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躁鬱寛解後の生活を見つめる20のエッセイ集

躁鬱の波を経て、寛解期を迎えた日々について綴ったエッセイを発行しました。この記事で全文読めます。

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『躁鬱道中 寛解編』
2026年4月26日発行/電子版のみ/全28ページ(約11,000字)

寛解とは、「治った」「元気になった」という単純なものではありませんでした。落ち込む日も、希死念慮がよぎる日も、薬が減らない現実もある。それでも、水面に顔を出し、息をしながら生活を続けていく。

鬱期の自分にしかなかった強さ、寛解期の暇さ、ADHDとのジレンマ、読めないままのコンテンツ、そして躁鬱とともに生きるしかないという実感。回復の成功体験ではなく、寛解後の生活を見つめる記録です。



はじめに

タイトルに「寛解編」と記してありますが、これが一作目です。そのうち鬱編も躁編も書くかもしれないので、このタイトルにしました。
 
執筆開始は2026年4月下旬。わたしが直近で寛解状態を迎えたのが2025年9月28日、その日から2か月後の「完全寛解」と呼ばれる状態になった日が2026年11月28日です。なので、現在は躁鬱の完全寛解を迎えて5か月ほど経った頃ということになります。
 
2025年は躁鬱の波が激しく、2月に躁期、3月に鬱転、4月に躁転、6月から9月にかけて大きな鬱期を経験しました。その頃に比べると、寛解期は落ち込むことが少ない──というわけでもなければ、気持ちが穏やかでハッピーというわけでもありません。かといって「無」なのかというとそうでもなく、寛解期は寛解期なりに独特の感受性が存在します。
 
その感覚や、今見ている景色を書き留めるために、このエッセイの執筆を始めました。わたしの文章は基本的に、過去や未来の自分のために書いていますが、何かのご縁でどなたかの目に触れる機会があれば幸いです。

01 「治った」ではなく「水上に戻ってきた」

2025年2月の躁期は「目覚めた時にスイッチが入る」ような感覚があった。朝、布団の中で「そうだ、noteのあのメンバーシップに入ろう」とまどろみながら決意し、連続投稿を始めた日を今も覚えている。
 
一方で、2025年9月28日、久しぶりに「寛解」──11段階の気分記録にフラットの「0」をつける日は、ゆるやかに訪れた。「あ、今日は『‐1』じゃない」とふと気付いた。「鬱」の記録をつける日が続いていたので、多少待ち望んでいた気持ちはあったかもしれないけれど。
 
その日「鬱」がなくなったというより、やっと水面に顔を出すことができた。「治った」というより「戻った」という表現が適切だと思う。戻ったといっても、以前の自分などに戻るわけではなく「水上に戻ってきた」という感覚である。
 
わたしは今も水面から顔を出して、息をすることができている。ホルモンバランスや日常のトラブルで深く落ち込むことがあっても、この感覚がなくならない限りは「寛解状態である」と落ち着いて言える。
 
長い鬱がなければ、この感覚ははっきりとは掴めなかったかもしれない。鬱があってよかったわけではないけれど、やっと躁鬱との人生が先に進んだような気がする。

02 闘わなくなってから楽になった

鬱の時はめちゃくちゃ闘っていた。2025年6月下旬から8月下旬まで、地を這いながらローテーブルで仕事をしていた。テレビの音がするリビングで過ごすのが難しかったので、洋室にお昼寝マットを敷いて、ほぼそこに横になっていた。
 
8月末、横になることに嫌気がさした。9月、noteのメンバーシップのツテで、人生をよりよくするコンサルをしている人に助けを求め、1か月健康づくりに伴走してもらった。
 
毎日の運動メニューを作った。8年ほど風呂キャンセル常習だったけれど、なんらかの入浴アクションの習慣をつけた。1日2回以上炭水化物を摂るようにした。毎日誰かとDiscordで会話していた。次第に自分にとっての理想の1日を思い描けるようになり、9月28日に寛解を迎えた。
 
