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その一袋が「ずっしり」見えたのは、目の錯覚か、それとも。

私の脳内は今、塩分と油脂のことだけでパンパンに膨れ上がっています。

新しい環境がどうとか、人間関係の機微がどうとか。

そんな高尚な悩みは一旦、玄関の靴箱の上に置いてきました。

今の私にとっての正義は、このコンビニの棚から「最も納得のいく一袋」を救い出すこと。

レジ横にあるホットスナックの誘惑をマトリックスのごとく身をかわしながら、私はスナック菓子の棚という名のブラックホールへと吸い寄せられていきました。

背後で自動ドアが開くたびに冷たい風が入り込み、私の迷いを急かすような、そんな落ち着かない棚の前で。

そこで、ふしぎなことが起きました。

棚に並んだ、同じような価格、同じような内容量のポテトチップス。

一つは、見慣れた黄色いパッケージ。

もう一つは、最近よく見る青いパッケージ。

手に取ったのは、迷わず黄色い方でした。

理由は自分でもよくわかりません。

ただ、なんとなく黄色い袋の方が「中身がぎっしり、たくさん入っていそう」に見えたのです。


150円の選択肢に「重力」が潜んでいた

どうやら人は、下にあるものほど「重く、安定している」と感じやすいらしい。

帰宅後、半分ぬるくなった発泡酒の缶を片手にその袋を眺めていて、ふと気づきました。

このパッケージ、商品名のロゴや写真が、全体的に「下側」に寄っている。

気になって調べてみると、そこには私たちの脳の、なんとも不器用で人間くさい「思い込み」が隠れていました。

心理学では、これを位置効果、あるいは 身体化認知 と呼ぶそうです。

私たちの脳はたぶん、日常の「重力」の感覚に、思っている以上に引きずられている。

「重いものは下にある」
「右側にあるものは、なんとなく安定感がある」

そんな身体の経験が、視覚の情報にも勝手に上書きされてしまう。

つまり、パッケージの下にどっしりと画像が置かれているだけで、脳の中にある「見えない天秤」がガチャンと傾き、「おっ、これは中身が詰まっているな」と勝手に「そういうものだ」と決めつけてしまうようです。


軽いものは空へ、重いものは大地へ

逆に、健康志向の「軽い」ことを売りにしている食品や、ダイエット用のシリアルなどは、あえて「左上」にロゴを置いたりするのだとか。

空に浮かぶ雲のように、ふわっと軽く見せるための演出です。

そう思うと、なんだか自分の脳が、とても単純な機械のように思えてきて、少しだけおかしくなります。

「より重いものを、よりお得なものを」

そんな原始的な欲望に忠実に、疲れ果てた金曜夜の私は、無意識にパッケージの右下ばかりをスキャンしていたのでしょう。


最後の一欠片を口にして

結局、袋を開けてしまえば、中身はだいたい同じ。

最後の一欠片を口に運びながら、私は空っぽになった袋の「右下」を眺めます。

物理的な重さはもう、どこにもありません。

なのに、デザインによって脳に刷り込まれたあの「偽りの重量感」だけが、いかにも本物のような顔をしてそこに居座っていました。

150円の配置にまんまと操られ、「得をした」とほくそ笑んでいた自分の単純さ。

そのどうしようもない不器用さが、空になった袋とは対照的に、ほんの少しだけ胃のあたりに重く残るのを感じます。

自分の脳にさえ、時に裏切られる。

私たちの日常は、そんな騙し騙し、けれど人間味の滲む「ふしぎ」で溢れているようです。


▼もう少し「ふしぎ」を眺めたい方へ

スーパーやコンビニでの小さな戦いといえば、薄いビニール袋をめくるために、指先のカサカサ具合と意地っ張りに格闘するあの瞬間。濡れ布巾を使えば一瞬なのに、なぜか負けられないんですよね。

レジに向かおうとした時、「自分が並んだ列だけ異様に進みが遅い」ように感じるのも、お店で起きる代表的な脳のイタズラです。

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