見出し画像

闇 03(全日本プロレスプロテスト編)

闇 03(全日本プロレスプロテスト編)

2024/07/19 fry
2025/07/10 thu
2025/07/25 fry
前回の章


賽は投げた。
自分なりに努力してキツいトレーニングを続け、吐くほど食べて身体を大きくしてきたつもり。
六本木にあった全日本プロレス事務所から戻ると、変わらずトレーニング漬けの日々を過ごす。


書類選考があると全日本プロレス事務員は言っていた。

もう十二月に入る。
あんなふざけた真似をして事務所へ飛び込んだ俺など、やはり相手にしてくれなかったのかもな……。

そう思い出した矢先に一通のハガキが届く。

『岩上智一郎書類選考合格』

あとは手書きで戸田スポーツセンターへ来るよう書かれていた。

本当の始めの一歩を踏み始めただけ、それなのに俺は視界が滲む。
俺はハガキを見ながらボロボロ泣いた。

何の知恵も持たない俺が、我武者羅にやってきた事に対し一つの結果が出たのである。
この涙は報われたという一つの結果によるもの。

しかしまだ階段を一つ上がっただけなのだ。
いつまでも感慨深げにいられない。

次はプロテスト。
俺は泣いたままベンチプレスを持ち、一心不乱にトレーニングを始めた。
少しでも肉体の進化を……。

自身があのリングへ上がる姿を想像しながら。
肉体から迸る汗。
身体中の細胞が歓喜の悲鳴を上げている。
うん、これでいい。
今、俺はすべての細胞から祝福されているのだ。

まだ書類選考の段階であるが、この喜びを地元の人間に触れ回る。

まずは銀座通りの化粧品加賀屋のおばさんへ報告。

「ほんと良かったねえ、智ちゃん。身体もどんどん大きくなっているじゃない」
「へへ、日々鍛えまくっていますからね」

おばさんの息子である滝川兼一。
彼も嬉しそうに喜んでくれた。

「兼チン、ステーキ行こうよ」
「また宮?」
「二ヒヒ、よく分かるねー」

俺と兼チンはよくつるんで二五四バイパスにあるステーキ宮へランチに行った。
この時間帯だと五百円台でハンバーグや宮ランチが食べられ、またご飯のお代わり自由なのである。
金の無い俺たちにとって、これだけ楽園のようなレストランは他になかった。

続いて加賀屋の横にあるスガ人形店へ入る。
一つ先輩の須賀栄治さんに一次選考通過のハガキを自慢げに見せた。

「お、凄いじゃない。智ちゃん、昔はガリガリだったのに随分努力して身体デカくしたもんなあ」
「スピードを落とさずこの体格のまま大きくしようとするから、本当に体重が中々増えないんですよね」

夜になり、すぐ近くの喫茶店『ムッシュ』で連雀町の集まりがあり、先輩の吉岡さんから呼び出される。
そこには親父を始めとした囃子連の雀會メンバーの面々もいた。

俺は意気揚々と全日本プロレスの事を話す。
しかし酒に酔った雀會メンバーは俺の身体を見て大笑い。

「智一郎…、おまえがプロレスラーだなんて、やられ役にしかならないだろ」
「そんな細い身体で何を言ってんだよ。無茶な事しないで大人しく岩上クリーニングを継げ」

「……」

みんな手放しで祝ってくれると思っていたのが、まるで真逆の反応。
親父までが息子である俺を笑い者にして酒を飲む。

唯一七つ上の始さんだけが、俺の耳元で「頑張れよ」と肩を叩いてくれた。
一柳始さんは連繋寺の斜め向かいにある和菓子の伊勢屋を継いでいる。
そう言っても早い時点で始さんの親父さんは脳の病気で亡くなってしまい、二十代前半で家業を継がなくてはならない状況になってしまったのだ。

