躁鬱は、わたしの世界だった
躁鬱と診断されるまで、多くの人が何年もの時間を要する。一般的に躁傾向は「元気」に見えるため見過ごされやすく、「元気がない」鬱傾向の時に病院にかかり、うつや抑うつ状態といった診断名で治療が始まる。わたしもそうだった。
だから、3年ほど精神的な不調の波に悩まされた末、自分で躁エピソードの出現に気付き、かかりつけ医から「双極性障害」の診断がされた時、やっと本当の自分に出会えた気がした。そういう意味で、わたしにとって、躁鬱ははじめから、敵ではなく味方だった。
これから、診断以来6年付き合った「躁鬱」への偏愛を語ります。
人生を振り返って、わたしが命をかけて愛した対象は、夫でも、アイドルでも、20年以上続けてきた二次創作でもありませんでした。冒頭でも書いたように、躁鬱の診断には年数を要することが多いため、実際の発症はメンタルクリニックにかかった頃よりも、もっと前だったと考えられます。
躁鬱は、わたしの「世界」でした。
これは、字面ほどきれいな話ではありません。かといって、自分のアイデンティティを語る話でもありません。こんなものとは無縁のまま生きられれば、わたしとかかわった人ももっと幸せでいられたのかもしれないとも思います。
それでもただ「つらかった」「寛解を迎えられてよかった」だけでは終われない感情が、わたしにはずっとありました。昨年11月、わたしは躁鬱の完全寛解と呼ばれる状態を迎えて、もうすぐ5か月が経過します。それでも、躁鬱は終わっていない。
単に「再発する可能性がある心身の不調」というには軽い。かといって「自分の個性」というにも違和感がある。かつて躁鬱を先天的な特性だと捉えて付き合おうとしたことがあるけれど、それは上手くはいかなかった。
だからわたしは、躁鬱を自分の個性でも、単なる不調でもなく、「世界」と喩えています。「風景」と言い換えると分かりやすいかもしれません。わたしは不調を「波」に例えることが多いですが、躁鬱はその通り「海」のようなものです。しかし実際には「海」よりもっと広く、荒野や気候、季節をも包含しています。
そういう意味で、躁鬱はわたしの小ささを、世界としての質量をもって突きつけてきます。そのたびわたしはたまらなく嫌になり、生きることをやめてしまいたくなり、でも同時に、その波から目を離せなくなるのです。
世間では躁鬱は「治療すべきもの」とされますし、わたしもその通りに付き合ってきました。実際、放っておいていいものではないし、気合いでどうにかなるものでも、もともとの性格の問題でもありません。周りも困るし、本人も苦しいし、長い人生に与える影響はとてつもなく大きい。そういう意味で、わたしだって何度も「躁鬱がなければ」と思ってきたわけです。
でも。
わたしは、躁鬱をただの「困った不調」として処理することができないくらい、長く、深く、この世界を見てきました。今日はただ荒野を歩いていた。今日は星がきれいだった。今日は波が高かった。今日は船が転覆してしまった。わたしが歩く荒野には川が流れていて、死はその向こうの草原である、そんな記事を書いたこともあります。
そんなふうに、世界を観測する癖がついたわたしにとって、躁鬱はもはやただの病名ではなくなっていました。生きることにどうしようもなく根付いてしまった、知らずには生きていけない宇宙の理のようなものでした。
わたしが命をかけてこの現象を愛する理由のひとつには「人間の努力や正しさが通用しないこと」があります。わたしは毎日体調の波を記録し、食事量を増やし、運動習慣をつけ、社会的な会話を増やす努力をしながら、ようやく寛解にこぎつけました。
そういった工夫が、症状の緩和や寛解に寄与するのは事実です。それでも、ちゃんと寝ていても、休んでいても、気をつけていても、波が砂の城を崩すように、全てが無に帰すことがあります。
もちろん日々の工夫や治療は大切ですが、最終的にはわたしの「こうしたい」をあっさり無視してくるのが躁鬱です。その容赦のなさが、精神疾患の厄介さです。そして、かえって誠実でもあるなと思うのです。
根性論や自己責任論が全く通じません。「こうすればよくなっていく」と信じているのに「それが全てではない」と突き返してくるような冷たさ、無秩序にすら思える壮大な秩序にわたしはずっと傷ついてきたし、だからこそ目を離せないでもきました。
死にかけていても目を離せない。
双極性障害の自殺率は統計上低くはありませんが、わたしは躁鬱から目を離せない限りどんなに死にたくても死ぬことはないのだろうと思うし、逆に死ぬ時はこの疾患から目を離すことができた時なのだと思います。
この世界にとらわれている理由を当事者としてもうひとつ語るとすれば「躁鬱はあまりにもただの気分障害ではなかった」ことが挙げられます。いや、客観的に見ればただの気分障害なので、本当に当事者としての勝手な見解なのですが、この疾患を美化するまでもなく、躁鬱は実際にとらわれると「障害」の一言では済まない感覚で付き合う羽目になります。
気分の波ひとつとっても、高い・低いだけで測れるものではありません。記録するにはそう書かざるを得ないものの、実際には手触りや質感があります。湿度や温度が違うし、光の当たり方や色も違う。身体感覚でいえば身体の重さ、思考の速度、五感のざらつき、過去や未来の見え方、全部が少しずつ異なる。
ただ機嫌が悪いとか、落ち込んでいるとか、元気があるとかないとか、そういう言葉だけではどうしても足りない。だからわたしは毎日文章を書き、感覚に輪郭を与えているのだと思います。そしてたびたび躁鬱という世界が表す風景を言葉にします。