あの頃は頑張っていたと思う。健康になりたかった。寛解を維持している今は、正直そこまで健康に気を遣ってはいない。気分で運動をしない日もあるし、食事内容も食べられる量が増えたので、気分に任せている。
 
水面から顔を出す方法が分かったので、ぷかぷか波に揺られるに任せているような感じだ。健康的な生活を作るための「闘病」のおかげでわたしは元気になったけれど、やめてからそれはそれで楽になった。

03 鬱期の自分にしかない強さ

鬱期は引きこもっていないと死にそうな気分になるので、夫に「引きこもりたい」と言ってずっと一人で過ごしていた。外界の刺激から身を守っていないと、矢が降ってきて物理的にダメージを受けてしまいそうな感覚がするのだ。
 
鬱転のきっかけも、これだったんだろうなという心当たりが実はある。詳細は記憶から消してしまったけれど、SNSでつながっている人のポストだったことは思い出せる。もちろん自分に向けられたものではない。(自分に向けられたものではないからこそ不意に受けてしまったという側面はある)
 
そういったものから身を守るために、鬱期のわたしは家でもSNSでもできる限り傷つかないようにしていた。要は「傷つきたくないので身を守ります」という意思表示ができるのだ。一周回って強い。寛解期はこれが上手くできない。
 
完全寛解を迎えてから、季節やホルモンバランスの関係で希死念慮が強くなり、夫に「混合状態に似ているかも」と伝えていた時期があった。そういうことはできるが、「だから一人で静かに過ごす時間を作るね」とまでは言い出しづらい。
 
鬱期は猛烈に死にたいのだが、そのぶん身を守る意思も行動力も強くなる。寛解期にはそれがない。時々、あの強さは自分本来の強さではなかったのか、と不思議な気持ちになる。

04 別に鬱にならなくていい

感覚として、過活動を続けたりしなければ、急に大きな鬱に見舞われることはない。つまり、過活動をしなければ鬱にならない。そして過活動は別にしなくていいし、わたしは鬱にならなくていいのである。
 
躁鬱の診断を受けたのは2020年、29歳の時だった。それまで一人暮らしをしていて、浪費癖もあったので、自分が働かなければ詰む環境だった。これ以上一人で暮らすのは危険だと判断して、当時交際していた今の夫と暮らし始めた。
 
人と暮らし始めて生活は楽になったけれど、会社を辞めるという選択はなかなかできなかった。2022年、通勤に体が耐えきれなくなり辞める決心がついたけれど、ハローワークに求職を促されて、結局1か月足らずで働き始めてしまった。
 
その後、在宅の仕事が見つかって、3年半ほど全力で働いた。そのうち在宅でもフルタイム勤務に耐えられなくなり、週3勤務を経たのち、一度退職した。
 
今は週3でその会社に復帰しているけれど、過活動とはその日一日の活動量が過剰なことだけを言うのではない。長期的な過活動にも注意しなければならない。それを知った上で、今のわたしは過活動のラインを見極めることができる。わたしはもう、別に鬱になろうとしなくていい。

05 鬱の手前にある撤退ライン

そうはいっても(加齢による体調の変化やライフイベントなどで鬱になることはあるだろうし)、今でも数日かけて落ち込むことは普通にある。ただ、それは鬱期の入り口ではないし、ライフスタイルをミスっているわけでもない。
 
シンプルに「あ、今のやり方って合ってないんだな」と受け止めて、現状を変えればいい。実際、最近は「収益化」や「より目に留まる方法」を考える機会を減らすため、メンバーシップを停止・退会したり、SNS類を削除したりした。
 
代わりに、人の目に触れない環境で文章を書く時間を増やしたり、手帳のつけ方を変えたり、デジタルトイカメラを持って外に出る機会を意識的に作ったりしている。
 
できることや、やっていいことは無限にある。だから、今の自分に合わないものも多いのだ。合うまで何度も引き返せばいい。noteだって別にスキが少ないからやり方が間違っているわけじゃない。「そんなんじゃ人に読まれないよ」と言われても「知らんがな」でいいのである。
 