一人の先輩が奮起になる事もある。
俺は陽気に酔って笑っている親父たちを睨み付け、心の中で今に見ていろよと大成する事を誓った。

吉岡さんは同じ町内の同級生久保田広子たちと飲んでいて、俺を手招きで呼ぶ。
隣りには金子八百屋の子供である金子真弓に金子修一姉弟もいた。
驚いたのは久保田家と金子家は親戚のようで、近所なので交流もよくあるらしい。

特に修一などは俺の四つ下…、つまり弟の貴彦と同級生。
真弓にしても二つ下の徹也と同じ年。
さすが第二次ベビーブームと呼ばれる世代だけあって、一人っ子の家庭は中々いない。
同級生や先輩後輩の家だけで、一つの商店街ができてしまうのだから。


地元の同級生たちと酒を飲む機会が自然と増えた。
あと一つ、プロテストさえ通過すれば、待望のレスラーへなれるのだ。

誇らしげに俺を見る視線。
まだ成功した訳ではないのに、どうしても図に乗ってしまう自分がいた。

これまで中途半端で何一つ誇れるものがなかったのである。
夢ではなくもう現実があと一歩まで迫っている段階。

書類選考合格のハガキを見せながら報告する俺に対し、賞賛してくれる同級生。
とても居心地がいい空間。
少々天狗になってしまう自分を自制できない。

レスラーになると言った時、多くの人に笑われた。
それで笑った人間は、俺が実際になった時一体どんな態度で出迎えるのか?

あとプロテストに合格すれば、俺は全日本プロレス所属のレスラー。

この頃二つ年上の従妹の和ちゃんの同級生である土方智さんと妙に気が合い、よく共に行動するようになる。
俺は坊主さん坊主さんと呼びながら慕った。
パソコン会社を辞めて無職だった坊主さんは、よく俺の部屋に入り浸る。

金が無いのでほとんど自炊だが、この頃米不足によりタイ米がよく流通していた。
いかに不味いタイ米を美味く炊けるか?
身体をデカくしなければならない時期に、このテーマは俺にとって死活問題でもあった。
泊まりに来ている坊主さんの分も一緒に作り、食事を分け合う。

ナポリタンを作ろうと台所にある玉ねぎを半分ほど使ったのを叔母さんのピーちゃんに見つかった。

「この泥棒野郎が! 人の野菜勝手に盗むんじゃないよ」

たかがそのくらいで甥っ子に対し、泥棒扱いするのか……。

坊主さんはあまり相手にしないほうがいいと俺を宥め、二人で金を出し合い近所のジミードーナツへよく行った。

一人になると、近所にある二十四時間スーパーのマルエツへ夜遅い時間帯を狙って行く。
何故なら半額になったお惣菜やおつとめ品とシールの貼られた異様に安い肉や野菜が売られていたからだ。
このぐらい心掛けないとエンゲル係数が高過ぎて、体重を増やすどころではなかった。
当然の如く稼ぎはほとんど食費で消える。

一切の娯楽も無い状況下の中、ひたすら身体の鍛錬の追及。
惨めさなど微塵もない。
ヘトヘトになり大の字に寝ている俺の胸を一陣の風が吹き撫でる。
それだけで幸せを感じる事ができた。

ボロは着てても心は錦。
言葉通り心だけは充実している。

たまに俺が坊主さんの家へ行くと、彼の母親はキチンと三食のご飯を用意してくれた。
二人とも無職同然なのでとにかく金が無い。
キチンとした人間扱いをしてくれた事に多大なる感謝をした。

これが本来の母親像だよなと感じ、そんな親を持つ坊主さんが少し羨ましく思う。

金も無いにも辞められないタバコ。
よくお互いの小銭をかき集め、二百二十円を超えるとタバコを買って共有する。
先輩である坊主さんは、この時俺の吸っているセブンスターにあえて合わせてくれた。

自分を認めてくれる人間たちと時間を共有するのはとても楽しい。
金が足りなくても割り勘で酒を飲ませてくれる友達。
二十歳そこそこの身体だけは元気でも、金が追い付かない集団。

