌味ったらしく言うと、パパンは包丁の手を止め、「とっととのれんを出せ、このちょんまげハゲ」と偉そうに抜かしてきた。
「くっ……」
思わず「何がちょんまげハゲだ」と怒鳴りたかったが、また平手打ちを喰らうのも嫌なので、ここは我慢して言われた通りに動く事にする。
外に出てゆっくり深呼吸をしてみた。熱かった頭が少し冷静になった気がする。考えてみると、竹花さんの事まで言ったのは言い過ぎだったかもしれない。パパンが怒るのも無理はないだろう。だけど、僕の存在を道具以下と抜かし、平手打ちまでするなんて酷過ぎる。こうなったら早いところ次の就職先を見つけ、あの小汚い定食屋から脱出する以外、方法はない。
「おい、早くのれん出せよ」
背後から声を掛けられたので振り向くと、捻りハチマキを巻いた小汚いオヤジがイライラしながら待っていた。
「すいません、もうちょっとで開きますので」
出来る限りの笑顔で明るく言うと、「口を動かす暇あるなら、ちゃっちゃと店開けろや」と傍若無人な態度で返ってきた。
「は、はい……」
何も言い返せない自分が悔しかった。僕の気持ちが暗く沈んでいようと、客には何の関係もないのだ。そしてこんな日に限って、うちの定食屋は忙しかったりする。
「はい、肉団子クリームシチュー風!」
「へい!」
最近のパパンは妙なメニューを増やしていた。何がクリームシチュー風なのか、僕にはさっぱり分からないが、おかげで客に対する対応が余計に面倒になっている事だけは確かだ。
「ねえ、お兄ちゃん。焼そばイタリアンって何?」
牛乳ビンの底をメガネにつっくけたようなおばさんが、パイナップルのような髪の毛をボリボリと掻きながら聞いてくる。水を注がなきゃいけないし、料理のオーダーだってとらなきゃいけない。大忙しの時に、このようなメニューの説明を求めてくる客は非常に邪魔だった。
「太麺焼そばをナポリタン風に作ったものです」
簡単に説明すると、牛乳ビンメガネのおばさんはジッと僕を見つめながら言った。
「何故ナポリタン風だとイタリアンなの?」
そんなの僕が知る訳ないじゃないか。パパンの気まぐれで一昨日追加されたメニューなんだから……。
「さ、さあ、何でなんでしょうかね」
「ちょっとあなた、ここ大事よ」
「へ?」
「こう見えて私はナポリタン愛好家なのよ。それを焼きそばの麺を使ってというだけでも邪道なのに、イタリアンとは何事よ」
メガネを掛けたおばさんは、髪の毛を両手で掻き毟りだしながら口を尖らせ、どうでもいい事を言っている。どうしてもパイナップルのようなヘアースタイルに視線が行ってしまう。僕はこのおばさんを『パイナポー』と呼ぶ事に決めた。
「ちょっとあなた、何をボーっとしているのよ。人の話をちゃんと聞いているの?」
「き、聞いてますよ」
「じゃあ、何でナポリタン風がイタリアンなのか説明してみなさい」
このクソ忙しいのにパイナポーめ……。
「知りませんよ。お気に召さないなら、他のメニューを注文すればいいじゃないですか」
「私はね~、この焼そばイタリアンが気になって気になって仕方がないのよ。分かる、この気持ち?」
「いえ、分かりません……」
何でパイナポーの気持ちなど僕が理解しなきゃいけないんだ。
「例えばの話よ? 私がナポリタンを食べたとして、口の周りにいっぱいケチャップがくっつく。私はそれに気付かず、家に帰ってお化粧を落とそうと鏡を見た時、ふと思うのよ。あら、私ったら口の周りにナポリタンのケチャップをくっつけちゃってまったくって…。こういうの何だか非常にイタリアンチックだと思わない?」
「全然思いませんが……」
「キー! あなた、サービス業失格よ? そんな事じゃ」
参ったな。こういう時に限って店内はほぼ満席だったりする。僕は、他の客の水を注ぐ振りをしながら、その場からうまく逃げた。
ガラッと音がして入口の戸が勢いよく開く。ここの常連客であり、パパンの幼馴染、そしてママンと昔関係があった竹花さんが威勢よく店に入ってきた。
「竹花君、格好いい! さすが私が昔、抱かれた事だけはあるわ」
ママンのいらぬひと言以来、店に来るのは初めてである。恐る恐る僕はパパンの顔を盗み見た。ヤバい…、こめかみの辺りがピクピクと動いている。
「おう、努ちゃん。今日は混んでいるね」
竹花さんはいつもと変わらない陽気さだ。前回パパンと大喧嘩したのが嘘のような振る舞いだった。
「い、いらっしゃいませ……」
よくもまあぬけぬけシャーシャーと来られたものだ。竹花さんはごく普通にカウンター席に腰掛けた。パパンが目の前で料理を作っているというのに……。
「とりあえずビール。泡多めでな」
「へ、へい……」
心中穏やかではないパパン。竹花さんのほうを向こうともせず、黙々と料理を作っている。僕は二人の挙動を見ながらビールを注いでいたので、つい泡をこぼしてしまった。
「おい、努! 何をボーっとしとるんだ」
パパンが唾を吐きながら怒声を浴びせてきた。見ていないようでこんな時ばかりしっかり見ているのだ。
「わ、悪かったよ」
「こぼれた分のビールはおまえの給料から天引きだからな」
「そ、そんな殺生な……」
だいたいこぼれたビール分の天引きなんて、一体いくらぐらい引くつもりなんだ。
「おまえは物のありがたみが分からんから駄目なのだ。少しは身に沁みてみやがれ」
ただでさえ機嫌の悪かったパパン。竹花さんが来た事で、さらに拍車が掛かっているようだ。
「まあまあ落ち着けって、弟よ」
陽気な竹花さんは、訳の分からない台詞を言いながら仲裁に入ってきた。
「おい、何が弟なんだ?」
確か二人は同じ年。それなのに『弟』と呼ぶ根拠は、僕の中で一つしか考えられなかった……。
「俺っちが先。おまえはあと。だから俺っちがお兄ちゃんで、あんたが弟」
そう言うと、竹花さんはいやらしい顔で二マッと笑った。歯を磨いていないのか、前歯には青ノリみたいなものがついている。いや、そんな事より何て事を言ってしまうのだ。またパパンが烈火の如く怒りだす……。
「き、貴様~!」
パパンはその場にあったキャベツの千切りをわし掴みすると、カウンター席に座る竹花さんに向かって投げつけた。呆然とそれを見る店内の客。
「おぉー!」
思わず店内でどよめきが起こった。竹花さんは飛んできたキャベツを手でかわしながら全部よけたのだ。その動きは千手観音を連想させた。見事としかいえない動きを見せた竹花さん。パパンはとても悔しそうに恨みの籠もった目線で睨みつけている。
「まだまだよの~。しょせん弟はお兄ちゃんには勝てん。お兄ちゃんより優れた弟など存在しないのだよ、カカカ……」
ん、どこかで聞いた事のあるような台詞……。
「何が弟だ、竹花の! まだキャベツなど序の口に過ぎんわ」
パパンはケチャップを手に持つと、「ふんはっ」と掛け声を出しながら発射させた。四方八方に乱れ飛ぶケチャップ。
「いや~!」
「うげ、マジかよ?」
客の悲鳴が店内にこだました。
「甘い。甘過ぎる。おまえの拳には甘さが抜けきれていないのだ、弟よ」
何と騒ぎを巻き起こした張本人の竹花さんは、先ほどのパイナポーを盾代わりに隠れ、一切ケチャップを浴びていなかった。
「えへへ、私の顔にたくさんのケチャップ……。これってイタリア~ン」
パイナポーは自分の顔についたケチャップを指でなぞり、ペチャペチャと舐めている。ひぃ~、何もかもメチャクチャだ。
「冗談じゃねえよ」
「ふざけんな!」
客たちは文句を言いながら金も払わず店を飛び出していく。頭を抱えながらその場にしゃがみ込んでいると、背後から肩を叩かれた。
「相変わらずすごい状況だな、努」
振り向くと、いつも仲良くゲームセンターに一緒に行く先輩のムッシュー石川が立っていた。
ソースと醤油の入ったチューブを両手に持ちながら、「二刀流だぁ~」と叫ぶ竹花さん。
ケチャップとマヨネーズを乱射しながら、「何クソ、我も二刀流だぜよ」と対抗意識を燃やすパパン。
どっちも目くそ鼻くそのレベルの低い争いである。さすが『肥溜めブラザース』と呼ばれた事のある二人だ。当然の事ながら店内にあれだけいた客は、みんな金も払わず逃げていく。
しばらく争いが収まりそうもないので、僕と先輩のムッシュー石川は一番奥の席に腰掛け、勝手にビールを飲んでいた。
「先輩、酷いでしょ? うちの店……」
「先輩と呼ぶな。ムッシューと呼びなはれ」
「そういえば、何でムッシューなんですか? 先輩は、石川智之という立派な名前があるのに……」
「フ、フルネームで呼ぶなっちゅーの。我輩は生まれた地である道産子を捨て、関東人となったのだ。そこで私は『ムッシュー石川』と名乗る事にしたのさ。随分と古い話だがな、ふっ……」
この人の脳みそはどうなっているのか、一度頭を割って中を見てみたいものだ。何故、名前を変えなきゃいけないのか意味不明だし、最後に『ふっ……』とか気取っているのも分からない。それに自分の呼び方を『私』だとか『我輩』だとか全然統一性がないのだ。
「じゃ、じゃあムッシューさん……」
「おお、いいねえ。その響き。あ、響きって言ってもさ、サントリー響じゃないよ」
この人のギャグセンスはまったく面白くなかった。
「ムッシューさん、それ、寒いですよ……」
学生時代の頃、本気でお笑い芸人を目指していたらしいが、もちろんその願いは叶っていない。
「まあ、そんな時なんて誰にだってあるさ」
そう言って先輩はメガネを少しだけずらし、遠くを見るような目で気取りだした。
「今日はどうしたんです? うちに来るなんて珍しい」
「ああ、今日は待望の給料日でな。努に酒でもご馳走してやろうじゃないのって感じで来た訳」
「また牛をしばきながら、ビールをチビリと飲むんですか?」
「馬鹿者、何てレベルの低い発想を…。今日は私に感謝するぞ」
「え、感謝?」
「ああ、感謝と言っても、官が泊まったりする『官舎』じゃないよ?」
「そんな事いちいち言わなくても分かりますよ」
「あ、『愛は勝つ』のカンでもないからね?」
「つまらないですよ!」
「ノンノンノ~ン!そこ、突っ込みかた甘い」
「え?」
「どうせなら『誰がそんな事思うかいな』って我輩の頭をピシャンと叩くぐらいじゃないと駄目じゃん」
「先輩にそんな事できませんよ」
「駄目駄目。ここはやっとかないと先に進まないから」
「何の為に先へ進む必要があるんですか?」
「ちゃうねん、ちゃうねん。ここは恥ずかしさを捨てなきゃ、あかん」
「もー、意味不明ですよー。だいたい何ですか、恥ずかしさって」
「我らの夢を叶えるには、恥ずかしさを捨てなきゃ」
「ぼ、僕らの夢? 何ですか、それ……」
「ま、詳しく話すから場所変えよか」
「だって僕はまだ仕事中ですよ?」
「これでもか?」
先輩がパパンと竹花さんを指差す。二人とも調味料だらけでメチャクチャだ。
「貴様、この豆泥棒が!」
「ふん、お下がり野郎め」
パパンたちの視界に、僕らはまるで入っていないようだ。
「な? こんな状態じゃ客も入って来れないだろ。さっさとのれんでも閉まって、飲みに行こうぜ」
「う~ん……」
確かに店を閉めるのが最善の方法かもしれないが……。
「男なら迷わず行けよ。行けば分かるさ、竜宮城」
「何ですか、竜宮城って?」
何だか甘酸っぱい匂いがしそうなところだ。こんなソースや醤油が四方に飛び散っているところなんかよりはいい。
「ふふふ、嫌なら別に君は来なくてもいいのだよ」
まったくものを含んだ言い方が好きなんだから、この人は……。
「嫌なんて言ってませんよ~。とっとと店閉めて行きましょう、その竜宮城とやらへ」
僕は入口に掛かっているのれんをしまいに行った。
時間はまだ夕方の七時前。僕らは以前揉めた『兄弟』の前を通る。あの昭和の香りを醸し出す悪徳女将は、偉そうにタバコを吸いながら足を組んで座っていた。
ひと言怒鳴りつけてやりたかったが、今は先輩のいう『竜宮城』が気になっているのも事実だ。
「ムッシューさん、一体どこへ行くんですか?」
「甘酸っぱい若い女子のいる店ぞよ」
「ほ、ほんとですかっ!」
「相方に嘘を言ってもしょうがないじゃないか」
「相方って何の相方ですか?」
「ふっ、それはおいおい話すさ」
ムッシューはどこを見ているのか知らないが、遠い目をしている。その時、『兄弟』のドアが勢いよく開き、女将が出てきた。
「ちょっと、そこの小坊主!」
もの凄い形相で睨みつけてくる女将。もはや完全に女を捨てている。よくこれで客商売が勤まるものだ。
「こ、小坊主って何だ!」
僕の大事なデジカメを叩き壊しやがって…。あの時の恨みはまだ消えていない。
「いつになったら、このドアの弁償代持ってくるんだい?」
「じょ、冗談じゃないや。元々あんなの壊れていたじゃないか! それに何だい。そっちの常連客なんてうちの小松菜を盗むわ、泥棒に入るわ最低じゃないかよ」
「ふん、何を抜かす。このこわっぱが」
「な、何が『こわっぱ』だ!」
「ふん、とっとと有り金置いて消えな。営業妨害で警察呼ぶよ?」
「ぐっ……」
自分たちが最初に汚い事をしておき警察を呼ぶなんて、何て卑怯な女なのだろう。確かにここは『兄弟』の店前だ。警察が来て現場検証でもしたら、僕が不利になる。
「ほら、とっとと有り金を出しなよ」
女将がにじり寄り、僕のポケットに手を入れようとした瞬間、その手首を誰かが掴んだ。
「おいおい、マドモゼア~ル。フェアじゃないぜ」
先輩のムッシュー石川だった。しかし『マドモゼア~ル』とか言っていたけど、『マドモアゼル』の間違いないじゃないだろうか? それに『マドモアゼル』って、お嬢さん、または娘さんって意味だったような……。
「あらま、いい男」
女将は、いきなり先輩に抱きつきだした。何だ何だ……。
予想外の展開に戸惑う僕。
「……」
しかもムッシューは、そんな女将のお尻に手を回し、いやらしい手つきで撫で回していた。何て節操のない男なのだ。
「おい、努。まあ、そういう訳だ。竜宮城はまただな」
「え~?」
先輩ことムッシュー石川は、女将にべったりくっついたまま『兄弟』の中へと消えていった。
本当に今日はメチャクチャな一日だ。
帰り道、僕は一人でブツブツ言いながら歩いている。さっきまで若い女子のいる店で、ご馳走してやるとか言っていたのに、先輩は酷い。酷過ぎる。
しかも『兄弟』の女将なんて、どう見たって五十後半だぞ? よくあんな物の怪に抱きつかれてその気になれるものだ。あの人とは縁の切り時がきたのかもしれないな。
家に帰ると、ちょうど店の入口から竹花さんが出てきた。ひょっとして今まで暴れていたのか……。
「おい、努ちゃん。俺は勝ったぞ」
僕を見るなり竹花さんは鼻息を荒くしながらガッツポーズをしている。体中、ケチャップやソースで調味料まみれだ。
「勝ったって何をです?」
「弟に負けるお兄ちゃんはいない」
それだけ言うと、とても嬉しそうに竹花さんはスキップをしながら帰っていった。
店の中、メチャクチャだろうな……。
恐る恐る覗き込んでみると、パパンが床に倒れていた。慌てて僕は駆け寄る。
「パパン! どうしたの?しっかりして」
酷い有様のパパン。鼻の穴から耳の穴までマヨネーズが練り込まれていた。僕は急いでテッシュを使い拭き取った。
「う~ん……」
「あ、大丈夫、パパン?」
「どけっ!」
覗き込む僕を払いのけ、パパンは不機嫌そうに立ち上がる。
「ひ、酷いや……」
パパンは店内をグルリと見回し、「こんなに店を汚しおって、貴様、ちゃんと片付けていけよ」とだけ言うと、階段を上がって二階に行ってしまう。
「何で僕が……」
この酷過ぎる現状に思わず涙が出る。僕は涙を拭い、仕方なく散らかった店内の掃除を始める。床をモップで擦りながら、絶対にすぐ別のところへ就職してやると自分自身に誓った。
後日、先輩のムッシュー石川から一通のメールが届いた。
《おう、努。元気かいな? 我は雲。雲ゆえに自由気まま。なのであの女将と付き合う事にしたんだ。もちろん結婚を前提にね。披露宴には必ず呼ぶぜ、相方。友人代表のスピーチ、ちゃんと今から考えておいてくれよな、ベイビー。 ムッシュー石川》
「え~?」
この時、自分が広大なカオスの中に、いつの間にか放り込まれた感覚がした。
第四章《月の石》
先日はまさかの展開になり、未だ戸惑っている僕。
先輩のムッシュー石川は、一体今度どうなってしまうのだろう。結婚を前提に付き合うというメールが送られて以来、彼からの連絡はなかった。
近所の居酒屋『兄弟』に行けば、詳細が分かるかもしれないけど、もうあんな女将に関わりたくない。そんな訳で僕は、必然的にムッシュー石川と距離を置いていた。
まあムッシュー石川が、『兄弟』の女将と出来ている限り、僕にドアを弁償しろと迫ってくる事はなさそうだし、これで良しとしなきゃ。
パパンと竹花さんはというと、店全体を巻き込む大騒動を起こしたせいか、普通に仲良くしている。非常に不思議な関係だ。
そして自分を振り返ってみる……。
「あー、嫌だ嫌だ。早く次の仕事を探さなきゃ……」
つい出てしまう独り言。こんなおかしな環境にいたら、僕自身おかしくなってしまう。
ママンはママンでマイペースだし、パパンはいつだって僕に当たってくる始末。こんな生活を送りながら年を重ねたって、絶対にいい事などない。
それにしても、何故僕の周りには変な人ばかり寄ってくるのだろうか?
今日はうちのお店が休みなので、外へ出掛ける事にした。あんなジメジメして隣から両親の喘ぎ声が聞こえてくるような部屋にいるから、僕の運気が下がるのだ。
忌々しい『兄弟』の前を通る。本当にここにいる連中はクソどもばかりだ。小松菜泥棒やオカマの泥棒まで常連客の中にいるから呆れてしまう。
「んっ……?」
少し開いた窓の隙間から、ムッシュー石川の姿が見えた。彼は、『兄弟』の女将と店内でイチャイチャしていた。駄目だ。先輩はもう人として終わっている……。
一瞬だけムッシュー石川と目が合ってしまう。
このまま黙ってやり過ごそう。関わりを持たなければ、僕はある程度幸せに生きられるはずなんだ。自分にそう言い聞かせ、前を向いて必死に歩いた。
「おい、こわっぱ。ちょっと待ちなよ」
「……」
振り向くと『兄弟』の女将が外に出て、僕を睨んでいる。横にはニヤけ面のムッシュー石川までいた。
「おいおい、努。ちょっと冷たいんじゃないの? ワテと目が合ってんのに、無視するなんてつれないのう」
「え…、でも……」
「いいからこわっぱ。うちに寄ってけ」
「あっ……」
僕は『兄弟』の女将に手首を掴まれ、強引に中へ引っ張りこまれてしまった。
すっかりとしなびた天ぷらと、水道水を目の前に置かれ、僕は『兄弟』のひと席に座っている。ん、この天ぷら…。よく見ると、小松菜の天ぷらじゃないのか?
女将とムッシュー以外、誰もいない空間。僕はどうしていいか分からず、ただ黙っていた。
「相棒…、いや、ここはあえて努と呼ばせてもらうわ。何で自分、今ここにおるか分かるか、あ?」
相変わらずどこの方言か分からない言葉を使うムッシュー。
「な、何でですか?」
「うちの女の店、自分さ、ドアを破損させた訳でしょ?」
何だこいつまで一緒になって……。
僕は呆然としてムッシューを見ていたが、慌てて口を開く。
「いや、あれは元々じゃないですか。僕が壊したという訳じゃなく……」
「言い訳を聞きたくて、ここへ呼んだんじゃなんだわ。のう」
「ええ、そうよ。私のダーリン」
そう言って二人は、目の前でおぞましいディープキスをしだした。見ているだけで全身に鳥肌が広がる。
「努、おまえ今いくら持っとる?」
「え?」
「いくら持っとるってこっちは聞いとんじゃい。さっさと答えんかい」
「な、何でですか?」
「おらっちの女の店のドアを弁償しろって言ってんだよ、オラッ!」
この男は、何を急に凄んでいるのだ。下品極まりない顔をしている。
「キャー、ダーリン。ス・テ・キ……。そんなあなたにミッシングユー」
五十後半ぐらいなのに、この女将もよく「ミッシングユー」だとか恥ずかしげもなく言えるものだ。そんな言葉に照れているムッシューもムッシューである。
「い、今は持ってないですよ」
「んだと、あん? じゃあ、ジャンプしてみい。ジャンプと言っても少年ジャンプの事じゃないよ」
「あ、あのムッシューさん……」
「何じゃい?」
「非常につまらないです……」
「何じゃと、ワレッ! 金ねえなら、誓約書書かんかい」
「そ、そんな……」
「そんなもへちまもあるかい。それが嫌なら…、え~と、いくらぐらい必要なんだっけ?」
女将に話し掛ける時だけ、急に穏やかになるムッシュー。もはやこんな男、先輩でも知り合いでも何でもない。
「う~ん、そうねえ…。五万ぐらいもらっておこうか、ダーリン」
「うん、そやなあ。五万もろうとこか。ま、努。そういうこっちゃ。はよ、紙に一筆書けや、おら」
こうして僕は、五万円を後日払うという理不尽な誓約書を書かされるハメになってしまった。
月に十万も僕の給料ないのに……。
途方にくれながら適当に歩き回った。そんな金をどうやって工面すればいいんだ。
オカマのせいにしてレジの金を盗む……。
いや、いけない。そんな事しちゃ、絶対に駄目だ。パパンはともかくママンに悪い。じゃあ、どうする?
いいアイデアが何も浮かばないまま、頭を抱えた。
どのぐらい時間が経ったのだろう。背後で何か物音がしたが、僕は体育座りのまま塞ぎ込んでいた。
「あの~、ごめんなさい。お店の看板を出したいんだけど……」
女性独特の甘い声が聞こえ、僕は慌てて立ち上がった。
「す、すみません!」
「やだ~、そんなに飛び跳ねるようにしないでよ~」
振り返り声の主を見た途端、僕の心臓は一瞬止まったような錯覚を覚えた。ウェーブの掛かった茶色い綺麗なロングヘアー。パッチリ開いた乙女座のような目。真紅の口紅を塗ったおいしそうな唇。透き通った細い首。体の線は細いのに、出るところはボンボンと飛び出ている。見事なロケットおっぱい……。
目の前にいる女性は、完璧な美貌の持ち主であった。
「そんなジッと見つめないでよ。どうかしたの?」
エレガントな女性は、電光看板を転がしながら店の片隅に置き、コンセントを繋いでいる。少し屈んだ時、たわわに実った胸元がチラリと見えた。
「はぅ……」
思わず漏れる吐息。甘く心地良い匂いが漂ってくる。僕の視界は目の前のビーナスに釘付けだった。
「あの~、これからお店オープンするから、そこにいられても困るんだけど」
「あ、違うんです」
「はあ?」
「お、お店が開くのを待ってたんですよ」
適当な嘘をいつの間にかついている僕。
「え、そうなの?」
「ええ……」
「あなた、うちに来た事あったっけ?」
「あ、あのですね。それは初めてです」
スナックという店自体、今まで来た事がなかった。もちろんこんな僕でも、お酒を飲むところぐらいの認識はある。
「ふ~ん、まあいいわ。こんな早い時間からお客さんが来るなんて珍しいけど」
時計を見ると、夕方の七時を回っていた。平日なら今頃僕はあの小汚い食堂で、一生懸命仕事をしている時間だ。あんなに働いているっていうのに、僕の給料の酷い事といったら……。
ムッシューの奴め…。どうやってそんな中、五万もの金を工面するんだ? 目の前が真っ暗になっていく。
「あの~?」
奇麗なお姉さんの声で我に返る。
いけないいけない。ついさっきのムッシューとの事を思い出してしまう。あんな外道の事なんて気にするな。あやつは後輩であるこの僕を裏切ったんだ。
「お客さん、そんなとことに立ってないで、中へどうぞ」
「あ、は、はいっ!」
そう、今の僕には天使の微笑が必要なんだ。あとの事はあとで考えればいいさ。
「ふふふ、随分と元気のいいお客さんね~」
僕は店に入る前に、先ほどお姉さんが出していた看板をチラリと見た。『スナック 月の石』と書いてあった。
目の前に出されたお店のメニュー。それを見て僕は呆然としてしまった。何もする事がなく、ただ外へ出ただけだから今の僕の手持ちは全部で二千円しかない。それなのにこのお店では、焼酎だけで四千円もするのだ。
「飲み物は何にする?」
天使のようにニコリと微笑みながら僕を見るお姉さんを前に、今さら金がないなど言えないしな……。
「ビ、ビールを……」
この中の飲み物じゃ一番安い。でもビールで千円も取られちゃうのか。牛飯を何杯分になるのだろうか。
「は~い」
小ぶりなお尻を振りながら、お姉さんはカウンターのほうへ去っていく。思わず綺麗なお姉さんに釣られて入ってしまったが、僕みたいな若僧には、まだ早過ぎる店なんじゃないか。
フカフカしたソファに腰掛けていても、どこか落ち着かない。これは僕自身金を持っていないからだろう。
「ん?」
床に何か落ちている。拾い上げるとそれは免許証だった。『青木怜子』と書いてある。写真を見る限り、あのお姉さんのものだろう。
青木怜子……。
れっこ……。
僕は心の中で呟き、ひっそりニヤけた。向こうのカウンターからお姉さんが出てくるのが見えたので、僕は咄嗟に彼女の免許証をポケットにしまい込んだ。
お姉さんは自分の免許証を落としたのも知らず、笑顔でテーブルの上にビールを置いた。
「ごめんね~。女の子、早い時間だからまだ私一人だけなんだ」
「いえいえ、充分ですよ」
「お名前は何て言うの?」
「え、えっとですね…。本田努です」
自分で名乗りながら、何て平凡な名前なのだろうと両親を呪った。
「ふ~ん、素敵な名前ね~」
「え、素敵?」
「うん、今の時代、変わった名前ばかりつける親が多いでしょ? だから余計そういう名前ってシンプルで覚えやすいし、素敵だなって思うわ」
「でへへ……」
パパンにママン、努という名前をつけてくれてありがとう。心の底からそう思えた。
「あ、私も喉渇いちゃったから、ビールもらっていい?」
「え……」
そんな…、一杯千円もするビールを僕が奢るとなると、それで手持ちの金がなくなってしまう。しかし、ここで断ったら彼女の天使のような微笑みはどうなる? ケチ臭い男として見られるのは嫌だ。
『腹を決めろ。この場は男らしくキッチリ奢ったれや、努』
僕は自分に向かって必死に言い聞かせていた。もう一方で別の声が聞こえてくる。
『あら、いいのかい?この店で二千円も使っちゃうのかい? おまえの好きな牛丼、何杯食べられるんだろうね~』
悪魔の囁き……。
そう今現在で、僕はすでに千円分のビールを飲んでいるのだ。彼女へビールを奢ったら、牛をしばきに行けなくなるのだ。よく一緒に行ったムッシューの横顔が頭に浮かぶ。ち、あの野郎。よくも僕を裏切りやがったな。あんな五十後半のババーなんぞになびきやがって……。
「あら、どうかした?」
「あ、いえいえ、どうぞどうぞ」
思わず格好つけてしまう僕。
「ありがとう。ちょっと持ってくるから待っててね」
れっこの後ろ姿を眺めながら、僕は明日から牛丼が食えなくなったんだと落胆した。
時間だけはどんな人間にも平等なはず。それなのに楽しい時間ほど過ぎていくのは早い。至福の時を実感している僕は、あっという間にビールを飲み干してしまった。
「ビールなくなったけど、どうする? ボトル入れる?」
優しい顔して何て事を言うんだ。もう僕は、お酒を頼める金などないのに……。
「あ、いや…。あのさ、ぼ、僕、ちょっと用事を思い出しちゃった……」
「え、まだ来たばっかりなのに?」
「ご、ごめん…。また来るからさ」
「ほんとに? じゃあチェックでいいの?」
「チェックって?」
「もう、冗談ばっかり。お会計してもいい?」
「は、はあ」
れっこはカウンターのほうへ行き、小さな紙を持ってきた。
「はい、ありがとうございました」
「……」
小さな紙切れに提示してある額を見て、僕は目玉が飛び出そうになった。何と紙には『五千円』と書かれていたのだ。僕はしばらく固まってしまった。
「あれ、どうしたの?」
「いや、あの、その……」
何でそんな金額になるんだ? ひょっとして僕はボッタクリの店に来てしまったのだろうか。あとで怖いお兄さんが奥から出てくるんじゃないか……。
考えろ。必死になって考えろ。今の僕は二千円しか持っていない。そんなのを知られたら、一貫の終わりである。
パパンに電話してみるか…。いや、「馬鹿者、勝手にしろ」と電話を切られるのがオチだろう。ママンはどうだろう? また都合のいい事を言いながら、「自分の事は自分で解決しなさい」で知らんぷりされるだろうな……。
「どうかしたの?」
れっこがまた尋ねてくる。どうしよう……。
「……!」
その時、いいアイデアが僕の頭の中に浮かび上がった。とりあえずこの場へムッシュー石川を呼び出そう。あの野郎、先輩のくせに後輩の僕より、『兄弟』の女将を取りやがった。
先日、竜宮城へ連れて行くだなんて言っていたくせに、あれから音沙汰など何もない。それに加え、僕に誓約書なんて書かせやがって……。
「ちょっと会計の前に、知り合いへ電話してもいいですか?」
「え、いいけど」
「じゃあ、ちょっと外行ってきますね」
僕は外へ出て、ムッシュー石川へ電話を掛けた。
数回鳴って、ムッシュー石川は電話に出た。
「もしもし、何じゃい、努?」
「あ、先輩ですか……」
「その呼び方はやめなはれ。もっと他にあるやろが、お?」
この男は先ほど僕にあんな仕打ちをしておいて、よくそんな口調で話せるものだ。しかし今は自分の感情よりも、『月の石』で飲んだ飲み代を何とかしないといけない。
「ム、ムッシューさん……」
出来る限り明るく言ってみた。
「おう、何じゃらほい?」
先輩の機嫌良さそうな声が聞こえる。ふん、シンプルなものだ。
「じ、実はですね。今、僕、竜宮城で飲んでいるんですけど……」
「なぬ、竜宮城やと? ワレ、どないつもりやねん、お? アチキを差し置いて一人楽しんでからに、ほんま」
お、乗ってきた乗ってきた……。
「す、すみません。で、ムッシューさん好みの子がわんさかいるんですよ。先輩の事を話したら、みんなキャーキャー言い出して、今すぐ呼んでってうるさいんです」
少し調子良く言い過ぎたかな?