仕事もマヂムリだったら投げ出していい。実際何度かそうした身として、どうにかなることも、なんやかんや戻れることも分かっている。極論、使ったお金すら稼げば戻る。戻らないのは命と時間と口から出た言葉だけだと思う。

06 寛解=元気、ではない

そりゃそう。寛解して気付いたけれど、持病の診断がない夫だって元気のない日はある。わたしより精神状態が荒れていて、わたしに取り返しのつかない言葉を投げつけた日もある。普通に離婚寸前まで揉めた。
 
運動していようがいなかろうが、気圧の変化で体はだるくなるしテンションは下がる。ホルモンバランスが乱れる時期は毎度自己否定が強くなり、その状況自体を疑わない。エコキュートが壊れた時は、交換費用を工面できるまで何も楽しむ気になれなかった。
 
というか、寛解とは気分記録でいえば「0」なのだ。「+1」ではない。「無」ではないけれど、別に常時浮かれているわけでもない。躁鬱の波が激しかった頃は鬱傾向を感じたら「-1」、躁傾向を感じたら「+1」を記録していたけれど、その間に細やかなグラデーションがある。
 
というわけで、最近は「毎日まめ」という気分記録アプリで、躁鬱傾向とは別に気分を記録している。評価は5段階で、中間は3なのだけど、3の「まめ」が真顔なので、悪くなかった日は「4」の微笑んでいる「まめ」を選んでいる。最初は気分に関係なく「まあ問題ない日だったら4」をつける作業になっていたけれど、だんだん気分と向き合うことに慣れてきた。アプリの絵柄も可愛いので、これは続けたいと思う。

07 鬱期の再来と向き合う

躁期はまあ、いい。来たら鬱転しないように気をつける。が、鬱期はあまり来ないでほしい。シンプルにつらいから。
 
鬱期は「いつ浮上するんだろう」とは思うものの「これ以上しんどくなったらどうしよう」とはあまり思わない。常に今が一番つらい気がしているからである。一方で、寛解期は基本的につらくないので、多少落ち込む日があると「このまましんどくなったらどうしよう」と思うことはある。
 
寛解以降、鬱期ではないと判断しているにもかかわらず、希死念慮や具体的な計画が脳内にあり、それに疑問を抱いていない時期があった。希死念慮があるから鬱期なのか、鬱期だから希死念慮があるのか、この点はいまだによく分からない。
 
ただ、自分が鬱期だと判断していた時期よりも気分が落ち着いており、生きていて通常受け得る刺激に耐えながら日常生活を送れるので、鬱期ではないことにしている。寛解期とは正直このくらい不確実なものでもある。
 
いつか鬱期が再来した時、わたしは「またそのうち良くなる」と思えるのだろうか。思えないのに、夫に「そのうち良くなるよ」と言ってしまわないだろうか。「今しんどい」と言えるだろうか。そういう意味で、躁鬱には終わりがない。

08 選ばなかった人生

躁鬱じゃなかったら。わたしがもう少しばかりゴリラで無理のきく人間だったら、夫とは一緒に暮らし始めなかったかもしれない。結婚願望があるわけじゃなかったので、そのままなんとなく別れていた可能性もある。
 
それはそれで、楽しく暮らしていたに違いない。公務員は辞めたけど、転職先の仕事は好きだったし。もともと小説を書いて本を作って即売会に出る生活をしていたので、場所を問わずそれを飽きるまで続けていたと思う。
 
けれど、冷静に考えると希死念慮は10代からあったし、社会人3年目で心身を壊し始めたので、これ以上「健康だったら」という生活を想像することができない。せいぜいリーダー職に就いていただろうな、くらい。そもそも、死にたくないわたしはたぶん小説など書いていない。
 
躁鬱じゃなかったら。いずれ別の理由で死んでいたかもしれない。躁鬱じゃなかったからといって、それは具体的な診断名がつかなくて服薬治療に至らないだけで、わたしが健康である未来にはつながらない。わたしは自我を確立し始めた頃からこうなのだ。
 