波とか、海とか、気候とか、季節とか、結局名付けないと実態を掴めないし、名付けても変わっていくから、こぼれていくそれをまた追いかけて名付けなければならない。この掴めなさが、文章や言葉を扱ってきたわたしに、命をかけてでも躁鬱を追いかけさせるのだと思います。
こんなふうに、わたしは躁鬱に、何度も言葉を与えようとしてきました。むしろ躁鬱から言葉を与えられていたのかもしれませんが、どちらにせよ「今日は鬱レベル3」「今日は波の上に寝そべる日」「感覚が澄む・濁る」「再誕する」など自分にしか通じない言い回しをつくって、なんとか輪郭を掴もうとしてきました。病名や躁・鬱という言葉だけでは足りなかったからです。
「双極症」「双極性障害」という医学的な名前はもちろん必要だけれど、それだけでは、わたしの世界で起きていることの肌触りまではすくい取れない。だから、自分のこの世界での暮らしに合う言葉を勝手に増やしていく。その営みは、正直後ろめたさなく「好き」だといえます。
好き、と言うと語弊があるかもしれませんが、語弊があってもたぶんそうなのです。わたしはずっと、躁鬱という世界を理解したいと思ってきました。理解して管理したい、攻略したい、予防したい、という気持ちもあります。でもたぶんそうはいかないし、そもそもそれだけじゃない。
もっと純粋に「これは何なんだろう」と見つめたい気持ちがある。だってわたしの世界の、わたしの世界の中でのことだから。ただ知りたいから観察する、そういう態度はもうわたしの中では実用を超えていて、だから愛などと言っているわけです。
躁鬱はわたしの創作の言葉そのものにも入り込んでいます。
もちろん病んでいるから書けるのではないです。雑な美化はしたくないし、実際には書けなくなる時期も長い。苦しさがそのまま作品になるわけでもありません。ただ、躁鬱という世界を生きてきたことで、わたしの中には単なるイコールで結べる言葉では済ませたくない感覚が増えました。元気、しんどい、疲れた、楽しい、だけでは足りない。もっと緻密で、でも矛盾していて、揺らぎがあるもの。その揺れを言葉にしたいという欲望は、たぶん躁鬱と無関係ではないと思います。
わたしにとって躁鬱は、人生を壊してきたものでもあります。でも同時に、人生の輪郭を異様なくらいくっきり描いてくれたものでもあります。
休むってなんだろう。働くってなんだろう。元気ってなんだろう。自分らしいってなんだろう。無理ってどこからだろう。愛されるって、支え合うってどういうことだろう。
そういう問いを、わたしは何度も躁鬱に突きつけられてきました。健康だったらきっと考えずに済んだことまで考えさせられたし、見なくてよかったものまで見た気もします。でもその代わり、見えた景色もありました。普通に走れないからこそ地形に敏感になる、みたいなことが確かにあるのです。
少し前述しましたが、わたしは躁鬱を美しいものとして語りたいわけではありません。
普通にしんどいです。世界という言葉の響きほどロマンチックでもない。お金の不安も増えるし、人と同じようにできないことにいちいち傷つくし、自分で自分のことを信用できない瞬間も山ほどある。周りに迷惑をかけたことだって数えきれないほどあるし、失った時間や可能性もあると思います。だから「躁鬱は素晴らしいもの」みたいな話では全くないし、むしろ逆だと言うことすら躁鬱を特別視しているような気がして嫌になります。
でも、人生そのものですらあるこの事象が、わたしの世界でなければなんなのか。命をかけて追いかけた時間が、愛でなければなんなのか。
嫌い、憎いでは説明がつかない。
かといって受け入れるだけでも足りない。
手放したい時もあったのに、目を離せない。
振り回されてきたのに、どうにかして光を当てて、輪郭を知ってみたくてたまらない。
いつかこの壮大な秩序を明らかにできる日が来ると、信じている。
この記事で参加する「偏愛」をテーマにしたコンテストの存在を知った時、当たり障りのない話題(たとえば廃墟とか二次創作とか)で書くことも考えたけれど、ほぼ迷いなく躁鬱について書くことを決めました。単なる「愛」をテーマにしたコンテストなら、この記事を書くことはなかったと思います。「偏愛」なら許される気がしました。きれいではない、妄執のような、誰にも届かないかもしれない関係の話。
わたしは躁鬱を肯定したいわけではありません。いや、そういう姿勢も必要なのかもしれませんが、少なくともこういった付き合い方を誰かに勧めたいわけではないし、美談にしたいわけでもありません。ただ、この偏愛を誰かに知ってもらえる機会があるなら語ってみたかった。
自分という人間を語る時、おそらく躁鬱という世界に生きていることを省くことは、もうできません。できないのに、普段この話をしないで生きています。それほどに長く、躁鬱と付き合ってきてしまった。あまりにも多くを壊され、同時に多くを考えさせられることで、与えられてきた。だからわたしにとって躁鬱は、単なる敵ではないのです。
これは克服の話ではなく、偏愛の話です。
こんなもの愛するなといわれても、これがわたしの世界で、愛してきたものだから、しかたがないのです。もう10年近くもの間、もしかしたらもっとずっと前から、わたしはこの世界を見つめ、名前をつけ、言葉にしようとしてきました。
わたしはこれからもそうしていきます。命をかけて。
下記のコンテストに参加しています。

いいなと思ったら応援しよう!
応援嬉しいです。いただいたチップを貯めて、旅に出ます。