「ほ、ほんまか? ギャグちゃうやろな? ワテ、本気にしてまうど、お?」
乗っているムッシューの頭の中には『竜宮城』を勝手に描いた淫らな映像が浮かんでいるのだろう。
「ええ、本気にして下さい。僕がそれは保障しますよ」
「ほんまかいな。今ワレ、どこにおるんや? はよ言えや、コラ! ジャンプさせるど」
鼻息の荒いムッシュー。受話器からもそれが伝わってくる。僕は『月の石』の場所を分かり易く言うと、先輩は「すぐ駆けつけたるぜ」と電話を切った。
再び店内へ戻ると、れっこは天使のような笑顔で迎えてくれる。
「電話終わったの?」
「ええ、さっき用事あるって言ってましたけど、これから会う知り合いがここに来るそうなので、もうちょっと飲ませて下さい」
「ええ、じゃあ何か飲む?」
「とりあえずビール下さい」
れっこの後ろ姿を見ながら、僕は思わずニヤけていた。ここの代金は、すべてあの男におっかぶせてやろう。
僕ってワルだ。いや、どちらかと言えば小悪魔系かな、うふ……。
れっことの楽しいひと時を過ごしながら、僕はムッシュー石川の到着を待っていた。さっきの電話から十五分ぐらい経つ。僕はポケットに手を入れ、小銭をジャラジャラまさぐりながら話をしていた。手にカードみたいなものが当たる。あ、僕、れっこの免許証をポケットに入れたままだった。どうしよう……。
「ねえねえ、努君に私の名前言ったっけ?」
「れ……、い、いえ、聞いてないですよ。お姉さんの名前、何て言うんですか?」
あぶないあぶない…。「れっこでしょ?」なんて思わず口走るところだった。そんな事を言ったら、「何で私の名前知っているの?」って突っ込まれて路頭に迷うところだった。
「私、レイカよ。麗しい麗と、華やかの華で麗華って言うの。よろしくね」
麗華……。
このアマ、僕に偽名なんぞ使いおって…。本名は『青木怜子』だって僕は免許証を見て知っているんだ。何が『麗華』だ。とんでもない女かもしれない。二千円分しか使っていないのに、五千円も要求してくるし……。
「あ、もうちょっとしたら、うちのママ来るわよ」
「ママですか?」
僕は『兄弟』の女将を想像した。
「うちのママ、すっごい面白いんだよ。美人じゃないけど、面白いからうちのお客さん、結構ママのファンが多いんだから」
「へえ~、一度会ってみたいですね」
「すぐ来るわよ」
れっこの優しい笑顔。「僕はそんな君を見ているだけで幸せなのさ、ルルル」と心の中で言ってみた。その時、入口のドアが勢いよく開く。見ると、ムッシューが立っていた。
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ~ン、あり?」
ハイテンションで登場したムッシューは、店内を見て不思議そうにキョロキョロ辺りを見回している。きっと女が一人しかいないと思っているのだろう。僕はそばへ行き、「さ、ムッシューさん。こっちですよ」とボックス席へ座らせた。
「おい、努。どういうこっちゃ? オナゴ一人しかおらんじゃないの。どういう事かいな?」
「よく見て下さいよ」
「何がじゃ、オラ?」
彼の目は血走っていた。
「ほら、目の前にいる麗華さんを…。もの凄い美人でしょ?」
ムッシューは目の前に座るれっこの顔をまじまじと見だした。
「い、いらっしゃいませ、麗華です」
無理に笑顔を作ろうとするれっこ。
「むむむ……」
腕を組みながら首をすくめだし、ムッシューは口元でブツブツと何かを言い始めた。
「先輩、どうしたんですか?」
「むむむ……」
「先輩…、いやムッシューさん……」
突然ムッシューは立ち上がり、天井に向かって両腕を突き上げた。
「あんた、最高やー! ビ~バ~メヒコ~!」
「あの先輩、この店とメキシコ、どこが関係あるんですか?」
耳元で囁く僕の顔をムッシューは手で押しのけ、れっこの前で片膝をついた。
「ムッシュ~マドモゼアル~」
「先輩、それを言うならマドモゼアルじゃなくて、マドモアゼルですよ」
「えーい、黙れい黙れいっ! キサンは引っ込んどけや。あんた、お名前は?」
「あ、あの麗華ってさっき言いましたけど……」
「ブラボー。ブラボーや、あんさん。無粋な事聞くけども、生まれはどこ?」
「ほ、北海道です……」
すっかり怯えた口調のれっこ。
「なぬ、北海道やて? こらまたブラボー! ワイも道産子なんやで」
「あ、そうなんですか。同じ道内なんですね」
「おほっ! こらまた何かの縁や。きっと麗華はんとワイは、生まれた時から小指と小指が赤い糸で結ばれとるんやで」
「……」
「よっしゃ、そうと分かったら麗華はん。こっち、ワイの横おいでや」
「い、いえ…。ここスナックなので横には……」
「な~に照れてんのや。照れはこの商売禁物やで」
「あのそういう問題じゃなく……」
「あっはは、気に入ったわ。ええわええわ、麗華しゃん」
「あ、やめて下さい」
ムッシューは席を立ち、強引にれっこの手首を掴み隣へ座らせようとしだす。必死に抵抗するれっこ。慌てて僕は止めに入った。
「せ、先輩、やめましょうよ。嫌がっていますよ」
「放せや、ボケ。人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んでまうぞ、おら」
「そんな事言ってると、あの女将に言いつけますよ?」
僕の台詞にムッシューの動きが止まる。
「むむ、キサン…。なかなか卑怯な手を使うじゃないのさ」
ようやく手を放すムッシュー。ここまでとんでもない男とは思いもよらなかった。れっこは手首を押さえながら涙目になっている。可哀相に……。
そんな状況下の中、また入口のドアが勢い良く開いた。
「ナッポリナッポリ~、私は~ナッポリ~ノ~。誰が呼んだか、ナッポリ~。それはそう、私が~呼び始めた~。パルメザン」
いきなり訳の分からない歌を唄いながら入ってきた女性。あさがおの柄の入ったワンピースを着て、妙に陽気である。ウェーブの掛かった髪をなびかせているが、どう見ても四十過ぎのおばさんにしか見えない。
僕は、この人をどこかで見た事があった。でも、どこで会ったんだろう?
「あ、ママ!」
れっこが助けを求めるような目で立ち上がる。
「あらあら、麗華ちゃん、お疲れさマンボ。お客さんがこの時間いるなんて珍しいわね」
「え、ええ」
「ん、あなた、私とどこかでお会いしてないかしら?」
そう言って『月の石』のママは、まじまじと僕の顔を覗き込んだ。
「あっ!」
思い出した。先日うちの店に来た変なおばさんだ。パイナポーだ。あの時は、牛乳ビンメガネを掛け、パイナップルのような頭をしていたから気付かなかったが……。
マズい。あの時は確かパパンと竹花さんが店内で大暴れをしたっけ。この人はその巻き添えを食う形で、全身にケチャップを浴びたんだ…。まさかこの店のママだったとは……。
「あ、思い出したわ。あの店の坊主ね?」
ゲ、すぐバレた。
「は、はい……」
「ちょっとそこへ座りなさい。話があるわ」
「あの…、もう座っていますが……」
「いちいち揚げ足を取るんじゃないよ、この小坊主!」
「す、すみません……」
「まあいい。私の話を黙って聞きな」
「あの~、ワテの飲み物、先出してーな」
ムッシューが横から口を挟んでくる。
「何を飲むんだい?」
「とりあえず麗華はんの母乳なんぞ、ホヘヘ……」
何て馬鹿な事を……。
れっこは自分の胸を両腕で押さえ、気味悪そうな目でムッシューを見ていた。
「そんな飲み物でいいのかい?」
「え、いいんすか?」
太陽のような笑みを浮かべ、ムッシューは手を擦り合わせる。
「いいよ。ただし、一杯三万五百円だけどね」
「え、ほんと?」
嬉しそうに身を乗り出す先輩。三万五百円でれっこの生乳が吸い放題なら、僕、貯金しちゃおうかなと本気で思った。
「ママ、安過ぎる!」
れっこが慌てて怒鳴りだす。当たり前か。
「ちょっと待ってて……」
ムッシューは財布を取り出し、中身を確認しだした。この人、本気で三万五百円を払おうとしているのか……。
「じゃあ、麗華ちゃん。いくらならいいんだい?」
「そういう問題じゃないでしょ」
「何だい何だい。あんた、旦那の『ぜんまい』って言ったっけ? 奴にしか、その乳を吸わせないとでも言うのかい?」
え、れっこって結婚しているのか?
「当たり前でしょ! 夫婦なんだから」
「バッカだね~。今のあんたは、その乳吸わせるだけで、三万五百円の価値があるんだよ?それを活かさないで、いつ活かすって言うんだい?」
「もう、冗談じゃないわ!」
プリプリ怒りだすれっこ。そんな彼女にムッシューが驚いたように近づく。
「おいおい、麗華……。君は私を裏切って、先に結婚していたのかい? すぐに別れろ。そしてすぐ私と結婚しろ。いいな、これは命令だ。上司の命令には絶対服従だぞ?」
相変わらず訳の分からない事を抜かしている。
「はあ、バッカじゃないの? 今、ミルク持ってきてあげるから、それ飲んで頭冷やしな」
「え、生ミルク? デヘ……」
途端にムッシューの顔はだらしなくニヤけた。
「ママ、私、頭痛い…。今日は上がるね」
「駄目だよ。そんな自分勝手など、この店じゃ通用しないんだから。早くうすらメガネにビール持ってきてやりなさい」
「何がうすらメガネじゃい!」
ムッシューとパイナポーが醜く罵り合っている間、れっこはカウンターへ行き、グラスにビールを注ぎだした。
ビールを数杯飲んだだけで、酔っ払いだすムッシュー。何かを話しているが、何を言っているか分からないぐらい呂律が回っていない。少ししてソファに横になると、いびきを掻きながら寝てしまった。幸せそうな寝顔をしながら、よだれを垂らしている。
『月の石』のママであるパイナポーが、僕に話し掛けてきた。
「そうそう、さっき言い掛けたままだったけどね。私は大のナポリタン好きなんだよ。まだあんたの店のナポリタンは食べた事ないけどね。暇さえあれば、ナポリタンを求め、色々な店に行ってるのさ。分かるかい、この気持ち?」
そういえばうちの新メニューである『焼そばイタリアン』とは何だと、小忙しい時に色々質問してきたっけ。あの時は本当にいい迷惑だったな。
「分かりませんよ。別に僕、ナポリタンなんてそんな好きじゃないし」
「キー! 何がナポリタンなんてよ? あなたにナポリタンの何が分かるっちゅうのよ。私の歩んできた歴史。それはすなわちナポリタン道とも呼べるものなのよ。まあいいわ。あんた、うちのナポリタン食っていきなさい。れっこに、星四つぐらいのナポリタンを作らせるから。分かった?」
「え、別にいりませんよ。僕、そんなお腹減ってないし……」
「ムキー! まったくあんたは男らしくないわね。そんなんだからいつまで経っても童貞なんだよ」
「何でナポリタンを食べないぐらいで、童貞扱いされなきゃいけないんですか?それに僕はこの店の客ですよ? 客に対して、よくそんな事言えますね!」
本当の事を言われ、僕は思わず逆上してしまった。
「ふん、じゃあとっとと帰りな。後日あんたの店のナポリタンを食いに行かせてもらうから。その時、私の舌を満足させられなかったら、どうなるか分かってるかい?」
「何でそうなるんですか? 別に僕が料理を作っている訳じゃないし、それにうちのメニューにナポリタンなんてありませんよ」
「じゃあ、今すぐメニューに加えなさい。そして私の舌を満足させなさい」
「もう、さっきから言う事すべてメチャクチャじゃないか」
「ふん、グダグダぶりがナポリタンの王道ってもんなのさ、この青二才め」
青二才だと? 言うに事欠いてこのパイナポーめ……。
「もういいです。僕は帰りますから」
「あっそ。麗華ちゃん、お会計お願い」
「は~い」
果たしていくらぐらいの金額を請求してくるのだろうか……。
れっこは先ほどと同じような小さな紙切れを持ってきた。
「はい、ありがとうございました」
「……」
紙には『二万七千円』と書かれていた。何でビールを数杯飲んだだけで、こんなに高いんだ? 僕の手持ちじゃ、二万五千円も足りない。まあいい。こういう時の為にムッシューを呼んだのだから。僕は寝ているムッシューを叩き起こした。
「先輩。先輩ってば。起きて下さいよー。もう帰りますよ、先輩!」
「ん……」
まだ寝起きのムッシューは、ここはどこだと言うように辺りを見回している。
「先輩、お会計です。二万七千円ですよ」
「んー」
視線の定まらないムッシューは、ヨロヨロしながら立ち上がった。不思議そうな表情で店内を見ている。
「先輩ってば……」
「おっ! ビーナ~ス!」
れっこの姿を見るや、ムッシューは急に飛び出した。慌てて避けるれっこ。
「先輩……」
ムッシューはゆっくりと振り向き、静かに口を開いた。
「麗華…。我の生き様、とくと見てくれ。行くぞっ!」
そう言うと、勢いよく入口のドアを開け、道路へ向かって走り出した。
「ちょっと先輩!」
このまま走って飲み逃げして、僕に代金をすべて押し付けようっていうのか? あとを追い駆けると、ムッシューは道路に立ち、こちらを振り返っていた。交通量の多い道路なので、すぐ後ろには車がビュンビュン走っている。
「危ないって、先輩!」
僕は連れ戻そうと向かうと、「麗華ー、僕は死にましぇ~ん!」と怒鳴りだした。数台の車がクラクションをずっと鳴らし出す。
「危ないですよ、先輩」
彼の耳は、まるで僕の言葉など届いていない。一心にれっこの方だけを見ている。
「僕は死にましぇ~ん。ほら、大丈夫でしょ? もう一度言うよ。僕は…、グギャッ!」
ムッシューの体がゴムマリのように弾む。道路に出過ぎて走行中の車に激突されたのだ。その弾け飛ぶ様は、まるでスローモーションのように見えた。
「センパーイ!」
こうしてムッシュー石川は、うちの近所の病院へ救急車で運ばれた。全身骨折で、すぐ入院となったようだ。
結局代金を払えなかった僕は、ママであるパイナポーへ散々詫び、『月の石』で深夜タダ働きをさせられるハメになった。
第五章《借金地獄》
「はぁ~……」
思わず出るため息。今日もうちの食堂は忙しかった。いつもなら部屋へ真っ先に向かい、楽しいテッシュタイムの時間だと言うのに……。
先日行ったスナック『月の石』。すべてはあそこへ行ったのが失敗の始まりだったのだ。うちの食堂だとビールは一杯四百円である。それがあの店は一杯千円。普通に考えても倍以上の値段だ。思いっきりぼっている。酷いもんだ。ただでさえ高いのに、会計時になると意味不明の金額まで乗せられている。
先輩であるムッシュー石川を呼び出し、金を払わせようとしたまでは良かった。しかし、彼はあの店の従業員であるれっこに一目惚れをしてしまい、勇気を振り絞って道路へ飛び出した。そこで車に跳ねられたのだ。当然会計の責任は僕に来る。二千円しか持っていなかったので、『月の石』でタダ働きさせられるハメに陥ってしまった。
今日からあの店で、タダ働きが始まる……。
店の片付けを済ませ外へ出ようとすると、パパンが声を掛けてきた。
「おい、努。どこへ行くんだ?」
「いや、ちょっと……」
「む、ちょっととは何だ? そんな日本語などあるか、馬鹿者。このこっぱめ」
「何で『ちょっと』って答えたぐらいで、そんな言われ方をされなきゃならないんだよ?」
精神的に余裕のない僕は、どこかピリピリしていた。
「ふん、キチンと私にどこへ行くのか言いなさい。いつもならおまえ、自分の部屋に籠もってオナニーする時間じゃないか。息子の異変に気付かぬ親など駄目だからなあ」
「な、何を言ってんだよ? 僕が部屋でオナニー? 冗談じゃないよ。アイドルと一緒で僕はうんちやオナラなどしない。だから当然オナニーなんかする訳ないじゃないかよ!」
自分でとんでもない事を口走っているのは分かっていたけど、どうにも止まらなかった。まさかパパンに僕の大事なテッシュタイムがバレているなんて、露ほどにも思わなかったのだ。
「くくく……」
嫌な含み笑いをするパパン。
「何がおかしいんだよ?」
何故か妙に恥ずかしい。
「実はだな、私とママンは壁に聞き耳を立てて、おまえの様子を伺っていたのだよ。息子の成長をこっそりとチェックしておく為にもな。そういえばおまえ、いく時、『アフッ』とか情けない声出すんだなあ、くくく……」
カーッとつま先まで熱くなった。酷い。酷過ぎる。
「酷いや、パパンの馬鹿!」
僕は泣きながら、家を飛び出した。
薄暗い夜道。星の見えないどんよりとした空。今の僕の心境を表しているような感じだ。何が悲しくて、ムッシュー石川の飲み代分まで僕がカバーしないといけないんだろうか。まったくあの男はとんでもない奴だ。『兄弟』の女将とは出来ちゃうし、『月の石』のれっこには迫るしで、メチャクチャだ。
夜空を見上げ、しばらく眺めたが、僕の大好きなオリオン座すら見えない。
いけないいけない。物事の取り方一つでまったく違う気持ちになれるはず。今の僕の心が暗いから、どんどん悪い方向へ行っているのだ。明るく考えればいい。いや、明るくなれるような事を思い浮かべれば楽しくなるだろう。
まずあのパイナポーの下でタダ働きされられる現実。それだって考えようで、あの美人のれっこと一緒に仕事ができるのだ。椅子に座る時、パンティがちょろっと見えちゃったりするかもしれない。もし、見えたらどうしよう…。そんな時は「お腹が痛いです」って適当に言って帰り、テッシュタイムにしちゃえばいい。最高のおかずが手に入るかもしれないのだ。それにタダ酒がいっぱい飲めるかもしれない。客で行くと金を取られるが、あそこで働く分は取られる事などない。
幾分足取りが軽くなってくる。うん、いいぞ。この調子だ。もっと貪欲に楽しい事を思い浮かべようじゃないか。
この間行った時は、ママのパイナポーとれっこしかいなかったが、まだ他の子を見た事がないのだ。ひょっとしたら、こんな僕を気に入ってくれる奇麗なお姉さまがいるかもしれない。そんな事になったらどうする? ヤバいよ。二十歳になる前に結婚しちゃうかもしれないんだぞ。う~ん、考えようによっちゃ楽園だ。
パパンのいるあんな小汚い定食屋で働くより、よっぽどパラダイスかも……。
働き具合によってはあのパイナポーも、ちゃんと給料を出してくれ、「あんた、うちでこのまま働く気はないかい?」なんて言われちゃったりするかもしれないのだ。
『月の石』の看板が見えてきた。もうれっこは出勤しているのかな? ママがまだ来ていなければ、れっこと二人きり……。
もしかして、れっこともいい関係になっちゃったりして……。
「努君、私ね。あなたの事、気に入っちゃったの」
「駄目だよ。君は人妻だろ? 危険な情事はヤバいぜ」
「時には女だって覚悟を決める事だってあるわ」
「しょうがないな。じゃあ、今晩だけだぜ、マイハニー」
妄想がどんどん膨らむ。それと同時に熱くなる股間。
「ちょっとあんた、さっきから何、店の前でボーっと突っ立っているのよ?」
「え?」
振り向くとれっこが僕の背後に立っている。いつの間に……。
「さっさと入って働きなさいよ。あんたさ、飲み代分払い終わるまで、タダ働きなんだよ」
「わ、分かってますよ、れっこさん……」
「はあ? 何であんた、私の本名知っている訳?」
「い、いや…、あのですね。免許証を見たからなんですけど…、ふぎゃっ!」
いきなりれっこは、僕のモチモチした頬に平手打ちをしてきた。
「あんただったの? 私の免許証を持ってんのは。昨日からないって焦ってずっと探していたのに、何であんたが持っている訳?」
「いや、これは…。実は、き、昨日ですね。お店で飲んでいる時、床に落ちていたんですよ。いきなりぶたなくたっていいじゃないですか」
「ふん、とっとと返しなさいよ。まったく油断も隙もない」
さっきまで思い描いた楽しい空想が、一気に音を立てて崩れていった。
店へ入ると客はまだ誰もいない状態で、カウンター席にパイナポーが一人で腰掛けていた。口の周りを真っ赤にしながらナポリタンを食べている。
「おう、小坊主。仕事終わったのか?」
いきなり何て言い草なんだろうか。
「は、はい」
「本当小汚い格好しているね~。麗華ちゃん、小坊主にワイシャツ渡してあげて」
人を値踏みするような嫌な目つきで見るパイナポー。
「は~い」
僕はれっこから渡されたワイシャツに着替えた。
「ちょっとあんた、さっさとズボン脱ぎなさいよ」
パイナポーが背後から怒鳴りつけてくる。何で僕がズボン脱がなきゃいけないんだ?
「え、ズボン? 脱ぐ? 何でです?」
「今日は『月の石ワイシャツデー』なのよ。みんな、ワイシャツ姿で下は着ない日なの。分かったら、さっさと脱ぎなさい」
言いながらズボンを目の前で脱ぎだすパイナポー。カバパンツが見え、僕は吐き気をもよおした。何が『月の石ワイシャツデー』なのだ。つき合わされるこっちの身にもなれってんだ。仕方なく僕も言われた通り、嫌々ズボンを脱ぐ。奥かられっこが出てくる。
「はう……」
れっこのワイシャツ一枚姿は、妙にいやらしく見えた。僕の股間は一気に膨れ上がる。
「おい、小坊主。この立て看を外に出してきな」
木の枠組みで簡単に作られた布地の立て看板。『本日ワイシャツデー』と書いてあった。僕は外に看板を出しに行く。慎重に辺りを見回してから、看板を置いた。幸い人通りはほとんどいない。ワイシャツを着ているが、下はパンツ一丁。どう見ても変態にしか見られないだろう。こんな格好のところを知り合いにでも見られたら大変だ。
すぐ店に戻ると、れっこがテーブルを拭いていた。ん、もうちょっと屈めば、れっこのパンティが見えちゃうかも……。
さり気なくそっと屈み覗こうとした瞬間、後ろから頭を叩かれた。
「何やってんだい、小坊主が」
「な、何もしてませんよ。一体何ですか。人の頭を急に叩いて」
僕は覗き行為を誤魔化かのように、少し強めの口調でパイナポーへ言った。
「あれ、ママどうしたんですか?」
「麗華ちゃんのパンティをこの小坊主、屈んで覗こうとしてやがったんだよ」
「えー、サイテー」
「じょ、冗談じゃないですよ。誰がいつそんな真似をしましたか?」
「今、やろうとしてたじゃないか。だから私があんたの頭を引っぱたいたんだろ」
「誤解ですよー、もー」
「まあいい。とっとと働き蟻のように働いて、この間のタダ飲みした分は体で払ってもらうからね」
まったく何日間、こんな事を僕にさせるつもりなんだ。そんな時、入口のドアが開き、客が姿を現した。
現れた客は、五十代のサラリーマン風の男だった。ヨレヨレのスーツに崩れたネクタイ。見た感じ、ごく普通の疲れたオヤジである。
「あ~ら、チョーさん。いらっしゃい」
急に猫なで声を出すパイナポー。一体どこから声を出しているのだというぐらい薄気味悪い声だった。
「あ、チョーさんだ。いらっしゃい。今日は一人?」
「お、麗華ちゃん。ワイシャツ一枚だけの姿もなかなか色っぽいね~」
「やだ~、チョーさんったら。お酒は焼酎でいいの?」
「ああ、それだけが私の生き甲斐だ。いつもので頼むよ」
「は~い」
チョーさんと呼ばれる男は席に腰掛けると、僕のほうをジッと見だした。
「おい、君……」
「は、はい」
「何だね、一体…。その無様な格好は?」
無様ってれっこと同じ格好をしているのに、何でこうも接し方が違うんだ。でも相手は客なので、多少の理不尽さには我慢しなきゃいけない。
「いえ、『月の石ワイシャツデー』という事らしいので僕までこんな格好をさせられているんです……」
「違う違う。私が言いたいのはそんな事じゃない」
「え?」
「君には恥じらいがあるんだよ。女性ならその恥じらいも美しく見える」
「そう、夜の蝶と呼ばれた私みたいにね」
パイナポーが気安くチョーさんの肩に手を掛け、会話に加わってくる。チョーさんは、パイナポーを無視したまま話を続けた。
「しかし君は男だ。日本男児だろうが?」
「は、はあ……」
「だったら男らしくせんといかん」
「え、だってこんな格好で男らしくって……」
「言い訳も駄目。例えばだよ、例えばだがね。君のグンゼパンツの先っちょが、少々薄汚れていたとしても、それはそれでいいんだよ」
「え、別に僕、グンゼパンツなんてはいていませんけど?」
「だから今言っただろう? 言い訳は駄目だと」
「でも僕のパンツの先っちょは、別に薄汚れていないですよ?」
「君はさっきから『別に』という言葉が多過ぎる。そんなんじゃ日本男児と呼べないぞ。それでいいのか?」
ハッキリ言ってどうでもよかった。こんなオヤジにどう思われようと、僕の人生が変わる訳ではない。
「おい、何を黙っている? 討論というものはだね。お互いの意見をぶつけ合い、そこに何かを生み出していくものなんだよ」
「はあ……」
また面倒な客が来たものである。僕の働く食堂の常連客も、竹花さんを筆頭に濃いのが多いが、ここ『月の石』も一癖あるような客が多そうだ。
「はい、おまたせ~。チョーさんの大好きな『焼酎の梅と青リンゴサワー』ね」
梅と青リンゴを足したサワー? このオヤジ、こんな訳分からない飲み物を頼んでおいて、何が日本男児なのだろうか。れっこはチョーさんの向かいに座り、彼がタバコを吸おうとすると手早く火をつける。
チョーさんは下唇を前に突き出し、煙を出しながら鼻で吸い込んだ。その姿はどう見ても格好いいとは言えない。僕の位置からでも、彼の鼻から長い鼻毛がニュッと突き出てきたのが見えた。
「ほら、麗華ちゃん。鯉の滝登りだよ~」
得意げに語っているが、「あんた、鼻毛が飛び出てるぜ」と言ってやりたかった。こんな事をしているからこのオヤジの鼻毛は発達して長いのだろう。れっこが席に来た事で、僕の事などまったく視界に入らなくなったようだ。チョーさんは。笑顔でれっこに色々話し掛けていた。
夜の十時を過ぎると、様々な客で『月の石』は賑わいだした。れっこ以外の女の子は、まだ誰も来ない。僕はアイスペールに氷を入れ運んだり、灰皿を持っていったりと大忙しだ。でもうちの定食屋に比べれば、この程度何て事はない。
むしろ嫌だったのが、女の人数の少なさだ。パイナポーを合わせたとしても、店の女は二人しかいないのである。れっこのつかない席の客は不機嫌そうに酒を煽り、僕に半分八つ当たりしてきた。
そして働いていくにつれ、スナックという仕事はどういうものなのかが少し分かり掛けてきた。簡単に言えば、ここに来る客はそこそこの金を持っているのだ。
一杯千円もするビールをガバガバ飲み、一本八千円もするウイスキーのボトルや、四千円もする焼酎のボトルを平気で入れちゃうんだから……。
この間来た時、何で会計がこんなに高かったのかという謎も解けた。最初に来た時点で席料というか、セット料金というものが三千円取られるのだ。これはボトルを入れて残った場合、次来たらタダになるのを防止する為のもので、どの飲み屋でもやっている事らしい。ただ氷がなくなったり、水割り用の水がなくなったりした時、お代わりすると一つにつき千円プラスされるという事実。たかが水道水じゃないかと言いたくなるが、これも商売の鉄則らしい。
要はここに来る客全員、女と一緒に酒を飲みたいのだろう。
うちの定食屋に来る客層とは明らかに違うのも勉強になる。これでちゃんと給料が出れば何の文句もないのに、僕はタダ働き。一体いつまでタダで働くのだろうか? パイナポーへ聞いてみる事にした。
「すみません、ママ」
「ん、何だい?」
「あの…、僕っていつまでタダ働きすればいいんですか?」
「う~ん、ちょっと待ちな。あんたのつけが二万七千でしょ。時給五百円として……」
一日六時間働いたとして、たった三千円……。
「え、ちょっと待って下さいよ。時給五百円って何ですか? マックやロッテリアより安いじゃないですか?」
「ふん、それが嫌なら二万七千円、耳を揃えてとっとと返しな」
「……」
「ほら、できないんだろ? じゃあブツブツ抜かすんじゃないよ、このすっとこどっこい」
「いや、二万七千じゃないや。利子もつくから、う~んと一日三千円ぐらいつけとくか。とりあえずあんたのつけは、現在三万三千円だね」
一日で利子三千円もついたら、僕はずっとタダ働きのままじゃないか。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。今日働いた分を引いても三万…。あまりにも暴利過ぎません?」
「ふん、冗談はおよし。嫌なら全額耳を揃えて返しなって。できないなら黙って働け、このとうへんぼく」
「……」
僕の体内を駆け巡る血が、静かに頭に昇っていくのが分かる。これは静かなる怒りの感情。よくも人の足元を見て、それだけの事を言えたものだ。僕は唇をギュッと噛み締めながら、感情を必死に押し殺した。
昨日『月の石』で深夜二時まで働いていたから、今日は寝不足だ。朝ママンに叩き起こされるまで、僕は起きられなかった。
『月の石』の借金問題は思ったより深刻である。楽観視していた自分が愚かだ。働いても日々の利子を払う分しか稼げない。となると、僕の給料が入った時に二万七千…、いや、利子もついたから三万円の元金を一気に返さないと話にならないのだ。
ママンに相談して給料を上げてもらおう。それか三万ほど前借りしよう。それしか道はない。いや、待てよ? 飲み代の半分以上は先輩であるムッシュー石川の飲み食いした分である。それを何故僕が、すべて肩代わりしなきゃいけないんだろうか。
店が暇な時を狙って、ムッシューのお見舞いへ行こう。それで三万円を出させる。そうすれば万事OKじゃないか。うん、僕って冴えている。
思えばこれまでの人生、食うか食われるかといえば、食われる側だったような気がする。これからは食う側に回ってやる。そして楽しく人生を謳歌しようじゃないか。
「おい、努。貴様、何をボケッとしてやがるんだ。とっとと働け、しゃくとり虫」
「くっ……」
実の息子に向かってしゃくとり虫はないんじゃないか? パパンの言葉は海よりも深く、氷よりも冷たい。子供に対する愛情なんて何一つないのだろう。そんな男だから、ママンを竹花さんに寝取られたりするんだ。
のれんを掛け、店がオープンする。
最初に入ってきた客は、捻りハチマキオヤジだった。食事する時ぐらい、ハチマキを取ればいいのに……。
「おい、ビール」
「へ、へい」
こんな真っ昼間からビールを飲むなんて、本当にクズなオヤジだ。きっと家じゃ家族に相手をされていないのだろう。哀れなものだ。
「それと…、ん?またメニュー増えたのか? 何だ『エキゾチックナポリタン』って?」
「ま、まあエキゾチックなナポリタンって感じです」
「馬鹿野郎。それじゃそのまんまじゃねえか。どういう料理だって聞いているんだよ?」
そんなの知る訳がない。だってパパンが勝手についさっき付け加えたメニューなんだから。昨日まではそんな料理なかった。
「ですから、エキゾチックなんですよ」
「おまえなー……」
捻りハチマキが怒鳴ろうとした時、「ちょっと待ちなさい」と入口から声が聞こえた。僕たちはその方向を見ると、一人の女性が入ってくる。
「ナッポリナッポリ~、私は~ナッポリ~ノ~。誰が呼んだか、ナッポリ~。それはそう、私が~呼び始めた~。さあ、みなさんもご一緒に、パルメザ~ン……」
ゲ、この奇妙な歌は……。
「……」
何という事だろう。『月の石』のママであるパイナポーまでやってきた。
「ちぇ、何よ。みんな、ノリが悪いわね」
パイナポーは、『パルメザ~ン』と一緒に唄ってほしかったのだろう。不服そうな表情を浮かべている。誰がそんなものを一緒に唄うかっていうんだ。
「い、いらっしゃいませ……」
「おお、小坊主。昨日はお疲れさま。ちょうど外を歩いていたら、『エキゾチックナポリタン』がどうのこうのって声が聞こえたもんだから、私って大のナポリ好きでしょ?あなたたちの会話が、どれだけ私の心を弾ませたか分かる? こんな年になってもときめくものがあるって素敵でしょ」
「……。あの、『エキゾチックナポリタン』を注文するって事でしょうか?」
「うん、鋭い! あんた、小坊主から昇進して坊主って呼んであげるわ、ルルンブ」
何が『ルルンブ』だ。まったく都合がいいんだから。
「じゃあ、俺はビールを飲みながら、『エキゾチックナポリタン』を見て、注文を決めるかな。とりあえずつまみに『辛子メンタイ餃子』くれや」
「へい」
僕は注文を受けると、パパンに向かって大きな声で叫んだ。
「注文です。辛メン餃子一丁、エキナポ一丁!」
「おいす、辛メン餃子一丁、エキナポ一丁! ウォンチュ!」
まだ客も二人しかいないので、僕は捻りハチマキへビールを出すと、パパンが『エキゾチックナポリタン』をどうやって作るのか眺める事にした。
パパンが料理を作っている最中、ママンが階段から降りてくる。一瞬だけ店内を見ると、お尻の振り具合をプリプリと大袈裟に振り出した。また狙っての行動だ……。
捻りハチマキは、覗き込むようにしてママンのお尻を見ていた。
「はぁ~、チクワぶっさしてえ……」
この男、その息子の前で何て物騒な台詞を呟くのだ。ママンは何も言わず、入口のドアを開けて外へ出て行く。
パパンが、細いパスタの麺を手に取り出した。何故か占い師のように両手で麺を挟み、ジャラジャラと音をさせながら沸騰したお湯に入れていく。続いて作り置きしてある餃子を冷蔵庫から出し、フライパンの上に乗せた。うちにある餃子の種類は豊富だ。全部で七種類の餃子があるから、注文を受ける僕が大変である。
うちのパパンは麺を茹でる際、時間を一切計らない。箸で茹でている最中の麺を一本取り、自ら口で茹で具合を見るのだ。軽く頷くと、パパンは麺を取り出す。
焼きあがった餃子を皿に乗せると、「はい、辛子メンタイ餃子!」と僕に差し出してくる。
「へい!」
僕は餃子を捻りハチマキの席まで運ぶと、またパパンの料理する手順を見に行く。
先日購入したという高い牛肉を冷蔵庫から出してくるパパン。確かグラム三千円したとか言ってたっけ。パパンは肉の塊の一部を包丁で削ぎ落とすと、鮮やかな手つきでコマ切りに切り出した。
続いて玉ねぎも切り、ピーマン、トマトを切り刻んでいく。そういえば以前ママンが、「私はね、パパンのあの巧妙で繊細な手つきに惚れて結婚を承諾したのよ」って言っていたな。性格に問題があるが、料理の腕はピカ一なのだ。
パパンは肉を炒め、野菜を順に入れていく。ある程度炒めると指先で塩をつまみ、味の調整をしている。最後にケチャップをドバッと入れ、完成させた。
「はい、エキゾチックナポリタン!」
「へ、へい!」
「あ、努。このパルメザンチーズとタバスコも忘れるなよ?」
「へ、へい」
よだれを垂らしながら待つパイナポーの目の前に『エキゾチックナポリタン』を置く。
「んまー、何て優雅なケチャップの香り…。これってまさしくイタリア~ン……」
「いいから早く温かい内に食べて下さいよ」
「ナポリタン道を目指し、苦節六十年……。とうとう究極のナポリタンに出会えたかもしれないのね」
え、このババー…、六十歳を超えているのか? 店じゃ四十歳とか言っていたけど……。
二十歳もサバを読むなんて酷い奴だ。
「まだタバスコやチーズは掛けちゃいけないの。これは最初にまず食べてみて、それから自分流に調整していく為の調味料なのよ。分かる? ここんとこ大事よ?」
「はあ……」
一口食べたパイナポーは、「ん、んまーっ! 何て絶品なナポリタンなの」と叫び、何故かパルメザンチーズを山のようにパスタへ掛けだした。タバスコも鬼のように振っている。
言っている事と、やっている事が矛盾しているような……。
昼の忙しい時間帯が過ぎ、僕はパパンに相談してムッシュー石川のお見舞いへ行く事にした。あの手の輩は一度でも顔を出さないと、あとで何を言われるか分からない。それに、奴から三万円を取らないと僕の明日はないのだ。
家から徒歩五分も掛からない位置に、ムッシューの入院する病院はある。パパンに頼み、『すき焼きメガトン風春巻き』を作ってもらい、それを見舞い用の品として持っていく事に決めた。
病院へ到着し、彼の部屋まで向かう。
「……」
車に直撃されたムッシューは、痛々しい姿でベッドへ横になっていた。右足が折れているのかガチガチにギブスを巻かれ、足を吊っている状態だ。
「ム、ムッシューさん、お元気ですか~。努ですよ~」
「元気な訳ないだろうが! 何で元気なのに入院せにゃあアカンのよ?」
体がズタボロの割に、口先だけは達者なムッシュー。
「す、すみません。これ、良かったらどうぞ。うちのパパンが作った『すき焼きメガトン風春巻き』なんですけど……」
「おまえ、この姿見て分からんのか、ボケ。どうやって両手を使うんや? 両腕ともギブスガチガチやんけ」
「あ、じゃあ、僕がムッシューさんに『あ~ん』って食べさせましょうか?」
「ふん、おまえみたいな小汚いクソガキなんぞに、誰がそんな事してもらって嬉しいんやねん。はよ、ワイのバシタ呼んできいや」
「え、バシタって……」
「ワイの女やないけ。『兄弟』の女将や」
「あ、そうでしたね」
この男、『月の石』でれっこにあれだけ求愛しといて、どういう精神回路をしているのだ。そもそもこんなハメになったのだって、昔テレビでやっていたドラマの主人公の真似をしようとして、車に轢かれたというのに……。
「ほれ、餃子冷めるやんけ。はよ、行ってこいや、ダボ」
人にお願いするのに何て言い草だろう。それに餃子じゃなくて、一応春巻きなんだけどな。まあいっか。今は怪我で苦しんでいるのだ。少しぐらい大目に見てやろうじゃないか。タンポポのように優しく暖かい僕のおおらかな心に感謝しとけよ。僕は素直に頷き、『兄弟』へ向かった。
向かう途中、うちの食堂の前を通り掛かる。そんな混んでいないかな? 窓から覗くと、竹花さんがカウンターへ座って、パパンと楽しそうに話をしていた。この二人、仲がいいんだか悪いんだか……。
僕は構わず『兄弟』の女将の元へ向かった。
今度は『兄弟』のドアを壊さないように、静かにそっと開ける。
「あ、あの店の小坊主だ」
「根性悪だ」
「暴力魔だ」
「むむ……」
いつもの常連客である小松菜泥棒老夫婦に、オカマの泥棒オヤジ、別の小松菜泥棒オヤジ二人組まで勢揃いしていた。非常に嫌な面子である。うちの小松菜やレジの金を盗み、挙句の果てには食い逃げまでしやがって連中だ。人の事を好き勝手言いやがって……。
「おい、こわっぱ。一体何の用だい?」
奥から女将が出てきた。僕はムッシューが病院へ入院している事を簡単に説明する。すると女将の形相はこの世と思えない落胆ぶりになり、オロオロしだした。
「う~ん、ここのカツは最高だ。世界で一番泣けるカツじゃ」
小松菜泥棒夫婦の旦那が、口の周りにソースがいっぱいついた状態で叫ぶ。この男、本当に小判ザメのような男だ。前回『とんかつ原田』へ強引に連れて行かれた時も、そこのカツを褒めちぎり、店に入ってきたヨボヨボのおじいさんを指差し、「あんな死に掛けのジジーだってな~。ここのカツ、食いてーんだよっ!」と酷い事を言っていたくせに……。
女将は小松菜オヤジの言葉など、まるで耳に入らないかのように錯乱している。
「どこ? どこに私のダーリンは入院してるんだい? 早く教えなよ。どこにいるんだい?」
「落ち着いて下さいよ。命に別状はないですから」
「うっさい! 早く場所を教えやがれってんだ。刺すよ?」
女将は包丁をいつの間にか握り締めていた。目つきがおかしい。正気の沙汰じゃない。
「や、やめて下さいよ……」
「じゃあ、さっさとお言い!」
この時、名案が閃いた。この情報をうまく使えば、金になるかもしれない……。
「それがですね。もう面会の時間、今日は終わっているんです。で、病院側から入院の手付け金を払ってほしいと言われましてね…。ほら、ムッシューさん、急に事故に遭った訳だから、お金持っていなかったんですよ。今、動ける状態じゃないし……」
「いくら必要なんだい?」
「できれば三万ほど……」
僕はとっさに『月の石』の飲み代分を言っていた。その瞬間、女将は胸倉を掴んでくる。
「おい、おまえにはドアの弁償代の五万の貸しがあるよな?」
あれほど錯乱していた女将は金の事になると、急に冷静さを取り戻していた。
「え……」
「とぼけんじゃないよ。こっちは誓約書までキッチリ取ってあるんだからね」
「……」
「その中から三万。おまえが払っておきな」
「そんなー」
「そしたら弁償の代金あと三万で勘弁してやるよ」
「え? それって二万の間違いじゃ……」
「おい、利子ってもんがあるだろうが。え、このクソ味噌っ歯が」
誰が『クソ味噌っ歯』なのだ。僕は味噌っ歯じゃないし、クソだって漏らしていない。どっちにしても、この女将じゃ話にならない事が判明した。僕は適当に相槌を打ち、『兄弟』から逃げるように飛び出した。
再び病院へ戻ると、ムッシューはそわそわしながら廊下を見つめていた。
「あ、ムッシューさん。女将、今留守みたいでして……」
「なぬ? そんな訳あらへんやろが! ちょっとおまえの携帯貸せや。ワテの携帯、事故った時に壊れてもうたんや」
納得のいかないムッシュー。しかしあの女将はこの場所を知らない。僕さえ教えなければ知りようがないのだ。誰が教えてやるもんか。それにこの男から三万を毟らないと僕に明日はない。
「ここは病院内だから携帯は禁止ですよ」
「うっせー、このボケナスが! とっとと渡せや、オラ!」
包帯やギブスでグルグル巻きにされ、身動きの取れない男が凄んだところで、何も怖くなかった。
「それよりも、ムッシューさん。この間の『月の石』の飲み代なんですが、あそこのママから三万請求されているんですよ」
「知らんよ、そんな事は」
彼はそう言うと、あれだけ怒鳴りながら怒っていたのに、急に目を閉じ寝たふりをしだした。
「え? ちょっとムッシューさん!」
「何や何や…。ワテ、体痛くて眠いねん…。放っといてーな」
「ちょっと、三万円払って下さいよ、ムッシューさん!」
「知らん知らん。ワテ、眠いねん。『月の石』? 何やそれ? ワテは知らん。知らんがな。勝手にさらしとけや」
「冗談じゃないですよ。僕があなたの分まで働いて、飲み代を返しているんですよ? 可哀相だと思わないんですか?」
「そんなん知らんがな。もうウチ、寝る時間やねん。こう見えて虚弱体質やねん」
「ムッシューさん、『月の石』で飲んだ三万。早く下さいよ!」
「ん? 『月の石』なんぞ知らんって言うとるやんけ。ワテ、もう眠いんや。放っといて」
「まだ真っ昼間じゃないですか? ムッシューさん。ムッシューさんってばー」
この男、あの店のれっこに求愛しようとしたところを車に跳ねられ、こんな姿になっているのに、金を払いたくないと知らんぷりするつもりなのか……。
こいつの飲み代の分まで僕が背負い、夜中までタダ働きしているというのに……。
「ガーガー……」
恐るべき事に、ムッシューは本当にいびきを掻きながら寝てしまった。
ムッシューの寝顔を見ている内に、静かな殺意が全身を覆ってくる。自然と天井へ向かって右拳をつきあげる僕。ゆっくり息を吸い込み、呼吸を整えた。
「天に召しませ…、アーメン……。これが僕の怒りだぁ~っ! 喰らえ、天誅拳っ!」
「うぎゃぁ~!」
僕の拳は的確に、ムッシューの右足をとらえていた。
病室内の人間が騒ぎ出したので、僕は顔を手で隠しながら全力で逃げた。
結局、何の解決にもならなかった。ムッシューのギブスでガチガチに巻かれた右足へ、聖なる拳をお見舞いしてきたが、一向に気は晴れない。
僕は死んだ魚のような目でパパンの作った料理を運び、一日を終える。背後からパパンの怒鳴り声が聞こえるが、どうでもよかった。今ある借金だけで、『兄弟』のドアの弁償代の五万と、『月の石』の飲み代の三万がある。八万もあるのだ。
人生お先真っ暗である。必死に頑張って生きてきたのになあ。
店が終わり、僕はまた今日も『月の石』のタダ働きへ向かう。六時間働いて、その日の利子分だけしか返せない日々。いつまで経っても減らない元金。
「は~あ……」
本当ため息しか出ない。重く暗く沈んだこの気持ち。きっと誰も分かってくれないのだ。
『月の石』のドアを開け、本日二回目の仕事が始まる。ほとんどタダ同然で働く僕をアゴでこき使うとんでもない性悪ママのパイナポー。
半分ヤケクソで仕事をしているとドアが開き、新しい客が入ってきた。
「パ、パパン……」
僕はとっさにカウンターに隠れた。こんなところで働いているのが見つかったら大変な事になる。しばらくして恐る恐る覗く。パパンはテーブルに両肘をつきながら、れっこの顔を見て懸命に口説いていた。
「僕にとって、君は最高の女神だよ。もう大好きなんだ。そうだ。今度さ、デート一緒にしようよ。ね、駄目? こう見えて、僕まだ独身なんだよね」
まさかここの客で、しかもれっこを口説いていたなんて…。世間は本当に狭い。
「は、はあ……」
困るれっこ。パパンは自分で何を言っているのか、自覚しているのか?
