闇 439(昭和の教師編)
闇 439(昭和の教師編)

2025/12/30 tue
前回の章
二千十八年一月十九日、金曜日友引。
競馬の出馬表が発表されて、週末がやってくるのを実感する。
斉藤弘一が亡くなってから、競馬を一度も当てていない俺。
明らかに流れというか運気がおかしい。
ギャンブルで一番勘違いしやすいのが、惜しい負けである。
当たらなければ惜しいもクソも無い。
ニアミスだったからといっても外れは外れなのだ。
今後の事を考えたら、金はある程度貯めないといけない。
猫の餌代に関してはこのままでいい。
現状で問題視しないといけないのが競馬だけ。
パチンコやスロットと違い、いくら金を持っていても青天井なギャンブル。
少額でも遊べるが、一つ間違えば青天井。
いくら金があってもキリがない。
本当俺のこれからの人生ってどうなっていくんだろうな……。
何も積み上げてこなかった。
何のスキルも経験もない。
今あるのは裏稼業という社会的には何の肥やしにもならない職種だけ。
自己嫌悪ではないが、本当に生きている価値すらあるのかと思ってしまう。
ちょっとした狭い範囲の経済だけ回し、猫へ餌を与えて現実逃避。
いつから俺は、こんな風になってしまったんだろうな。
もはや夢も希望も何もない。
無駄に年齢だけ重ね、老廃物になっていくだけの日々。
誰がどう見ても若くはないし、若気の至りじゃ済まない年。
まだ初老ではなく中年という層だが、あと十年二十年もすれば完全に仲間入り。
老害という言葉をよく聞くようになった。
俺は亡くなってしまったけど、未だおじいちゃん子でありおばあちゃん子だ。
何故なら機能していなかった両親の代わりに、無償の愛で育ててもらった恩があるからだろう。
故に老害と一括りで蔑む今の世の中の表現が嫌いだ。
人に意見するほど立派な道を歩いてきた訳ではない。
後ろ指さされる事のほうが多いだろう。
だからこそ分かる事がある。
地べたを這いつくばい必死に生きてきた。
そこからじゃないと見えないものもあるはずだ。
ひとえに今の日本は平和ボケし過ぎてしまったのだろう。
だから人の痛みに気付けない。
弱者の立ち位置に立って物事を考えられない。
神風特攻隊でお国の為に散っていった先人たち。
平和を願い自身の魂を捨ててまで行った行為が、コレなのか?
日本は住みやすい国だと世界的に言われているらしい。
そりゃそうだろう。
チョロいもんな、色々と……。
そのチョロい中でさらに搾取された俺はもっと酷い。
どうでもいい事ばかり考え、川越へ帰る。
今日は四匹いた。
いつものように餌を買い、与えると近付いて来る。