こんな有様だけど、誰とも一緒にならないまま死ぬ人生を選ばなかった、とは言えるのだろうか。

09 薬は減らない

眠剤は減った。頓服の抗不安薬も、飲む機会が減ったので処方を止めてもらった。そういう意味では薬は減ったし、夫にも「薬が減った」と報告している。
 
が、働いている会社の社長や親から「薬(服薬)はなくならないの?」と訊かれる。そんなに気になるものだろうか。社長は、眠剤には理解があるので「眠剤はこんなに減りました」とは報告しておいた。
 
薬を減らしていく人もいるのかもしれないけれど、わたしは今のところそういう話はない。通院時に「この1か月間どうでしたか」と先生から尋ねられて、「こんなことがあったけど基本的に安定しています」と答えると「では薬は今まで通り出しておきますね」となる。なお、メインの薬は処方できるMAXの量を飲んでいる。
 
わからん。薬は減るのか。でも、高額な薬でも人体に多大な影響のある薬でもないし、他に減らしたい理由も特にない。しかも以前、妊活のために先生と相談の上で断薬をしたら、死ぬほどつらかった記録があるので、たぶん薬を減らすデメリットを超えるメリットがない。
 
なので、寛解しても別に薬は減らない。いつか減るのか?

10 鬱じゃないって、暇

鬱期って、脳内で自己否定が止まらず、それで疲れて何もできなくなっている側面が強い。つまり忙しい。疲れないようにするにも工夫が必要。
 
寛解期になると、これが基本的になくなる。つまり、暇になる。なんか手持ち無沙汰になる。もっとやることがあるんじゃないか? やれることがあるんじゃないか? と考え、調子が悪くなると焦ってしまう。
 
結果、運営しているメンバーシップの内容を充実させようとしたり、Xの投稿回数を増やしたり、その傍ら好きで小説を書きまくったりして、疲れて病んで全部やめたほうがいい! となった。最終的に、X、TALES、しずかなインターネット、57577(短歌投稿SNS)、スタエフ、YouTubeなどのアカウントを消した。手を出しすぎである。
 
寛解期、この「暇」を上手く乗りこなすことができないと、また過活動や自己否定につながり、鬱や躁に傾くのだろう。なんだか分かってきたぞ。ちなみに暇をこじらせて妊活を再開し、病んで夫と死ぬほど揉めたりもした。(妊活は色々な事情でやはり諦めた)
 
最近は書くだけでなく、意図的に二度寝したり、仕事の時間を増やしたり、親と通話する時間を作ったりしている。

11 元気になってきたよ、とだけ

躁鬱の寛解は、わたしにとって大きな出来事ではあったので、夫とはしゃぶしゃぶでお祝いをしたし、noteでも報告どころか完全寛解へのカウントダウン記事まで書いていた。
 
けれど、友人と「最近どう?」的な話になった時、「そういえば躁鬱が完全寛解して……」とは話さなかった。そもそも鬱期だとか躁期だとかそういうことも言っていないのだが、この年齢(30代半ば)になれば誰しも健康状態に何かは抱えているので、話す必要を感じなかった。
 
遊びに誘われた時、心身の調子が悪くて外に出られなさそうならそれは伝えているけれど(外に出たのに途中でリタイアしたことすら何度もあるけれど)、今でも付き合いが続いている友人のうち、わたしの診断名を正確に覚えている人のほうが少ないんじゃないかと思う。そのくらいがちょうどいい。
 
親にも、完全寛解のことは言っていない。母親に、元気になってきたよ、とだけ伝えている(そしたら「薬はなくならないの?」と訊かれたけど……)。親も娘がどんな闘病生活を送っているのか、そこまで気にしていない。いやこれは本当で、たぶんしっかり者で健康な夫と一緒に暮らしているおかげだと思われる。ありがとう。

12 調子の良さは儚い

何度も書くけれど、寛解期だとて調子がいいわけではない。朝から活動できない日も、眠剤を飲んだのに眠れない日も普通にある。最近は低血圧であることを数値で認めて、朝7時から無理に動くのをやめた。
 