「僕はこう見えてさ、ある一流ホテルのコック長でね」
「え、そうなんだ。すごいね~」
「良かったら、今度洒落たディナーでもしようよ」
「う~ん」
この事をママンに言ったらどうなるんだ? 待てよ…。これって僕、かなり有利な条件を握ったって事になるんじゃないのかな……。
僕は深呼吸をして落ち着き、いい方法を考えた。ゆっくりパパンの席へ向かう。
「お客さま…、他のお客さまもいるので、もう少し声のトーンを下げていただきたいのですが……」
わざと声色を変えて、パパンに言った。
「んだと? 何だ、客に向かって…、ゲッ!」
僕だと知らず振り向くパパン。僕を見た瞬間の表情は、何とも言えないとんでもない顔になっていた。
「何してんの、パパン。こんなところで……」
「お、おまえこそ……」
「いい? 今、僕はパパンに何をしているのって質問している訳ね」
「つ、努…。ちょ、ちょっと外出ようか」
「うん、いいよ」
僕たち親子は、『月の石』から場所を外へ移した。れっこは訳が分からないと言った表情で、不思議そうに僕たちを見ていた。
こうしてパパンの弱みを握った僕は、口止め料として三万五千円をもらった。もちろん以後、口止め料は請求しないと約束をされられた上でだけど……。
「ほんと、努、ママンに言うなよな?」
ママンにバレたら、自分の人生は終わりだと実感したのだろう。哀れだが仕方ない。背に腹は変えられないのだ。
「男と男の約束じゃないか。そんな卑劣な真似などしないよ」
すっかり怯えたパパンを見て、また僕がピンチになった時は、この手を使えばいいやと思った。
僕はパイナポーへ三万を払い、タダ働き生活にわずか二日でピリオドを打ったのである。
第六章《経営者》
パパンの弱みを握った僕。あれ以来、パパンは仕事中そんな理不尽な怒り方をしなくなった。それに『月の石』の飲み代三万も無事返す事ができ、たった二日間でタダ働きを逃れる事ができた。まだ『兄弟』のドアの弁償の五万が残っているが、あんなもん知ったこっちゃない。あんなムッシューみたいな先輩と交わしたクソ誓約書など、どうでもいい事である。
それにしても最近の僕って、運が向いてきたのかな?
最近そんな感じがした。例えば仕事をしていても、いつもなら小汚い連中しか来ない客層が、昨日はベッピンさんが来た。中にはボインちゃんもいた。僕は仕事中にも関わらず、熱く煮えたぎった股間を自制するのに大変だった訳だ。まあ嬉しい悲鳴ではあるが……。
その内、客から「ねえ、あなた今、彼女いるの?」とか聞かれちゃったりして。そんでもって「私、実はあなたの事をずっと見てて……」なんて言われるかもしれない。
人間の運を平等とするなら、今までの僕は少々不幸過ぎた。
まず兄弟がいない。従って兄弟喧嘩などしたくてもできない訳だ。本当はお姉さんがいて、「お姉たま~」ってゴロゴロ甘えてみたかった。それも叶わない。妹でもいい。可愛い妹がいたら、「努お兄ちゃんに何でも相談するんだぞ」なんて偉そうに言っちゃったりしてね。年頃になって妹が彼氏を連れてきたら、「おまえはうちの妹の事をどう思っているんだ? ハッキリ言え、男として」とか説教しちゃったりして……。
こういう想像はやめよう……。
虚しくなるだけだ。もっと別の何かを考えようじゃないの。
まだ十八歳の僕は、彼女ができた事がない。当然童貞でもある。収入はといえば、一ヶ月働いても十万いかない給料。毎日小汚いオヤジ共に囲まれ、必死に生きてきた。パパンから怒鳴られ、ママンは知らんぷり。不幸街道まっしぐらだったのである。
そんな可哀相な僕だったけど、昨日を境に運の傾きが変わったんだ。もし神様がいたとしたら、こんな僕に微笑んでくれたのだろう。という事は、神様って女? うん、きっとそうだ。そして僕の事が気になってしょうがないのだろう。今だってどこか遠くから見ているかもしれない。そうじゃないと、この理論のつじつまが合わなくなる。
出来る限り、この運の良さを持続させたい。よし、毎日僕は神様に向かって投げキッスをしようじゃないか。ふふふ…、神様照れているかな?
「チュパ!」
天井に向かって投げキッスをした瞬間だった。妙に大きな地震が起き、僕の部屋の本棚が倒れてきた。慌てて交わす僕。
「い、痛っ!」
左足の親指の部分だけ逃げ遅れ、本棚のちょうど角の下敷きになった。「うぎゃあー」と叫びながら床を転げまわる。何てついていないんだ。隣の部屋からパパンとママンの悲鳴が聞こえてくる。
「いやーママン。俺、地震怖い!」
「私だって怖いわよ。ちょっとパパン、抱きつかないで。早く戸を開けないと!」
「怖い、怖いよ~!」
「ちょ、ちょっと離れて、あ、キャー」
ドスンと大きな音がした。僕は急いでパパンたちの部屋へ駆けつけようとする。
「う……」
先ほど下敷きになった左足親指がジンジンした。ビッコを引きながら、懸命に両親の元へ向かう僕。
「大丈夫、ママン? パパン?」
ドアを開けると、大きな洋服タンスが倒れていた。その横でママンは壁にへばりついている。ほとんど全裸に近い格好をしているのが気になったが、今はそれどころじゃない。とりあえずママンは無事か…。あれ、パパンは?
「努、手を貸してちょうだい」
「え?」
「パパンがタンスの下敷きになっちゃったのよ」
「えー!」
慌てて僕とママンは力を合わせ、大きなタンスをどかした。パパンは潰れたカエルのようにうつ伏せのまま大の字になって倒れている。お尻のところに白い塊みたいなものがついていた。何だろう? 手に取ると、ロウソクのロウみたいだ。いや、今はそんな事よりもパパンの体の心配をしなきゃ。
「パパン、大丈夫?」
「痛い痛い痛い…。努、貴様……」
「な、何だよ?」
「最初にママンのほうを心配しやがったな?」
「そんな事ないよ。すぐ駆けつけてきたでしょ?」
「嘘こけ。『大丈夫、ママン? パパン?』ってママンを最初に呼んだじゃないか」
「何子供みたいな事言ってんだよ。それより体大丈夫?」
「いや、駄目だ。ちょっとこの体勢から動かそうとすると、激痛が走る。救急車を呼べ」
「えー、大丈夫?」
「大丈夫じゃないから、早く救急車を呼べ……」
こうしてパパンは、先輩であるムッシュー石川の入院する病院へと運ばれた。
パパンが入院した事で、僕とママンはその間店をどうするか考えた。
「ママン、お店休業にするしかないでしょ?」
「いや、そんな事したら、生活できないわ。おまえだって給料出ないと困るでしょ?」
「うん、それはそうだけど……」
いい機会かもしれない。これを機に、外の世界へ飛び出し新しい職場を見つける。そうすれば、こんな小汚い食堂でくすぶらなくてもいいのだ。
「よし、決めた」
「どうするの、ママン?」
「パパンと離婚するわ」
「えー! ちょっと待ってよ。離婚してどうするの?」
「竹花ちゃんなら、私を喜んでもらってくれるはずだからね」
この発言で過去のママンと竹花さんの関係は、僕の中でより一層疑惑が深まった。
「いきなり何を言い出すんだよ、ママン!」
いくら何でも酷過ぎる。パパンが入院している時なのに……。
「別に竹花ちゃんじゃなくてもいいわ。捻りハチマキのオヤジいるでしょ? ほら、私のお尻にネギ突っ込んでみてえとか言っているあの捻くれたチビ」
「ネ、ネギじゃなくてチクワでしょ? それに僕はそんな事を言ってんじゃないよ。そんな馬鹿みたいな事を言って、パパンに申し訳ないと思わないの?」
「思わないなあ~」
ママンはまったく悪びれずに胸を張り、堂々と言った。
「えー。じゃあ何で結婚したんだよ?」
「あんたが出来ちゃったからじゃないの」
「えー」
「出来ちゃった結婚なだけ。パパンはあの時、俺が必死に頑張っておまえを食わせるから、どうしても一緒になってくれって土下座までしたのよ。しょうがないから、いいかなと思って結婚したんだけどね」
「だってさ、それから僕が生まれて十八年以上経過している訳でしょ? その間に育んだ愛は? 情ってもんがママンにはないの?」
「愛? 情? あんた、いつまでもそんな事ばかり言っているから童貞なのよ」
「か、関係ないだろ! そんな事は……」
「いえ、関係あるのよ。あなたは前に私が言った事を守らないじゃない」
「言った事?」
「ほら、男は涙を流さないって言ったでしょ? あれから何度泣いた?」
「……」
「ほら、見なさい。そんな子供が一丁前に説教だなんて百年早いのよ、セニョリータ」
「セ、セニョリータって言うな。努ってママンがつけた名前があるじゃないかよ」
「ほら、そうやって童貞はすぐ話を誤魔化す」
「誤魔化しているのはそっちじゃないかよ」
「じゃあ、努に何かいいアイデアでもあるの?」
「あるよ!」
「言ってごらんなさいよ。私を納得させるようなアイデアをね」
「パパンがいない間は、ぼ、僕が一人で店をやってやらあーっ!」
気付けば勢いでとんでもない事を叫んでいた。
「ほう、それはすごい心意気ね。でもあんた、料理作れたっけ?」
「め、目玉焼きと野菜炒めぐらいなら……」
「ふ、しょうがないわね」
「え、ママンも手伝ってくれる?」
そうか、ママンは僕がこうしてやる気にさせる為、あんな酷い事を言ったのかもしれないな。
「しょうがないから、一日三品だけ私が料理を作り置きしといてあげるわよ」
「え、一緒に手伝ってくれないの?」
「だってあなた、今自分で一人でやってやるって言ったじゃないの」
「それは言ったけどさ……」
「じゃあ、それで頑張りなさい。できなきゃ私はパパンと離婚。それで行きましょ」
「えー、僕を発奮させる為にワザと言ってたんじゃないの?」
「だってパパンより、竹花ちゃんのほうがすごいんだもん」
「ママン! 何を言ってんだよ?」
「嘘よ、嘘。ジョークよ。一流のアメリカンジョークよ」
こんなの日本語が分かるアメリカ人が聞いたら本当に怒るぞ。それにまったくジョークに聞こえなかった……。
僕の晴れ舞台がやってきた。時計を見ると朝八時だった。隣で寝ているママンを起こしに行くといなかった。下からジュージューと音がして、いい匂いが漂っている。
階段を降りると珍しくママンが厨房に立って料理をしていた。昨日言っていた仕込みをしているのだろう。
「おはよう、ママン」
「あなた、遅いわね~」
「だって朝弱いんだもん」
「私なんか朝五時からここにいるのに…。まあいいわ。今日のメニューは、究極ハンバーグと、究極パスタ。それに究極鳥唐揚げよ。あなたは手書きでいいから、それを紙に書いて店に貼っておきなさい」
「分かった。でも何ですべての料理に『究極』って名前がついているの?」
「そんなのママンがつくる料理だから当たり前でしょ」
「……」
「早くメニューを書きなさい。ちゃんと究極もつけるのよ?」
「わ、分かったよ……」
僕はカレンダーを破り、その裏に『究極ハンバーグ』『究極パスタ』『究極鳥唐揚げ』と出来る限り奇麗な字で書いた。
「できたよ、ママン」
「そう。じゃあ、あんたはそこで私の料理を作る手際をじっくり見てなさい。あとで原稿用紙十枚程度の感想文を書いて提出してもらうわ」
「何でそんな事をしなきゃいけないんだよ?」
「あなたの甘さを断ち切る為よ、お分かり?」
「全然分からないよ。これから僕一人で店の客の相手をしながら、料理も出すようなんだから勘弁してよ」
「う~ん、それもそうね。ぶっちゃけあんたが感想文を真面目に書いても、読むの面倒だししなくていいわ」
だったらはなっから言わなきゃいいのに……。
偉そうな事を言うママンの料理は言うだけあって、とても素晴らしかった。
まずハンバーグだが、挽肉を練る作業だけで二時間掛けて練っている。ママン曰く、挽肉というのはまだあの状態でも生きていて、肉の叫び声が聞こえなくなるまで練り潰すのに、二時間は最低でも掛かるらしい。
次にパスタ。これはミートローフという肉の塊のアメリカの田舎料理があるが、それをオーブンで焼く際、大量の肉汁が出る。その肉汁をトマトソースの中に入れ、一気に煮込む贅沢さ。ママンの料理はとても凝っていた。なお、ミートローフは今晩の僕とママンのおかずにするらしい。
鳥の唐揚げは、ささみを使うみたいだ。ささみを包丁で細かく刻み、挽肉状態にする。それに白菜、玉ねぎ、キャベツ、すりゴマなどを入れ、よく混ぜ合わせる。一気に油で揚げれば完成だ。
ママンは伊達に『究極』という文字をつけていない。どの料理も素晴らしい出来具合だった。
ハンバーグを焼く際のコツや注意点を聞き、僕は一度試しに作ってみる。
最初フライパンに油を引き、強火でハンバーグの両面を焼く。両サイドがいい感じで焦げてきたら、すぐ取り出す。そのあとアルミホイルで包み、オーブンで十分焼くのだ。ママンはハンバーグを三十人分、パスタを五十人分、唐揚げを四十人分作り置きしてくれていた。
パスタを途中まで軽く茹でておき、冷蔵庫へしまって置いてくれた。客の注文が入ったら、沸騰したお湯で三分ほど茹でればちょうどいいアルデンデ状態になるらしい。
味見をしようとしたら、ママンが「このハンバーグは私のお昼にするわ」と二階へ持って行ってしまう。
「ご飯も炊いてあるし、味噌汁も作ってあるから、あとは努、あなた一人で頑張りなさいよ。大丈夫ね?」
「うん、僕やってみるよ!」
一世一代の大勝負だ。僕はこの試練を絶対に乗り越えてやると、固く心の中で誓った。
お昼になり、お店のオープンの時間がやってきた。
最初に来た客は常連である竹花さんだった。パパンの昔からの悪友であり、この二人が組むユニット名は『肥溜めブラザース』と呼ばれる。
「ん、何だ? 今日は努ちゃん一人かい? マスターはどうした?」
この人にはパパンが入院したと、教えないほうがいいだろう。ママンにちょっかい出す可能性がある……。
「あ、ちょっと今日は用があるみたいで、僕一人で頑張ります」
「え、だって努ちゃん、料理なんて作れるのかよ?」
「伊達に料理屋の息子じゃないですよ。まあパパンみたいに、あんな品数は無理ですけどね…。あ、そこの壁に貼っているメニューを見て下さい。飲み物以外その中からどうぞ」
「ほう、何々…。究極ハンバーグ定食が千円。究極パスタが八百円。究極鳥唐揚げ定食が九百円か。目玉焼きセットが五百円…。ん、何で目玉焼きだけ『セット』って書いてあるの? 変じゃない?」
「いいんですよ。男は細かい事を気にしないほうが格好いいですよ」
「まあ、そりゃそうだけどさ…。じゃあ、ビールとハンバーグ単品でちょうだい」
「へ、へい。ハ、ハンバーグ一丁!」
「あ、ちょっと待って。ハンバーグ定食って書いてあるけどさ。単品だといくらになるんだい?」
え、そんなの決めてなかったぞ? どうしよう……。
「え、え~とですね…。せ、千百円です」
「ちょっと、何で単品のほうが高くなるんだよ?」
「あ、じゃあ千円でいいです」
「何で同じ値段なんだよ?」
「じゃあ、九百円で……」
「まったく頼むよー。でも、百円しか安くならないのか」
「へ、へい!」
「ま、先にビールちょうだいよ」
「へ、へい」
僕は竹花さんにビールを出すと、火をつけフライパンに油を垂らす。冷蔵庫からママンの作ったハンバーグを取り出すと、一気に放り込んだ。
両面がしっかり焼けるまで焼いてと……。
うん、なかなかいい感じだ。僕だってやればできるんだ。
両面を焼いたハンバーグをアルミホイルに包み、オーブンに入れる。二百五十度の温度で十分間と……。
作り置きしてあるデミグラスソースを上に掛け、僕はスイッチを押した。
「ほう、なかなか手際いいじゃないか」
「えへへ」
「こりゃ、マスターも頼もしい跡取りができたって喜ぶな」
「……!」
そうか。しまった。僕は一刻も早くここから抜け出したかったのに、自分で墓穴を掘ってしまったのだ。まあ、パパンが入院という事態だからしょうがないか。
十分が過ぎ、僕は真っ白なお皿にハンバーグを盛り付ける。いい感じでグツグツとソースも煮えていた。付け合せのポテトといんげんを添えて、竹花さんに持っていく。
「おお、こりゃあうまそうだ。早速いただくよ」
竹花さんが箸でハンバーグを二つに割ると、中からドロリと大量のチーズと肉汁が出てくる。ママン、こんな仕掛けまでしてあったとは……。
「すげぇっ! 努ちゃん、あんた、料理の天才だよ。達人だよ。どれどれ味は……」
妙に興奮している竹花さん。別に僕が作った訳じゃないから、偉そうにはできない。
「うまーいっ! トレビア~ン……」
竹花さんは、一気にハンバーグを食べてしまった。
「そ、そんなうまかったですか?」
「ベリーグー!」
「良かったぁ……」
なるほど、僕はパパンがこの小汚い定食屋にこだわる理由が、一つだけ分かったような気がした。
僕が店を一人で任された初日。こういう日に限って客がたくさん来るかと思っていたが、まばらに来てくれたので助かる。
うん、運の良さはまだまだ健在だ。
竹花さんは珍しくビールを三杯しか飲まず、おとなしく帰っていく。パパンがいないと寂しいのだろうか。帰っていく後ろ姿は、まさに人生の負け犬という感じがした。
来る客来る客、始めは品数の少なさに不満の声を上げたが、料理を食べると満足そうな笑顔を浮かべ帰っていった。
「あら、今日は何? あんたが料理を作る訳?」
入口に『月の石』のママであるパイナポーが立っていた。
「え、ええ……」
「大丈夫なの?」
「ママの好きなパスタ料理もありますよ」
「ふん、それはナポリ好きの私に対する挑戦状と受け取っていいのかしら?」
「え、ええ…。お好きにどうぞ」
「ふむふむ、『究極パスタ』って名前なのね。じゃあ、これお一つ。あ、あとね。もうちょっとしたら麗華ちゃんもここに来るから」
「え、れっこさん来るんですか?」
「馬鹿! 本名を言うんじゃないよ、この小坊主が」
「ふ、小坊主かどうかは、料理を食べてから言って下さいよ、ふふふ……」
いつもよりどこか余裕のある僕。今日の体験で一皮剥けた証拠だろう。
「ふん、楽しみだね~。あ、麗華ちゃんが来たよ。お~い、麗華ちゃ~ん、こっちこっち」
「ママ、ちょっと遅れちゃってごめんね~。あれ、どうしたの努君?」
「この小坊主は、ここの店の小せがれなんだよ」
「へー、ちょっとビックリ。努君、料理なんてできんの?」
「ふ、何を笑止な…。できるからこそ、この厨房に立っているんじゃないですか」
「へえ、じゃあね…。私は『究極鳥唐揚げ』をもらおうかな? あ、ご飯は半分でいいからね」
「かしこまりました」
僕はママンの言うマニュアル通りに料理を作った。料理中、また客が入ってくる。今度は僕よりちょっと年上の男二人組だ。ゴリラみたいな顔をした男と妙にガタイのいい男のコンビだった。
「へい、らっしゃい。空いている席、お好きにお座り下さい」
二人組は軽くおじぎすると、カウンター席の一番端へ座った。
「あ、お兄さん」
ゴリラ顔の男は、汚らしいダミ声で僕を呼ぶ。
「へ、へい、何でしょう」
「とりあえず、ビールもらえる?」
「何だよ、ゴッホ。おまえ、こんな昼間から飲むのかよ?」
「別にいいじゃねえかよ、神威。おまえはいつも細けえなあ」
「あの~、ビールはお一つでいいでしょうか?」
「あ、俺は飲まないから一つだけで」
「かしこまりました」
神威と呼ばれた男には水をゴッホと呼ばれる男にはビールを出す。再び厨房へ戻り、料理を開始した。
究極パスタと究極鳥唐揚げ定食ができると、パイナポーの席へ持っていく。
「できたのね。さっきはあんな偉そうな感じで自信たっぷりに言ってたんだから、まずかったら覚悟をおし」
「わあ、おいしそう。努君って料理うまいんだね~」
二人は料理を食べだした。
「う、うま~い。こ、こ、これってイタリア~ンじゃないの。小坊主、あんた、またうちでタダ働きしな。使ってやるから」
「冗談じゃないですよ。何でわざわざタダ働きしなきゃいけないんですか?」
「うちの店でもこのパスタ出してほしいからよ。何なら給料出してもいいわよ?」
「いくらですか?」
「う~ん、そうね……。ご、五百五十円?」
「嫌ですよー! まったく」
横で髪をかきわけながら唐揚げを上品に食べるれっこ。彼女はパイナポーの会話などまるで聞いていないようだった。
「あら、とてもおいしいわ、この唐揚げ。努君、すごいのね~」
「えへへ…。あ、れっこさんにビールでもサービスしますよ」
「え、ほんと? 嬉しいな」
「ちょっと私のは?」
「ああ…、ママには水を氷つきでサービスしときます」
僕がれっこのビールを注ぎに行くと、パイナポーは背後から醜い罵声を浴びせていた。
新顔の男二人組は、ハンバーグと唐揚げを頼んだ。パイナポーはよほどパスタが気に入ったのか、空になった皿を両手で持ち、ベロベロ舌で舐め回していた。
「ママー、ちょっと恥ずかしいから止めてよー」
さすがにれっこは迷惑そうだ。
「馬鹿、止めんじゃないよ。こんなうまいもん残したら、罰が当たるよ」
「だからってお皿まで舐めなくても……」
「ふん、麗華ちゃんは黙ってな。ああ、イタリア~ン……」
僕は気にせず、また厨房へ向かう。二人の料理を作り終え、席まで運ぶと椅子に腰掛け少しゆっくりした。
「お、うめえ、このハンバーグ! 男のロマンだぜ。ちょっと食ってみ、ゴッホ」
「おい、神威。そんな事よりよ。あの子いるじゃん」
自然と耳に二人組の会話が聞こえてくる。あの子とは、多分れっこを指しているのだろう。今、店内に女性はれっことパイナポーしかいないのだから。
「どれどれ……」
神威と呼ばれた男がさり気なくれっこのほうを見た。
「おお、美人だな。で、どうした?」
小声で話しているが、厨房にいる僕には丸聞こえである。
「いや~、さっきからこっちをチラチラ見ているんだよ」
「ふ~ん、で?」
「いや~、ひょっとして俺に気があんじゃねえかなと思ってさ……」
ふざけやがって…。今すぐ加熱したフライパンでゴッホと呼ばれた男の頭を引っ叩いてやりたかった。れっこがおまえみたいなゴリラ顔を気に入る訳ないだろが……。
すると、連れの神威という男は「そうだよ、きっとそうだよ」ととんでもない炊きつけ方をしてきた。
「そうかなあ~」と照れるゴッホ。
「きっとそうだって。店出たら言っちゃえよ」と神威。
本当にどうしょうもない二人組である。こんな小汚い定食屋でナンパなどしようとしくさって……。
しばらくしてパイナポーたちが帰ろうとすると、ゴッホは立ち上がり入口でれっこへ声を掛けだした。迷惑そうなれっこの表情。僕が止めに行こうとすると、れっこは自分の口で「ごめんなさい、私結婚してますので」と冷たくあしらい、店を出ていった。
カウンター席ではゴッホのふられた様子を見て、神威が笑い転げている。この男もロクなもんじゃないな。
意気消沈したまま帰るゴッホの背中を見て、ああはなりたくないと思った。
ドアが勢いよく開く。
もの凄いボインの女が入ってきた。あれあれ、ひょっとして僕にも春がやってきたかな?
「へい、らっしゃいっ!」
僕は大声で気合いを入れ、ボインちゃんを出迎える。
「あれ、誰も客がいない。大丈夫かな、この店……」
「だ、大丈夫ですよ。今さっき客が途切れただけですから」
僕の視線はボインに釘付けだった。逃がしてたまるか。
「そう、じゃあ入ろうっと」
「えへへ、ビールか何かサービスしときますよ」
両手を擦り合わせ、ボインちゃんの機嫌を取る僕。
「ほんと? ラッキー。あ、連れ呼んでくるから、とりあえずビール二杯用意しといて」
そう言ってボインちゃんは店を出ていった。
連れ……?
誰なんだ? 男か? それとも同じぐらいでかいボインの女性か?
再びドアが開き、真っ白いコートを着た男が姿を現した。一見、普通のサラリーマンぽく見えるが、普通のサラリーマンはこんな派手なコートなど着やしない。
「鳴戸さ~ん、ビールをサービスしてくれるって」
すぐ後ろから先ほどのボインちゃんも来た。連れってこの男の事だったのか……。
「また貴子が、色目でも使ったんじゃないんですか?」
妙に甲高い声を白コートの男は出していた。それにしても何でこの人、敬語で喋るんだろうか?