それでも楽しい日々を過ごしながらトレーニングに励む。

週末になると自然に集まる同級生の集まり。
一つだけ問題があり、酒乱の奴がいた。

俺より身長が十センチは高い大沢史博。
小学中学とずっと九年間同じ仲。

かつて真面目だった人間が、駒沢大学へ通いつつ、こうして酒を飲む楽しみを覚える。
もちろん俺だって酔う事もあれば、周りも同じ。
しかし彼の羽目の外し方は尋常でなかった。

あまりの酒乱ぶりに対し、二回に一度は警察を呼ばれたほどである。

外にUFOキャッチャーが設置してあるゲームセンターで一人ゲームをプレイする見ず知らずの女性がいると、大沢は突然尻を触った。

「何すんの…、この人、信じられない……」
「テメー、信じられないじゃねえよ」

そう言いながらいきなり抱きつく大沢。
完全な犯罪行為である。
こんな事を酔うと当たり前にしでかすので、常に大騒ぎになってしまう。

彼を力付くで制する事ができたのは俺だけだったので、必然的に大沢と飲む場面で呼ばれるケースは増えた。


とうとうプロテスト当日。
戸田スポーツセンターへ向かう。

何があるか分からないが、今までのすべてをありのままぶつければいい。

中へ入るとプロレスラー志望の人間が二十人ほどいた。
まだ興行前なので、関係者以外人はまばら。

俺たちはその場で腕立て伏せの姿勢を取らされた。
端から順番に十ずつ大きな掛け声で腕立て伏せをする。
百、二百と回数が増える度、掛け声を出す順番が早まってきた。

一人また一人と脱落する人間。
五百を超えた頃、とにかく声を出しながら一心不乱に腕立て伏せをこなす。

回数の順番待ちなど気にする余裕もない状況。
ひたすら目を閉じながら回数を言いながらこなす。

「よし、いいぞ」

途中で肩を叩かれ、顔を上げる。

「おまえだけ合格だ」

そうと言われた。
周りを見ると、生き残っていたのは自分だけだった。

「馬場社長に会いたいか?」

そう言ってレスラーの渕さんは笑う。

テレビでしか見た事がない超有名人。
もちろん大きく頷く。

俺なりにプロレスに対し、様々な想いがあった。
人生で初めて本気で取り組んできたのである。
それらを全部ぶつければいい。

頭の中で何を伝えようか考えながら、意気揚々と向かう。

「社長…、失礼します」

渕さんがノックをし、ドアを開ける。
部屋へ通されると、目の前にあのジャイアント馬場社長が脚を組んだまま座っていた。

本当に大きい。
想像を絶するデカさ。

テレビで見た事があるように本当に葉巻を咥えている。
この人がジャイアント馬場……。

あれだけ気負っていたはずが、初見で圧倒されていた。
言いたい事、伝えたい事が一杯あったはずなのに、頭が真っ白になり無言のまま立ち尽くす。

これだけ威圧感のある人間と、今まで出会った事がなかった。

「……」

どのくらい時間が流れたのだろう?
俺は一言も話せず、その場でただきょうつけの姿勢のまま立っている事しかできない。

葉巻を置いた馬場社長が静かに口を開く。

「やる気はあるかね?」

やる気…、あるに決まっている。
どれほどここへ来るまで修練を積んだのか。

それでもどこか夢の中にいるような気分だった。

馬鹿…、社長が声を掛けてくれているんだ。
何か返事しろよ……。

必死に根底から絞り出すよう「はいっ!」と答えるのがやっとだった。

極度の緊張、そして重圧。
どうやって馬場社長の部屋から出たのかさえ、何も覚えていない。
気付けば廊下を渕さんと歩いていた。

「せっかくだから試合観ていくか?」

渕さんからそう言われ、これからビデオテープやテレビで見たジャンボ鶴田や三沢光晴を生で見られるのかと思った。

しかしプロテストに合格し、馬場社長と会え、一言とはいえ話せた現実。
この非現実的な状況から我に返った俺は、喜びと感動を一早く地元へ戻り、みんなへ伝えたい気持ちが強かった。