冬は冬季うつで寝込んだ。暖かくなって元気が出てきたかと思えば、PM2.5や花粉、黄砂で長時間の外出ができなくなった。夏はたぶん日差しと冷房にやられる。秋はまた花粉。そして冬が来る。
 
そろそろ「てきぱき」とか「きびきび」とかいった擬態語が似合うような自分像を捨てたほうがいい。夫を見てみよう。めちゃくちゃのんびりしている。まず歩くのが遅い。休日はソファから極力動かない。まあ限度はあるけれども、わたしはもう少し「おっとり」してもいいんじゃないだろうか。
 
今でも広いオフィスに出勤すると、20代の時の癖でフロアを走ってしまう。事務職は走ったほうが早いので。しかし走ったところで、結果は数秒しか変わらない。塵も積もれば山となったぶんだけ、心身は消耗している。
 
なので、エネルギーをなるべく細く長く出すことを、最近は心掛けるようにしている。体に心がついてくるまで、しばらく時間がかかりそうだけれど。

13 読めないままのコンテンツ

鬱期から長文が読めなくなった。最近はnoteやエッセイジャンルの本などを、少しずつ読むようにしている。小説やアプリゲームのシナリオなど、登場人物の心情が大きく変化する作品は、まだほとんど読めない。
 
漫画は、読めるようになってきた。連載を追いかけていたのに数か月溜めてしまっているものもあるけれど、こないだ人から譲ってもらったガールズラブ漫画「きみが死ぬまで恋をしたい」を8巻まで読み通した。
 
その漫画は、部屋に寝転がって2日に分けて読んだ。2日目は、気付いたら日が暮れていた。今まで漫画は、元気な時でも食事や入浴をしながら読むことのほうが多かった。こんなに集中して一つの作品を読んだのは久しぶりだった。
 
寛解して、それまでできなかったことが急にできるようになるわけではなかったけれど、できることは確実に増えている。最近だと、新しい曲をカラオケで歌えるレベルまで覚えたり、YouTube動画を連続で観たりできるようになった。
 
書くことはなぜずっとできているのかよく分からないのだけど、読む・観る・聴くができるようになるのは嬉しい。観たい映画や読みたい積読がたくさんあるので、寛解期にはできるだけ長く続いてもらいたい。

14 〝元気〟な自分に戻りたいか

時々、精力的に活動していた頃を再現できやしないだろうか、と思うことがある。たとえば小説を年間35万字書いたり、毎朝7時から執筆のためにデスクに向かえたり、資格の勉強をして合格したり。
 
通勤や激務の仕事がなくなったので、体力的には無理ではない。が、環境的にそこまで追い込まれていないので、ドーパミンが出ず、気分が乗りにくいのだと思う。それでもエッセイは書けるので、何かコツがあるはずだと信じている。
 
そういう意味では「〝元気〟な自分に戻りたい」と思っているのかもしれない。これは躁鬱患者が陥りやすい罠の一つ。躁の時の自分を「本当の自分」だと思い込んで、それを目指し続けてしまう。いずれにしてもいい結果にはならない。
 
しかし、躁でも鬱でもない自分の自然なペースってどんなものなのか? いまだによく分からない。社会人になってしゃかりき働き始めるまでは、子供なりに受験勉強やバイト・部活漬け、公務員試験の勉強などに勤しんでいたので、ゆっくりしていた記憶がほぼない。大学の授業の空きコマは、都内をひたすら歩いていた。
 
心地いいペースというものを、これから見つけられるのだろうか。ADHDとの兼ね合いもある。先は長そうだ。

15 変化を望むADHDとのジレンマ

躁鬱の寛解を維持するには、変化が少ないほうがいい。予定を詰め込みすぎない。新しいことを始めすぎない。刺激を浴びすぎない。一方で、わたしにはADHDもある。ADHDは変化が好きだ。新しい環境、新しいツール、新しい活動、新しい人間関係。新しいものは大体楽しい。これがややこしい。
 