「嫌だな~、そんな事する訳ないじゃーん。こんなガキに」
美人でボインで見掛けは最高なのに、何て酷い言い方をする女なんだ……。
「まあ、ビールでも飲みながら食べ物を注文しましょう」
「は~い、ねえねえ、鳴戸さん。向かいじゃなく横に座っていい?」
「止めなさいよ。公共の場なんだから」
「何だ、ちぇ」
僕はこんな熱々カップルに、店のビールを二杯もタダでご馳走してしまうのか……。
まあ言ってしまったものはしょうがない。仕方なく僕はビールを二人に出した。
「あれ、メニューって四つしかないの? お刺身は?」
「え、あのですね…。今日はこの四品の中からお願いします」
「信じらんないわ、この店。鳴戸さん、もっといい店行きましょうよ」
「そうですねー」
え、ひょっとしてこの二人、ビールだけタダ飲みか?
「ちょ、ちょっと待って下さいよ」
僕は男の前に立ち、懸命に笑顔で優しく言った。
「ちょ、ちょっとあんたさ、この人が誰だか分かって言っているの?」
ボインちゃんが、横から口を挟んでくる。
「え、誰とは一体……」
「私の名前は新道貴子」
「い、いや、あのですね。あなたの名前を聞いた訳じゃなく……」
「私の事でしょうか?」
白コートの男が僕に近づいてくる。
「ええ……」
「何か用でしょうか?」
「いえ、うちの料理、四つしかありませんが、頬っぺたが落ちるぐらいおいしいんで……」
「ん、今あなた、頬っぺたが落ちるって言いましたね?」
「え、いや、それはそのぐらいおいしいって事をですね……」
「あのですねー。私はそんな事を聞いているんじゃないんですよー」
何だ、この男は…。一気に声のトーンが上がっている。それに怒鳴っているのに、何で敬語なんだろう? どちらにしても僕、もの凄く怖い…。とりあえず謝っておこう。
「す、すみません……」
「はあ? いつ私が謝れなんて言いましたかー? 私は頬っぺたが落ちるんですかーって、さっきから聞いているんですよー」
「すみません、すみません……。頬っぺたなんて落ちません。僕が悪かったです。お代はいりませんので、勘弁して下さい……」
「まったくしょうがないですねー」
「鳴戸さん、こんなガキ放っといて、早くいいところ行こ」
「まったく失礼な店ですねー、ほんと」
カップルは、好き勝手な事を言いながら一銭も払わず店をあとにした。パパンの大変さが、少しだけ身に沁みて分かったような気がした。
そろそろ八時か……。
僕はのれんをしまおうと外へ出ると、二人組の男に声を掛けられた。
「す、すみません。も、もう終わりですか? ぼ、僕たちお腹すごい減っちゃってて」
「あ、別にいいですよ。入りますか?」
「あ、ありがとうございます。ほら、よ、よっ君いいってさ」
さっきからこの男、何をどもりながら話しているのだろう。もっと落ち着いて話せばいいのに……。
「勝男、おまえは何でいつもそんな腰が低いんだよ。俺たちは客なんだぜ? おい、兄ちゃん、まだいいんだろ?」
何だ? この妙に偉そうな男は……。
「は、はあ、どうぞ……」
昼に来た男二人組とは、また違った感じの凸凹コンビだな。見た感じ年は僕より年上だと分かる。
「さて、何を食うか。おい、兄ちゃん、早く水持ってきてよ」
「へ、へい」
この客で今日は最後か。それにしてもママンは素直にすごいと思った。ハンバーグを三十人分。パスタを五十人分。唐揚げを四十人分作り置きしていたけど、数量がピッタリなのだ。今の残りはハンバーグが二つ。パスタ三人分。唐揚げ四人分だけしか残っていない。不思議と僕の唯一の料理である『目玉焼きセット』は一人も食べてくれなかった……。
「あの、四品しかメニューないんですけど、何に致しますか?」
「ぼ、僕は、ハ、ハンバーグ定食で」
「う~ん、俺はパスタと目玉焼きセットちょうだい」
あ、初めて僕のオリジナル料理『目玉焼きセット』を頼む客がいた。案外この人、いい人なのかもしれないな。
「え、よ、よっ君二つも食べるの?」
「どうせ勝男の奢りじゃねえか。なら腹一杯詰め込むまでさ」
前言撤回…。やっぱりこの男、タダのクズだ。ムッシュー石川並みに酷い男だ。
「べ、別にいいけど、も、もったいないから残さないでよ?」
「おまえもグチグチとうるさいなあ~。必殺技出しちゃうよ?」
「わ、分かったよ…。す、好きなの食べなよ」
「最初から素直にそう言えばいいんだよ、まったくよ。この高給取りが、ちくしょったれめ。グチグチ抜かしおって」
勝男と呼ばれる男が何だか可哀相に思えた。それにしても、こんな傍若無人な奴とよく一緒に飯など食べる気になったものだ。
「じゃあ、ハンバーグ定食と、目玉焼きセットと、究極パスタでいいですね?」
「ああ、そうだって言ってんだろ。とっとと作って持ってきやがれ」
「へ、へい……」
まったく何て言い草だろう。よし、決めた。この男の目玉焼きには、僕の『聖なる唾』を垂らしてやろうじゃないか。
僕が料理をしている間、二人は「仕事をいつになったら紹介するんだよ?」「い、いや、も、もうちょっと待ってよ」などのやり取りをしている。
何だこの偉そうな男、無職なのか。僕より社会的地位の低い男め。僕はフライパンに卵を二つ落としたあと、二人から見えないよう『聖なる唾』をそっと垂らした。
ジュッと音を立てて弾け飛ぶ『聖なる唾』。ザマーミロ、あのえばりん坊め。
料理を作り終わり、席まで運ぶ。
「お待たせしました。目玉焼きセットにハンバーグ、それと最強パスタです」
「おせーんだよ。とっとと置け」
えばりん坊が、箸をテーブルにパシパシ叩きながら不機嫌そうに言った。そんな時間掛かってないだろうが……。
「よっ君…、す、すみません。く、口が悪くて……」
「いえいえ、問題ないですよ。さ、暖かい内にどうぞ」
連れの勝男って人は、本当にいい人そうだ。好感が持てる。
「おい、勝男。おまえ、目玉焼きに何を掛ける?」
「ん、ぼ、僕はね。ソ、ソースかな?」
「だろ? やっぱそうだよな、あれ……」
えばりん坊はソースを目玉焼きに掛けた瞬間、動きを止めた。ヤバい、ひょっとして『聖なる唾』が入っているのが分かったのか? いや、そんなはずないだろう……。
「ど、どうかしましたか?」
「何じゃ、こりゃ~! ウスターソースじゃねえかよ」
「え、ええ、うちのソースはウスターですが……」
「何で中濃ソースがないんじゃ?」
興奮して席を立つえばりん坊。
「や、止めなよ、よっ君」
勝男が止めに入るが、えばりん坊は僕を睨みつけている。だいたいその程度で何故文句を言われなきゃいけないんだ? しばらく僕一人でこの店をやらなきゃいけない。ここは舐められてたまるかってんだ。
「べ、別に五百円しか取っていないんだから、ソースの種類ぐらいでガタガタ言わないで下さいよ」
「テメー、ゴチャゴチャとうるせんだ、このヤロ!」
「ウギャー!」
何て信じられない行為をしやがるんだ。えばりん坊は、僕の腿目掛けていきなり膝蹴りをぶち込んできた。不意の一撃に僕は足を押さえながら、床を転がってしまう。
「ヤ、ヤバいよ、よっ君…。に、逃げよう」
「待て、これ食ってからだ」
人に膝蹴りを喰らえといて、えばりん坊は手づかみでハンバーグを掴み口へ放り込んだ。そしてダッシュで店から逃げていった。
僕は痛さで追い駆ける事ができず、悔しさで目に涙が滲んだ。
本当に酷い一日だったな……。
足の痛みが引くのを待ち、僕は店を閉める。その時になってようやくママンが下へ降りてきた。
「どう、色々と一人でやるって大変だったでしょ?」
「う、うん…。パパンの大変さが少し分かった気がするよ……」
「パパンが戻ってくるまで出来高制を導入するわ」
「で、出来高制導入?」
「そう。つまりあなたの腕一つで今この店は経営が成り立っている訳でしょ?」
「まあ、そうだけど…。でも、ママンがいなければ……」
「うん、だからこれから売上チェックタイムよ。客が払っていったお金を全部渡して」
「うん」
僕は今日の売上、九万九千円を渡した。ママンは冷蔵庫の在庫をチェックしてから、電卓を叩き出す。
「おかしいわね……」
「え、何が?」
「ハンバーグは残り一つ。パスタ二名分。唐揚げ四名分…って事は、二万九千の三万八千四百の三万二千四百円で、ビールは全部で六杯出ているから、六掛ける五百で三千円…。合わせると、十万飛んで二千八百円。努が渡した金額は、九万九千円。三千八百円も計算上足りないわ」
何でだ? あ、そうか…。まず今の二人組に逃げられたの分。ハンバーグ千円の目玉焼き五百円、それにパスタが八百円だから、しめて二千三百円分の食い逃げ。
それに『月の石』のれっこにビールをご馳走したから五百円。あ、さっきの怖い白コートのカップルにビールだけタダ飲みされたから、千円。ビールだけで千五百円。
僕はママンに内訳を詳しく話した。
「言い分はよく分かったわ。でもね、私は努を経営者として話をしている訳ね。その辺はお分かり?」
それにしてもママンは何でこんな計算が速いのだろう。不思議だ。
「う、うん……」
「まず売上の九万九千の内、材料費で半分取るから、四万五千円でいいわ。で、残り四万五千円でしょ?」
「うん」
ひょっとして、そんな大金を僕にくれるのだろうか?
「それから店の家賃や維持費で三万五千ね」
「そ、そうだね……」
残り一万円。しかしそれでも今までの月十万足らずの給料に比べたら御の字だ。週に一日休みでも、このペースで頑張れば月に二十五万ぐらいになる。パパン、もっと入院が長引いてくれないかな……。
「でね、この一万が努の取り分なんだけど」
「やったあ!」
「おっとまだ早いわ。まず店のものをちょろまかした分を引くわ。三千八百円引くから、六千二百円。そして無断で使った罰金があるから、マイナス五千円…。しめて千二百円があなたの取り分よ、ほら」
「『ほら』じゃないよ! 何で丸一日働いて、千二百円しかもらえないんだよ?」
「それは今ちゃんと何故かを言ったでしょ?」
「それにしても千二百円なんてあんまりだ!」
僕は目に涙を溜めながら必死に抗議をした。
「甘えるんじゃないの。あなたは今、経営者なのよ? それが嫌ならちゃんと客から代金を取りなさい。それは正当な報酬なんですから」
そう言ってママンは千二百円だけ渡し、二階へ上がっていった。
第七章《捺印》
僕一人で店を切り盛りするように早一週間経つ。初日に失態を犯し、その日の日給千二百円しかもらえなかった僕は、その悔しさを忘れず商売の鬼に徹した。おかげで一日約一万前後のお金が手に入るようになった。そんな僕のお財布には五万以上のお札が入っている。まだ十八歳でこんなお金を稼げる男なんて、そうざらにはいないだろう。言うならば、人生勝ち組ってやつだ。
今ならハッキリ言える。仕事とはお金を稼ぐという事。甘ちゃん精神じゃ、経営者など務まらないのだ。
パパンはまだ治るまで時間が掛かるらしい。皮肉な事に先輩であるムッシュー石川と同じ病室だ。僕は休みの日、パパンのお見舞いへ行った。パパンがいなければ、僕は毎日多くの日銭を稼ぐ事ができるのだ。だからパパンの治り具合が気掛かりだから、お見舞いに来たという表現のほうが正しいかもしれない。治り掛けていたら、滑ったふりをして毒針エルボーをお見舞いしてやればいい。
ムッシュー石川は、僕の姿を見るとギャーギャー喚いていたが、動けない奴などさほど怖くない。第一僕はこんな男の飲み代まで立て替え、身を粉にして働いたのだ。それを感謝もせず、悪態のつき放題。とんでもない先輩である。
「おいおい、努。おまえ、いつになったらワイのバシタ連れて来るんや?」
五十代のおばさんを捕まえて、何がワイのバシタだ。恥ずかしさというものが、まるでないのだろうか?
「僕もそんな暇人じゃないんですよ」
「なぬ? おまえ、いつからそんな口の利き方をするようになったんや?」
「あのですね、石川さん……」
「な、なんや? 石川ちゃうて、ムッシューと呼びなはれ」
「いえ、石川さんとここはあえて言わせてもらいます。先日あなたと飲んだ飲み代、あれは僕が石川さんの分まで立て替えました。確かに事故で入院したのは気の毒に思いますよ。でも、それはあなた自身で招いた事故だ」
「なんや、急にけったいな事言いおってからに」
「じゃあいいですよ。今から『兄弟』の女将のところへ行きましょうか?」
「おう、そうしてくれ。頼むわ」
「一つ言っておきますよ? もしあの女将に『何で入院したのか?』って聞かれたら、僕はこう答えます。『ああ、ムッシューさんはですね。実は飲み屋の女に告白しようとして車に跳ねられました』ってね」
「おいおい、ちょい待てーや。何で自分、そんな修羅場をあえて作ろうとしとるんや? そんなんバレたらワテ、半殺しじゃ済まへん」
「じゃあ早く『月の石』での飲み代を僕に払って下さいよ。金は払わない。命令はするじゃ、いくら温厚な僕だって怒りますよ」
「そんな殺生な。身動きとれんワテを苛めて、そんなおもろいんか?」
今日はシビアに行かせてもらおう。今まで丸め込まれてきたのだ。
「別に面白がっている訳じゃありません。正論を言っているだけです」
「じゃあもしワテがキサンに金を払えば、バシタに連絡取ってここへ連れてくるっちゅうんやな?」
「ええ、それどころか、ムッシューさんの大好きな牛丼を三つぐらい買ってきてあげますよ。いい加減、病院食じゃ飽きているんじゃありません?」
「む、まあそうやけど……」
「じゃあ今すぐ耳を揃えて三万円払って下さい」
僕が強気に手を差し出すと、ムッシューは渋々お金を払ってくれた。うん、僕一人で店を経営している分、知恵と勇気と度胸がついたのかもしれない。そう今僕はすくすくと成長を遂げているのだ。いや、これは進化である。
パパンは、ママンがお見舞いにまったく来ないのでイジケている。大の大人がイジケる姿は、非常にみっともないものだ。
「元気だしなよ、パパン」
「だってママンが一度も来てくれないんだもん……」
何が『だもん』だ……。
「ママンだって色々と忙しいんだよ。売上計算だって毎日やっているし、料理の仕込みだって、ママンがやってくれているんだよ。だからパパンはこうやって毎日をのほほんとベッドの上でのうのうと過ごせるんだから」
「な、何がのほほんと過ごすだ? 馬鹿者が!」
今のパパンからは何の威厳も感じない。
「ふん、じゃあパパン、今すぐ退院してお店をやればいいじゃん。そうすればママンの顔だって毎日見れるしね」
何故か最近の僕は底意地が悪い。以前、『兄弟』の常連客である小松菜泥棒夫婦から『根性悪』と言われたが、あやつらの言葉は正しかった訳だ。
「努、いつからおまえはそんなになってしまったんだ?」
「別に僕はいつだって僕だよ。パパンこそ、いつからそんな弱音を吐くようになったんだい? 今のパパン、とても小さく見えるよ」
「何だと、貴様!」
怒り狂ったパパンはベッドから飛び出したが、気合いだけじゃ何もできない。そのまま床へダイブして肩から落っこちた。
「ほらほら、無理しちゃ駄目だよ、パパン」
「痛い痛い痛い痛い…、いた~いっ!」
ふ、この調子で挑発を繰り返せば、パパンの入院は長引き、僕の給料も跳ね上がるというものさ。
横でベッドに寝ているムッシューが「はよ、バシタを呼んできーや」とさっきから怒鳴っているが、しょせんこの男も負け犬の遠吠えに過ぎない。先ほどむしり取った三万円を足せば、僕のお財布には八万以上のお金が入っているのだ。
十八歳にして八万以上のお金を常に持ち歩く男。これってかなりすごい事なんじゃないだろうか? 言い方を変えれば無敵? むふふ……。
今までの僕は言うならば、パッとしない第一次時代だったのだ。今、黄金の第二次時代が到来を告げる。ん、何か今のフレーズ、映画のキャッチコピーなんかに使えるんじゃないか。かなり格好いいと思うが……。
帰りの廊下を歩いていると、妙に胸が膨らんだ看護婦が対面から歩いてきた。自然と僕の視線はおっぱいへ向かう。
「あら、この間の定食屋のお兄さんじゃない?」
「え?」
どこかで聞いた事のある声。僕は看護婦の顔を見た。
「嫌だ、もう忘れちゃったの? ほら、前にお店へ行ったでしょ?」
「あー!」
そうだ。僕が一人で店をやった初日に来たカップルの女だ。連れは白いコートを羽織って妙におっかない男だったっけ……。
「そう、私は新道貴子」
まさかこんな近場の病院で看護婦をやっていたなんて、思いもよらなかった。
「いや、別に名前までフルネームで言わなくても……」
前うちに来た時も、聞きもしないのに自分でフルネームを言ってたな……。
「何がいけないの?」
「いえ、別にいけなくはないですけど。新道さんって看護婦をしてたんですか?」
白衣のボイン戦士…。つい、淫らな想像をしてしまう。
「今時、看護婦なんて誰も言わないわよ。今は看護士って言うんだから」
「あ、そうなんですか」
「そうよ。一つ勉強になったでしょ?」
「ええ」
「じゃあ、そこの自販機のコーヒー奢ってよ」
「えー、何でですか?」
「会う度、コーヒーを十回奢ってくれたら、この魅惑的なボインにタッチさせてあげようと思ったのにな……」
「え、ほんとっすか?」
「嘘言ってもしょうがないでしょ。あ、そうだ。ちょっと待って」
新道貴子は白衣のパケットをまさぐりだす。ちょっとした仕草で揺れ動くボイン。僕のおチンチンはもうピンコ立ちだ。
「ほら、これ渡しとくわ」
「何ですか、これ?」
「『新道貴子ボインタッチポイントカード』よ。十回スタンプ押す場所があるでしょ?」
「え、ええ……」
「コーヒー一本買う時に、私が捺印してあげるから。早速今買ってきてよ。そうすればあと九回になるわよ」
「そ、そうっすね。すぐ行ってきますよ!」
あのボインにタッチできる……。
何て素敵なポイントカードなのだろう。全力疾走で自販機に向かう僕。今、タイムを計れば世界陸上大会にも出場できるんじゃないか。そんな気がした。
缶コーヒーを買い、ダッシュで新道貴子の下へ戻る。
「あなた、なかなかいい足をしているじゃないの」
「はぁはぁはぁ……」
荒い息をしながらコーヒーを彼女へ渡した。
「うん、いいわ。じゃあポイントカードに捺印してあげるね」
捺印すると、新道貴子はスタスタ歩いて先へ行ってしまった。僕はその後ろ姿を黙って見送る。あのボインまであと九個……。
久しぶりの休みである。
僕は病院をあとにすると、一旦家へ戻る事にした。ムッシューとの約束『兄弟』の女将のところへ行こうと思ったが、面倒になったのである。あんなところへ行くと、今のこの幸運が一気に逃げそうな気がしたというのもあった。
あのボインを揉めると思うと、心が弾む。これって僕だけじゃないはず。男はみんな、おっぱいが好きなのである。
「ただいま~、ママン」
入口のドアを開け、大きな声で挨拶を言うと、二階でガタガタ大きな音がした。ん、何だ? 泥棒か……。
僕はゆっくり忍び足で階段を上がる。売上はママンが二階へ持っていくから、ひょっとしたらそれ狙いの犯行かもしれない。息を殺し、辺りの音を聞き逃さないよう耳を澄ませる。ママンは無事だろうか?
ガタッ……。
「……!」
確かに今、何かが動く音がした。おかしい。いつものママンなら「おかえり~」と元気に返ってくるはずだ。まいったな。一度下へ降りて、厨房から包丁を持ってくるか。いや、そんな時間を与えてはいけない。
階段を上がり終えた時、ママンの部屋のドアが開く。僕はとっさに身構えた。
「あ、おかえり。随分早かったんだね」
ママンが隙間から顔をにょきっと出している。
「何だ、ママンいたんだ」
「うん」
「泥棒かなと思ってビックリしたよ」
「そんなもん、来る訳ないでしょうが」
「そうだよね」
ドスンッ……。
その時、ママンの背後からまた何か落ちた音が聞こえた。僕は慌ててママンの元へ駆け寄った。
「どうしたの、ママン!」
「な、何でもないわ。早く自分の部屋へ行きなさい」
「だって今、結構大きな音がしたよ?」
「気のせいよ、気のせい…、おほほ……」
「気のせいなんかじゃないよ。今、ママンの後ろで大きな音が聞こえたじゃないか」
「気のせいだって。あ、そうそう。努にお店任せた初日あるでしょ?」
「初日? ああ、それがどうしたの?」
「あの時、厳しくしなきゃって千二百円しかあげなかったけど、よくよく考えたら可哀相かなと思ってね。思ったより頑張っているから、今日は特別ボーナスをあげるわ。はい、二万円。これで今すぐどこか遊びに行ってらっしゃい」
ママンはそう言うと財布から二万円を出し、僕に手渡してくる。
「え、本当にいいの? こんなにもらっちゃって」
「いいのいいの。あなた、頑張っているもの。たまには母親らしい事だってしたいわ」
「ありがとう」
「ほら、さっさと外行って好きな事してらっしゃい」
「うん、そうするよ!」
これで僕の持ち金は十万円を超えた……。
ヤバい。ヤバ過ぎる……。
今の僕、何だってできちゃうんじゃないの……。
この興奮を誰かに伝えたかった。とりあえず僕がどんな金持ちかというのを世間に知らしめようじゃないの。再び僕は外へ出掛けた。
外を歩いていると、近所の雑貨屋『タマらん』が見える。以前友達から聞いた話だと、ここのおばちゃんの娘が生まれた時に、店名を改名したそうだ。その娘の名前は『環』。そこから『たま』を使い、『タマらん』という店名に決めたらしい。
自分の娘に店を継がせたい一心で、そんな変な名前をつけたおばちゃんはとても変な人だ。娘さんは僕より三つ年上の二十一歳。現役バリバリのピチピチの女子短大生だ。よくぐれずに大学まで行ったもんだ。
ここのおばちゃんは小さい頃からお世話になっていた。ここは雑貨屋のくせにお菓子やアイスも売っているので、幼子にとってちょっとした人気スポットなのだ。
「あら~、努ちゃ~ん。しばらく見ない内に随分と大きくなったわね」
中から笑顔で、高橋のおばちゃんが出てくる。
「お久しぶりです」
「遠くからニコニコして歩いているから、どうしたのかなと思ったよ」
「いやー、僕、ちょっとした人生の勝ち組の階段をひょんな事から昇り始めましてね」
「ほう、あの努ちゃんが人生の勝ち組ね~」
おばちゃんは感心したように言ってくれる。
「テヘへ」
「ママー、ただいまー」
「あら、おかえり環」
ちょうどおばちゃんの娘さんである環姉ちゃんが帰ってきた。僕はこの人の事を『タマはん』と呼んでいる。
「あら、『泣き虫努』じゃないの。随分久しぶりね~」
僕はタマはんが、昔から苦手だった。小学生時代、学校へ登校中何度も苛められた苦手意識があるのだ。年中苛められ泣いた暗い過去があるので、彼女から『泣き虫努』と呼ばれていた。
「あ、ああ、久しぶり」
「最近聞いたけど、あんたさ。自分の店を継いだんだって?」
「継いだというか、今は僕が店を経営してんだよ」
「あら、泣き虫努のくせに、随分と上等な口を利くようになったじゃないの」
「こら、環! 駄目だよ、そんな事言っちゃ」
おばちゃんがさすがに口を挟んできた。
「だって泣き虫努のくせに、店を経営だなんて嘘をつくからよ」
「う、嘘なんかじゃねえやい。ふん、何だい。自分なんかおばちゃんが必死に駄菓子売った金で、大学へ遊びに行ってて、家業なんて何も手伝ってないくせに」
「ふ~ん、私が大学へ行くのが遊びだって言う訳ね?」
タマはんは、意地悪そうな顔で僕を見ている。
「べ、別に遊びだなんて言うつもりなかったけど、タマはんが僕の事を小馬鹿にするからさ……」
「いい? 私はね。今、大手金物屋のせがれといい感じの仲な訳ね。うまく女房の座を射止めてみ? 私の肩書きは『大手金物屋夫人』になるのよ? 小汚い店で働くあんたなんかじゃ、気軽に声すら掛けられない存在になっちゃうのよ」
「これ、環! あんたは言い過ぎだよ」
「いいのいいの、泣き虫努はこれぐらい言わないと分からないから」
「じょ、冗談じゃねえや。何が『大手金物屋夫人』だよ? 人間の価値なんてな…、心構え一つなんだよ!」
「お、あんたにしては珍しくいい事言うじゃない」
「え……?」
「少しは成長したのねー。ママ、努にあれ出してあげたら?」
「あれって?」
「んもう…。どこだっっけかな? う~んと、あっ、あったあった!」
タマはんは、扇子を引っ張り出してきた。
「おい努。あんた、これ買ってきな」
「な、何で?」
「馬鹿ねえ…。今の時代さ、扇子の一つもうまく使いこなせないようじゃ、女に相手なんかされないわよ? あんた、どうせ彼女なんかいないだろうし、しかも童貞でしょ?」
「く……」
淡々と酷い事を言いやがって…。当たっているだけに、反論ができないのが悔しい。
「ほら、これを買って使いこなしなさい。そうすればあんたの人生百八十度変わるわよ」
「ほ、本当かよ?」
「あのね、大手金物屋のせがれを垂らしこんだ私が言うんだから間違いないわよ」
「じゃあ買うよ。いくら?」
「一万円」
「えー、高過ぎるよー!」
「だからあんたは駄目なのよ。扇子に一万も掛けられない男なんて、味噌にも劣るわ」
「何で?」
「だって考えてみ。この扇子格好いいし、センスいいでしょ?」
「ま、まあそれは確かに……」
「こんなのを街中でパタパタ扇いでみなさいよ。みんなの注目の的だし、モテモテよ」
「そうかな……」
「騙されたと思って買ってみなさい。その効果はあとになってあんた自身が実感するだろうから。それで私にいつか感謝する日が来るわ」
そこまで言われたので、僕は一万円を払い、扇子を買った。基本は白ベースの、たまにモアッとした感じの薄いライトブルーの模様が入るナウい扇子だ。両手で扇子を広げ、その場で扇いでみる。
「ほう……」
なかなか心地良い風が、僕のモチモチした頬を優しく撫でた。
「ほら、どう気分は?」
「悪くないねえ」
「でしょ? 頑張って街の中を堂々と扇ぎながら闊歩してきなさい」
「ありがとう、タマはん。僕、頑張ってみるよ」
財布の中身が九万円になったが、僕の心の中は晴れ晴れとしていた。
誰にこの格好いい扇子を見せようか。とりあえずママンに見せてみよう。
僕は扇子をパタパタ扇ぎながら家へ向かった。
うちの食堂が見えるぐらいまで来ると、誰かが入口から出てくる。ん、誰だ? 僕は駆け足で家まで向かう。
「た、竹花さん、どうしたんですか?」
家から出てきたのは竹花さんだった。
「おう、努ちゃん。いや、お腹減っちゃってさ。今日やっているかなと思ったら、休みだったんだよね。努ちゃんいるかなと思って中へ入ったんだけど、いないから今外へ出てきたとろこなんだ」
「何だ、じゃあ『目玉焼きセット』でも作りましょうか?」
「んー、また今度でいいや。とりあえず俺は帰るよ。じゃあ」
あれ、お腹が減っていたからうちに来たのに、何で今度でいいんだ? 僕が不思議そうに見ていると、竹花さんは逃げるように去っていった。
あ、この扇子を見せればよかったな……。
僕は家に入ると、「ただいま、ママンー」と叫んだ。二階から「おかえり~」と返事が帰ってくる。
「ねえ、これ見てよ~」
僕が扇子をヒラヒラさせながら階段を駆け上がると、ママンも部屋から出てきた。
「あら、ヒラヒラじゃない」
「うん、雑貨屋の『タマらん』で買ったんだ」
「なかなかその扇ぎっぷりが似合うわよ。う~ん、でも何かいま一つ足りないわね……」
「え、足りないって?」
「う~ん、そうね~…。まず扇子っていうのは扇ぐものでしょ?」
「うん、それで?」
「扇ぐのをわざわざ人に見せるって事はアピールよね?」
「うん、そうだね」
「そっか、分かった! あなたにはそのアピール度が足りないのよ」
「でも、これ以上何かいい方法でもあるの?」
「ちょっと貸しなさい」
ママンは僕から扇子を取り上げると、油性マジックでいきなり『ビバ、ツトム88』と書き出した。
「あー、何をするんだよー?」
「何を言ってんの。あなたはまだ恥じらいがあるのよ。恥を捨て、思い切り扇子を扇ぎなさい。そうすれば活路は見出せるわ」
「そうかな?」
「当たり前じゃない。今までママンの言う事で、間違っていた事ある?」
「いや、ないね」
「でしょ? じゃあ思う存分外で扇いできなさい」
「でも、何で『ビバ、ツトム88』なの? 『88』の意味は?」
「そんな数字に意味なんてある訳ないじゃない。フィーリングの問題よ。男は細かい事を気にしてちゃ駄目よ。パパン見てると、非常に格好悪い大人だと思うでしょ?」
ママンも酷い事を平気で言うなあ……。
「そ、そうだね……」
「さ、頑張って、世間に努ここにありをアピールよ」
「分かった。頑張るよ、僕。ママン、ありがとう」
僕は『ビバ、ツトム88』を広げたまま、街を闊歩した。
通り過ぎる街の人々がみんな、僕のほうを見ているような気がする。これってちょっとした有名人扱い? 足のつま先から体の奥底まで、ちょっとした快感がビリビリと通った。
スカートの短い今風のガングロ女子高生二人組が、僕を見て笑っている。お互いに耳元で何か囁き、クスクスと笑っているのだ。これは人生初の逆ナンの可能性か?
僕はしばらくその場へ立ち止まり、空を見上げながら『ビバ、ツトム88』の文字が見えるようゆっくり大きく扇いでみる。
お、ガングロ女子高生が僕のほうへ近づいてくるぞ。でもここは気付かないふりをして、扇いでいよう。
「ねえねえ、お兄さーん」
ほんとに来た……。
「な、何だい?」
「その扇子、いかしてるねえ」
「ふふふ、そうかね?」
「うん、もっと派手に扇いでよ?」
「こうかい? それともこうかい?」
僕は、全身を使って様々なパターンで扇を扇ぎまくった。
「やだ~、この人、おっかしー」
今やお笑いは女の子にモテモテだ。以前ムッシューもお笑いを目指していたが、彼は無理でも僕ならなれちゃうかな。
「そんな面白いのかね?」
「うん、お兄さん、最高!」
何かとても楽しくなってきたぞ。
「じゃあ、パタパタと君たちにも扇いであげようじゃないの。ほら、パタパタ」
「いやー、この人、かなり変。ギャハハ」
「ねえ、お兄さん。自分の股間を下から扇いで『こっちもパタパタ』ってやってよ」
もう一人の女子高生までノリノリだ。
「いいよ、そんなのお安い御用だ。あ、パタパタ。こっちもパタパタ」
「いやー、この人ほんとにやってるよ。すっごい馬鹿。ギャハハ」
彼女たちはそう言うと、走って逃げていく。野郎…、からかいに来ただけなのか? 僕はその後ろ姿を睨みつけたが、一陣の風が吹き、ガングロ女子高生のスカートがふわりとめくれる。派手派手パンティが、ちょっと見えた。
「おほっ!」
それだけで僕はとても幸せな気分になれた。そう、思い方や考え方一つで人間はいつだって幸せになれるのだ。
今日は帰ったら、早速テッシュタイムだ。いいおかずにありつけたものである。
帰り道『月の石』の前を通ると、れっこが外で電話をしていた。僕に気がつくと、手を振ってくる。
「あ、どうもれっこさん」
僕はれっこが電話を切るのを待ち、すぐ挨拶した。
「馬鹿、今店なんだから『麗華』って言いなさいよ」
「あ、ああ、ごめんよ、麗華…、うぎゃっ」
「あんた、いきなり偉そうに呼び捨てにしないでよ」
れっこは本当に手が早い。また平手打ちを喰らってしまった。
「す、すみません……」
「まあいいわ。それより努君って料理うまいのね。またあそこに食べに行きたくなっちゃうもん」
「えへ、そうですか?」
「お世辞抜きにうまいわ。そうだ、この間ビールご馳走してくれたし、今日ちょっとだけうちで飲んで行きなさいよ?」
「え、でも……」
さっきのガングロ女子高生のパンチラを思い出しながら、テッシュタイムに洒落込もうと思っているのに……。
「何よ? 私がサービスしてあげるって言っているのに、断るって言うの?」
サービス…。れっこは人妻。人妻の淫らなサービス、ふひひ……。
「え、麗華さんがサービス? えへ、どんなサービスですか?」
「ちょっと、変な勘違いしないでよ。あくまでもお店でサービスってつもりだからね」
「ちぇ、何だ……」
だったら家に帰ってガングロオナニーのほうがマシだ。
「あら、いいの? 今日から可愛い子が入ったんだけどな」
「え、ほんとっすか?」
「嘘ついてもしょうがないでしょ。多分、努君のタイプじゃないかな」
「ぼ、僕のタイプ? ス、ストレートって事ですか?」
「う~ん、よく分からないけど、そういう事かな?」
「じゃあ、行きます。行かせてもらいます」
「でもあんた、お金ちょっとはあるの? この間みたいに二千円しかないじゃ困るよ?」
「ふふふ、これを見て下さいよ」
僕は財布を広げ、威風堂々とれっこへ見せた。
「あら、あんたちょっと素敵じゃない」
「ふふふ……」
「今ならお客さん、そんないないからおいでよ」
「は~い」
僕は桃源郷を求め、再び『月の石』へ入っていった。
「口づけの~あ~とは~。ベェッドに~押し倒すぅ~」
店に入ると大音量のカラオケが聞こえてきた。ステージに立ち唄う女。どこかで見たような……。
あ、あのボインちゃんだ。パパンやムッシューの入院する病院で働くボインの看護婦だ。今日、彼女からポイントカードをもらったっけ。
「いいぞ、たっかちゃん~」
腕を突き出しながら客のチョーさんが声援を飛ばしている。
「マリ~リ~ン、赤いハアト~気取るわ~、マリ~リ~ン……」
「たっかちゃ~ん!」
確かこの曲、「1986年のマリリン」だっけ。懐かしいなあ。まだ僕が小学生だった頃流行った曲だもん。
「今、唄っている子が今日入った新人よ」
れっこが前を向きながら話し掛けてきた。
「ぼ、僕のお店に来た事ありますよ、あの子」
「へー、そうなんだ。世間って狭いわね」
僕はボックス席へ腰掛け、れっこからおしぼりを渡される。
「どうする。何を飲むの?」
「う~ん……」
「そうだ。サービスするからヘネシー入れちゃいなさいよ」
「え、ヘネシー? どれどれ……」
僕はメニューを見て、目玉が飛び出そうになった。
「何だよ、ヘネシーって三万円もするじゃないか!」
「だからさっきサービスするって言ったでしょ」
「サ、サービス?」
「そうサービス。だからヘネシーにしときなさいって」
「僕、飲んだ事ないけど……」
「馬鹿ね。優秀な男の飲み物って、ヘネシーしかありえないのよ。これを飲んでいるだけでモテモテオーラが自然と出てくるんだから」
「モテモテオーラ……」
まあ最悪三万円取られたとしても、まだ僕のお財布の中には六万も残る。ここは一ついっちゃうか……。
後ろでカラオケが終わり、チョーさんの大袈裟な拍手の音が聞こえた。
「ありがとうございました。『1999年のマリリン』でした~」
ボインちゃんが可愛い声でおじぎをする。
「おいおい、『1986年のマリリン』だろ?」
チョーさんがいらぬつっこみを入れた。
「ん、私は新道貴子。私が『1999年のマリリン』って言ったらそれでいいの」
「そっか、そうだよね。たっかちゃ~ん、サイコー!」
まったくこの助平オヤジは、ポリシーってものがないのだろうか。
「ねえ、たかちゃん、ちょっとこっち来てちょうだい」
れっこが貴子を呼ぶ。貴子はマイクをステージに置き、ボインをゆっさゆさと揺らしながら僕の席まで来た。
「あら、定食屋のお兄さんじゃないの。よく私と合うわね」
「えへへ、どうも」
「今ね、彼にヘネシーとはどれだけ偉大かって説明してたの」
「そうなんですかー」
「でも彼ね、ボトル入れるか入れないか迷っているところなの。たかちゃんからもひと言何か言ってやってよ」
「ねえねえ、お兄さん」
魅惑のボインが近づいてくる。
「は、はい……」
「今日渡したポイントカードあるでしょ?」
「え、ええ」
「ヘネシー入れたら、一気に捺印三つ押しちゃうよ?」
「ほ、ほんとっすか?」
「嘘なんてつかないわよ~」
「れっこ…、いや、麗華さん!ヘネシー一丁」
「は~い、今持ってくるね~」
僕の心臓はドキドキ音を立てて鳴っていた。
何ておいしいエレガントなお酒なんだろうか……。
僕はヘネシーを飲みながら、いい感じで酔っ払っていた。
「お、ヘネシーじゃないか? 私にもおくれやす」
隣の席に座る中年サラリーマンのチョーさんが、僕に向かってグラスを差し出してきた。
「ふん、くれてやるよー。ありがたく飲みやがれってんだ」
「うわ、このガキ、酒癖ワリー」
れっこがそう呟いていたが、酔いで言い返すのも面倒だった。
「ありゃ、もう空になっちゃったぞ?」
「じゃあ、もう一本いっちゃう?」
「えー、だってヘネシー高いんだもんー」
貴子が耳元に近づき口を開く。
「もう一本入れたら、もう一個捺印するよ?」
「何、本当か?」
今日一日で『新道貴子ボインタッチポイントカード』が五つも溜まってしまうのか。これを逃したら馬鹿だ。阿呆だ。
「よし、もう一丁!」
「キャー男らしい」
このあとの記憶はあまり覚えていない。ただ妙にはしゃぎ、楽しかったなあという事だけは覚えている。
気がつくと、僕はアスファルトの道路の上で寝ていた。何でこんなところに?