丁重に断ると、渕さんは俺の持っていた一次選考通過のハガキを寄越せと言う。
十二月末、たまプラーザ駅にある全日本プロレスの合宿所へ来るよう指示された。

「あの……、どうやってそこへ行けばいいですか?」
「せっかちな野郎だな。今からこのハガキに住所と連絡先を書いておく。そうだな、本多か浅子に迎えに寄越すから名前書いておくぞ」

「ありがとうございます!」

本多多聞に浅子覚。
たまにテレビにも映る全日本プロレス若手レスラー。
俺もその中に一員としてこれから入っていくのだ……。

遠くで三沢光晴さんがウォームアップしている姿が見えた。
俺は渕さんと別れると、そっと近づく。

「み…、三沢さん!」

後ろから思い切って声を掛ける。
ゆっくり振り向くと俺の顔を見る三沢さん。

こんなにもプロレスラーとは厚みのある大きな肉体を持っているのか……。

ここでも俺は圧倒される。
声を掛けておきながら何も話さない俺を見て、三沢さんは片側の口元を吊り上げた。

「サラリーマン?」
「い、いえ! 今度から全日本でお世話になる事になりました岩上智一郎です!」

「そう、頑張ってよ」
「はい!」

ポンと肩を叩かれ、またストレッチを始める三沢さん。
俺は深々とお辞儀をすると、戸田スポーツセンターをあとにした。


まず家へ戻り、おじいちゃん、父親の妹である叔母さんのピーちゃん、真ん中の弟である徹也が居たのでみんなへ結果を報告。

おじいちゃんは有頂天にならぬよう釘を刺す。

弟の徹也は凄い喜びようである。
まさかあの時見せた一本のビデオテープからここまでこうなるとは思っていなかったのだろう。

ピーちゃんは「私の行っているプールはインターハイ選手がゴロゴロいる」と俺の全日本プロレス合格をまるで祝福する気がない。
学生時代からずっと拗れた関係者のままであるピーちゃん。

今日ぐらい一緒に喜んでくれてもいいだろうが……。

「何を言ってんだよ、ピーちゃん! 全日本プロレスだよ、全日本!」
「だから何だよ? 私の毎日行っているプールにはインターハイ行ってんのがたくさんいるの」

「何だと、この野郎!」

あまりの暴言に掴み掛ろうとする。

「やめないか、智一郎!」

おじいちゃんに諌められ、何とか怒りを抑えた。

この人と、まともな会話を望んではいけないのかもしれない。
報告しようとした俺が馬鹿だったのだ。

別にいいさ、今日の事を喜んでくれる人はたくさんいる。

夜になると同級生たちを呼んで飲み明かす。
ここ一年間ずっと努力し突っ走ってきた一つの結果。
誰もが喜んでくれた。

酒乱である大沢がまた悪酔いし、店から通報を受けた警察が駆け付ける一面もあったが、それさえ除けば楽しい時間を過ごせた。


年末の合宿へ向け、日々身体の鍛錬をこなす。
幼少の頃からずっと強さを目指してきたのだ。
まだ途中であるにせよトントン拍子に進んでいるのが怖いくらいである。

このまま身体を大きくしたところで、俺には何のバックボーンも無かった。
柔道も知らなければ、レスリングも知らない。
プロレスラーの中に入れば体重も軽く身長だって低いほうになる。

