【人生の主権を取り戻せ】他人のレールの上の成功なんて、1ミリも面白くない。 #1
普段、頭の中に浮かんでは消える思考の渦を、徹底的に言語化してみました。 これは、私が20代の今、理不尽な社会を「独立した個」として生き抜くために構築した、私なりの生存戦略(美学)です。 ぜひ、皆さんの意見もコメントで聞かせてください。
判断基準を自分に置く
私には、人生の根幹をなすいくつかの信念がある。その筆頭が「判断基準を自分に置く」ということだ。
何かを選択し、決断する際、他人の動向や意思を理由にしない。つまり、「みんながやっているから」「誰もやっていないから」「あの人に言われたから」といった外部の要因で行う行動は、私の辞書には存在しない。
なぜ、そこまで頑なに判断基準を自分に置くのか。理由は2つある。
1つ目は、選択のあとに訪れるであろう「苦境」を見据えているからだ。他人を基準に道を選んだ人間は、つらい局面に立たされたとき、無意識に「誰かのせい」にして逃げる。私はその卑怯さを嫌う。2つ目は、誰かが敷いたレールの上を歩んで成長しても、人生は何一つ面白くないからだ。リスクを背負い、俗に言う「我流」で自ら道を切り拓くプロセスにこそ、至高の面白さがある。当然、失敗すれば激しい批判を浴びるだろうが、それすらも自ら選んだ道の代償だ。
判断基準を自分に置ける人間は、圧倒的に強い。なぜなら、意識的であれ無意識的であれ、「言い訳という名の退路」を自ら断っているからだ。
他人の基準に身を委ねて生きることは、短期的には楽だろう。自分で重い決断を下す必要もなく、社会の平均値に埋もれていれば、他者から批判されるリスクも最小限に抑えられる。しかし、そんな思考停止の生活を長く続けていれば、いつしか自分の頭で考える力そのものが退化していく。
その結末は、主体性を持たないただの「イエスマン」であり、厳しく言えば人生の「奴隷」でしかない。そんな空っぽの人間に魅力を感じるのは、彼らを都合よく搾取しようとする時代遅れの独裁者だけだ。
自主的な意思を持たない人間ほど、退屈で魅力に欠ける存在はない。それは「優しい」のではなく、ただ「考えていない」だけなのだ。それでは人に都合よく使われて終わる人生になってしまう。
自分の人生の主権を取り戻し、人としての価値を高めたいのであれば、まず「あらゆる判断の基準を自分の中に置くこと」から始めるべきだ。
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