酒を飲み過ぎたせいか、妙にクラクラする。あんなに飲んだのは今までで初めてだった。お財布を取り出し、中身を確認してみる。
「ゲッ……」
中は二千円しか入っていなかった。一体どういう事だ?
慌てて『月の石』のドアをノックしたが、もう店は終わっているので誰も出ない。僕は仕方なく『ビバ、ツトム88』の扇を扇ぎながら牛をしばきに行き、家に帰っておとなしく寝た。
第八章《烏龍茶》
朝起きると頭がガンガンして痛かった。昨日はかなり飲み過ぎたなあ。あんなに飲めば、二日酔いになるのは当然だろう。
僕はお財布をもう一度チェックしてみる。やっぱりお金がない。千円札一枚しか入っていなかった……。
冷静に思い出そう。昨日はこの中に十万円入っていたのだ。まず雑貨屋の『タマらん』で扇子を買い、一万円。
そのあとはスナック『月の石』へ行き、ヘネシーを入れた。確かあれ、一本三万円とかれっこが言っていたっけ。あの辺から記憶が定かじゃないんだよなあ……。
お財布の中に入っていた『新道貴子ボインタッチポイントカード』。捺印が五つも押してある。よく思い出せ。確か新道貴子がもう一本入れたら捺印押すと言うから、さらにボトルを入れたんだよな……。
待てよ? 何で最初の一本入れた時は捺印三つなのに、もう一回入れて捺印一つなんだ? ちょっとこれは変だ。おかしい。それにれっこの奴、サービスするとか言っといて、何でこんなにお金がゴソッとなくなっているのだ。
おかげで帰り道、寂しい気持ちのまま牛丼を食って帰ったのだ。
十万も使って遊んでおいて、これだけ? 豪遊って本当はもっと違うものなんじゃないのか。
いいのか、こんなもんで僕は……。
今、手元に残っているのは『ビバ、ツトム88』と書かれた扇子と、ボインちゃんのポイントカード捺印五つだけ。だいたい最初は缶コーヒー一本で捺印一つなのに、何故三万もするヘネシーを入れて捺印三つなのだ?
「十万使ってこれだけかよ、チクショー!」
僕が部屋で怒鳴ると、ママンが眠そうな顔をしながらやってきた。
「うっさいわね~。何なの、こんな朝っぱらから」
「い、いや、別に何でもない……」
「まあいいわ。あとちょっとしたら、またお店の準備でしょ」
「それがさ、ママン。今日の僕、ちょっと具合がおかしいんだ。今日、お店休みにしない?」
「何をあなたは言っているの? 甘ったれた事言ってないで早く準備しなさい」
「でもさ、僕頭がガンガンするんだよ。普通のガンガンじゃないよ? う~ん、そうだなあ。しいて言えば『イワイワガンガン』ってぐらいすごいの」
「馬鹿言ってないで早く準備しなさい」
「僕、今日は休みたいよ~」
「あっそ、分かったわ」
やけに物分りのいいママン。よし、今日は布団の中でずっとぬくぬくしてよう。
「ごめんね、明日はキチッと頑張るから」
「何を言っているの? 明日なんてもうないわよ」
「え?」
「努は休むんでしょ?」
「う、うん」
「じゃあ、約束通り私はパパンと離婚。そしたらこの家を売り払うから、あなたは明日から一人で生きるだけだから」
「澄ました顔で、何て恐ろしい事言うんだよ?」
「だって最初に約束したじゃない?」
こうなると僕から折れるしか方法はない。
「分かったよ~。今日も頑張ります。それならいいでしょ?」
「ん、よろしい」
ママンはそう言うと、下へ降りていった。
経営っていうのは本当に大変だ。自分の体調が悪かろうが、やらなきゃいけないんだもんな。今度から飲み過ぎには気をつけないといけない。僕は昨日だけで、今までの約一ヶ月分の給料を一気に使い果たしたのと一緒なんだから……。
ママンが今日のメニューの仕込みをしている。ママンの作る料理の数はいつも的確だった。自分の母親ながら、その鋭い嗅覚にはビックリしてしまう。
「よし、できた。今日のメニューは『魔女っ子カレー』と『幻のうどんそば』。それに『アマゾン風究極ドラゴン』よ」
「え、ちょっと待って? 何その『アマゾン風究極ドラゴン』って? それって料理でも何でもないじゃん」
「ああ、いいのよ、これで。お客さんには『頼んでからのお楽しみですよ』って言えば、みんなきっと注文するだろうから」
そんないい加減な……。
「いや、そういう問題じゃなくてさ」
「いいのいいの。細かい事なんざ気にしちゃ駄目よ。中身はこれ、ただの『焼きおにぎり』だから」
「えー、全然関係ないじゃん」
「しかも冷凍食品」
「えー! ありえないでしょ?」
「それは嘘よ、うふ」
「ほんとに? それにさこんなすごいネーミングつけといて、実はただの焼きおにぎりだと分かったら、お客さん怒るんじゃないの?」
「その時はその時で私が駆けつけてきてあげるわ」
絶対に嘘だと思った。だってこの間僕が客に膝蹴り喰らった時だって、全然来なかったもんな。
「そういう問題じゃなくてさ。何て言うのかな。もっとこうさ……」
「ああ、ごめんごめん。ただの焼きおにぎりじゃなくて、まずお皿に引くでしょ?」
「焼きおにぎりを?」
「そうそう。で、ラーメンのスープも実は私が作っといたのよ。それを掛けて」
「え、だって焼きおにぎりに、スープなんて掛けちゃって大丈夫なの?」
「大丈夫。それは焼きおにぎり用のスープとして調整してあるから」
「そんなの聞いた事ないけど……」
「あとは冷蔵庫に私が刻んで置いた『シナチク』、『ネギ』、『卵』と上に乗せて、ノリも一枚ぐらい乗っけといて」
「それってラーメンと変わらないじゃん。麺の代わりに焼きおにぎりが入っているってだけでさ……」
「大丈夫よ、セリョリータ。ママンの作る料理の味は、幼い頃からあなたが一番知っているはずでしょ?」
「ま、まあそうだけどね。でもさ、あとのメニューも変だよ? 何、『魔女っ子風カレー』って? 僕が客に出す時、『へい、魔女っ子風カレーお待ち!』とか言いながら出す訳?」
「だって魔女っ子風味なんだもの。しょうがないじゃない。普通のカレーなんかじゃ、うちの客はなびかないわ」
「じゃあ、それはいいよ…。でもさ、もう一つ。『幻のうどんそば』って何?」
「ああ、多分ね。ママンが思うにはさ。この広い世界でうどんとそばを一緒に入れて出す店なんて今までないと思うの」
「当たり前じゃん。そんな店ないと思うよ」
「そうでしょ。それをやっちゃうわけ。幻でしょ?」
「……」
「何黙ってんのよ?」
「確かに幻かもしれないけどさ。お客さんの接客をするのは僕なんだよ?」
「そんなの知ってるわよ。でもね、私だってたまには仕込みを手抜きしちゃいたくなる時だってあるんだから」
「え、ちょっと待って。何、手抜きって?」
「あ、いっけな~い。そろそろ『若奥さまカラオケ突撃隊』の集合時間だわ。行かないと遅刻だわ」
ママンは腕時計などしてないのに、自分の手首を見ながら言っていた。
「え、何だよ、それ?」
「値段はカレーが五百円。うどんそばは六百円。ドラゴンは千五百円ね」
「えー、何だよ。最後のドラゴンは千五百円って? 随分高いじゃないか!」
「もう、ママンは忙しいのよ。ちゃんと決められた値段通りにとらないと、あとであんたの給料がないわよ。じゃあねー」
そう言ってママンは店を飛び出し、外へ行ってしまった。
どうすんだ、今日は……。
二日酔いで頭がイワイワガンガンの僕。そしてメニューは『魔女っ子風カレー』と『幻のうどんそば』。それに『アマゾン風究極ドラゴン』。プラスで僕の『目玉焼きセット』。こんなんで何をやれと言うんだ、ママンは……。
時間とは無情なもので、こんな状況だって構わずいつものように過ぎていく。
店を開ける時間になったので、僕はのれんを出した。
できれば仕事を投げ出したい自分がいる。だけど今の僕は千円しか持っていないのだ。どんな試練でも受けなければならない立場なのである。
それにしてもママンは酷い。普通のハンバーグと唐揚げとか作ってくれればいいのに…。今頃近所の若奥さま連中と一緒に、カラオケで楽しんでいるのだろうな。
ガラガラと音を立て入口のドアが開く。
「あ、タマはん! どうしたんだい、こんな時間に?」
近所の雑貨屋『タマらん』のおばちゃんの娘である高橋環、通称『タマはん』が中へ入ってきた。
「何よ、私がここに食べに来ちゃいけないって言うの?」
「いや、そんな事ないけど……」
「ほら、ボーっと突っ立ってないで、早く水ぐらい出しなさいよ。この泣き虫努が」
幼馴染のタマはんは相変わらず口が悪い。まあ今は客だから僕はグッとこらえ、素直に水を出した。
「何よ、このぬるい水は? ミネラルウォーターぐらい出しなさいよ」
「そんな洒落たものないって、タマはん」
「あんたね~、私は現役ピチピチ女子大生なのよ? いい加減その『タマはん』って言い方やめなさいよ」
「じゃあ、何て呼べばいいんだよ?」
「う~ん、普通に環さんでいいでしょ。あ、私お腹減ってんた。何か早く作ってよ」
「一応メニューはあそこにある四品だけど」
僕はカレンダーの裏に手書きで書いたメニューを指差した。
「はあ? 何あのメニュー…。ありえなくない?」
「うん、僕もそう思う……」
「アマゾン風? うどんそば? 何あれ?」
「何だっていいじゃんか! 早く腹減っているんなら、何か注文してよ。食べてまずかったら文句を言えばいいじゃないか」
「まったく泣き虫のくせに、すぐぶち切れる。あんた、将来犯罪者になるわよ?」
「冗談じゃないよ! 何で僕が犯罪者扱いされなきゃいけないんだよ?」
「うっさいわねー。とりあえず『幻のうどんそば』のうどんでちょうだい」
「いや、このメニューは選べないんだよ……」
「はあ、どういう事?」
「うどんとそばが一緒に入っているメニューなの?」
「何それ? 訳分からない……」
「まあ食べてみてよ。作り手の僕だって訳分からないんだからさ」
「変な店……」
「うん、パパンとママンの店だからね……」
僕は冷蔵庫からうどんとそばを取り出し、沸騰したお湯へ放り込んだ。
麺を茹でている間、僕はタマはんとの昔の事を思い出していた。
二つ年上のタマはんとは、僕が幼い頃よく一緒に遊んだらしい。お風呂まで一緒に仲良く入っていたそうだ。
これはママンから大人になってから聞いた話だけど、湯船に浸かっていた僕はタマはんの股間を見て、「ねえ、何で環ちゃんはおチンチンがないの?」と素朴な疑問をしたそうだ。ビックリした彼女は、自分の家である雑貨屋『タマらん』に慌てて帰り、親に向かって「私、おチンチン落としちゃった。おチンチン落としちゃった」と大泣きしたそうだ。
一度この事を大きくなってからタマはんに言って、ボコボコにされた事がある。
彼女にとってそれは禁句で忘れたい過去なのだろう。
「はい、お待たせ。『幻のうどんそば』です」
「あら、いい香りじゃない。へえ、ちゃんと作れるんだね。料理名と一緒でいい加減なのかと思ったよ。いただきまーす」
いつもひと言余計なタマはん。
「うん、ダシもきいていて、まったりとした口の中でほわっと広がるような味わい。とろけるようなそばに、歯応えのしっかりした腰のきいたうどん。泣き虫努のくせになかなかすごいじゃない」
あんたはどこかの評論家かいな……。
タマはんと会話をしていると、二人連れのカップルが入ってきた。一人は細身の優男風で、女のほうはポニーテールの似合う美人だ。
「へい、らっしゃい」
男は店内をキョロキョロ見回してメニューを見つけると、しばらくジッと眺めている。
「あ、空いている席へどうぞ」
「は、はあ」
「隼人、ここ座ろうよ」
「ああ」
二人はメニューを見てしばらく固まっている。きっと「何だ、この変なメニューは?」と思っているのだろう。
「あの~、すみません。ハンバーグってないんですか?」
「ああ、すみません。今日はちょっと切らしてまして。日によってうちのメニュー違うんですよ」
「そうなんですか…。じゃあ、カレー下さい」
「いや…、あのですね……。うちにはカレーはないんです……」
「え、だってメニューにカレーってあるじゃないですか?」
「ああ、あれは『魔女っ子風カレー』なんです。普通のカレーじゃないみたいなんですよ」
「……」
男は、僕の顔を不安そうに見たまま固まっている。
「ねえ隼人、別のお店へ行かない?」
「いや、それじゃ悪いよ。せっかく入ったんだからさ。な、泉」
「まあ隼人がそう言うんならいいけどさ……」
確かに普通の人なら、こんなメニューだけだと薄気味悪がるだろうな。
「じゃあ、『魔女っ子風カレー』下さい」
「わ、私も同じので……」
「へい!」
カレーの注文が一番簡単でいい。なんせ鍋から分量を取り出し暖めるだけでいいのだから。まだ二日酔いで頭がガンガンしていたが、一丁張り切ってみるか。使ったお金など、また頑張って貯めればいいさ。
客が徐々に集まりだした。タマはんは悪いと思ったのか、料金を払い出て行く。
しばらくして『月の石』のママであるパイナポーがやってきた。メニューを見て、ナポリタンがないので不服そうだ。
「ねえ、何でこの間の『究極パスタ』や『エキゾチックナポリタン』がないの?」
「いや、僕一人でやっているのでして、なかなかそこまで手が回らないんですよ」
「あのね、そんな事はどうだっていいの。何故ケチャップ風の料理がないのかって、私は聞いているのよ」
「無茶言わないで下さいよ~」
「ふん、私がイタリアンを気取るのが、そんなに面白くない訳、ん?」
「そんなんじゃないですって」
まったくこのババーは、妙にいつも絡んでくるな……。
「何で私があんたみたいな小坊主に、これだけしつこく言うか分かる?」
「いえ、分かりません……」
「それはね……」
途中まで言い掛け、パイナポーはいきなり僕に抱きつきだした。
「な、何をするんですか!」
「じ、実はね。好きなの。あなたが好きなの。いつの間にか激しく恋に落ちていたの」
六十過ぎたおばさんに、こんな事をされても全然嬉しくない。僕は必死に抵抗した。
「や、やめて下さい! 何をすんですか! は、離せっ!」
「私は純粋にあなたが好き。だからあなたも私を好きになってほしい」
「ふざけんな! 何だ、そのムチャクチャな理論は!」
パイナポーは気色悪い顔をグリグリと、僕の胸に押し付けてくる。懸命に顔を押して引っぺがそうとするが、吸いついたスッポンのようになかなか離れない。
「離せっ! 離しやがれっ!」
「む~ん、ジュテ~ム」
唇を突き出しながら僕の顔に迫ってくるパイナポー。下手なホラーよりリアルで怖い。
「や、やめろ!」
慌てて店内の客が引き剥がすまで、十分ぐらいの時間を要した。
みんなでパイナポーを店の外へ追い出し、ようやく平穏が訪れる。一体何なんだ、あの女は……。
僕は紙にマジックで『月の石ママ出入禁止』と大きく書き、入り口のドアへ貼った。
パイナポーを引き剥がす際、一番活躍してくれたカップルの男性が帰ろうとしたので、僕は慌てて言った。
「あ、あのさっきはすみません。本当に助かりました。ありがとうございます。お礼と言っちゃなんなんですけど、お代結構ですから」
「いえいえ、そういう訳にはいきませんよ。ねえ、泉」
「ええ、『魔女っ子カレー』、とてもおいしかったですよ。ちゃんと料理の味に見合った代金を払わせて下さい、じゃないと申し訳ないですから」
「え、でも……」
「また来ますよ。本当おいしかったですよ」
そう言ってカップルは正規の料金を払い、店をあとにした。ああいういい人たちばかりだったら、こっちも清々しい気分で仕事に臨めるのにな。
今なら誰にでも優しくできそうな気がする。そう思っていると、ボイン戦士新道貴子がやってきた。
「あっ!」
思わず指差してしまう僕。
「何が『あっ!』よ? 私は新道貴子だからね」
何故彼女はいつも自分の名前を名乗るか、不思議でしょうがない。
「知ってますよ、そのぐらい。何度も聞きましたから」
「そう、それならいいけど」
「今日はどうしたんです?」
「どうしたって、お店のれっこちゃんが、ここの料理本当においしいって言ってたから私、新道貴子がわざわざ食べに来たのよ」
そう言いながらご自慢の大きなボインを揺らす。前回は白コートの男と一緒に来て、ビールだけタダ飲みして帰ってくせに…。でもそんな事なんかどうでもいい。僕の目線はボインに釘付けだ。
「それはありがとうございます」
「さっきここへ来る途中、うちのママとすれ違ったけど、ひょっとしてここに来た?」
「え、ええ……」
先ほどの悪夢が蘇る。
「随分と寂しそうにトボトボ歩いていたから、声は掛けなかったんだけどね」
「そ、そうですか……」
貴子は店内をキョロキョロ見回す。
「でもここのメニュー、ほんと少ないよね?」
「ええ、あちらにあるだけでして……」
ママンにすべて仕込みを任せているから、僕から増やせとも言えないのが現状だ。
「変な名前のメニューばっかりねえ……」
「は、はあ」
「まあいいわ。ドラゴンちょうだいよ。ドラゴン」
お、初めて『アマゾン風究極ドラゴン』を頼む人が出た。内心食べた客の反応がどうなるのかワクワクしていたのだ。
僕はママンの書いてあるレシピ通りに料理を作った。まず皿の上に焼きおにぎりを置き、スープを掛ける。それから『シナチク』、『ネギ』、『卵』を順々に乗せ、ノリを置く。これで完成だが、こんな簡単な料理でいいのだろうか?
「お、お待たせしました。『アマゾン風究極ドラゴン』です……」
さてこれを見た…、いや、これを食べた新道貴子の感想が楽しみだ。
新道貴子はまずレンゲでスープをすくい、鼻先でクンクンと匂いを嗅いでいる。
「ん、これはちゃんとダシをとった本格的スープね……」
ブツブツ独り言を言いながら、貴子はスープを口の中へ入れた。それと同時に揺れ動くボイン。僕の視線はそこ一点に集中する。
「むう、これはアゴ……。アゴとは何か? アゴとはトビウオの背油を元に……」
誰に話す訳でもなく、解説つきで食べていた。『アゴ』と言いながらアゴを動かし、小刻みに揺れるボイン。僕のおチンチンはもうピンコ立ちだ。
「シナチクの固さ具合、固過ぎず柔らか過ぎず……」
その時、また客が入ってきた。ちぇ、いいところなのに……。
「あっ!」
その客を見て、思わず声が出てしまう。僕が一人で店をやった初日の最後に来たムチャクチャな男が入ってきたのだ。
この野郎……。
あの時はタダ食い、しかもソースがウスターだというだけで、僕の腿に膝蹴りなんぞしやがって、クソが……。
「あれ何だね。この店は客に『いらっしゃいませ』も言えないのかね?」
もくもまあぬけぬけと来れたものだ。今日は勝男とかいう連れはいないようだ。
「……」
「おいおい何を黙ってんだね、何を?」
こいつは自分のした事を忘れたというのだろうか?
「あの…、お客さん……」
僕が言い掛けた時、膝蹴り男は手で静止して勝手に喋りだした。
「実はだね、今日は俺の大事なステディも一緒に連れてきたんだよ。この間食べたここのハンバーグがとてもうまくてね。今日もまた食べに来てあげた訳なのだよ。おい、入って来いよ」
何が食べに来てあげただ…。思いっきり食い逃げしやがったくせに……。
膝蹴り男は、ごく普通の女の子を店内へ呼び寄せる。自分の行きつけの店みたいな態度を取りやがって、この理不尽大魔王め。
「……!」
待てよ…。なかなかいいお返しのアイデアが浮かび上がってきた。
ここは一つ大人になって冷静な対応をすればいい。この男をギャフンと言わせてみたかった。
ビールだとママンにチェックされて、また給料から天引きされちゃうしな。あ、そうか。烏龍茶なら大丈夫だ。
厨房の冷蔵庫に僕用として烏龍茶の飲みかけがあったっけ、ふひひ……。
「あ、お客さん。可愛い彼女さんもいらしてくれた事だし、ここは僕、烏龍茶でもサービスしましょう」
「お、気が利くね~。あんた、出世するぞ?」
こんな無職男にそんな事言われたって、まったく嬉しくない。それでも僕は満面の笑みを浮かべ、厨房へ向かった。
グラスを二つ用意し、烏龍茶を注ぐ。僕は店内を見回し、誰もこっちを見ていないのを確認すると、チャックを開けおチンチンを出す。
膝蹴り男へ出す烏龍茶の中におチンチンを入れ、軽く掻き回した。氷のせいでかなり冷たく厳しい作業であったが、ここは我慢するしかない。
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)という言葉があるが、これは復讐の為に耐え忍ぶ事をいう。または成功を収める為に苦労を耐えるという意味合いだ。
今のこの行為はまさに臥薪嘗胆である。
中国の故事成語であるけど、我が日本も明治時代に下関条約の三国干渉が発生した時、ロシアに復讐する為に耐えようという機運を表す時に使ったスローガンでもある。
僕は学校の成績がよくなかったけど、こういう変な事だけは知っているのだ。
「臥薪嘗胆! 臥薪嘗胆!」
心の中で叫びながら、僕は烏龍茶の中にある氷の冷たさに耐え、復讐を誓う。
「く~、つめた……」
思わず声が出てしまう。耐えろ、耐え忍ぶのだ、努。僕は自分へ必死に言い聞かせた。
よし、このぐらいでいいだろう。僕は烏龍茶をお盆に乗せ、膝蹴り男の席へ持っていった。
「どうぞ、良かったらサービスです」
「おう、どうもな」
「す、すみませんね」
横柄な膝蹴り男とは逆に礼儀正しい彼女。ここは例の烏龍茶を置き間違えては絶対にいけない。
「あー、ズルい! 私にはサービスないのー?」
カウンター席に座ってその様子を見ていた新道貴子が、不服そうに声を掛けてくる。
「あ、もちろん出しますよ」
「じゃあ良かったら、先にこれ飲みなよ」
膝蹴り男が余計な行動をしだした。冗談じゃない。その烏龍茶を渡されたら、何の意味もなくなるだろうが。
「いえいえ、大丈夫ですよ。すぐに持っていきますから。冷たい内にお召し上がり下さい」
「ん、そうかそうか。ちょうど私は喉が渇ききっていたのだよ、ハハハ……」
やった! 僕のおチンチンをマドラー代わりに掻き回した烏龍茶。それを一気に飲み干しやがった。ザマーミロ、くくく……。
「よろしければご注文は?」
「もちろん目玉焼きセットでしょ?」
膝蹴り男の彼女が、身を乗り出して聞いてくる。
「え、俺は別のを頼みたいなあ」
「またそんな事言って、ソース掛けて食べるつもりなんでしょ?」
「別にいいじゃねえか。俺が何を食ったってよ」
「よくないわよ。いつもそうやって自分を誤魔化し続け、男として恥ずかしくないの?」
何だ何だ? この彼女は……。
「何で目玉焼きごときで、そんな言われ方しなきゃいけねえんだよ?」
あの膝蹴り男が口論で圧倒されている。そういえば前回もソースがウスターか中濃かで、グチグチ言っていたけど、とても神経質な奴なのかもしれない。
「ご、ご注文は目玉焼きセット二つでいいですか?」
「ええ、それでお願いします」
「おい、ちょっと! 何を勝手に決めてんだよ?」
「いいからそれを持って来て下さい」
「おい、ふざけんじゃねえぞ」
関わるとロクな目に遭わないだろう。僕はさっさと厨房へ引っ込み、目玉焼きを作る事にした。
新道貴子へ普通の烏龍茶を出すと、僕は火をつけフライパンを置く。
特別あの理不尽男の目玉焼きには、また僕の『聖なる唾』を垂らしてやろうじゃないか。まずはあの気の強そうな彼女の分を普通に作ってと……。
続いて膝蹴り男のだ。僕は客に見られないよう細心の注意を払いながら、『聖なる唾』をフライパンへ落とした。
いい感じで僕の『聖なる唾』はジュワッと弾け飛ぶ。
今日は中濃ソースだって用意してある。あの男、完全に僕の目玉焼きを食べるだろう。膝蹴りカップルへ『目玉焼きセット』を持っていく。
「お待たせしました」
「待ってたわよ」
そう言うなり、彼女はいきなり膝蹴り男の目玉焼きに醤油をドバドバ掛けだした。
「テメー、何をしやがんだよ??」
「ふん、いいから一度醤油で食べてみなさいよ。おいしいんだから」
「ふざけんな。目玉焼きはソースって決まってんだよ!」
「卵ご飯には醤油を掛けてるじゃないの。何でそんな矛盾しまくっている訳?」
「いいじゃねえか、そんなこたー」
「よくないわよ」
「冗談じゃねえっつうの」
「じゃあ、勝手にしたら? 私、帰るから」
「何でそうなるんだよ?」
膝蹴りカップルがクソミソの喧嘩をしだした。本当迷惑な客だな……。
新道貴子が不思議そうに見つめながら席を立つ。
「ご馳走さま。いくら? あなたも色々大変ね……」
僕の耳元で、貴子が小声で囁いてきた。その時、大きなボインが僕の肩口を軽くかする。もうおチンチンピンコ立ち。
「あ、ドラゴンだから千五百円です」
「あ、ねえねえ」
「何ですか?」
「タダにしてくれるならさ。『新道貴子ボインタッチポイントカード』の捺印押してあげるけど?」
「な、何個ですか……?」
「う~ん、今五つでしょ? じゃあ三つ押しちゃうよ」
「ほ、ほんとっすか?」
「嘘言ってもしょうがないでしょ。こういうのはその場のノリってあるから」
「じゃあ、自腹で千五百円埋めておきやす!」
「では、カード貸しなさい」
貴子が三つ捺印を押してくれた。これで残り二つ。あと二つでボインにタッチ……。
「今度、パパンのお見舞いに行った時、貴子さんに会ったらジュース奢るのでまた捺印いいですか?」
「うん、いいよー。あと二つだからもうちょっとだね」
「やったぁ~」
僕が大はしゃぎしていると、いつの間にか横に膝蹴り男が立っていた。
「何々…、そのカードに十個押してもらうと、このボインちゃんのおっぱい揉み放題なのか? すげーいいもん持ってるじゃねえかよ。よこせっ!」
「あっ!」
膝蹴り男が不意に僕の大事な『新道貴子ボインタッチポイントカード』を取り上げた。
「姉ちゃんもいい乳しやがってからに」
そう言って膝蹴り男は、貴子のボインをワシ掴みする。
「やだ~!」
嫌がる貴子。見ず知らずの男にそんな事をされれば当たり前か…。その瞬間、膝蹴り男はダッシュで店から逃げ出した。また食い逃げか? 僕は奴のいたテーブルを振り返る。
「あ、奴の彼女までいつの間にかいない!」
こうして僕はあの男に二回も食い逃げをやられ、おまけにカードまで取られてしまった。今度からあの男は出入禁止だ。まったくとんでもない奴である。
「私、捺印ちゃんと押したからね」
そう言いながら新道貴子も、当然のように金も払わず威風堂々と帰っていった。
第九章《同級生》
今日のメニューの仕込みをしている途中で、入口の扉が開く。僕は慌てて入口へ向かった。たまにこうして時間が分からず、早めに来てしまうお客さんもいる。
「お客さん、すみません。うち、昼からの営業なんですよ」
「おいおい、何を言っているのだね、君は……」
「え?」
僕はお客さんの顔をまじまじ見つめた。あれ、ひょっとして……。
「ランバラル!」
いつの間にか興奮して叫んでいた僕。目の前には、小学時代からの同級生である武田五郎こと、ランバラルが立っていた。何故、こんな仇名がついたかと言うと、クラスの女の子に向かって縄跳びでビシビシいつも引っ叩いていたからだ。その時、「ザクとは違うのだよ、ザクとは……」と、アニメのキャラクターの真似をしながら縄跳びで引っ叩いたもんだから、そのままそのキャラクターの名前が仇名になったのだ。
彼はクラスでも乱暴者として、女の子から非常に嫌われていた。彼の縄跳びのトラウマで、大きくなってSMに目覚めた子もいるかもしれないという噂も聞いた事がある。でも、不思議と僕には親切だったのだ。確か高校を卒業して、北海道の自衛隊へ行っていたはずだけど……。
「久しぶりだな、努」
「うん、久しぶり」
「ちょっと中へ入れてもらうぞ。コーラでもご馳走になろうかな」
そう言ってランバラルは、強引に店の中へ入っていく。
ちょうどママンが厨房で仕込みをしている時だったので、ランバラルはカウンター席に腰掛け声を掛けた。
「おばちゃん、久しぶりー」
一瞬だけランバラルを見ると、ママンは無視してキャベツの千切りを始めた。ママンは『おばちゃん』と呼ばれるのが大嫌いなのだ。
「ランバラル、駄目だよ。お姉さんって言わないと……」
僕がこっそり彼の耳元で囁く。
「相変わらずだな。努の母ちゃんはよ」
「早く言わないと、酷い目に遭わされるって」
「そ、そうだな…。努君のお姉さ~ん、いつ見ても若々しいですね」
ママンの包丁を持つ手が、ピタリと止まる。
「あら、誰かと思えば五郎じゃないの。あんた、北海道へ行ったんじゃなかったの?」
若いとか、お姉さんという言葉に弱いママン。
「ええ、そうなんですけど、今度地元の同窓会があるんで急遽帰ってきたんですよ」
「えー、僕、地元なのに全然聞いてないよ?」
「おまえは昔から、みんなの嫌われ者だったからだよ」
それはおまえだろうが…。こいつ、ランバラルだけには言われたくない台詞である……。
「五郎、コーラでも飲む?」
お姉さんと呼ばれたママンの機嫌はすごぶるいい。
「もういい加減下の名前で呼ぶのやめて下さいよ。恥ずかしいっすよ」
ランバラルは僕と同じ一人っ子だが、何故か五郎という名前だった。噂によると、ランバラルのお母さんが大の『野口五郎』ファンだったという意見もある。
「ランバラル、その同窓会っていつにやるの?」
「今週の日曜日だよ。どうせ努には声が掛かってないと思ったから、俺様がわざわざ伝えに来たんだよ。今日はおまえ、何時頃に仕事終わる?」
「ん~、夜の八時半ぐらいかな?」
「じゃあ、その頃また来るよ」
「分かった」
ママンの出したコーラを一気飲みすると、ランバラルは颯爽と消えていった。
今日のうちのメニューは、比較的まともだった。
『焼肉定食宮のたれ風味』。これはママンがよく外食に行く『ステーキ宮』のたれがスーパーに売っていたのを見つけ購入してきたらしい。その『宮のたれ』を使って作る焼肉定食。でも、これってただのパクリじゃないのか……。
『餃子とメンチカツセット(ライス付き)』。餃子六つとメンチカツが一緒になったお得感あるふれるセットらしいが、何故この組み合わせなのだろう。味噌汁は何故かなし……。
『コロッケ&ナポリタン、ライスは別』。これも何でこんな組合せなのか分からない。しかも何故これだけライスは別なんだろうか? まあ餃子とメンチカツよりは相性がいいだろう。でも若干一名が、匂いを嗅ぎつけてきそうで嫌だ。
「どう、今日の料理は?」
ママンは鼻の穴を膨らませながら興奮して胸を張る。
「どうって言われても……」
「庶民チックにあふれている心優しいエコロジーだと思わない?」
「う~ん、僕にはよく分からないよ。それよりお客さんでさ、メンチの代わりにコロッケほしいとか言われた場合、チェンジしちゃっていいんでしょ?」
「駄目よ、そんな反則は」
「え、反則って別にお客さんの好みに出来る限り沿ってあげたいなあと……」
ママンの目つきが険しくなる。
「あのね、あんたがそうやって客を甘やかそうとする方針だから、売上がいまいちなの。その辺お分かり?」
「そんな事ないじゃないかよ。だっていつもママンの作る料理、だいたい残るの二、三人前ぐらいじゃないか」
「お黙り、セニョリータ。現実にそれだけ余っているでしょ? 私がやれば仕込んだ分なんて、あっという間に足りなくなっちゃうわよ」
「こっちだって苦労をしてんだ。それをそんな簡単に言わないでくれよ」
僕だって必死に客へ対応して一人で頑張ってきているのだ。料理だけ作って、とっとと二階でくつろぐママンより頑張っている。
「簡単に言っちゃうわよ。だってママンが本気になれば、努なんて太刀打ちできやしないもの」
妙に今日のママンは挑発的だ。
「じゃあママンが今日は、一人でやってみればいいじゃないか?」
つい感情的になり出た台詞。
「ふ~ん、いいわよ。今日はママンのお手並みを見せてあげるわよ。努はパパンと一緒にやる時みたいに、ホールで水でも汲んでなさい」
「ああ、そうするよ。それで見せてもらうよ、ママンの腕前ってやつをね」
こうしてママンが厨房で料理、僕はホールでサービスという初の図式が完成した。
お昼十二時ピッタリにのれんを出そうと外へ出ると、僕は言葉を失った。いつもならパラパラとしか来ない客が、うちの前で列を作っている。
「まだよ、努。まだ開けちゃ駄目」
ママンが厨房から声を掛けてくる。僕は一旦店内へ戻るが、意味が分からない。
「何で?」
「こういうのはね。客の心理をもっと煽らないといけないの。今日のママンは本気モードだから、出し惜しみなしよ」
「だって外で待っているお客さん、みんなお腹減ってんでしょ? 早く開けないと可哀相じゃないか」
「相変わらずあんたはお馬鹿ね」
「お馬鹿って言うな! おをつけるともの凄い馬鹿みたいじゃないか」
「だってお馬鹿じゃないの。いい加減、私の言う事に従順になりなさい。言われた通りに動いていれば失敗しないんだから」
「じゃあどうしろって言うんだよ」
「努はとりあえず二階へ行って、あんたの好きなオナニーしてていいわ」
「『えー!』っていうか、何で僕がオナニーしなきゃいけないんだよ?」
「毎晩こそこそ日課のようにしているじゃないの」
「さ、最低だぞ、ママン!」
夫婦揃って息子のプライバシーを侵害しやがって……。
「細かい事言ってないで、さ、早く二階へ行きなさい」
「ちぇ……」
仕方なく僕は自分の部屋へ行く。それにしても何で今日に限ってあんなお客さんが外で行列をしているんだろう? 気になって窓から眺めてみる。
「うわっ」
思わず声が出てしまうぐらいの行列。うちの店からあの忌々しい因縁の店である『兄弟』まで列は続いていた。何十人いるんだ? うちは全部で十八席しかないから、こんな人数なんて捌けないぞ?
