38.新プラトン主義②
画像は以下のサイトから転載。
前回に引きつづき、新プラトン主義についてお伝えします。
新ピュタゴラス主義
ストア派の哲学者ポセイドニオス(紀元前一三五年ごろ~)は、新ピュタゴラス運動の発展、そしてプラトン主義とストア派の融合に貢献した人物です。

ポセイドニオスは、シリアのアパメアで生まれました。アパメアはエメサの近郊にありました。
著作はほとんどが失われてしまいましたが、ポセイドニオスはマギの占星術と悪魔学に精通し、魔術に関心を持っていました。『英雄と悪魔について』という論文も残しています。
フランツ・キュモンは、著書『ギリシャ人とローマ人の占星術と宗教』の中でこう記しています。
セレウコス朝(シリア)の帝国では、……あえてこの言葉を使うならば、ヘレニズムが圧倒的な地位を確立していた。旧来の土着信仰の上に、とくにストア派の教義が人々の心を支配していた。
ストア派の巨匠たちのほとんどが東洋人であることはよく知られている。ゼノン自身はキプロス島のキティオンで生まれた。かれの後継者であるクリュシッポスなどはキリキアのタルソス出身である。バビロンのディオゲネス、アパメアのポセイドニオス、タイアのアンティパテル……みなシリア人であった。
ポセイドニオスによってはじめられた、あるいは代表された同じ思想の動きと、奇妙な宗派である新ピュタゴラス派の復活は関連していた。宗教生活の理想によって、古いピュタゴラス神秘主義との結びつきを公言していたが、その教義はポセイドニオス、とくに『ティマイオス』の注釈で展開された理論に負うところが大きく、偉大なシリア人を媒介として、あるいは直接的に、東洋の宗教から多くを借用した。
テュアナのアポロニオス(一世紀ごろ)は、新ピュタゴラス派の哲学者で、魔術師であり奇術師でした。
著述家フィロストラトス(一七〇年ごろ~)の『テュアナのアポロニオス伝』によると、アポロニオスはピュタゴラスを信奉し、疫病退散、悪魔祓い、死者蘇生、瞬間移動、千里眼、復活などの奇跡を行いました。
紀元後一世紀の半ばという時代に、数秘術、占い、魔術、神託という、はっきりとした新ピュタゴラス派の傾向があらわれました。実際アポロニオスは「ピュタゴラスの再来」として活動していました。
もう一人似たような人間がいました。シモン・マグス(一世紀半ばごろ)は、神の知恵そのものであるという娼婦と奇跡を起こしながら放浪した人です。
もう一人、世界的に有名な人物がいました。

アポロニオスは旅行中、インドのバラモン教、エジプトのジムノソフィスト、バビロニアのマギと交わり、カルデアの秘儀を伝授されました。
その後エフェソスの疫病を予言した魔術師としてローマで逮捕され、ドミティアヌス帝の前で裁判にかけられました。フィロストラトスによると、アポロニオスは不可解にも法廷から姿を消したそうです。
新プラトン主義への系譜
アパメアのヌメニオス(一五〇年ごろ~)は、新プラトン主義の出現に大きな影響を及ぼした新ピュタゴラス主義者です。この人もシリア人です。
ヌメニオスはユダヤ教に造詣が深く、プラトンとピュタゴラスは哲学的真理の双子で、ヘブライ人、エジプト人、ゾロアスター教のマギ、バラモンの伝統はすべて一致していると考えていました。
またヌメニオスは、神の本質を探究するためには、プラトンまたはピュタゴラスの知恵を越え、バラモン、ユダヤ人、マギ、エジプト人が確立したすべてのものまで遡らなければならない、と主張しました。
中期プラトン主義における重要な哲学者は、カイロネイアのプルタルコス(四六年ごろ~)です。

この人はデルフォイのアポロン神殿の祭司でした。
アレクサンドリア出身のアンモニオス・サッカス(一七五年ごろ~)は、アカデメイアの責任者で、新プラトン主義の創始者と一般的に認められています。
アンモニオスはエジプト人で、ヌメニオスと同様に、ピュタゴラスとプラトンの知恵はもともと東洋由来だと主張しました。アカデメイアにアレクサンドリアのピュタゴラス的、占星術的な影響を持ち込んだ張本人とされています。
プルタルコスによると、無知な大衆が信じる創造主はじつは邪神だとのことです。エッセイ『デルフォイのEについて』で、天上界はデーモンによって支配されていると説明しています。
ギリシャ人のデーモンは、ユダヤ人における天使と同一です。
ちなみにデルフォイの神託所の前庭の壁には、大文字のイプシロン(E)が刻まれていたといわれています。

Eは二番目の母音で、太陽に次ぐ惑星、月と同定されます。邪教の創始者セミラミス、ローマのディアーナ、ひと昔前のセーラームーンは、どれも天の女王、月の女神、セックスと豊穣の女神です。
また、ギリシャ語の母音の数は七つです。占星術では惑星の数は七つで、一週間のそれぞれの曜日を支配しています。クンダリニーヨガのチャクラも七つです。
プルタルコスは、ロゴスは媒介者で、ゾロアスター教の媒介する神と同一視していました。
ゾロアスター教の媒介する神とは、まだ脇役だったころのミトラです。
シリア人ヌメニオスの思想は、初期の新プラトン主義者プロティノス(二〇四年ごろ~)に影響を与えたとされています。
ポルフィリオス(二三四年ごろ~)は、著書『プロティノスの生涯』でこのように記しています。
ギリシャ人の一部は、プロティノスがヌメニオスの思想を流用していると非難しはじめた。
アンモニオス・サッカスはキリスト教徒でしたが、プラトンの研究のために宗教を捨てました。
かれ(プロティノス)が心を開いた友人は、……アンモニオスを勧めた。プロティノスは行って講義を聞き、仲間に叫んだ。「わたしが探していたのはこの人だ」
その日からプロティノスはアンモニオスに師事し、かれの指導のもとで哲学の進歩を遂げた。かれはペルシャのメソッドとインド人のあいだで採用されているシステムを熱心に調査するようになった。
プロティノスはポルピュリオスの師匠でした。ポルピュリオスは古代人の中では最も有名なベジタリアンで、『禁欲について』という本も書いています。
ほかに『反キリスト教論』という著作も書いていましたが、焚書処分となったため現在では断片しか残っていません。
『ニンフの洞窟について』という著書では、ホメロスに登場する洞窟の象徴性をミトラに絡めて説明しています。
エウビュラスが言うように、ゾロアスターはペルシャの近隣の山々で、万物の創造主であり父であるミトラに敬意を表し、自然発生した洞窟を奉献した最初の人物である。
またポルピュリオスは、ダニエル書はアンティオコス四世エピファネスの時代(紀元前二世紀)の人物の手による書だと認識していました。
アンティオコスはセレウコス朝シリアの王です。ダニエル書はヘレニズム時代に多く書かれた黙示文学のテンプレでした。
ポルピュリオスは、シリアの哲学者イアンブリコス(二三四年ごろ~)の家庭教師でもありました。イアンブリコスはエメサの神官王の子孫です。
プロティノスなどにおける新プラトン主義は、単なる哲学で済んでいました。バビロニアやエジプトなどのルーツに立ち返るといっても、あくまで精神的なものです。
シリア人のイアンブリコスは、リアルに邪教を復活させようとしました。
ローマ帝国のセウェルス朝(一九三年~)は、ローマの属州だったシリア由来です。エラガバルスやカラカラなど、いわくありの皇帝を輩出した王朝です。
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