これだという自分の必殺技が欲しかった。
トレーニングしながらも、何が一番自身にとって合う技なのかを常に考えるようになる。

服のボタンが取れ自分で裁縫していた時、うっかり針を指に刺す。

「……」

大して力も入れていないのに先端が細ければ細いほど、一点に力は集中する。
だからこの程度で指に刺さったのだ。

打撃の形は様々。
その中でも当てる面積が少なければ、そこへ力が増すはず……。

頭の中でちょっとした閃きがあった。

腕立て伏せの姿勢で、指先だけで支えてみる。
ただの指立て伏せ。
小指から一本ずつ離し、最終的に両親指の二本で身体を支える。

逆に親指だけ離し、残りの四本指で腕立て伏せをしようとするとできない。
つまり親指一本のほうが、他の四本指より強度があるのだ。

親指を鍛え、そこから繰り出す打撃。
真っ直ぐストレートに放つのでなく、真横から繰り出す奇妙な技。
相手と密着した際なら、至近距離で真横からできる。

打突

段ボールを用意し、それを対戦相手に見立て真横からの打撃をしてみた。

少しの距離で段ボールに開く穴。
うん、想像通りだ。

これは相手と密着したクリンチ状態になった際、初めて有効になるもの。
しかもその体勢なら対戦相手も気を抜く瞬間でもある。
そこへ目に見えない死角から真横へズドンと突き刺さる打撃。

俺はこの打撃を『打突』と名付けた。

この日よりトレーニングの中に親指の鍛錬も入れる。

親指立て伏せ。
鉄の柱に親指を何度も打ち付けた。
バケツに小石を集め、そこへ親指を何度も突き刺す。
爪は何度も割れ、常に傷だらけだった。
だがこれでいい。

俺の必殺の打撃技である打突が、こうして日々強靭にまた恐ろしい威力になっていくのだ。


小中学校時代の同級生である化粧品加賀屋の滝川兼一とはよく食事へ行った。

兼一の兼を取り、昔から兼チンという仇名だった。
彼はプロレスファンで天龍源一郎の大ファン。
はにかみ屋の奥ゆかしい一面を持つ彼は、好きなレスラーと聞くと恥ずかしそうに「源ちゃん…」と答えた。
他に越中詩郎、木村健吾といった新日本プロレスの反選手会同盟が好きだと言う。

「今、ちょうど天龍が新日に殴り込みを掛けているから、兼チンはどっちを応援しているの?」
「うーん…、やっぱり源ちゃんかなあ……」

「あ、兼チンさ、腹減ったから飯行かないか?」

トレーニングの合間によく食事へ共に行き、ステーキ宮で二人で四食分のランチを注文する。

「あの…、お客様は四名様ですか?」と店員から驚いて聞かれるほどだった。
俺はライスのお代わりを何度もして、とにかく腹に詰め込む。

「あとさ、兼チン悪いんだけど、俺のトレーニングしているところの写真撮るのを手伝ってくれないかい?」
「うん、構わないよ」

彼に写真を撮ってもらい、休憩中プロレス話に花を咲かせる。

小学三年生の時の担任だった福田先生の話になり、また会いたいなと話していると兼チンが「福田先生の神社なら分かるよ」と上尾市の道順を教えてもらう。
学生時代の様々な担任の中で、俺が印象深いのは小学の時の福田先生に田中先生、あとは高校時代の榊先生だった。

まだ書類選考、そしてプロテスト通過の段階であるが、今の自分を見てほしい。
そして褒めてもらいたかった。


神社の神主だった福田先生とまず会いたい。

そんな思いから、二十歳も超えたので小学三、四年の桜組だけのクラス会でもやるかと俺が幹事になり、連絡をみんなに取ってみる。

肝心の福田先生とは連絡がつかず、そのあと担任になった田中光秀先生を呼ぶ。
田中先生は埼玉医大手前にあるお寺『一乗院』のお坊さん。
つまり俺たち小学三年四年は、神主とお坊さんというかなり変わった担任を迎えた訳である。

久しぶりに一乗院へ車で行き、本堂を訪ねた。
奥から田中先生が出てくる。

「え、ひょっとして岩上か? デカくなったなあ、おい」

この度全日本プロレスへ受かった報告をし、そしてクラス会を開くので先生には是非とも参加してほしいと伝えた。
中学でバラバラになってしまった柴崎義明こと柴チンや、亀田直剛たちとも久しぶりに連絡が付き、田中先生を招いてのクラス会。
十年ぶり以上の再会は、とても懐かしく楽しい時間を過ごす。