急にドアが開く。ママンが入口に立っていた。
「何をしてんの、努。さっさとオナニーしなさいよ。じゃないとお店開けないわよ」
「そんな無茶な」
「無茶じゃないの。これも私の計算上なんだから、あんたがオナニーしないと困るのよ」
言っている事がメチャクチャだ。息子にオナニーを強要する母親なんて、この壮大で広い世界でもママンぐらいだろう。
「もう、じゃあ向こう行ってよ」
「あらあら照れちゃって、まったく。はいはい、まったくしょうがないわね」
ママンが部屋から出ていくのを確認すると、僕は布団の上に横になった。誰がオナニーなんかするもんか。冗談じゃない。
特にやる事もなく横になっていると、自然と眠くなる。僕はそのまま目を閉じ寝てしまった。
ふと目を覚まし時計を見ると、二時半になっていた。
マズい……。
僕は慌てて階段を駆け下りる。お客さんを十二時から待たせたままなのだ。しかし下からは人のいる気配がない。
「あれ? ママン?」
「なーに?」
ママンは呑気にコーヒーを飲んでいた。しかもカップを持つ際、小指が立っている。
「何をしてんの? お客さん、ずっと外に待たせているじゃないかよ」
「だってあなた、まだオナニーしてないでしょ?」
「し、したよ…。だから早く開けようよ? お客さんが可哀相だよ」
しょうがなく僕は嘘をついた。
「そう、じゃあそろそろ開けましょうか」
良かった。ママンは僕の嘘に気付かないようだ。でもママンは何でこんなのんびりしているんだろう。急いで僕はのれんを外へ出しに行く。
「おせーよ、この小坊主!」
「十二時からじゃねえのか、おらっ」
「何を考えているんだ、クソガキ!」
ヤバい。みんな殺気立っている。腹が減ると、どうしても人間気が短くなるものだ。だから早く時間通りに店を開ければいいのに……。
「すみません、すみません……」
僕は平謝りしながら、のれんを出した。いつもなら十二時開店なのに、二時間半も待たせたのだ。そりゃあ誰だって怒るだろう。ん、待てよ……。
みんな二時間半も、うちの料理を食べる為に待っていたのか?
店を開けると、空腹のお客さんたちは雪崩のように店内へ入り込む。僕も慌てて戻ると、ママンが珍しくホールに出ていた。
「はーい、料理はすぐにできてますよー。みなさん、『焼肉定食宮のたれ風味』を注文する方はこちらの席へ、『餃子とメンチカツセット』の方はこちらへ、『コロッケ&ナポリタン』を頼む人はカウンターへ座ってちょうだい」
そう言うと、ママンはお尻を必要以上にプリプリと振り出した。お客さんたちの視線はママンのお尻に釘付けだ。
「うぉー、俺はコロッケとナポリタン!」
「俺は焼肉だぁー!」
「俺っちは餃子とメンチだぁ~!」
何故かお客さんのテンションが妙に高い。
「努、みなさんにお冷お出しして。それと各メニュー何個ずつかまとめといてね」
「う、うん……」
僕は人数分の水を汲み、各席へ配りだした。
只今五時半……。
嵐のような忙しさからようやく一息つける。恐るべしはママンである。二時半からたった三時間で、僕一人でやる一日分の売上を作ってしまったのだ。
「どう、努?」
「ま、まいりました……」
本当に自分で言った通りにしちゃうんだから、何も言えやしない。
「今日の余波は、多分明日にも影響するわ。努、明日は気合い入れるようよ?」
「ねえ、そういえばさ。何でママン、あんなにお客さんが集まったの?」
開店前のあの行列は異様だった。それだけじゃなく、次から次へとやってくるお客さんが不思議でしょうがない。
「ん、それはね。ママンが今日はお店をやりますって、外に貼り紙したからでしょ?」
「え、どこに?」
「店の壁に貼っておいたのよ」
「ちょっと見てくる」
いつの間にそんな貼り紙を貼ったんだ? だけど、それだけじゃあの店の混みようはいまいち納得がいかない。
「あ、努。もうこれ以上忙しくなりたくないし、見るついでに外の貼り紙剥がしといて」
「分かった」
外へ出ると、本当に貼り紙が貼ってある。『本日はママンがお店に出ます』としか書いていない。それであの行列? ありえないだろ……。
僕は貼り紙を剥がして店へ戻った。
「今日は疲れちゃったから、お店もう閉めちゃおうか?」
「え、でも常連さんに悪くない?」
「いいのいいの。このミス上智だった私がそう決めるんだから、誰にも文句言わせないわ」
「え、ママンって上智大学出ていたの?」
「そうよ。別にこの物語を書いている岩上智一郎の名前から取った訳じゃないのよ?」
「別に誰もそんな事聞いてないよ」
「さあさあ、もう親子のお話はおしまい。私は疲れたから上に行って横になるわ」
確かに三時間で百人以上の料理を一気に捌いたのだ。疲労はかなりのもんだろう。僕はのれんをしまい、店の後片づけを始めた。僕だけじゃ、『目玉焼きセット』しか作れないんだから、今日はもうおしまいだ。
思ったより早めに店を閉められたので暇を持て余す。今日仕事終わったら、同級生のランバラルと会う約束をしていたし、少し早いけど僕は彼に連絡をしてみた。
嫌われ者のランバラルは、地元へ久しぶりに帰ってきたというのに遊んでくれる友達がいなかったらしく、家でガーガー寝ていたそうだ。
「せっかく帰ってきたんだから、他の同級生とも会えばいいのに」
「何か知らないけどさ、俺が電話しても『いない』って親が言うんだよ。居留守使ってんじゃねえかなと思ってさ」
「う~ん」
絶対に居留守だろうと言いたかったが、あえて言うのはやめておく。
「俺様がわざわざ電話してやったというのにな」
ランバラルは自分を特別扱いする自分大好き人間である。
「縄跳びで叩かれたのをきっと未だ根に持っているんだよ」
「今はさすがにやる訳ないだろ。まあいい、これから努、うちまで車で迎えに来てよ。もう仕事終わったんでしょ?」
「うん、じゃあ準備してそっちへ向かうよ」
僕はママンに車を借り、ランバラルの家へ向かった。小学時代の同級生なので、歩いて十分の距離だからすぐに到着する。
ランバラルは助手席に飛び乗り、元気よく「出発進行!!」と大声を出した。
街中をドライブしていると、夕方なので仕事帰りのOLがいっぱい歩いている。ランバラルは、食い入るようにOLを眺めブツブツ独り言を言っている。
「あれはドムだ。あれも中ドムだ……」
「ねえ、何? ドムって?」
「ああ、ブスって意味合いだ。正直に言うと傷つくだろ? だから俺様はあえて中ドムとかドムって言い方をして気遣っているんだよ」
「……」
何て勝手な言い草だろう。僕は黙って聞くだけにしておいた。
「今週の同窓会、楽しみだな」
「何時からだっけ?」
「夕方六時から。場所は『月の石』ってスナック」
「えー!」
僕はビックリして大声を出してしまう。『月の石』といえば、あのパイナポーのいる店じゃないか。先日うちの定食屋へ来て僕に告白して以来会っていない。あの時は店内にいたお客さんが一緒に引き剥がしてくれたから助かったけど、あの物の怪のいる店に今度は自分から行くというのか? できれば顔を合わせたくなかったのに……。
「何でもさ、『生徒会長』っていたろ? あいつがあの店の子にハマっているらしくてよ。しかもあいつが幹事だからな」
「で、でもさ、女の子は入りづらいんじゃないかな?」
「何か知らんけど、『豆タン子』しか女は来ないらしいぞ」
「えー、何か嫌だなあ~」
中学の卒業式の時、僕に「好きです」と告白してきた女の子だった。タイプじゃなかったのでさり気なく断ると、「好きッちゃあ~」と強引に抱きつかれ、僕は全治一ヶ月の大怪我をしたのだ。豆タン子というあだ名は伊達じゃない。恐るべき怪力のチビ女。抱き疲れた拍子に全身の骨がきしみ、下手したら複雑骨折でこの世にはいなかったかもしれないのだ。
あの時、ランバラルが近くにいて「ザクとは違うのだよ、ザクとは……」と、縄跳びでバシバシと豆タン子を引っ叩いて止めてくれたからこそ、全治一ヶ月で済んだのである。
「まあ、豆タン子がまだおまえの事を忘れていないようなら、俺がこの鞭でまた引っ叩いて止めてやるよ」
そう言いながらランバラルは腰に差してあった縄跳びを目の前に出し、ニヤリとした。十八歳にもなって常に縄跳びを持ち歩く男ランバラル。恐るべしだ。
行く目的地もなく適当にドライブをしていると、ランバラルが大きな声をあげた。
「ん、どうしたの?」
「ほら、努。あそこ見てみろよ」
彼の指差す方向を見ると、自転車に乗った一人の男の姿が見える。
「あれ、あれって……」
僕たちの同級生、桶屋のジュンだった。十八歳にもなって、未だ補助付き自転車に乗る男である。
キコキコと一生懸命に自転車を漕いでいるが、補充つきなのでそんなスピードは出ていない。通り過ぎる人々は、そんな彼を振り返り吹き出している。それを本人はまったく気付かないぐらい真剣に漕いでいた。
「ちょっと停めてくれ」
車を停めると、ランバラルは素早い動きで降りた。何をするつもりなんだろう?
「ギャハハハ、桶屋のジュン。久しぶりだな~」
そう叫びながら腰の縄跳びを抜き、振り回りしながらジュンに近づくランバラル。焦った桶屋のジュンは、慌ててユーターンをしようとしたが自転車ごと倒れてしまった。
「おまえ、まだ満足に自転車も乗れないのかー」
ランバラルは倒れた状態の桶屋のジュンへ、容赦なく縄跳びを浴びせる。縄跳びを鞭代わりに打たれているのだから、彼にとって堪らないだろう。
「ワハハ、ザクとは違うのだよ、ザクとは! ギャハハハッ」
昔からこのような理不尽な光景を目の当たりにしているが、何故僕には絶対に攻撃しないのだろう。その部分はいくら考えても分からなかった。
以前ランバラルにその事を聞いた事がある。彼は答えない代わりに寂しそうな笑みを浮かべただけだった。
「やめてやめてっ!」
ジュンの悲痛な叫び声が聞こえる。一分ほど彼を引っ叩いてランバラルは飽きたのか、僕の車へ戻ってきた。
「ちょっと酷くない?」
「いいんだよ、あいつはあれで」
昔からこの図式は変わらない。いつもおどおどしていたジュンは、ランバラルにとって絶好の苛め相手だったのだ。多分これで、桶屋のジュンは今週の同窓会へ来ない事は確定だろう。
車を発進させながら、僕はバックミラーで道路に横たわるジュンを見た。哀れに感じ介抱へ向かいたがったが、今はランバラルを彼から引き離すほうが先決である。
しばらく車を流していると、ランバラルが口を開く。
「なあ、努さ。お願いがあるんだけど」
嫌な予感がした……。
「な、何だい?」
たまには車の運転をしたいとランバラルが言ってきた。免許を取ってほとんどペーパードライバーの彼に家の車を運転させるのは正直嫌だ。
「これ、僕の車じゃないからさ」
「ちょっとだけ俺様に運転させろよ」
出た。ランバラルのわがまま。この男、こうなると自分の思い通りにしないと気が済まなくなるのだ。
「だって事故ったりしたらどうするの?」
「ん、保険入ってんだろ?」
別にこいつの為に、うちは車両保険に入って入る訳じゃないのに……。
「……」
いつもランバラルはこうマイペースだから、みんなに嫌われるんだ。多分、今回の同窓会で女子が豆タン子一人しか来ないのも、ランバラルが出席するから来ないのだろう。そういう僕は、何でこんな男とプライベートを一緒にいる?
「頼むよー、努。でも、駄目なら駄目でいいよ」
あれ、案外簡単に引き下がったな。
「うん、ごめんね。うちの車だからさ…、あっ!」
狭い車内の中、ランバラルは腰から縄跳びを取り出し、僕に向かって構えだした。
「分かった。分かったから! 運転変わるよ、ね?」
「初めからそう素直になればいいものを…。ほれ、さっさと停めろ」
仕方なく僕は車を停止させる。こいつは昔からこうだから、みんなに嫌われるんだ。ランバラルは上機嫌で運転席へ座ると、アクセルをベタ踏みして急発進させた。
「お、おい、ランバラルってば……」
すごいスピードで車を運転させるランバラル。
「グフフ…、ザクとは違うのだよ、ザクとは……」
ヤバい。この男の目はすでにいっている。
「うちの車はザクとは関係ないって! スピード違反で捕まっちゃうよ~!」
「グフフ……」
よく車に乗ると人が変わる人間がいるが、ランバラルの場合、元がヤバいのにさらに人が変わったようにヤバさが増している。
「あーっ! 前々、信号赤だってばぁ~!」
このままじゃぶつかる。ぶつかってしまう……。
「むぅ、ニュータイプか?」
慌てて急ブレーキをするランバラル。それでもなかなか車は止まらない。
ドカンッ!
派手な音を立て、僕たちは前で信号待ちをしていた車へ突っ込んだ。
あ~、言わんこっちゃない……。
幸い急ブレーキでほとんど勢いのなくなったところだったので、ぶつかっても大した衝撃はなかった。でもどう見てもこちらが悪い事故である。帰ったらママンに何て言い訳をしたらいいんだ……。
ランバラルはすぐ車から飛び出し、ぶつけた車のほうへ向かう。
何やら運転手と窓口で話をしているようだが……。
「おら、何でキサマ、俺様が走っているのに止まってやがるんだ?」
げ、何てムチャクチャな台詞を吐くんだ……。
「だ、だって信号赤じゃないですか?」
「あー? 何を言い訳こいてんじゃ、おら」
「ひ、ひぃ~」
胸倉を掴みながら運転手を引きずり出すランバラル。マズい、これじゃ別の罪も重なってしまう。僕も慌てて車から降り、彼を止めに行った。
「や、やめなよ、ランバラル!」
「どけ、努! こいつはな、俺様が走っているのに邪魔をするような奴だ。情けなどいらんのだよ」
「何を言ってんだよ? やめなって」
被害者側の運転手は、今にも泣き出しそうな表情だった。後部座席には小さな女の子が心配そうに父親を見つめている。胸の辺りに『田中』という名札がついていた。
「何でとっとと走らんのかい!」
「やめなって、ランバラル!」
その時後ろの席で座る女の子が、わざわざ外へ出てきて大声で言葉を発した。
「おとーたん、怖い。おしっこ漏れちゃう。おしっこ漏れちゃう」
娘はそう言いながら、両手で股間を押さえながら足をバタバタしている。
「ひ、ひぃ~」
このオヤジも自分の娘が怖がって怯えているのに、何が「ひぃ~」なんだ? もっとしっかりしろと言いたい。まあ全面的に悪いのはこちらだ。
結局僕は間に入り、ひたする平謝りした。被害者である相手の『田中親子』の連絡先を聞き、ランバラルがいると話にならないので、後日連絡をする事になった。
問題はうちに帰って、ママンへ何て説明すればいいかだ。普段あまり怒る事のないママンだが、べっこりへこんだ車を見て何て言うか……。
「ランバラルも一緒に、うちのママンに謝っておくれよ?」
「ああ、自分のしでかした事だからな。敵に背を見せるような真似はせんよ」
「別にママンは敵じゃないから」
自分で事故を起こしておいて、えばった口調のランバラル。まあこんな男に運転を任せた僕にも責任はある。
家に到着し、入口のドアを開けると、ママンが珍しくカウンター席に座って新聞を読んでいた。
「あ、ママン、ただいま……」
「あら、おかえりなさい。ん、五郎も一緒なんだ」
僕とランバラルはママンの目の前まで来て、潔く深々と頭を下げ事情を話した。ママンは真剣な眼差しで僕の話を聞いてくれる。
「…って事は、五郎がカマを掘ったという事ね?」
「は、はい…。そうです。ごめんなさい」
さすがのランバラルも、うちのママンには頭が何故か上がらないらしい。神妙な顔つきで謝るだけだった。
「両手を指の先までピンと伸ばしなさい」
ママンはゆっくり立ち上がりながら、静かに口を開いた。
「は、はい……」
「ごめんで済んだら、警察なんかいらないんだよ?」
「はい、分かってます」
どうやら事の責任はランバラルにあると分かり、照準を彼に絞ったようだ。
「歯を食い縛りなさい」
「は、はい……」
「ちょいさーっ!」
「うぎゃっ!」
掛け声と共に華麗なるママンの飛び回し蹴りが、ランバラルの顔にヒットした。溜まらず倒れた彼の胸倉をつかむと、「ちゃんと修理代は自分で弁償するんだぞ?」と低い声で言った。
「はい、分かりました。すみません……」
「バックレたら、私が五郎を地の果てまで追い駆けて酷い目に遭わせるからね。あんたが中学の頃、私の干してあったパンティーを盗んだ時の事を思い出してごらん。あの時よりも酷い事するわよ?」
「はい、分かっています…。バックレたりなんて絶対にしません……」
何故あれだけ理不尽なランバラルが、昔から僕を苛めなかったのかが少しだけ分かった気がした。
こうして彼はうちの店で誓約書を書かされ、十八にして借金生活に突入する事となった。
第十章《初恋の人》
とうとうあの理不尽で女癖の悪い先輩、ムッシュー石川が退院してきた。彼は性質の悪い場末の飲み屋『兄弟』の女将とできている男でもある。女将は五十を過ぎているというのに……。
僕が食堂を一人できりもみしている時に、ムッシュー石川は突然やってきた。
「は~い、ワテもようやく退院したわ。おぬし、快気祝いでただ飯食わせろや」
「はあ? 何をいきなり無茶言ってんですか」
以前スナック『月の石』で飲んだツケはちゃんと回収したが、この男と付き合うとろくな目に遭わないのは実証済みである。
「シャーも冷たくなったもんだなあ」
「何ですか、シャーって?」
「タガログ語であなたという意味じゃ」
「タガログ語なんて、いつの間に覚えたんですか?」
「入院中、時たま抜け出してフィリピンクラブ行ってのう。そん時教えてもらったんだわ」
「病院を抜け出したんですか? 駄目じゃないですか」
「ええの、ええの。細かい事なんて置いといて。もう退院したんだからね。アチキは過去を振り返らぬ男なんぞよ。そんな事よりも、はよワシに何か食わせやがれってんだ」
何を急にエバっているのだ。
「無理ですよ。売上の管理はママンがしてますから誤魔化せないんです」
「はん、お高くとまりくさってからに」
「そういう問題じゃ……」
「何や、ボケナスがぁ~! この店で暴れるど?」
面倒臭い男だ。相手にしていると図に乗るだけ。僕は無視をしながら料理を作り、他の客へ愛敬を振り撒く。
「お客さま、お待たせしました。『私、営業の田中です、パスタ』です」
この恥ずかしい料理名はもちろんママンが考えた。いや考えたというよりも、適当にその場の思いつきでつけたネーミングだろう。一見普通のミートソースだが、何故このようなネーミングになるのか意味不明である。
他の二品料理は『ウルトラマンを倒したゼットンの好んだコロッケ』と『コオロギも食べたがったオムライス』だ。ウルトラマンとかコオロギとかまったく関係ないのになあ。実際に客の対応するのは僕なのだから、ママンも少しは真面目に考えてほしいものである。
僕に無視をされたムッシュー石川は、一人でイジケながら爪楊枝を持ち、自分の指先をチクチクと刺していた。その姿を見て哀愁を感じた僕は、氷入りの水道水を出しながら声を掛けてしまう。
「ムッシューさん、あと一時間ぐらいでお店終わりますから、一緒にゲーセンでも行きますか? 何なら快気祝いで牛でもしばきに行きますか?」
「何でめでたき日に、牛飯なんぞ喰わにゃあかんのよ?」
「え?」
「もっとええとこ連れてけや!」
こいつ、とんでもねえ男だ。人の好意を舐めやがって……。
「無理ですよ。今週の日曜日に同窓会があるんですから。僕は無駄遣いできないんです」
「ああ、夕方六時に『月の石』でやろ?」
「え、何でムッシューさんがそんな事知っているんですか?」
「ああ、ワイの弟が教えてくれたんやで」
「え、ムッシューさんに弟なんていましたっけ? 一人っ子じゃ……」
その時僕は忌々しい過去を思い出していた。僕の同級生の悪友である武田五郎。そしてこのおぞましい先輩であるムッシュー石川。この二人はいい師弟コンビだったのだ。
彼らは中学時代『蝿さえたからない者たち』と呼ばれていた。
本人たちは馬鹿だから何故かその呼び名を喜んでいたが、本当の意味は蝿さえとまる価値がない、野グソ以下の存在というものだった。
先日までランバラルは北海道の自衛隊へ行っていたから、この街も少しは平和だったのである。しかし神の悪戯かランバラルは帰郷。そして同時期にムッシュー石川まで退院というとんでもない状況が訪れたのだ。
「ランバラルはほんまええ奴や。どこかの定食屋の小坊主と違ってな」
「ずいぶんな言い方ですね」
「おい、火は? 火ー、チャッチャとつけんかいっ!」
いつの間にかムッシューはタバコを口にくわえ、僕に火をつける事を強要している。この男、人の店に来て注文もせずに何様のつもりだ……。
「……」
他の客がこちらを見ていたので仕方なく黙って火をつける。ムッシュー石川は鼻から大量の煙を吐き出し、ニマッと笑った。もの凄い屈辱感が全身を覆う。
「火と来たら?」
「はあ?」
「火と来たら、次は水やろうが! チャッチャと持ってこいや。この店は客に水すら出さへんのかいな。もうワイのグラスは空やで」
「い…、今出しますよ……」
この男、一体その自信はどこから来ているのだ? 次からは出入禁止にしないと駄目だな、こいつ。
「そんでのう、おまえらの同窓会。ワイも参加決定したで」
「え…、だって同窓会って僕らの学年だけのものじゃ……」
「堅い事抜かしなさんな、ボーイ」
「だってムッシューさんは学年違うじゃないですか!」
「ムフフ、来るのよ、あの子が……」
「あの子って?」
「おい、兄ちゃん。『ウルトラマンを倒したゼットンの好んだコロッケ』はまだかよ?」
いけない。今は仕事に集中しなきゃ。
「はい、今すぐお持ちします」
僕は小汚い定食屋の中をところ狭しと動き回った。
ランバラル曰く同窓会には豆タン子しか女は来ないと言っていたが、先ほどムッシュー石川の言った台詞「ムフフ、来るのよ、あの子が……」。とても気になる。
先輩のムッシューは何も注文しないのに、水だけを何度もお代わりし、酔ったふりをしていた。本当にウザい男だ。
一日の仕事が無事終わり、店内を片付ける。
ママンが作った料理は適当に見えるけど、いつも計算したようにキッチリなくなるのが本当に不思議だ。
さて今日の売上を計算しておしまいだけど……。
「ムッシューさん…、いつまでうちにいるつもりですか……」
「いい寝かせ方をしておるのう、ヒック」
「あの~…、水しかあなたは飲んでないじゃないですか。いい加減酔ったふりをして居座るのやめてもらえませんか? もう閉店の時間なんですよ」
「おぉ、努リン。あならは分身の術でも使ってるのですかいなあ。三分身の術を使って、ワイを騙そうたって、そうは問屋が卸しませんよ」
「……」
早く帰れよ、このゴミめ。そうだ、追い払う前に、あの子とは誰の事ぐらい聞いておくか。どうせ今日でうちの敷居を跨ぐのも最後だし。
「おぉっ! 四分身。おぬし、いつの間に腕を上げよったのだ」
「ムッシューさん、そんな事よりも、同窓会に来るあの子って誰ですか?」
「あの子って決まっとるがな。我が学園の絶望のマドンナや」
「絶望のマドンナ…。ひょっとして、それは……」
「そうや、みゆきはんや」
「えっ!」
ハンマーで頭を殴られたようなショックを受ける。僕らの学年、いや、在学生歴代で最も美しくエレガントと言われたみゆきちゃん。僕の初恋の人だった。
「あのあだちみつるの『みゆき』ってあるやろ?」
「ええ、『みゆき、セプテンバーラァーラァー』ってやつですよね?」
「いや、それは違うやろ」
「そうでしたっけ」
「小学館の漫画でも、実写で映画にもなったあの『みゆき』や」
「ええ、知ってます。知ってますとも」
「あの作者のあだちみつるもな、みゆきはんを偶然町で見かけて漫画にしようと思ったらしいで」
「本当っすか? すげー」
「いや、それは嘘やけどな」
「くっ……」
じゃあここまで無駄に引っ張るんじゃねえよ、クズ野郎が。
「みゆきはんが来るからワイも出る。これは人としての常識である」
「だってムッシューさんは学年違うから、来ちゃ駄目ですよ」
「何やて、おはん? 何故ワイが行っちゃあかんのかい! 具体的に言ってみいや」
「具体的にも何も、学年が違うから出席するのは無理だって言っただけですよ。同窓会って同じ学年同士の者がやるものですから」
「いいんや、そんなちっちゃい事はのう。おぬし、チンポコちっちゃいのう」
「全然話題と関係ないじゃないですか!」
「まあ、そう怒るな。確かにワイは努やランバラルとは違う学年や。でもな、それならそれで方法はあるんやで」
「方法? どんな?」
どうせロクなもんじゃないだろう。
「ワイが留年すればええんや!」
「留年って、もうとっくに僕らは中学を卒業しているじゃないですか」
「ええんや、そんなもん。これからはダブリのムッシューと呼びなはれ」
「……」
「はよ、牛しばきに行くで。もうこっちゃ腹ペコペコなんや」
信じられない奴だ。この男、ずっとその為に粘っていたのか……。
「まだ店の計算があるから、先に行ってて下さいよ。好きなもの注文してていいですから」
「だって券売機やから、前金やないか。先に金だけくれや」
「はあ……」
しょうがなく僕は五百円玉を一枚渡した。
「おいおい、何や、これ?」
「五百円玉ですけど?」
「これじゃ好きなもん喰えん」
「だって大盛りや得盛り喰えますよ?」
「ちゃうねん。せっかく退院したんや。牛焼肉定食や、ハンバーグ定食とか二つぐらい喰いたいねん」
「ほら、これで文句ないでしょ」
仕方なく千円札を一枚握らせた。
「おう、サンキュー。ビバ、努しゃん! 食べ終わったらまた帰ってくるから、あそこの飲み屋でも行こうや」
「あそこって?」
「れっこはんのいるところやで~」
「はあ……」
これ以上相手にしていても時間の無駄だ。僕は適当に生返事をして、ムッシュー石川を追い払った。
今日の売上でもらった僕の給料は何と三万円。これ、結構ヤバいでしょ。毎日こんな感じで稼いじゃったら、一ヶ月で九十万。年収にしたら、一千万プレイヤーだ。
まあ、あの哀れなムッシューにでもこうなったら酒の一杯でも綺羅か振舞ってやるか。
人生勝ち組と負け組みがあるが、勝ち組というスターダムにのし上がった僕は、道の端っこを歩く敗け犬にも情けは忘れたくない。
でもあとちょっとで、あの絶望のマドンナみゆきちゃんに会えるのか……。
中学生の時初めて見た瞬間、全身に電撃が走った美しさ。誰にでも分け隔てなく笑顔で接する彼女は、常に女子生徒から嫉妬の対象だった。みんなに優しいだけなのに、本当に美人だから『八方美人』なんて言い触らしていたけど、本当にみゆきちゃんは美人だったから、他の女共なんてしょせん、負け犬の遠吠えぐらいにしか聞こえなかったよなあ。
同窓会、あまり興味がなかったけど、彼女が出席するのなら話は別だ。気が重いのが、あの豆タン子も来るというぐらい……。
待てよ? それならあの男をうまく利用すればいいじゃないか。『兄弟』の女将とも付き合っちゃうぐらいのゲテモノ好き。奴ならきっと豆タン子さえも大丈夫だろう。
あとの問題は、場所が『月の石』だから、あそこのママのパイナポーだよな。あんなババーに「好きなの」なんて言われたって、冗談じゃない。あれもムッシューにうまく押し付ければいいか。
ただランバラルとムッシューの『蝿にもたかられない者たち』が復活したら、嫌だなあ。久しぶりのみゆきちゃんと再会に、肥溜めをぶっ掛けられるようなもんだ。
そういえばムッシューの奴。僕から五百円と千円札を持っていったけど、あいつの事だ。並を頼んであとはポッケにお釣りを入れる可能性もある。今後は気をつけないと。
奴の快気祝いとしてなんだから、まあ今日ぐらいだ。
定食屋のドアが勢いよく開く。
「只今、石川ダブリー、食事より戻ってまいりました」
「……」
何か嫌だなあ。テンションが猛烈に高いぞ、この馬鹿。
「さあ、ド軍曹。次はいかがいたしましょう」
「何ですか、そのド軍曹って?」
「努を音読みで読むと『ド』。今日は酒までご馳走してくれるから『軍曹』。それでド軍曹やで」
「嫌ですよ、そんな言われ方なんて」
「まあ、細かい事はええ。今日はお客はんたくさん入っとったのう。たんまり銭っ子もらえたんやろうが。行くで、行くで、行くで!」
こうして僕は、強引に引っ張られる形で『スナック 月の石』まで行く事になった。
そういえば退院したばかりなのに、自分の女がやっている『兄弟』の女将のところへ顔を出さなくてもいいのだろうか?
