「以前のパスワードとは違うものを入力してください」という、デジタル界の究極の『知らんがな』
ようやく、戦場が静まり返りました。
2人の子供を布団に沈め、リビングに残されたぬいぐるみの地雷原をかいくぐり、私はダイニングテーブルの端に腰を下ろします。
目の前には、畳みかけの子供の服と、書きかけの連絡帳。
そして、数時間ぶりに開いたノートパソコンが「お前は誰だ」と言わんばかりの冷たい光を放っています。
私がアクセスしたいのは、今度必要な食材を頼むための「いつものサイト」。
なのに、画面に返ってくるのは、
「パスワードが違います」
という無情な一文です。
無機質なエラーに弾かれ、何度目かの正直でクリックした「パスワードを忘れた方はこちら」。
ようやく届いたメールを開き、たどり着いた「新しいパスワードを登録してください」という真っ白な空欄を前にした時、私は一筋の光を見つけました。
「あっ、これだった気がする」
連絡帳に何を書いたかは5秒で忘れるのに、なぜか「いま新しく設定すべき文字列」を探そうとした瞬間、脳の地層の下から「さっきまで忘れていたはずの旧パスワード」が、鮮明な数列となってひょっこり顔を出します。
これをそのまま「新しいもの」として提出すれば、何も変えずに済む。そう確信して Enter キーを叩いた瞬間、画面には私を嘲笑うかのような赤文字が浮かび上がりました。
「以前と同じパスワードは使用できません」
「忘れた自分」よりも、「覚えているお前」が怖い。
……知らんがな。
いや、正確には「知っている」からこそ入れたのですが。
どうやらデジタル界の門番は、私が「忘れた」という事実を信じているのではなく、私が「過去に戻ろうとしている」ことそのものを、重大な罪か何かのように扱っているようです。
考えてみれば、これはなかなかシュールな光景です。
今日一日の子供の食事メニューは正確に覚えているのに、以前の自分が設定したはずの文字列は思い出せない。
そんなボンヤリとした存在である私が、自分自身であることを証明するために、今この瞬間に認識しているもの(以前のパスワード)を否定し、まだ出会ったこともない「新しい文字列」を差し出さなければならないのですから。
まるで「鏡の国のアリス」の住人に、自分の名前を忘れるように強要されているような、妙な疎外感に襲われます。
実はこれ、システム側の執念深い記憶力によるものです。
門番は、私の「過去」を無価値なものとして封印する。
世の中の多くの賢いマシンたちは、私が「あ、これだったかな」とようやく思い出した旧パスワードを、ハッシュ化(元の文字が分からないよう、複雑な数列へとバラバラに刻んで記録したもの)された過去ログとして大切に保管しています。
彼らは私のパスワードの中身を「知っている」わけではありません。ですが、私がいま思い出した文字列を刻んでみた結果、過去のログと寸分違わず一致した瞬間、「それはもう使ったやつですよ」と冷酷に判定を下すのです。
「履歴に残っているものは、既にセキュリティ的に『賞味期限切れ』ですよ」
それが彼らの言い分です。
一度でも「忘れてリセット」という手順を踏んだ瞬間に、その文字列は汚染されたものとして封印される。
つまり、システムは私の健忘症を救済しているのではなく、私の過去を無価値なものとして上書きすることを強要しているのです。
昔の賢い人たちは「パスワードは定期的に変えなさい」と言いましたが、今の賢い人たちは「流出の恐れがないなら、変えない方がマシ」と言い始めました。
それなら、なぜ!?
たまにしか起こらないこの「忘却」という事故のたびに、長年連れ添った馴染みのパスワードを葬り去らなければならないのでしょうか。
「鏡の国」で、新しい自分を捏造する。
結局、私は敗北を認めました。
お馴染みの文字列の末尾に、何の脈絡もない「!」や「1」という蛇足を付け足し、門番の検閲をすり抜けます。
「よし、今度は覚えたぞ」
そう自分に言い聞かせながら、実はもう5分後にはその末尾の記号が何だったか怪しくなっている自分に気づいています。
画面の向こう側の門番は、今度こそ私の新しいパスワードを「過去ログ」のコレクションに加え、私がまたそれを忘れて戻ってくる日を、静かに、そして正確に待ち構えているのでしょう。
明日の朝の連絡帳に、「昨夜、パスワードに自分であることを否定されました」なんて書いたところで、保育園の先生を困惑させるだけ。
私はため息を一つついて、そっとブラウザを閉じました。
畳みかけのパジャマの山を眺めながら、明日という日が、今日設定したばかりの「新しい自分」すら忘れさせてしまうほど、忙しくないことを祈るばかりです。
▼もう少し「ふしぎ」を眺めたい方へ
デジタルシステムの融通の利かなさといえば、AIがどうしても人間の「手」を上手く描けなかった理由にも通じます。データは知っていても、本質的な構造まではわかっていなかったんですよね。
どんなに複雑に見えるデジタルの世界も、突き詰めれば「0」と「1」。そんな最先端の仕組みのルーツが、実は大昔の東洋の思想にあったという少し意外なお話です。
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