この時同級生の斉藤美和と再会し、すっかり美しくなった彼女に俺は惚れていた。
トレーニングやアルバイトの合間に彼女をよく食事へ誘う。
俺の誕生日も一緒に祝ってもらったが、元々彼氏のいた美和は結局彼氏を選ぶ形でフラれてしまう。

まだ何一つ大成していない俺にとって、女はまだ早過ぎる。
そう自分を戒め、日々鍛錬の時間を増やす。


全日本プロレス合宿数日前。
高校一年生の担任だった谷先生から電話が入る。

「岩上、元気でやっているのか?」

俺はこれから全日本プロレスの合宿へ行く事を伝えた。
当然喜んでくれると思ったが、谷先生の反応は違った。

「おまえ、その日何とかならんのか?」
「え、何とかならんのかって、どういう意味ですか?」

「その合宿へ行く日、その予定を外せないのかって事だ」
「はあ? 先生…、俺、その日に全日の合宿行くんですよ? 何があるんですか?」

「大川隆法総裁先生がな、東京ドームを借り切って大切な前夜祭をするんだ。岩上、おまえもそこへどうかなと思ってな……」

谷先生は高校教師でありながら、大川隆法の幸福の科学にどっぷりハマっていた。

「あのー…、先生…、頭、大丈夫ですか?」

「おまえは一体だな、プロレスを通じて世の中に何を訴えようとしているんだ?」
「先生…、ひょっとしてプロの世界をかなり馬鹿にしていませんか? 俺はあの世界に食らいついていくだけで、必死なんですよ!」

「だから大川隆法総裁先生が行う前夜祭にだな……」
「先生! ハッキリ言って本当に迷惑です! もう連絡してこないで下さい!」

感情的になり電話を切った。
西武台高校で生徒相手にもあんな事を説いているとしたら大問題だ。

榊先生に連絡をして、谷先生の現状を聞いてみる。

「ああ、岩上、大変だったなあ。谷さんは相手にするの止めときな。それより今度時間作ってうちにまたおいで」

谷の奴、高校でも宗教が何とかかんとかと謳っているのか?
何があったのか知らないが、どうしょうもない先生になったものだ。

宗教を妄信するのは個人の自由だ。
しかしそれを素晴らしいと相手の都合も考えずに強要するから、宗教自体が一気に胡散臭くなってしまう。

素直に俺の合格を祝福し、お祝いに酒でもご馳走するから会おうといった手段だったら、俺もここまで感情的にならずに済んだのだ。

「それより岩上、おまえ今度いつうちに来るんだよ?」
「そりゃあ先生に呼ばれれば、いつだって行きますよ」

榊先生は卒業したあとも交流があり、よく家へ招かれ奥さんの手料理をご馳走になっている。
娘の由香ちゃんも生まれて間もないし、あの子が大きくなった時俺はテレビに映るぐらいの活躍ができるようになっていないとな。

電話を切るとトレーニングウェアを着込み、ランニングへ出掛けた。


合宿へ行くとしばらくは向こうに住むようになるから、祝賀会も兼ねて飲もうと同級生たちから誘われる。

祝ってくれる気持ちは素直に嬉しい。
これから過酷な環境へ身を置くわけだし、少しくらい楽しんでもいいだろう。

本川越駅前にあった二階のつぼ八に集合して始まる飲み会。
飲む時はこの店がすっかり定番だった。
激励する同級生たち。

「あれ、ひょっとして岩上君?」
「ん-…、中野か?」

高校時代一か月半という短さでクビになったケンタッキーフライドチキン。
その頃一緒にアルバイトをしていた女の子の中野希美と偶然店内で出くわす。

「凄い久しぶりだよね。何だか身体凄い大きくなってない?」

中野は高校生の時以来という年月が経つのに気付き、意気投合。
共に飲みに来ていた友達も一緒に飲む事になった。

昔話の内容は、俺がケンタッキーをクビになった時の話となる。
彼女を含む当時女子高生だったアルバイトたちへ強引に飲み会を開催し、セクハラ紛いな行為を続けた店長代理の中島。
その頃まだ大学生だったが、この中島を何とかしてほしいと数名の女の子たちから相談されていた。