「ムッシューさん、『兄弟』には顔を出さないんですか?」
「大丈夫マイフレンド。あのバシタは完全にワイに惚れてるさかい。あとでしこたまギャフンギャフン言わせたるわいな」
本当にこいつ、お下劣な野郎だな……。
「それよりムッシューさん。あの店でれっこさんに襲い掛かったら、僕は言いつけますからね、『兄弟』の女将に」
「分かっとるがな。今日はあんさんが大蔵省でっからのう。ワイは終始オマケみたいなもんでっせ、ド軍曹」
「……」
どうでもいい会話をしながら僕らは『月の石』まで到着する。
ドアを開けると店内には常連客のチョーさん一人しかいない。相変わらず暇な店だ。店サイドはパイナポーを始めとして、人妻れっこに看護婦の新道貴子。
「ん?」
店の隅に黒いピアノが置いてあり、一人の男が演奏しているぞ? いつの間にこんな洒落た店になっていたんだ? あれ、どこかで見た事あるような……。
「いらっしゃい、ダーリン」
僕にもたれ掛ってくるママのパイナポー。慌てて僕は引き離す。油断も隙もあったもんじゃない。
「ひゅー、ひゅー、お暑いね、お二人さん」
れっこが意地悪そうに大笑いしながらひやかす。
「勘弁して下さいよ、れっこさん……」
頬に痛みが走る。気がつけばれっこに叩かれていた。本当に手の早い女だ。一応僕は客なんだけどな。
「ここでは麗華って呼べと言ったでしょ!」
「ご、ごめんなさい……」
「そうそう、新しいピアニストがうちに入ったのよ」
新道貴子がピアニストを紹介する。迫力のあるボインは健在だ。
「はあ」
「紹介するわ。ピアニストの神威龍一さんよ」
ピアニストは礼儀正しく立ち上がり、軽く会釈をしている。あ、思い出した。パパンが入院し、あの小汚い定食屋を僕が一人できりもみした初日にいた男だ。ゴッホというゴリラ顔の男と一緒に来たっけ。だいたいあんなデカい図体してピアノなんて弾けるのか?
「あんたたち、何を飲むんだい?」
「わぁっ! や、やまて下さいよっ!」
ポイナポーは僕の耳元に息をフッと掛けながら言ってくるので、全身に鳥肌が立ってしまう。
「そうやな…、ヘネシーでも入れとくかいなあ」
「ム、ムッシューさん! 冗談じゃないっすよ。あんた、金なんて一銭も持ってないじゃないですかっ! ヘネシーがいくらするか知ってんですか?」
「おいおい、世知辛い事を抜かすな、田吾作! 夜の遊びは、男がいくら格好つけるかってところに真価が問われるんだぜ、ベイビー」
「もう…、冗談じゃないっすよ!」
「ちょっと静かにおし! これから神威ちゃんの優雅な演奏タイムなんだよ。おまえらみたいなデクノボウでも感動を覚えるような素敵な演奏なんだ。いいから席に座ってな」
パイナポーが怒鳴りつける。この女も抱きついてきたり、息を耳に吹き掛けたり、怒鳴ったり、一体客を何だと思ってんだ。
神威がマイクを握る。
「えー、この度は『スナック 月の石』までお越し下さりありがとうございます。本日演奏する曲は二曲…。『ザナルカンド』とドビュッシー作曲の『月の光』。これをお送りしたいと思います」
静まり返る店内。一瞬真っ暗になり、ピアノのあるステージだけにスポットライトが当たる。
神威はゆっくりと目を閉じ、ひと呼吸してから指を動かした。彼の奏でるメロディは、音楽など分からない僕の心の中にも染み渡ってくる。なるほど、何故こんな店でもピアノを入れようと思ったのか。僕はそれが少しだけ分かるような気がした。
ゆったりスローに流れるリズム。れっこは涙ぐみながら彼を眺めている。
「ん?」
急に音程が外れたような……。
神威は演奏をやめ、ガタガタ震えていた。
「ちょっと神威さん、どうしたの?」
新道貴子が近づく。
「デュークが…、デュークが力を貸してくれない……」
「何よ、そのデュークって?」
「お、俺の前世だ…。彼は無名だが凄腕のピアニストだった。ずっと世に出たいって、いつもそう願いながら屋根裏部屋で毎日ピアノを弾いていたんだ」
「ちょっと神威さん、落ち着いて」
「デュークはあの時『力を貸しましょう』って言ってくれた。あの時俺は、体が急に温かくなったんだ。でも、今は何も聞こえない……」
何かとんでもない自体になっていないか? パイナポーやれっこまで、ステージに駆け寄る。客のチョーさんはいびきをかいて爆睡していた。
「どうしちゃったの?」
「分からない……」
「神威さん! しっかりして」
「分からない……」
「神威さんってば!」
「分からない、分からない、分からない……」
「いいから落ち着きなさい。大丈夫だから落ち着いて!」
「何故、秋奈は発表会に来なかった? 何故……」
何か危ない奴だな、あいつ……。
「神威さん、もう今日は上がっていいから落ち着いて」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ秋奈ーっ!」
何だ、あいつ……。
すげー怖い……。
僕の横にいたムッシューが立ち上がった。
「せ、先輩……」
「努よ、ワイに任せとけや」
そう言ったムッシュー石川の顔は妙に頼もしく見えた。
何故か僕の目の前でラジオ体操第二を始めたムッシュー。
「あ、あのー…、先輩…。何をしてんですか?」
「話し掛けるな。今、精神を集中しとるんや……」
「だって……」
「まさかこんな場所で再び再会するとは運命の悪戯だのう」
ムッシューは遠い目をしながら、ピョンピョン飛び跳ねていた。
「先輩」
「奴とは同じ高校だった…。『怪獣』と呼ばれたあの男がピアノを弾いているなんて、全然ピンとこんかったわ」
「え、あの人と同級生なんですか?」
「ああ…、当時若かった俺は、あいつに『目障りだ』という理由でぶっ飛ばされた過去がある。奴はそんな理由で簡単に人を殴れる男だったのさ」
「……」
でも、それってただ単にあなたが苛めに遭っていただけじゃないのかな。
「永かった…。ここに来るまで…。しかし、昔と今は違う。ワイも成長したんや」
何か今日のムッシューは一味違うぞ?
悠然とステージへ向かって歩くムッシュー。その後姿は妙に格好良く見えた。
「神威…。ワイを覚えているか?」
取り乱す神威のそばへ近づいた時だった。
「知るか、ボケッ!」
あっという間にパンチを食らい、ムッシューは弾き飛ばされる。
「……」
え、あれだけ格好つけて、もう終わり?
「痛い痛い痛ーいっ!」
メガネも割れ、頬もお化けのようになったムッシューは、顔面を両手で押さえながら床を転げ回っていた。
ここにいたらヤバい……。
そう感じた僕は、そっと忍び足で『月の石』を逃げ出した。まだ何も飲んでいないのだ。金など払う必要はない。
ムッシューに神威。あの二人がうちに食べに来る事あれば、すぐ出入禁止だと入れないようにしないと……。
今週の日曜日、あの店で同窓会だけど、神威って奴、また演奏で来るのかな?
「はあ~……」
みゆきちゃんとの再会する楽しみがどんどん壊れていくような気がした。
第十一章 《同窓会》
とうとう待望の日曜日がやってきた。僕はママンにお願いして、少し早めに定食屋を閉める許可をもらう。
ムッシュー石川も楽しみにしていたが、『月の石』の変なピアニストの神威龍一に挑み、一発でのされ、また入院生活を送っている。高校時代にもやられ、社会人になってからも同じようにやられた。本当にあれは馬鹿だ。ああいうのを人生の負け犬と言うのだろう。
まああんな変態が来ないほうが、いい方向に物事も向くというものだ。
今日は日曜のせいか、客入りが多い。忙しくて猫の手も借りたいぐらいだが、見返りはある。若干十八歳にして勝ち組の階段を上がる僕は、またパパンの様子を伺い、挑発して入院を伸ばす事も忘れちゃいけない。
ムッシューが入院してから二日経つ。僕の財布は七万二千円のお金が入っている。
今日でうまくいけば十万円の大台に乗るだろう。
こんな大金持ちになった僕を見て、みゆきちゃんはすごいって思うはず。思わず淫らな想像をしてしまうなあ、デヘヘ……。
二十歳前にして世界一綺麗な嫁さんをもらうのも悪くない。
僕のママンは確かに美人だ。お尻をプリプリ振ると、小汚いオヤジ共はみんな、目をむき出し身を乗り出しながら凝視してしまうぐらいだ。
でも、みゆきちゃんの美しさに比べたら、ママンもその辺のカナブンと変わりはない。中学の時であの美しさだ。あの子、今頃どのぐらい可愛くなっているのだろうか。
よし、まだまだ頑張るぞ!
本日のお献立は『巌流島で戦った宮本武蔵も愛したおむすび たくあん付き』。どの辺が愛しているのかまるで分からないが、ママンは巌流島まで行き、海水から塩を取ってきたと嘯く。おむすび三つとたくあん三つ、そして『あさげ』というインスタント味噌汁という手抜きのセットだ。これで九百円はちょっと高いと思うけど、何故かよく出る。
そして『スペシャル定食』。これはママンが食材で余ったものをフライや天ぷらにして色々作ったものを三つお客さんに選ばせる定食である。様々な種類あるけどよく見ると、ご飯に塩を掛けてそのままフライにしたものとか、メチャクチャなものまであった。それでも味付けがいいのか、今のところお客さんから苦情はない。味噌汁は『あさげ』でなく『ひるげ』じゃなきゃいけないらしい。ママンもこだわっているのか、手抜きなのかハッキリしてほしいものだ。しかし、これで四百円は安い。
最後に『ノアの箱舟に乗った人々が食べたがったもの』。もう料理名だけじゃ、誰も分からないだろう。いや、これだけは僕だってどんな料理かすら分からない。ママンがあらかじめ仕込んでおいた料理をアルミホイルで全部包み、注文が入ったらオーブンで十五分焼き上げるだけ。「お客さんがこのアルミホイルを開ける権利があるのだから、もしおまえさんが客に出す前に中身を見たらクビだよ」と意味不明な台詞を言っていた。だから全然分からないのである。気になるお値段は何と二千百円……。
不思議とそれでもお客さんは注文をする。アルミホイルを見た客は、「おぉっ!」と驚きの声を上げながら何故か手づかみで食べ、誰にも見せようとしない。どんな料理かまるで分からないが、食べ終わったあとお客の口の周りがナポリタンを食べたあとのようなケチャップだらけになっているという点が特徴である。
「ちょっといい匂いがするじゃあーりませんか」
「ゲッ、パイナポー……」
このクソ忙しいのに厄介な客が来たもんだ。大方『ノアの箱舟に乗った人々が食べたがったもの』のケチャップの匂いに釣られて来たのだろう。
「おい、お兄さん、早くおあいそしてよ」
無愛想な三十代前後の男が、不機嫌そうにレジの前で待っている。こいつ、余裕ないなあ。絶対ゆとり世代だろう。
「へ、へい、只今」
まあゆとり相手にも笑顔を絶やしちゃいけないのがこの商売。お、なかなか僕っていい事思ってんじゃないの。いずれ日本を背負って立つ僕だ。『勝ち組の哲学』という本を出した時にでも、今の事は書いておくか。
「わあ、ちょっと…、何なんだ、あんたは? やめろ、やめろっ!」
「ん?」
さっきのゆとりがデカい声を出して騒いでいる。見るとパイナポーがゆとり男の口の周りについたケチャップを指で削り取っては舐めていた。
「あ~ん、これって上等なナポリタ~ンじゃないの~。ん~、トレビア~ン」
「や、やめろ、このババー。気色悪い。離れろ」
パイナポーの興味が、ゆとり男に行くならそれはそれでもいいか。
「もっと…、もっとジュテーム」
いや、待てよ? 嫌だけどとめないと客は怒って金も払わず帰ってしまうだろうし、そうすると僕の給料が減ってしまう。何てはた迷惑なババーだ。
「おーい、努。忙しそうだなあ」
「あ、ランバラル」
「ん? おまえのところは相変わらず騒々しいなあ」
ランバラルこと武田五郎は、パイナポーとゆとり男の絡みを見て、大笑いしている。
「笑ってないでとめてよ」
「しょうがねえな……」
「うっ!」
出た。ランバラルの縄跳び。
「ワハハ、ザクとは違うのだよ、ザクとは」
彼十八番の鞭叩き。容赦なく縄跳びはゆとり男とパイナポーにビシビシと当たる。
「何だ、この店は! ふざけんじゃねえ」
泣き叫ぶゆとり。確かに気持ちは分かる。食事に来て会計が遅くなり、口の周りのケチャップを変なおばさんに舐められ、いきなり縄跳びで叩かれているのだから。
「あぁ~、もっと…、もっとぉ~。う~、ナポッ、ナポッ…。あーっ、ナポリタ~ン!」
この女、本当に狂ってやがるな。打たれる度に「ナポッ」って本当に薄気味悪い。今日このあと、こいつの店へ行かなきゃならないのがとても気が重いなあ……。
それでも僕はゆとり男からしっかり二千百円をもらい、パイナポーを店から追い出した。ゆとり男は「何でこんな目に遭ってんのに金まで」とブツブツ言いながら店を出て行く。もうきっとここへ来る事はないだろう。まあ、別にいいけどね。
ランバラルは縄跳びを丁重に折り畳み、懐へしまう。
「ふー、面白かった。俺も腹減ったから『ノアの箱舟に乗った人々が食べたがったもの』でも注文しようかな」
「あのさ、悪いけどお願いがあるんだ」
「お願い?」
「『ノアの箱舟に乗った人々が食べたがったもの』はタダにしてあげるからさ、僕が作った料理をお客さんに出すの手伝ってくれない? あと水がなくなった人に注いでほしんだ」
「う~ん……」
「じゃあさ、時間給プラス五百円出すから頼むよ。ランバラルもママンに借金あるんだろ? お願いだから頼むよ」
「よっしゃ、俺も手伝ってやろうっ!」
「あ、その代わりお客さんに縄跳びで『ザクとは違うのだよ』とかナシだからだね」
「ああ、もちろん分かってるわ」
こうして僕は悪友ランバラルという援軍を得て、何とかこの忙しい状況を乗り切ろうと立ち向かった。
今日は同窓会の為、夜の営業はなく昼の営業をちょっと増やし、それでお客さんには了承をしてもらっていた。
いつもより短い時間なのに、客数は半端じゃなかった。
あのランバラルまで汗だくになって料理を運んでいる。
「はい、『スペシャル定食』三つ。このトレーをお客さんに見せて、好きなのを三つ選ばせて! それと『巌流島で戦った宮本武蔵も愛したおむすび たくあん付き』。スペシャルはひるげを使ってね。間違えちゃ駄目だよ。あさげとかは袋を破ってそこにあるお椀に。そんでそのポットでお湯を注いでから出してね」
「おう、任しとけ」
まるで戦場のような慌しさの中、僕たちは必死に頑張った。
また入り口のドアが開く。
「ん?」
少しだけ開いたドアの隙間からは、先ほど追い払ったパイナポーがジーッと中を覗き込んでいた。しつこい女だ。まだあのケチャップの味を忘れられないようだ。
「ランバラル。入り口に変なのがまだいるよ。追い払って」
「おおよ!」
ランバラルお得意の縄跳びを取り出し、振り回した瞬間だった。彼の武器は途中で切られ、宙を舞っていた。
「ゲッ!」
完全に逆上したパイナポー。片手に大きな出刃包丁が光っている。
「ナポナポナポナポ……」
このままじゃ命に関わるかもしれない。本能的に感じた僕は、冷蔵庫からケチャップを取り出し、パイナポーの顔面に「食らいやがれ!」と発射させた。
「あ~ん…、これってナポリ? あーっ、ナポッ、ナポッ。トレビア~ン」
顔面についたケチャップを指で触りながら口へ持っていくパイナポー。
おぞましい。もはや人間に見えなかった。
「俺の鞭が…、うぅ……」
縄跳びのなくなったランバラルは、メソメソとその場にしゃがみ込み泣いていた。武器のないこいつなんて、クリープを入れないコーヒーみたいなもんだ。
「もっと…、もっとナポリタン……」
パイナポーが顔についていたケチャップをすべて舐め終え、こちらへ迫ってくる。これはヤバいぞ?
僕はひらりと身をかわし、外へ飛び出す。「ナポーッ!」と奇声を発しながらパイナポーは追い駆けてくる。
「ほら、くれてやるよ」
ケチャップを交通量の多い道路へ放り投げると、パイナポーはもの凄い速さでダッシュして、空中でそれをキャッチした。このババー、走り幅跳びをやっていたら世界記録を簡単に敗れるんじゃないかってぐらいの跳躍力である。恐るべし。
「あ~、あ~、あぁ~っ、あーちーちー、あーちー、エキゾチックジャパン」
訳の分からん歌を唄いながらパイナポーは道路のど真ん中でケチャップをペチャペチャ舐めている。
その時背後からクラクションを鳴らした赤い車が迫り、パイナポーは思い切り跳ね飛ばされた。まるでゴムマリのように空高く舞い上がり、すぐ地面へ落下した。
「だ、大丈夫ですかっ!」
ひょっとして死んじゃったんじゃないかってぐらいの衝撃を受けているのだ。さすがに僕は駆け寄った。
「あ~、おいしぃ~、ナポリ~ヌ~」
「……」
こいつ、こんな状況になってもケチャップを離さず、ペロペロ舐めてやがる。でも、重症なのか、体は小刻みに痙攣していた。
これって完全に交通事故だよな? 僕はパイナポーを豪快に跳ねた赤い車を睨みつける。すると、その車はすごい勢いでそのまま逃げてしまった。おいおい、当て逃げかよ……。
「大丈夫っすか、ママ?」
「あ…、あなたね? 来てくれたのね……」
ヤバい。さすがに弱ってきているぞ。
「すぐ救急車を呼びますから」
僕は集まってきた野次馬に救急車を呼ぶよう手配した。
「ううん、そんな事いいの。それより私のお願いを聞いてくれる?」
「はいっ! 何すか?」
「あ、あのね…、ゴフッ……」
血を吐きながらゆっくり目を閉じるパイナポー。
「ママッ! 大丈夫ですか? しっかり!」
「キ…、キ……」
「『キ』がどうしたんですか? もうちょっとで救急車来ますから。喋らないで」
「キスして!」
いきなりパイナポーはガバッと起き上がり、僕の唇を奪う。何が起こったのか全然わからない僕。
「んーっ!」
必死に抵抗する僕。あ、舌なんか捻り込んできやがった……。
「もっとダーリン! 好きっちゃあ」
もの凄い元気じゃねえかよ…。こいつ、全然ダメージなんかなかったのか?
ようやく野次馬たちが引き剥がしてくれる。さっき血を吐いたと思ったのも、ただのケチャップだったようだ。
「……」
よくも僕の大事なファーストキッスを……。
しかも、こんなババーに……。
泣きながら僕は定食屋へ戻った。
どんなに傷ついても、どんなに心に大きな空洞ができても、今の僕は経営者なのだ。テンションなど最下位まで落ちた僕。それでも自分の仕事だけはキッチリこなした。
雨にも負けない。
風にも負けない。
でも、ケチャップババーには負けた……。
いや、あれは騙されただけだ。ふざけやがって。
そっと唇に指先で触る。誰にも犯された事のない天使のような唇が……。
爬虫類のようなヌメッとした舌が僕の口内へ捻り込んで来た時、このままはらわたまで食い尽くされてしまうんじゃないかという錯覚に陥った。仕事が終わると、トイレに駆け込んでゲーゲー吐き、何度もうがいをして口をゆすいだ。
何もかも汚された気分だった。こうなったら今日これから始まるクラス会。あの絶望の美女のみゆきちゃんに、うまい事口説いてキスをしてもらう他ない。
天使のような唇が汚されたのだ。それを癒すには、本物の天使にしてもらうしかないのだ。幸い今日の売上は何と四万。ランバラルも頑張ったから三千円ぐらいあげてやろう。あとは金をチラつかせ、金に物を言わせ、あのみゆきちゃんを……。
うー、想像しただけでピンコ立ちっす。
「う、うぅ……」
自分の武器である縄跳びを包丁でぶった切られたランバラルも、店が終わったというのにまだ女々しく泣いていた。
「ほら、今日はお疲れさん、ランバラル」
彼は千円札三枚を見ると、サッと手に取り財布にしまう。そしてまた泣き出した。ちゃっかりしてやがんなあ、この自衛官め……。
時計を見ると、夕方の六時を回っていた。少し早いけど、行くか『月の石』へ。
「そろそろ行こうよ。もう時間だよ」
「うぅ…、ヒ、ヒートロッドが……」
「何だよ、らしくないなあ。縄跳びなら、僕が買ってプレゼントしてあげるから」
「ほ、本当か?」
「嘘なんかつかないよ。ほら、そろそろ時間だよ」
「わ、分かった……」
縄跳びがなければ、しょせんこの程度の男だったランバラル。コンビを組むムッシュー石川も減らず口のウザいだけの男だった。
『蝿もたからない者たち』……。
本当にクソ以下の存在だ。
僕はみゆきちゃんに逢う事を胸に秘めながら、威風堂々と街を闊歩する。横にはしょげ返ったダサ坊のランバラル。まるで僕のお供をするかのようにコソコソと歩いていた。鞭がなければただの臆病者に過ぎない。
以前雑貨屋『タマらん』で購入した一万円の『ビバ、ツトム88』扇子を片手に、パタパタ扇ぐ。これはよほどの事がなければ滅多に出す事のないものだ。今日はよほどの事があるからこそ、こうして引っ張り出してきた訳である。
うちの定食屋の前の細道を真っ直ぐ歩き、突き当りのT字路を左折すると、因縁の『居酒屋 兄弟』の前を通り過ぎる。中には人生の負け犬の巣窟である小松菜泥棒老夫婦や、泥棒に入ったオカマの怪しいオヤジなどが寂れた酒を啜っている。ふん、この犯罪者一歩手前軍団め。だいたいあの昭和を彷彿させる厚化粧の女将は一体何なんだ。
「この間もあの小汚い定食屋の花壇から、小松菜二束パクってきてやったぜ」
「ほう、そりゃあすげーや、ギャハハ」
「じゃあ、今日は小松菜パーティーと洒落込むかい」
吹き溜まりのタン壷にも劣る連中が……。
勢いよく殴り込みを掛けたいところだが、これから楽しい同窓会が待っているのだ。ランバラルが縄跳びを持っていればまだ勝機はあったけど、今は使えないただのクズと化している。あとでママンに報告だけはしておこう。
キコキコ……。
自転車を漕ぐ音が聞こえたので振り返ると、桶屋のジュンが補助付き自転車で懸命に漕いでいるところだった。十八にもなって未だ普通の自転車に乗れない哀れな男だ。
「おい、桶屋のジュンじゃないか。君も同窓会へ行くのかい?」
「は、話し掛けないで、集中してないと倒れちゃうんだから」
じゃあ、素直に歩いてくればいいのに……。
いつもならすぐに苛めるランバラルも、今日だけは何も反応しない。桶屋のジュンはそれを見て、ホッとしたような表情になる。
途中おもちゃ屋さんがあったので、僕はランバラルに縄跳びを買ってやった。
「グ…、グフフ……。ヒートロッド……」
縄跳びを手にした途端、ランバラルの目つきが変わっている。桶屋のジュンは怯えたような表情に切り替わった。彼に武器を与えるの、ちょっと早かったかな……。
「ワハハ、ザクとは違うのだよ、ザクとは」
「痛い痛い痛い痛い……」
やっぱり…。ビュンビュンと叩かれ痛がるジュン。
「ほら、やめなって」
仕方なくとめに入る。
「ワハハ、ザクとは……」
「ランバラル! そんな事ばかりしていたら返してもらうよ?」
「ちっ、分かったよ」
本当この男、武器があるないでこうまで口の利き方まで違うのだから、末恐ろしい奴だ。
僕たち三人はそのまま無言で歩き、『スナック 月の石』の前まで到着した。
先ほどファーストキスを奪われたばかり。その憎き相手がママをしている店『月の石』。同窓会にみゆきちゃんが来るという情報がなければ二度と行きたくない場所だった。
ランバラルを先頭に、桶屋のジュン、僕と中へ入る。
「いらっしゃーい」
北海道人妻のれっここと青木怜子と、ボインナースの新道貴子が出迎えてくれる。桶屋のジュンは二人の美女を見ただけで極度の緊張が全身を包んだのか、息が荒くなっていた。
「やあ、君たち、久しぶり」
黒ぶちメガネを掛けた七三分け頭の男が近づいてくる。
「あ、生徒会長っ! 久しぶり」
あだ名というか生徒会長へなるべくしてなったという生真面目な男。牛乳ビンの底のような分厚いメガネは昔と変わらない。
「他には誰か来ているの?」
「あそこに亀田がいるよ。昔から変わらず暗いままだけど」
「おーい、亀田ーっ!」
ランバラルの呼びかけに対し、微動だにしない亀田。振り返る事さえなく、目の前のスナック菓子をポリポリと勝手に食べている。
後ろ姿しか見えないが、焼きそばのような天然パーマと頬のブツブツニキビは未だ健在だ。昔からもっさりとしてパッとしない男だったが、現在も変わらない。大方たるんだ三段腹を揺らしながら部屋に籠もり、オナニー三昧の日々を送っているのだろう。
「あの野郎。久しぶりの再会だってのに、挨拶どころかこっちすら向かないじゃねえか。よし、これで叩いてあいつの目を覚ましてやる」
懐から縄跳びを取り出しすランバラル。
「やめなって」
慌てて僕はとめた。
「あとは誰かいないの?」
「女子で一名、トイレに行っているのがいるよ」
ひょっとしてみゆきちゃんかな? う~ん、でも天使のような彼女がウンチなんてするはずないしなあ。まだ来ていないのかな。
「まあとりあえず席に座ろうよ、みんな」
生徒会長はどんなところでも場を仕切れる優秀な人材だ。でも、十八歳にしては頭のてっぺんが妙に薄くなっている。
テーブルの上にはスナック菓子や唐揚げ、そしてミートローフ、サラダ、フライドポテトとウインナーのアラカルトなどが並んでいた。
今現在集まっているのは僕、生徒会長、ランバラル、桶屋のジュン、そして亀田の五人。あと一人の女子はトイレに行っているらしい。全部でまだ六人。みゆきちゃん、来ないのかな……。
僕らの目の前を新道貴子が大きなボインをゆっさゆっさと大きく揺らしながら飲み物を運んでくる。みんな、ボインに視線が釘付けだ。真面目な生徒会長の股間まで、テントを張っているぐらいだった。このむっつりメガネが……。
バタンッ!
威勢よくトイレのドアが開く。ずんぐりむっくりしたまん丸体型の女が出てきた。
まさか……。
「ひょ…、ひょっとして…、そこにいるのは努君……」
中学時代抱きつかれ全治一ヶ月の怪我を負わされた怪力女の豆タン子だった。とっさに僕は腰を浮かせ、臨戦態勢に備える。
豆タン子は大袈裟に両腕を広げ、鼻息を荒くしていた。気をつけろ。奴は来るぞ……。
「好きっちゃあ~っ!」
「努…、どいていろ。奴はザクより強い……」
目の前には縄跳びを持ったランバラルが立ちはかる。何かちょっと頼もしいぞ。
ランバラルが「食らえっ!」と縄跳びを振り上げた瞬間、豆タン子はさらに加速して、もの凄いタックルで彼を吹っ飛ばした。
「……」
何だか以前よりもパワーアップしていないか? 僕は交通事故に遭ったかのように体をピクピクさせているランバラルの元へ向かう。
「おい、大丈夫か!」
「や、奴は…、ニュ、ニュータイプか……。ガクッ……」
自分で『ガクッ』とか口で表現しているぐらいだから大丈夫か。それにしても僕はこの窮地をどう脱出したらいい?
「ずっと遭いたかったかったんだからね、努君」
「会いたいの漢字がおまえ、間違っているぞ」
「もう、離さないから」
そう言って豆タン子は舌をベロンと出し、口の周りを一周させた。
「うぅ……」
恐ろしい。何て長い舌なんだ……。
「豆子、おやめ」
背後で声が聞こえる。振り向くと、この『月の石』ママのであるパイナポーが立っていた。やっぱりさっきの事故じゃ、ダメージなんてなかったんだ、このアマ。
「お母さん……」
「ええっ?」
今、豆タン子は何て言ったんだ?
「おやめなさい。彼はね、もう私のものなんだから」
「いくらお母さんだって、私の初恋を邪魔したら許さないわよ?」
何という衝撃な事実。パイナポーと豆タン子は親子だったのか……。
「もうね、彼とはAを済ませた仲なのよ、豆子。あんたの出る幕なんてないのね」
嫌な事を思い出させやがって。豆タン子は僕を見て目をウルウルさせているが、まったく可愛くない。
「ほんとなの、努君?」
「ああ、本当さ。今日中に私はCまでやっちゃおうかなって思ってんだから」
パイナポーの台詞にゾワッと鳥肌が立つ。
史上最大の醜い親子喧嘩に対し、僕らは誰一人声を出す事ができなかった。従業員のれっこやボインの貴子も、ただ事の成り行きを眺めているしか術がないようである。
その時、入り口の扉が静かに開いた。
男連中の視線が一斉に向く。
まるで後光が差したようなオーラを纏いながら、ゆっくりと『スナック 月の石』へ入ってくる人物。
一歩歩く度微かに揺れる空気は、この広大なカオスに包まれた暗黒の世界を徐々に和らげてくれる。こんな奇跡的な事が自然とできる人間なんてそうはいない。
「み、みゆきちゃん?」
「あら、みなさん、お久しぶり」
どんな映画でもかなわないような感動が全身を貫く。中学時代はまだあどけなさが残っていた彼女だが、今ではすっかりとエレガントで軽やかな大人の色気も備え、また屈託のない笑顔で周囲の人間を癒してくれる。
さすが『絶望のマドンナ』と呼ばれただけはあった。
何故『絶望のマドンナ』なのか?
それは同じ学校の男子生徒が陰でつけたあだ名だったのだ。彼女は誰にでも優しく亀田みたいな薄気味悪いオタクでも、苛められていると身をていし、かばっていた。人の痛みが心の底から分かってくれる子だったのである。
どんな状況でも終始笑顔を絶やさず、僕ら男子生徒はどれだけ彼女の存在で救われた気分になっただろうか。
すべての男が彼女に惚れていた現実。おかげで中学時代、一組もカップルなどできなかったぐらいなのだ。だから女生徒はヤキモチのあまり、みゆきちゃんを『八方美人』だと陰口を叩くしかなかった。そのぐらい彼女は、素敵で崇高な存在だったのである。
つまりすべての女生徒が絶望したほどのマドンナという意味なのだ。
もそっと亀田が無言のまま立ち上がり、トイレへ入っていく。あの野郎、彼女のいる空間の空気を吸ってしまったもんだから、我慢できなくなってトイレでマスターベーションでもおっぱじめるのだろう。
男の反応とは真逆に、女共の視線は鋭くなっていた。従業員のれっこや貴子。彼女らも美人ではあるが、みゆきちゃんに比べたらその辺にいるダンゴ虫と同レベルだ。本人たちもそれを自覚しているからこそ、ヤバいと自覚しているのだろうな。
「あんた、なかなかの美人じゃないのさ。ようやく私とタメ線張れる女が登場した訳だね。まあ、そんなところに立ってないで座りなよ」
パイナポーがシーンとした空気の中、言葉を発した。
こういうババーの自信って一体どこから来るのだ? 不思議でならない。思いっきり勘違い女。みゆきちゃんを目の前にして物怖じしない馬鹿。さっきの台詞を思い出すだけで無性にイライラしてくる。
「オラッ、どの辺があんたさ、タメ線張ってんだよっ!」
珍しく青筋を立てながら桶屋のジュンが、パイナポーに怒鳴りつけていた。こいつがこんなキレているところなんて、生まれて初めて見たぞ……。
「今の言葉、取り消せ……」
ヨロヨロしながらもランバラルが起き上がってくる。彼は昼間パイナポー、夜は豆タン子と親子二代に渡ってやられながらも、懲りずに立ち向かおうとしている。
「あ、あぁ…、み、みゆきちゃ~んっ!」
トイレから亀田の叫び声が聞こえた。汚ねえな、あいつ…。みゆきちゃんを想像しながら一発出しやがったな……。
「男子生徒全員を代表して私が発言します。豆タン子のお母さん、今の発言、取り消してもらえませんか?」
牛乳ビンの底のようなメガネの奥で、虫のような目をしながら生徒会長が堂々と胸を張りながら口を開く。
「おだまりっ!」
「ふぎゃっ!」
パイナポーの強烈な張り手で生徒会長は吹っ飛んだ。一応僕たちって客じゃないの?
待てよ、僕だけじゃん。何も言ってないの……。
みゆきちゃんに嫌われちゃうかもしれない。よし、次は僕の番だ。
「おい、キサマ! 取り消しやがれっ!」
「な、何でそんな事言うん? うち、ダーリンにそんな事言われたら、生きていけんちゃ」
僕の言葉にパイナポーは目を潤ませている。第一誰がダーリンやねん。気持ち悪いなあ。
殺伐とした雰囲気の中、「バーン」と低音のメロディが鳴った。
「あ、おまえは……」
あの狂ったピアニストの神威龍一がいつの間にかステージのピアノに座っていた。
「みんな見苦しいぜ。今日は君らの同窓会じゃないのか? ほら、立ってないでみんな席へ座れ。そして俺が演奏をプレゼントしてやる」
こいつはあのムッシュー石川を一撃で病院送りにした野蛮人だ。言う事を素直に聞いておいたほうが身の為だ。大人しく席へ腰掛ける。
「みゆきさんと言いましたっけ?」
神威はマイクを手に持ち、みゆきちゃんのほうへ手をかざしながら話し掛けていた。このキザ野郎が……。
「は、はあ……」
「あなたの為に私はピアノを捧げたい…。では、一曲目ザナルカンド、行きます……」
こいつ、今さっきみんなに演奏をなんて抜かしといて、舌の根も乾かない内に何て事を。この軽薄野郎が…。でも、怖いから心の中で呟くだけにしとこっと。
奴の演奏が始まる。
れっこや貴子はそれを聴きながら両手を組んで、うっとりしてやがる。この尻軽女共め。
「ゲッ……」
パイナポーと豆タン子の馬鹿親子は、二人共パンティの中へ手を突っ込んで、オナニーしちゃってるぞ……。
みゆきちゃんは大丈夫だよね? 僕は恐る恐る彼女のほうを振り向いた。
うん、目を閉じて静かに曲を聴いているだけだ。そう音楽はこうやって優雅に楽しんで聴くものなのだ。さすが『絶望のマドンナ』だ。いつまでも変わらない君でいてくれよ。そう僕は心の中で微笑む。
ザナルカンドが終わると、女だけから盛大な拍手がパチパチと起こる。再び神威は立ち上がり、マイクを持って口を開く。
「続いてドビュッシー作曲、『月の光』……。この曲も…、みゆきさん……。あなたへ捧げたい……」
あのデカブツめ、何を格好つけていやがんだ。
「うぉ~、テメーッ! ムカつくんだよっ!」
ランバラルが感情を剥き出しにして、襲い掛かる。いいぞ、やっちめえ!