躁鬱の自分は「安定していたい」と言う。ADHDの自分は「飽きた」と言う。躁鬱の自分は「今日はもう寝よう」と言う。ADHDの自分は「でも今このアイデアを書かないと」と言う。
 
ADHD的な欲求を抑え込むと、それはそれで生活が色褪せる気はする。だから最近は、「変化をなくす」のではなく「小さな変化を起こす」ことを考えている。いつもと違う道を歩く。デジタルトイカメラを持って外に出る。手帳の書き方を変える。庭で紅茶を飲んでみる。模様替えをする。文章のテーマを変える。
 
アクセルとブレーキを同時に踏むことはできない。わたしはたぶん、変わらずにいることはできない。けれど、脳は意外と、小さな変化と大きな変化の区別がついていないのではないだろうか。であれば、わたしはもう、壊れるほど変わらなくてもいい。変化を望む自分と、安定を望む自分のあいだで、今日もなんとか折り合いをつけている。

16 何者かだった

わたしも人並みに、長い間「何者か」であろうとしていた。小説を書く人。資格の勉強をする人。仕事に打ち込む人。毎朝デスクに向かう人。
 
それがあったから死なないでいられた。小説を書いていたから日々に輪郭があったし、仕事をしていたから生活が成り立ったし、発信をしていたから人とつながれた。何者かになりたいと願う力は、わたしを前に進めてもくれていた。
 
ただ、それは同時に、わたしを追い立ててもいた。何かを書かなければ。何かを続けなければ。何かを形にしなければ。誰かに読まれなければ。「何者か」であることを証明し続けないと、存在している意味がなくなるような気がしていた。
 
寛解してから、その感覚が薄れた。以前のように、一つの活動に全力を傾けることができなくなった。だけど何者でもない時間に、わたしはごはんを食べている。夫とくだらない話をしている。散歩をしている。部屋でぼんやりしている。
 
わたしは何者かだったかもしれない。そうでなくなって、ようやく「生活」をすることができるようになった。何者でもない日があっていい。何者でもない人生でもいい、今はそう思える。命は名前がなくても、呼吸をしている。

17 ロールモデルを持つのをやめた

昔から、ロールモデルを探すのが好きだった。この人みたいに働きたい。この人みたいに書きたい。この人みたいに暮らしたい。この人みたいに歳を重ねたい。そういう対象を見つけると、しばらく元気が出る。
 
けれど、途中で違和感が出る。近づこうとすればするほど、自分との違いが見えてくる。体力が違う。収入が違う。健康状態が違う。性格が違う。そして最終的に、「わたしには無理だ」と諦める。当然である。他人の人生なのだから。
 
だから、最近はいろんな人から、パーツだけもらうことにした。文章の温度感だけ。朝の過ごし方だけ。お金との距離感だけ。リップの色味だけ。言葉の選び方だけ。人生ではなく、雰囲気だけ。そうすると、ずいぶん楽になった。
 
他人の人生を元に突然ロードマップを引くのではなく、自分の生活の中に、少しずつ好きなものを置いていく。わたしにはわたしの制約がある。躁鬱、ADHD、低血圧、でも文章を書くことは好き、そして夫と猫と暮らしている。
 
誰かのように生きるのではなく、この条件の中で、今日の自分が心地いいほうへ進む。ロールモデルがいなくても、きっと自分の人生を作ることはできる。時間はかかるかもしれないけれど、今はそれが一番確実な方法である気がしている。

18 寛解期にも地獄はある

寛解期にも、地獄は存在する。たとえば、希死念慮があるのに日常生活は送れてしまう時。洗濯もできる。ごはんも食べられる。仕事もできる。人と話せる。だから自分でも「これは鬱ではない」と判断している。けれど、頭の片隅には普通に死にたい気持ちがある。これがかなり怖い。
 
鬱期の希死念慮には、まだ分かりやすさがある。全部がしんどい。何もできない。あらゆる刺激から痛みを感じる。だから死にたい。それなりに筋が通っているから、周囲にも説明しやすい。つまり寛解期の希死念慮は逆で「鬱期のせいです」と言い切りづらいところがしんどい。
 