高校二年生だった俺もその飲み会に参加し、中島のセクハラ紛いな行動をさりげなく止める。
トイレへ行った時あとから中島が来て「テメー、ガキのくせに生意気なんだよ」と怒鳴りつけてきたので、その場で殴り倒した。

この一件で俺はケンタッキーをクビになり、その後ガソリンスタンドの山口油材で働き始める事になったのだ。

中野たちからすれば、俺は窮地を救った英雄扱い。
しかもそれの人間がこれから全日本プロレスへ行こうとしている。

「有名になったら初恋の人はってインタビューで、私の名前言ってね」

完全に主役扱いの飲み会はとても楽しい時間を過ごせた。
その横で彼女たちから相手にされず、焼酎のボトルをラッパ飲みする大沢。
目が据わり酒乱に切り替わる兆候が出ていた。

案の定大沢は店内にいた中野たちに絡み出す。
嫌がると強引に抱きつき胸を触りだした。

「おい、大沢! おまえ、いい加減にしろよ? 中野、会計は俺が持つから友達連れて帰りな」
「うん…、ごめんね、岩上君」

しつこい大沢を引き剥がし、中野たちを外へ逃がす。
すると大沢は彼女たちを追って外へ飛び出した。

出ようとすると店員に勘定を請求され、仕方なく払ってから出る。

外へ出ると彼女たちの姿は見えず、代わりに大沢が道端で三人組の男たちへ絡んでいるのが見えた。
慌てて間に入り謝罪する。

その間、大沢は奇声を発しながら道路へ飛び出す。
対向車が慌てて急ブレーキを踏む。
停まった車に自分からぶつかり道路へ倒れる大沢。

運転席のおばさんは目を真ん丸に見開いて身体を震わせていた。

「気にしないで行っていいですから! 悪いのはこちらなんで……」

起き上がりながら大沢はまた奇声を発しながら別方向へ走っていく。
俺が怒鳴っても一切聞こえていない様子。
まったく……。

先方に柄の悪いヤクザ者十数名が飲み屋のビルから出てくる。
全員がパンチパーマを掛けていた。

「ワーッ!」

その一人に向かって大沢は突進し両肩を掴んで、ガラスの壁へ思い切り叩きつける。
衝撃で割れるガラスの壁。

「いきなり何してんじゃ、このガキァーッ!」

他のヤクザ者たちは突然の暴行に対し怒り狂う。
十数名が大沢を殴り蹴っ飛ばした。

もちろん悪いのは悪酔いした大沢である。

しばらくその様子を眺めていたが、一方的な暴力は一向に止む気配がない。
いくら何でもやり過ぎだろう?

もう少しで合宿が始まる……。

しかし悪いのはこちらでも、このまま暴行を受ける同級生を見捨てて帰ってもいいのか?
俺は何の為に強さを求めたのだ?

相手がヤクザだから知らんぷりをする?
それは違うだろう。

「おい、いい加減にしろよ」

俺は止めに入った。
こちらが手を出していないのに殴り掛かってくるヤクザ。

「何じゃ、貴様はコラッ!」
「やり過ぎだ。もうやめろ」

頬に一発パンチを喰らう。
これで正当防衛だよな……。

まだ殴り掛かってくるので仕方なく足払いを掛け、大沢から一人ずつ引き離す。
まだプロではないが、素人との体力差は歴然としている。
俺は一切殴る事もせず、大沢からヤクザを守る事だけに専念した。