神威は縄跳びをひょいと避け、相手の懐へ潜り込む。ランバラルの背中しか見えない状況の中、神威の右腕が真横に見えた。
ん、変な握り拳をしているな。ギュっと握り締めた拳なのに親指だけがピンと横に伸びている。
そう思った瞬間すぐ、とんでもない速さで神威の親指はランバラルの横っ腹へ突き刺さった。
「うぎゃぁ~っ!」
横っ腹を押さえながら地面をのたうち回るランバラル。うわっ、血が出ているよ……。
「神威龍一究極打撃技『打突』……。人間の体に穴を開ける事だけを目的とした殺人技。俺の行く道を邪魔する人間は、容赦なく潰すぞ。できれば怒りたくねえんだ。静かにしてろよ」
何だかあいつ、危ない上におっかねえぞ……。
泣き叫ぶランバラルをパイナポー親子は冷静な表情で手と足を持ち、無情にも店の外へ放り捨てた。本当に酷い店だな。
「では、気を取り直して『月の光』、演奏します」
ピアノの前に座ると、神威は再び曲を弾きだした。すげー二重人格だ。警察は一体何をしているんだ? ここに凶悪な犯罪者がいるというのに……。
さっきのザナルカンドに比べ、今度の曲は妙に長いぞ。聴いていて非常に退屈だった。
「ふぁあ~」
思わずアクビが出てしまう。
するとれっこが「しー」と口に手を当てて注意してきた。チッ、このアマ、何様のつもりだ。人妻のくせに色気づきやがって……。
演奏が終わると再び女性陣からだけの拍手が起きる。見ていて非常に不愉快だ。だって今日は僕らの学年が主役の同窓会なんだから。
また目立ちたがり屋の神威がマイクを握った。
「今日はみゆきさん、こんな場末の飲み屋へお越しいただけ光栄です。ザナルカンド、月の光…。この二つの曲は以前、一人の惚れた女の為にピアノを始め、三十歳を過ぎた私がひたすら毎日のように弾いた曲です。でも、彼女は発表会にも来てくれず、私はフラれました……」
だからレパートリーがあの二曲しかないのか、あの男は。
「一人の女の為に始めたピアノ…。でも、私は誰にもピアノを捧げていない。だから今日、あなたの為に捧げたかったんです……」
こいつ、話が長いなあ。みゆきちゃんに迷惑だろうが。
「ちょっとステージまで来ていただけませんか、みゆきさん」
困った表情でみゆきちゃんは立ち上がり、ステージへ行く。パイナポーや豆タン子はハンカチを口で「い~っ」ってくわえながら悔しがっていた。
「こんな私ですが……、結婚して下さい……」
思わぬ告白にシーンとする店内。この男は本当に馬鹿か? 『絶望のマドンナ』であるみゆきちゃんがどこの馬の骨とも分からない奴なんぞの嫁になる訳ねえだろうが。
マドンナ……。
イタリア語では、我が淑女という意味を持つ言葉。広い意味では、聖母マリアという意味合いもあるらしい。どちらにしても、あんな野蛮で大男が簡単に口説ける女ではないのだ。
「ご、ごめんなさい……」
ほら、見ろ。フラれやがった、ザマーミロ。
「わ、私のどこに不満が……」
女々しい野郎だな。さっさと去れ、ボケ。
「あ、あの~…、もう私…、結婚しちゃってて、人妻なんですよ……」
「えーっ! マジかよ!」
すべての男が同時にデカい声を張り上げた。
「そ、そんな……。ザ・ショック」
生徒会長のメガネがショックでパリーンと割れる。
みゆきちゃん、嘘だろ? 嘘って言ってよ……。
「うわーっ! 秋奈ーっ!」
神威は泣きながら狂ったようにピアノの鍵盤を叩いて錯乱していた。
僕たちはこの世の終わりみたいな顔をしながら、泣いて家に帰った。
最終章
※ 始めにお断りしておきます。ホラーが嫌いな方は、これ以上読むのをお勧めしません。
※ もしお読みになられて気分を害したと言われても、責任取れません。
※ それでも構わないという方のみ、このあとの話をお読み下さい。
「はぁ~……」
俺、『パパンとママン』の作者神威龍一は、深い溜息をつきながら布団へ寝転がった。どうもこの作品を書いていると、壮大なカオスの中に取り込まれていくようで、頭の中が混乱してくる。
セブンスターに火をつけ、大きく煙を吐き出した。
もうこれ以上書くとおかしくなる。自分で何となくそう感じていた。結局マドンナにみんながフラれて帰る。うん、これでいいじゃないか……。
いや、すげえつまらないし、これで終わりじゃ、読者を裏切るようなもんだ。
この作品は第九章の『同級生』まで勢いよく書いていた。強がりでも何でもなく、この程度の内容ならいくらでも書ける。そんな自負があった。
二千八年六月十日までは……。
この当時、俺は読者参加型の作品にしようと、インターネット上で参加者を募集する。何人か出たいと申し出があったので、俺は名前だけをリアルに使い、性格は勝手なキャラクターとして自由に表現した。
すると『月の石』で初登場したれっこさんは、めでたく妊娠……。
ここまでは良かった。
現実の俺の部下であったムッシュー石川は、登場させてすぐ、お父さんが脳溢血で倒れてしまうという自体に遭遇する。
何だか薄気味悪いな。この時はそのぐらいにしか考えていなかった。
二章の『兄弟』で出てきた居酒屋。もちろん近所にモデルがちゃんとあり、こちらが現実で実害を受けた為、パロディとして『パパンとママン』に登場させた。
この店は昔からある訳ではない。昔は『きね屋』という普通の食堂だった。豚にそっくりなお姉さんがいつもいて、幼かった俺を見る度「家は継がないの?」と同じ事を聞いてくる変な人だった。俺が二十代後半になった頃、『きね屋』はなくなり、しばらくしてから『兄弟』モデルの店ができた訳である。
この頃歌舞伎町で深夜働き、人と真逆の生活を送っていた俺は、近場で飯を済ませたいと思い、初めてその店へ食べに行く。まあ値段も安かったので二回目も行こうと中へ入ると、女将が俺をギロッと睨まれ、「うちは酒を飲まない人はお断りだから」と追い出された事があった。変わった店だなぐらいにしか、この当時は思っていなかった俺。
しかし、それからあの異様な店は近所に様々な被害を及ぼすようになっていた。
小松菜泥棒は、うちのおじいちゃんが育てていた花壇から実際に盗まれたのをあのように表現。
定食屋へ盗みに入ったオカマの話も、ちゃんとエピソードがある。俺が歌舞伎町時代、裏稼業で一時期多額の金を稼いでいた事があった。おじいちゃんに恩返ししようと思った俺は、五百円玉貯金を開始して、毎日買い物をする際も必ず五百円玉がお釣りでもらえるように心掛けた。だから三ヶ月間で、十万円の貯金箱はいっぱいになる。
それをおじいちゃんにプレゼントした夜、家に泥棒が入った。三階にいた弟が、深夜に一階から物音が聞こえたので下へ降りる。すると外で「泥棒よ、泥棒よ」と大きな声で騒いでいたオカマのオヤジがいたらしい。そして俺がおじいちゃんにプレゼントした五百円玉貯金箱はなくなっていた。
実はそのオカマが泥棒だったというのを後日、警察から聞く。何でもうちは泥棒仲間の中では有名なぐらい盗みに入りやすい家らしく、内部の見取り図まで出回っていたようだ。
そんな経緯もあり、『兄弟』のモデルになった店は、近所でも評判がとても悪い。
うちの隣にあったとんかつ屋でも、『兄弟』モデルの女将は客と一緒に来て、たらふく飲んで食った事があるそうだ。途中一人の客だけを残し、女将らは金も払わず帰ってしまう。
残された男は一銭も持っていないようで、そこで働いていた俺の先輩は、女将に文句を言いに行く。しかし「あの人、うちの客じゃないし、ご馳走するからってついていっただけだから」とまるで支払う意思がなかったようだ。
まったく悪びれる様子もない無銭飲食の男を先輩は、警察へ連れて行こうと車へ乗せる。向かう途中その男は「おまえ、ずいぶんと生意気な若造だな」と何度も先輩の頭を叩いたらしい。警察官の話によると、その男は無銭飲食の常習犯らしく、一円も取れなかったそうだ。頭に来た先輩は、「お巡りさん、もうお金いらないから、こいつを一度だけ蹴らして下さい」と蹴りを入れて帰ってきた。
れっこさんやムッシュー石川の件に加え、奇妙な連続に対し、俺は気味悪さを感じていた。気づけばあれだけ乗りに乗っていた『パパンとママン』はいつの間にか書かなくなっていたのである。
しかし、『兄弟』モデルの店の悪行はそれだけじゃない。すぐ先にあったラーメン屋の幼馴染の店があった。あの女将は客層がかぶっていたという理由で、一度幼馴染の店の周りにガソリンを巻き、火をつけようとした騒ぎを起こす。怖がった幼馴染に、一度この件で相談された事があるが、それが本当にあったとは思えないでいた。
シャブをやっているという噂も絶えず、家の横にある一方通行の道に植木鉢を並べ、通ろうとした車の前で大の字になって立ちはだかり邪魔をした事もあった。さすがにこの時はパトカーがやってくる大騒ぎになる。
夜中、飲み屋から帰ってくる途中、『兄弟』モデルの店の前にパトカーが二台停まっているのが見えた。何だと思い、近づくと幼馴染のお袋さんが警察に事情聴取されていたので、俺も話に加わる。何でもあの女将の店の客が、嫌がらせで暴れたらしい。俺はおばさんに「俺、こっちにいますから、変な目に遭わされそうだったら連絡下さいね」と自分のプライベート名刺を渡しておく。
結局その名刺が役に立つ事はなかった。
何故なら二千八年十二月三十日。『兄弟』モデルの店は、大火事で全焼してしまったのだから……。
この当時夕方だったので、近所でもかなりの大騒ぎとなった。俺もちょうど家にいたので、外へ出て燃えさかる炎をただジッと見つめていた。
隣のカバン屋のおじいさんは自分の店に火が燃え移り、何度も中へ入ってカバンを取り出そうと行ってしまうので、近所の人たちに取り押さえられていた。
その隣の後輩の家は、新築したばかりなのに、外壁は煙でやられ、消防車の強烈な水が三階の家の中まで入り、散々な目に遭ったそうだ。
翌日の読売新聞では、死傷者二人を出す火災として紙面を飾っている。あの燃えさかる炎の中で男が二人も焼け死んでいたのだ……。
この火事に、おかしな点はたくさんあった。あれだけ近所を騒がせ悪名を轟かせたあの女将の名前や姿が、新聞にもどこにも出てきていないという事実。それに夕方なので、あの店はオープン前である。女将がいないというのもおかしい。消防団では、この件に対し、かん口令が敷かれたという噂も聞く。謎だらけの火事だったのだ。
あれから一年以上経つが、女将は隣やその隣の家まで迷惑を掛けたのに、お詫び一つもなく、その場所から存在を消したままである。
どっちにしても、これで二軒目だ。
俺がモデルにした店が、火事で全焼してしまったのは……。
薄気味悪さを感じていた。
俺の現役時代を書いた作品『打突』に出てくるラーメン屋があった。頑固一徹の癖のあるマスターだったが、俺は何故かとても気に入られ、いつも愛想よくサービスしてもらっていた。俺の書いた小説を本にしてプレゼントすると、目を細めながら「いや~、神威さんはいいもん書くねえ」と言ってくれるようなマスターだった。客が「マスター、おあいそ」と言うと、「うるせー、今俺は神威さんと話してんだよ。ちょっと待ってろ」と啖呵を普通に切ってしまうマスターを見て、みんなゲラゲラ笑っている。そんな店だったのだ。
しかし、二千六円十月十三日。明日の川越祭りに備えようと、ラー油を作っていたマスターに不運が起きる。火を掛けっ放しで、ちょっと目を離した隙の事だった。建物へ一気に燃え移った店は、あっという間に全焼してしまう。マスターは無事と話を聞いたが、あれ以来マスターの姿を見る者はいない。
もう一度マスターの作ったガーリック丼食べたいなあ……。
俺は『兄弟』モデルの店が燃えるのを見ながら、自分の作品は呪われているのではという錯覚に陥っていた。
一年半前の冬を思い出す。『新宿クレッシェンド』シリーズ第四弾に当たる『新宿フォルテッシモ』を執筆していた時の話だ。
二千七年十一月十三日から執筆開始したこの作品、十日後の二十二日まで原稿用紙三百枚まで書けていた。内容は主人公神威龍一のゲーム屋の話から、新しい裏稼業である裏ビデオ屋の話。そして神威龍一自体が物語の中で『新宿クレッシェンド』を書き始めるというものである。あと百枚ほどで完成させるつもりだった。
歌舞伎町時代、仲が良かったヤクザの組長から電話が入る。仲がいいと言っても一緒に何かをするような仲ではない。あの街で会えば「おう、神威はん、久しぶりやな」と笑顔で立ち話をする程度である。連絡先は聞いていたが、こっちからも向こうからも電話のやり取りなど一度もなかった。だからこの電話には何か大事な意味があると感じながら出た。
「お久しぶり、神威はん」
「お久しぶりですね。どうかしましたか?」
「ん…、いや……。○○さん、知ってるやろ?」
「ええ、もちろんですよ。一緒に働いていたぐらいですからね」
「あの人な、北中はんのところを辞めたあと、うちの紹介で今まで仕事していたんや」
「そうでしたか」
嫌な予感がした。○○が親分のところをバックレて、こちらに頼っていないかという探りの電話かと思ったのである。
「あの人な、元々持病みたいの持ってたやろ?」
「ええ、確か鼻血が出ると、医者行かないと自分じゃとまらない体質でしたよね」
「ああ、そうなんや」
「あと以前に網膜剥離になった事もあるって聞いた事ありますよ。顔を洗っていたら、目の中にパリッて水が入ってきて何も見えなくなったって。医者に行ったら網膜剥離だと診断されたって当時聞いた事あります」
現在彼は、また具合でも悪くなり持病でも発したのだろうか?
「その○○さんやけどな…、実は昨日亡くなってしまったんや……」
「え……」
「よくワイのところで仕事しててもな、神威はんの話題をニコニコしながら言ってましたんや。だから亡くなった事ぐらい、神威はんに伝えとこと思うてな」
「そうでしたか…。ありがとうございます……」
二千七年十二月二十五日の会話だった。
電話を切ると、俺は両手で頭を抱え、彼の事を考えた。思い出すのはニコッとした笑顔しか浮かばない。いや、一回だけ彼は俺の前で泣いた事がある。
十年ぐらい前までは金持ちだったと笑いながら話していた○○。始めはとてもじゃないが信じられなかった。
何故なら彼の住居兼裏ビデオ屋の倉庫を見た瞬間、俺は吐き気がしてまともに入れなかったからだ。物ぐさな人間はこれまで嫌ってほど見てきた。もちろん俺の部屋だってかなり汚い。しかし○○の部屋は、そういった常識を覆すような部屋だった。
まず悪臭がもの凄い。あの中でまともに空気を吸う勇気はなかった。入り口のすぐ右手にある小さなキッチンには常にフライパンが乗せられ、その上でゴキブリが数匹仰向けになって死んでいる。かろうじて入り口の通路だけは通れるが、左手にあるトイレと風呂場は強烈なアンモニア臭が漂い、便器の底が見えないぐらい真っ黒で、いつも溜まっている水が濁っていた。
部屋に入ると四隅に本棚がたくさん敷き詰められ、そこにすべての裏ビデオがジャンル別に置かれてある。一番奥にテレビとビデオデッキが三台ずつ二ヵ所に設置され、左側にあるテレビの手前にコタツ机が置いてあった。
床には常にゴキブリが徘徊し、慎重に歩かないと足で踏んづけてしまう可能性があるぐらいだ。○○が「コーヒーでも飲んだら」と気を利かせてくれ冷蔵庫を開けると、ビデオ屋『レモン』から持ってきた二缶百円の安い缶コーヒーの上をゴキブリが歩き、中も無数のゴキブリでいっぱいだった。
一度携帯電話の電池がなくなりかけ、充電しようと蛸足のソケットに充電器を差し込もうとした時だった。床の汚れかなと思った黒いシミのようなものが、四方八方にガサガサと動く。その黒いシミのようなものは、暖まったソケットの下に固まっていたゴキブリの群れだったのである。
俺は○○が食事で部屋を出ると、あらかじめ買っておいた粒状の芳香剤を取り出し、十袋をすべてそのまま部屋にバラ撒いた。そして窓を全開に開く。そうでもないと失神しそうなぐらいの臭いだったのだ。それでも部屋にいられず、外へ出てタバコを吸って時間を潰した。
世界一不潔な人というイメージだった○○。しかし働いていく内に次第に打ち解け、色々な話をするようになる。そこで分かったのが、元々裏ビデオ屋の『レモン』は○○の持ち主だったらしい。そこへ現在のオーナーである北中が人づてに紹介され入ってきた。
当時金を持っていた○○は、新宿歌舞伎町のさくら通りにも一店舗の店を構えていた。彼はフィリピン人女性と結婚し、部下に店を任せ、一ヶ月おきに日本とフィリピンを往復しているような贅沢な暮らしをしていたそうな。
帰国すると北中が「○○さん、今月も赤字だった。二十万円の金を補充してほしい。俺が代わりに立て替えといただよ」と毎月のように金を要求し、○○はそれを馬鹿正直に払っていた。気づけば数千万あった金は、五年間でなくなり、北中から「共同経営で一緒に頑張らないか」と持ち出された。人のいい○○は騙されていたとも知らず、その話へ簡単に乗ってしまう。
お互いの給料を月二十万と決め、あとは売上次第で分けようとなった『レモン』。最初の一ヶ月だけはボーナスとして十三万円を別途にもらえたらしい。しかしあとの五年間は、一度もプラスで金をもらえる事がなく、月二十万円で生活をせざるえなかったようだ。二十万と言っても、フィリピンに奥さんと子供のいる状況なので、人のいい彼は毎月半分の十万円を仕送りしていた。北中のうまいところは、自分のポケットマネーで○○を年に一回だけフィリピンへ十日間ほど行かせてあげた事だ。
そんな状況が続く中、そこへ俺が入ってきたのである。
裏稼業にパソコンを導入した俺は、ビデオ屋だけでなく、ゲーム屋などすべての系列店の管理を任されるようになった。俺が目を光らせる事で従業員の不正を見抜き、組織全体の売上は二千万円も上がる。
北中は仕事を俺に任せ、自分は月の二、三週間をタイや中国へ旅行に行き、女を買うようになった。そのぐらい儲けさせていたのに俺や○○の給料など、一円も上がらなかった。
一度俺が仕事を終え帰る間際、○○が「昨日は久しぶりに酒を飲んだよ」とニコニコしながら話し掛けてきた事があった。
「どこかのスナックでも行ってきたんですか?」
明るく返すと○○は「馬鹿言えよ…。そんな金ある訳ないじゃん。発泡酒を二本買って部屋で飲んだだけだよ」と照れ臭そうに答えた。
以前のあんたなら腐るほどそんなところへ行けただろうが……。
「○○さん…。少ないけど、たまにはビールでも飲んで下さいよ」
俺はそう言って五千円札一枚を渡した。
「な、何だよ、これ…。何かあったの?」
「ああ、先日競馬で偶然デカいの取れたんですよ。だからちょっとした幸せのお裾分け」
「エヘヘ、何だか悪いなあ……」
「いいんですよ。俺、○○さんが色々気遣ってくれるから、すごい働きやすいし、感謝しているんですよ、これでも」
「そう…。じゃあお言葉に甘えるね」
ずっと終始笑顔だった○○。とても嬉しそうだった。立場だけで言えば、俺は雇われの従業員であり、彼は共同経営のオーナーである。別に金銭的な余裕など俺にはない。それに俺がこのような嘘をついて金をあげるのは、普通ならふざけた行為だろう。しかし、見ていられなかったのだ。
翌日になり『レモン』へ来た○○は「昨日はご馳走様でした。ビールをたらふく飲めたよ」と深々とお辞儀をするような礼儀も持ち合わせていた。
これまでに至る流れを赤裸々に語ってくれた○○。寂しそうな表情をしながら、床に置いてあった二リットルの烏龍茶をラッパ飲みしている。
俺は感情的になり、人が良く騙された事にさえ気づかない甘過ぎる性格の○○へ強い口調で言った。
「○○さん! 北中にあんないいようにやられて悔しくないんですか? 一時はあなただって金を持ち、あの店だって自分のものだったんじゃないですか。俺はすべての店の収支計算もしているから、どこがどれぐらい儲かっているかすべて把握しています。○○さん、あなたの給料が二十万円のみってあきらかにおかしいんですよ。いいんですか、このままで。悔しくないんですか?」
○○は何も答えず、急に背中を向け、小刻みに肩を震わせていた。
騙されている事に、気づいていない訳じゃない。悔しいに決まっている。だけどどうする事もできないから、いつもニコニコしているしかなかったのだ。
そんな状況の中出会った俺。徐々にだけど、心を開ける相手ができていたのだろう。
彼の最低限のプライド。それは年下の俺に、泣き顔を見せたくないというものだったのである。
「……」
あんな形で人生を終わってしまった○○。悲しみとやりきれなさを感じる。こんな人生であんた、本当に幸せだったのかよ……。
俺は原稿用紙三百枚まで書いていた『新宿フォルテッシモ』が、それからまるで書けなくなってしまった。
二千九年一月十八日。
俺はまた『新宿フォルテッシモ』を新たに書こうと執筆を始める。前のフォルテッシモでは○○を登場させたが、あまりにも哀れに感じ、今回はゲーム屋だけの内容で書く事を決めた。
皮肉にも処女作『新宿クレッシェンド』を書き始めた二千四年一月と同じ日にちだった。賞を獲り、世に出たあの処女作は、裏ビデオ屋『レモン』で生まれた作品だった。
裏ビデオの話は、次回作の第五弾『新宿セレナーデ』で書けばいいと思う。
『パパンとママン』とは無関係だが、呪われたという共通点で見ると、処女作の『新宿クレッシェンド』もそうだ。
二千四年一月十八日。
まだパソコンを覚え始めの俺は、教えてくれる先輩をどうしてもパソコンで抜きたくて何かをしたかった。パソコンのスキルで言えば、遥か先を行く先輩。のめり込めばのめり込むほど、そのスキルの差が圧倒的なものに気づく。ならばパソコンを使って先輩ができない何かをやれないか? 行き着いた結論が小説だったのである。
人間を飼うといった表現がピッタリ合う北中の下で働いていた俺は、あの男の悪の所業を小説にしたら面白いんじゃないかと考えるようになっていた。
ある日、一人の従業員へ「小説を書いてみようと思うんだけど、北中の所業をそのまま書いたら面白い作品になると思わないか?」と訪ねてみる。
「神威さんならきっとできますよ」
何の確証もないのに、その従業員は笑顔で答えた。
憎き北中を懲らしめる為、文字にこのやるせない魂を投入する。もし、その作品が世に出たら、あいつをギャフンと言わせる事ができるだろう。そう考えたが、もし北中の所業をそのまま書いても、果たして世間は信用してくれるだろうかという疑問も沸く。漫画や小説の中だけの話じゃないかって思われてしまう可能性が高い。
なら、最初はこの歌舞伎町という街を読者に知ってもらう必要がある。そう決めた俺は、本当に書きたい事を百分の一に抑え、『新宿クレッシェンド』を書き始める。
当時は漫画喫茶に行っても店員を呼び出し、「おい、ドットってどこを押すんだよ?」と怒鳴っているような頃だ。当然キーボードの配列など分からないぐらい無知だった。だから母音の『a』が三回も入るよう主人公の名前を『赤崎』にした。文字を打つのもキーボードを見ながら一語一句、人差し指で探しながら書いた作品だった。
そんな『新宿クレッシェンド』も当然モデルにしている店がある。一つは新宿コマ劇場の中にあったキッチン『フライキッチン峰』。そして新宿プリンスホテルの最上階ラウンジ『シャトレーヌ』である。当時、色々とお世話になった店に対し、もしこの作品が世に出たらいい恩返しができると思いながら執筆をしたものだ。
二千八年一月十日。『新宿クレッシェンド』は賞を獲り、全国書店発売となる。
しかし二千八年の終わりは酷いものだった。新宿コマ劇場はなくなり、中の『フライキッチン峰』も同時に閉店。プリンスホテルの『シャトレーヌ』も名前を変え、現在は『和風ダイニング フーガ』となってしまう。
二千八年だけで、俺の作品に出てきたモデル人や店が、こうまで変わってしまう現実。オマケに『兄弟』モデルの店の死人二人を出した火事……。
俺は自分の書く文字に、薄気味悪さを感じていた。
だから『パパンとママン』を一人の素敵な女性から「また書いてほしい」と言われるまで、ずっと封印していたのだ。二千十年四月八日まで……。
最終章と謳いながら、俺は何故こんな内容を書いているのだ? 自分でもよく分からない。まだパパンと竹花さんの『肥溜めブラザース』など書ける事なんて、いくらだってあるのになあ……。
でも、これがもし世に出たら、○○もちょっとは気が晴れてくれるかな?
いや、「人の生活をここまで書きやがって」と顔を真っ赤にして怒るかもしれないな。
まあ、いいさ。あの時俺はあんたにビールを奢ってやったんだ。これで貸し借りをチャラにしようぜ。
―了―
表題『パパンとママン』 作者 岩上智一郎
執筆期間 2007年11月21日~2010年4月10日 原稿用紙412枚
第1章 置き土産
2007年11月21日 原稿用紙31枚
第2章 兄弟
2007年12月14日 原稿用紙38枚
第3章 先輩
2008年5月9日~2008年5月31 原稿用紙32枚
第4章 月の石
2008年5月31日~2008年6月2日 原稿用紙37枚
第5章 借金地獄
2008年6月2日~2008年6月3日 原稿用紙41枚
第6章 経営者
2008年6月3日~2008年6月4日 原稿用紙43枚
第7章 捺印
2008年6月4日 原稿用紙37枚
第8章 烏龍茶
2008年6月5日 原稿用紙34枚
第9章 同級生
2008年6月9日~2008年6月10日 原稿用紙31枚
【再度執筆開始】
第10章 初恋の人
2010年4月08日~2010年4月09日 原稿用紙26枚
第11章 同窓会
2010年4月09日~2010年4月10日 原稿用紙38枚
最終章
2010年4月10日~2010年4月10日 原稿用紙25枚
【本編合計枚数 原稿用紙412枚で完結】
※この記事のURLを各AIに貼って反応を見る
【Grok】
このnote記事は、岩上智一郎(
@shinjukutomo
)さんが2026年3月19日に公開した長編小説風の作品で、タイトルは**『パパンとママン』**です。執筆期間は2007年11月21日〜2010年4月10日、原稿用紙換算で約412枚というかなりボリュームのある内容で、作者自身が最後にメタ的に語る形で完結しています。全体を通して新宿・歌舞伎町周辺を舞台にした、ドタバタでカオスな日常コメディ+家族+借金+恋愛+復讐などが入り混じった、かなり独特のユーモアとブラックさが特徴の物語です。簡単なあらすじ・構成(ネタバレ控えめ)主人公の努(つとむ)(18歳前後)が、実家の小さな定食屋を家族(パパン・ママン)と一緒に切り盛りしながら、変な客や先輩、同級生、借金男(ムッシュー石川)、スナックの女性(れっこ/麗華)、同窓会の初恋の人(みゆき=絶望のマドンナ)など、濃すぎるキャラクターたちと絡み合う話。章立ては以下の通り(各章でどんどん話が暴走していく):
第一章《置き土産》:ゲームセンターでの犬のクソ踏み事件 → 実家トイレの巨大ウンコ事件で家族結束
第二章《兄弟》:居酒屋「兄弟」での泥棒騒動・食い逃げ・肥溜めブラザース喧嘩
第三章《先輩》:親の仲の悪化、乱闘
第四章《月の石》:スナック「月の石」で出会う女性、借金押し付け
第五章《借金地獄》:タダ働き地獄と口止め料ゲット
第六章《経営者》:パパ入院で努が店長代行
第七章《捺印》〜第九章《同級生》:ポイントカード、変態客への仕返し、同級生絡み
第十章《初恋の人》:ムッシューの快気祝い、神威龍一のピアノ錯乱
第十一章《同窓会》:奇抜メニュー祭り、みゆき登場と神威のフラれ
最終章:作者(神威龍一として)が執筆裏話・モデル店の呪い的な消失エピソードを語って締め
特徴的なポイント
料理名がめちゃくちゃ(例:「巌流島で戦った宮本武蔵も愛したおむすび たくあん付き」「ウルトラマンを倒したゼットンの好んだコロッケ」など)
トイレの巨大クソ、食い逃げ、借金、膝蹴り、縄跳びいじめ、ラジオ体操で対抗する乱闘など、シュールで下ネタ・暴力ネタ多め
作者が最後に「この話のモデルになった店が次々火事や事件で消えた」「呪われてる?」みたいなメタ発言で締めるのが印象的
全体的に「新宿の底辺カオス日常」を愛情込めて描いたような、痛快だけどどこか切ない雰囲気
かなり長いので全部読むには時間かかりますが、興味があるならnoteで一気に流し読みするとクセになると思います。特に新宿・歌舞伎町あるある(?)っぽいエピソードが好きな人には刺さるかも。何か特定の章について深掘りしたいとか、登場人物の関係性とか聞きたい部分があれば教えてください!
【meta】
Wow, that's a whole novel! It looks like a story called "パパンとママン" (Papa and Mama) by Tomoichiro Iwakami. It seems to be a rather wild and humorous tale about a young man, his parents who run a diner, and a bunch of quirky characters and absurd situations, including giant poops, sticky situations with local delinquents, and even a romantic subplot (or several!).
Is there anything specific you'd like to know or discuss about this story? I can try to summarize a part of it, look for certain characters or events, or anything else you have in mind!
※日本語訳
わあ、それは長編小説ですね!岩上智一郎さんの「パパンとママ」という作品のようですね。食堂を経営する両親と、個性的なキャラクターたち、巨大なうんち、地元の不良との厄介なトラブル、そして(複数あるかもしれない)恋愛要素など、奇妙な状況が満載の、かなり奇想天外でユーモラスな物語のようです。この物語について、何か具体的に知りたいことや話し合いたいことはありますか?一部を要約したり、特定の箇所を探したりすることもできますよ。
【GoogleGemin】
最新の記事「パパンとママン」の第1章《置き土産》の内容を拝見しました。
このエピソードでは、18歳の努(主人公)が先輩と新しいゲームセンターへ行った際、不運にも犬の糞を踏んでしまい、それを店のカーペットで拭き取って逃げ出すという、気まずくも災難な出来事から始まっています。
主なポイント:
登場人物:
努(つとむ): 18歳。実家の食堂を手伝っているが、家業を継ぐ気はなく、将来に迷っている。
パパン: 努の父親。威勢がよく、仕事に厳しい食堂の主。独特な掛け声(「ウォンチュ」など)を持つ。
ママン: 努の母親。呑気で朗らかな性格で、父子の間を取り持つような存在。
物語の展開:
ゲームセンターでの「粗相」の後、実家の食堂で働く日常が描かれます。
食堂に現れた二人組の客が、実はあのゲームセンターの店員(あるいは関係者)ではないかという疑念が浮かび、努が動揺する場面で物語が動いています。
2007年から2010年にかけて執筆された412枚に及ぶ物語の幕開けとして、当時の空気感や家族の距離感がリアルに伝わってくる内容でした。続きの展開や、パパンとママンのキャラクターがどう深まっていくのか気になるところです。
【chatGPT】
こちらがあなたが貼った記事の内容です:
📄 記事タイトル
「パパンとママン」
(投稿日:2026年3月19日)(note(ノート))
このnoteは、作者 岩上智一郎 さんによる長編の小説形式の文章で、若い頃の生活や家族との関係が描かれています。(note(ノート))
🧾 概要
タイトルは 「パパンとママン」(父と母)。(note(ノート))
執筆期間は 2007年11月21日〜2010年4月10日、原稿用紙 412枚。(note(ノート))
本文は作者の18歳頃の自伝的な物語です。(note(ノート))
📘 内容(主な描写)
主人公が18歳で免許を取って、先輩とゲームセンターに行った日の出来事から始まります。(note(ノート))
実家は食堂を営んでおり、父親(パパン)に家の手伝いを促される描写。(note(ノート))
登場人物(主人公・先輩・パパン・ママン)の日常的なやり取りや、客との関係が細かく描かれています。(note(ノート))
店のトイレで起きる事件(異常な悪臭・トイレ詰まり)など、ユーモラス且つ生々しい情景も含まれています。(note(ノート))
※記事全体は非常に長い物語形式で、ここはその冒頭部分を中心に要約したものです。(note(ノート))
要約や特定の章の整理、年表化などもできますので、希望があれば教えてください。
【Claude】
岩上智一郎さんのnoteに掲載された小説「パパンとママン」ですね。
執筆期間は2007年11月〜2010年4月、原稿用紙412枚の長編です。18歳の「努」という語り手が、家族で営む小さな定食屋を舞台に繰り広げる、笑いあり・ドタバタありの家族物語です。
ざっくりした内容をお伝えすると:
第一章「置き土産」 では、ゲームセンターで犬のフンを踏んで入口に擦り付けてしまった主人公が、その後、見知らぬ大男がトイレに巨大なアレを残していき、一家総出で格闘するという強烈な場面が描かれます。
第二章「兄弟」 では、近所の居酒屋「兄弟」の常連たちによる連続被害(花壇の小松菜泥棒、現金窃盗)に主人公が立ち向かおうとするも、次々と返り討ちにされるドタバタ劇。パパンと幼なじみ竹花さんの伝説的コンビ「肥溜めブラザース」も登場。
第三章「先輩」 では、パパンとの衝突や、ノー天気なママンとのやり取りが続き、主人公の将来への焦りと家族の可笑しみが絡み合います。
全体として、昭和の庶民的な家族の日常を、クセの強いキャラクターたちで描いたユーモア小説です。何かご感想や質問はありますか?