だから、寛解期にも地獄はある。そう書いておくことに意味がある気がする。寛解していても死にたくなる日は当たり前にあって、当たり前すぎて具体的な方法や未来を想像していることに疑問を持たず、何日も過ごしてしまう時がある。
 
何度でも書いておこう……。寛解期にも地獄はあるのだ。今の自分が健康で楽なはずだなんて思わなくていい。水面に顔を出していても、波は来る。雨も降るし、凍えるような日もある。大きな船が通って、頭から水をかぶることもある。
 
とはいえ、水面にいる。息はできている。寛解期とは、本来ただそれだけなのだろう。良いことでも、悪いことでもない。

19 今、記しておきたい幸せ

今、幸せなことを書いておきたい。こういうことは、調子が悪くなるとすぐに忘れてしまうため。
 
まず、夫としゃぶしゃぶを食べたこと。完全寛解を迎えた時、お祝いのような顔をして外食したこと。あの時の味というより、「お祝いしていいんだ」と思えたことが嬉しかった。
 
朝、無理に6時や7時から動かなくてもいいと決められたこと。低血圧を数値として認めて、起きられない自分を責めるのをやめたこと。
 
漫画を読めたこと。寝転がって、気付いたら日が暮れていたこと。集中して一つの作品を読むという、昔は当たり前だったことが、ようやくまたできるようになった。
 
新しい曲を覚えられるようになったこと。カラオケで歌えるくらいまで、何度も聴けるようになったこと。音楽を聴く体力が戻ってきたこと。
 
書くことが続いていること。躁鬱の波の中でも、休んだり再開したりしながら、それでも文章はわたしのそばにあること。読まれるためだけではなく、過去や未来の自分のためにも書けること。そして、今こうして、寛解期のわたしが見る世界について記していること。

20 躁鬱とともに生きるしかない

躁鬱は、たぶん治らない。とはいえ、今のわたしはそこまで絶望していない。もちろん薬は今も飲んでいるし、気分記録も続けている。そういった実務も必要だけれど、「躁鬱とともに生きる」というのは、それだけではない。
 
自分の「できる」を疑うこと。元気な時の自分を基準にしないこと。過活動を肯定すべき特性だと勘違いしないこと。鬱期のつらさをなかったことにしないこと。人生の速度を、人や社会に合わせすぎないこと。そういう細かい判断の積み重ねが、「躁鬱とともに生きる」ということなのだと思う。
 
わたしはこれからも、たぶん何度も間違える。予定を入れすぎる。書きすぎる。SNSを見すぎる。夫と揉める。朝起きられない。読めない。動けない。それでも、躁鬱とともに生きるしかない。
 
「しかない」という言葉は、投げやりにも聞こえる。でも、今のわたしにとっては、これまでで一番前向きな生き方でもある。躁鬱のない人生を想像し続けるより、この体と脳でどう暮らすかを考えたほうがいい。
 
わたしは治ったわけではない。病気を乗り越えて強くなったわけでもない。悟ったわけでもない。ただ、水上に戻ってきた。そして今日も、穏やかに息をしている。

あとがき

「躁鬱道中 寛解編」と題して書き始めたものの、寛解について書くことは、思っていたより難しかったです。鬱期や躁期には、良くも悪くも分かりやすい激しさがあります。苦しさ、危うさ、切実さを書くための熱量が湧くのです。
 
一方で、寛解期は捉えどころがありません。元気です、とも言い切れない。治りました、とも言えない。しんどい、というほど不安定ではないけれど、幸せです、と言うには安定していない。その曖昧さを残しておきたくて、このエッセイを書きました。
 
躁鬱の波が激しかった頃の自分がこの文章を読んだら、どう思うのかは分かりません。「寛解してもそんなものなのか」とがっかりするかもしれないし、「それでも水面に戻れるのか」と安心するかもしれません。
 
これから先も、躁鬱との道中は続きます。ここは終着点ではありません。また沈む日も、流される日も、思いがけず穏やかな日もあるでしょう。その時々で、また書けたらいいなと思います。
 
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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