それでも十数人いるので質が悪過ぎる。
数名を止めていると誰かしらが大沢の顔面を蹴飛ばす。

さすがに大沢の上に覆い被さり、全身を無差別で殴られ蹴られた。
人が無抵抗なのをいい事にいい加減にしろよな……。

攻撃の手が止み、起き上がろうとすると、けたたましいサイレンを鳴らしながらパトカーが到着。

俺は殴っていない。
喧嘩を止めただけ。

必死に言い訳をしても手錠を掛けられ、強引に警察署へ連行された。

取調室で事の発端から捕まるまでを冷静に話し、手は出していない事を懸命に説明する俺。
隣の取調室では大沢が大声で喚きながら暴れている。

「酒を飲んでいるだろ、おまえは」
「お巡りさん、俺は至って冷静ですから!」

「隣りの奴は相当酔っているだろうが」

「……」

酒が入っているので俺の話をまるで信用しない警察。

「職業は?」

「……。今は無職だけど、もうちょいで全日の合宿へ行く身だ」
「何だって?」

「先日全日本プロレスのプロテストに受かり、これから合宿所入りする予定のレスラーだって言ったんだよ! だからこれでもプロ意識はある。手なんて一回も出しちゃいねえよ! 一緒にいたヤクザ者に聞いてみろ」
「はあ? おまえレスラーか? だから身体デカいのか。捕まえたのはおまえと連れの二人だけだ」

「はあ? あんだけ無抵抗の俺を殴る蹴るしときながら、警察は一人も捕まえられてねえのかよ!」
「少し待っていろ」

「……」

しばらく一人で待たされる。
隣では変わらず大沢が暴れていた。
あの馬鹿のせいで飛んだ目に遭ってしまったものだ。

変に正義感など出さず、放置してとっとと帰ればよかった。
何度注意しても酒乱の治らない大沢。
まさか事前にこのような形で足を引っ張られるとは思いもしなかった。

深い溜め息をついていると、先ほどの警官が入ってくる。

「ほら、代われ」
「え、何を?」

「早く出ろ」
「チッ…、分かったよ!」

手渡された電話と乱暴に奪う。
一体誰に電話したんだ?

そう思いながら出ると、相手はジャイアント馬場社長だった。
必死に状況を説明する。
一切暴力行為はしていないと身の潔白を叫ぶ。

「もううちには来ないでいい」
「え…、社長!」

電話が切れる。
冷たい言葉が心を切り裂く。

「社長っ!」

聞こえもしない相手に向かい、俺は何度も受話器で叫んでいた。
こんな事で、今まで頑張ってきたものが崩壊?

「……」

手から受話器を落とす。
頭が真っ白になり、しばらく放心状態だった。

大沢が騒ぎ、怒鳴りながら制する警察の声で我に返る。

「……」

あの馬鹿のせいですべてが台無しになった。
本当に洒落にならん事をしてくれたもんだ。

「おい、何を勝手に立ち上がってんだ?」

気付けば椅子から立ち上がっていた。
隣の取調室へ向かおうとすると、数名の警官が止めてくる。

「どけよ……」

邪魔なので数名の警官を跳ね除けた。
大沢が俺の姿に気付くと「岩ヤン、あいつらやりに行こうぜ」と大声を出す。

この馬鹿のせいで、俺の目指してきたものがすべて壊れてしまった。

「おい、どこに行く?」
「止まれ!」

警官の制止も気にせず、大沢の元へ近付く。
数名の警官が力付くで俺の身体に覆い被さってくる。

身体の自由を奪われ、取調室から強引に出された。

どけよ、コイツら……。

このままじゃ、あの馬鹿を殺せないだろうが。
すべて払いのけ、再び部屋へ向かう。

また数名の警官が俺の身体を押さえつけてくる。

今度は抵抗せず、自分の取調室へ連れ戻された。
このままでいいのか?
いいはずがないだろうが!

俺は転がっている受話器を見つめた。

ここから先は

9字 / 1画像

メンバーシップ ¥ 100 /月

闇シリーズを守る為。内容やアイデアだけパクられるのを防ぐ為。

闇シリーズ(メンバーシップ)

募集終了

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?