一体俺と君たちはどんな関係なんだい?
俺の思いなど気にせず猫はただ餌を食べる。

手を伸ばそうとすると引っ掛かれ、威嚇される俺。
まだ俺は君らにとって余所者かい?
まあいいさ、明日も明後日も毎日顔はだしてやるからな。
二千十八年一月二十一日、日曜日仏滅。
昨日も土曜競馬を外した。
今日ももちろんやる。
しかし、レース前に予告しておこう。
俺はフェイスブックへ記事を書き、投稿した。
予告
今日も競馬全部外れたら、競馬辞めます。
毎月毎月何十万も負けんのもうやだ。
自身の運の無さにほとほと嫌気をさした。
これは自身の決意表明である。
土曜日曜の三会場全十二レース。
つまり全部で七十二レースを買った。
その内昨日の三十六レースは、すべて外れて負けた訳だ。
これだけ買って一レースも当たらないようでは、競馬など辞めたほうがいい。
さすがに負け続きでうんざりしている。
馬券はすべて買った。
あとは業務に集中し、時間が経つのを待つだけ。
夕方十六時三十六分になり、俺は再びフェイスブックへ投稿をする。
競馬、もう
辞めはりますわ。
土日72レース
すべて外れた…。
言い訳も何も通じない無情なる結果。
今の俺にはそうとしか感じられない。
全レース買って、ここまでメタメタに外れるものなのか?
おかしいだろ、競馬?
絶対に裏で何かやっているだろ?
本当に世知辛い世の中になってしまったのだ。
昭和は良かった。
まだ人情味に溢れ、たまに変態もいたがいい時代だったのである。
平成って一体何だ?
どんどん人情味も薄れ、消費税はジワジワ上がり、タバコ代も気付けば昭和の二倍以上。
絶対におかしいよ。
何か裏で糸を引く闇の人間がいるはずだ。
ふと中学生の頃を思い出す。
いや、中学というよりもあの川越のもんじゃ焼きがあった駄菓子屋を……。
俺が高校二年生の時初めてアルバイトしたロジャース斜め向かいにあった十六号沿いのケンタッキーフライドチキン。
もうこれも今は閉店して無いが、ケンタッキーの隣りにハーフダイムという
ローストビーフのレストランがあった時代。
その斜め向かいにあったバッティングセンター。
そこをさらに奥へ行った場所に、おばあちゃん一人でやっているもんじゃ焼きと駄菓子屋とゲームコーナーがミックスした場所があった。
店の名前なんてあったのか定かではない。
うちらは『あのもんじゃの店』と言うだけ。
おばあちゃんの見た目は、白髪頭でメガネを掛けた細身。
ゲームコーナーにあった台で覚えているのが『ファイティングストリート(ストⅠ)』の特殊筐体ではなく、普通のテーブル型にレバーと六つボタン仕様。
もんじゃは狭い。
二人掛けの小さい鉄板を設置したテーブルが三つに細長くスペース。
駄菓子とゲームは同じスペース。
ゲームが八台ぐらいあった。
値段が殺人的に安かったのが子供たちにとって堪らない魅力的な場所に映ったのだろう。
小麦粉をミキサーで溶いたものに、海苔なら海苔だけ。
キャベツならキャベツだけとシンプルなもんじゃ。
卵を勝手に持ち込むと、おばあちゃんがよくキレる姿を見たものである。
確か海苔が五十円、キャベツが六十円、紅ショウガは七十円。
卵が九十円、そして全部入りは百二十円。
普通に考えて小麦粉をミキサーで溶いたものに青海苔だけ入れたものを
鉄板で焼いただけ。
それにウスターソースをぶっ掛けて食うだけなのに、よくよく考えてみたら、何故あんな旨くもないものを嬉しそうに行ったんだろう?
それでもあの頃って、それすら美味く感じた子供時代なのだ。
確かジュースはミリンダとかビンのが五十円だったかな?
ペプシとかオレンジとか三種類ぐらいあったっけ。
小学校五年生から高校生くらいまでよく通ったものである。
二十五歳の頃一度行った時はまだあって、あそこのおばあちゃん俺の顔を覚えていたっけな……。
何故小学五年生くらいと俺はハッキリ覚えているのだ?
最初はデコリンチョこと及川俊彦とよく行ったからだ。
あいつが途中で転校してきたのは小学五年生の梅組だった頃。
散々奢って面倒見てやったのに、性格が曲がった性根の腐った奴だった。
中学一年生の頃、俺が『ガムちょうだい』を買ってきて、実家の店の
入口に置いて小遣い稼ぎをしようとした事がある。
そしたら弟の徹也や貴彦やこのデコリンチョが一円玉とかで買いやがって、
俺は当時凄い大損をした。
最悪だったのがそれをデコリンチョが学校で面白おかしく言い触らすから、一時俺の仇名が『ガム』とか言われるようになった。
散々目を掛けてやったのに人を平気で裏切るような卑劣なデコッパチ野郎。
デコリンチョはいつも金無くて、頼むのは五十円の海苔。
チビリチビリ鉄板へ大事そうに一センチ程度の大きさで焼き、ソースをドバドバぶっ掛けて食べているのをおばあちゃんに見つかりよく怒鳴られていた。
不憫に感じた俺が、全部入りとかちょっと分けてやったのになあ。
そういうのも含めて裏切りやがって、再会したら殴ってやりたい。
だけど何であんな屑に俺は親切にしてしまったのだろうか?
おそらく片親で今でいうシングルマザーという部分に対し、勝手に俺がシンパシーを感じていたのだろう。
仲良く接していたつもりが、中学二年生ぐらいの頃転校してそれっきり。
たまに飯野君とデコリンチョどうしているんだろうねと思い出話に出るぐらいだ。
しかし岩上整体時代、子供四人を連れてきた同級生の増田清子により、デコリンチョ情報が手に入る。
俺たちには連絡ないくせに、社会人なってからもデコリンチョから
よく手紙が届いたと笑いながら話した増田。
それを話す増田清子もヤバい奴だけど、そんな女にデコリンチョは昔からずっと惚れていたのだろう。
「……」
競馬の負けから現実逃避し過ぎて、もんじゃ焼きからデコリンチョまで意味不明な過去を振り返ってしまった。
今日も帰りに例の場所へ寄り、癒されるとしようじゃないか。
川越へ到着すると、迷いなく埼玉りそな銀行の駐車場へ向かう。
俺は感動のあまり写真を撮りながらその場でフェイスブックへ投稿した。
何て表現したらいいんでしょうかね……。

そう…、距離が少し縮まった、そんな感じですか。

俺が近づくと野良猫ニャーニャーたち(今日は5匹)がニャーニャー言いながら近づいてくるようになりましたよ。
心の奥底が温かい何かに包まれたような感じがした。
そうか…、多分この猫たちとの戯れは、あの古き良き昭和時代を彷彿させる空気にさせてくれるのだろう。
競馬は全敗した。
しかしこの子たちのお陰でそれだけではない一日になれたのである。
二千十八年一月二十三日、火曜日赤口。
久しぶりに雪が降る。
休みだけど、部屋からほとんど出ていない。
暖房をつけ布団へ包まったまま眠るだけ。
久しぶりに夢を見た。
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