父の日の靴下と、数センチの距離
休日のリビングに、キャッキャと高い笑い声が響いています。
夫がまだ4歳にも満たない娘の両脇を抱えて 「飛行機ぶんぶん」 と部屋の中を旋回しているところでした。
エアコンの風をすり抜けて、ふたりの汗ばんだ熱気がこちらまで伝わってくるようです。
パパ大好き、としがみつく娘と、すっかり目尻を下げてそれを受け止める夫。
物理的な距離がゼロに近いその様子を眺めながら、私はふと、自分の父親のことを思い出していました。
そういえば私はいつから、実家の父とあんなに離れて座るようになったのだろう、と。
毎年の父の日、私はいつも頭を悩ませています。
母の日なら花でも服でも素直に選べるのに、父への贈り物はどうにも決まりません。
結局は無難なビールや、ちょっと良い消臭機能のついた靴下に落ち着くことになります。
さらに難しいのは、手渡す瞬間です。
たまに帰省した時の実家の居間で、テレビのニュース番組を眺めている父の斜め後ろに立ちます。
顔を見るのもなんだか気恥ずかしくて、テーブルの端のほうにそっと包みを置く。
「これ、置いておくね」
視線をテレビに向けたまま、父はボソッと、 「おう、ありがとう。そこ置いといて」 と答える。
目も合わさず、手も触れず、会話はわずか数秒で途切れてしまいます。
かつては私も、あのリビングを飛び回る娘のように、父の背中に飛び乗っていたはずでした。
それなのに、いつの間に私たちは、このもどかしい数センチの距離を保つようになってしまったのでしょうか。
遺伝子が促す、親子の距離
実は、親子の距離というのは、私たちの心が決めるよりもずっと前に、生命のプログラムによって決められている部分が大きいのだそうです。
男性は子どもが生まれると、攻撃性や競争に関わるテストステロンが減少し、育児行動を支えるホルモン環境へ変化することが知られています。
生物学的に、競争を捨てて子どもをひたすら守るための育児スイッチが入るわけです。
幼少期のベタベタした距離感は、このホルモンの魔法がもたらす接近の時期と言えます。
(余談ですが、かつて私と出会った頃はクールな表情を崩さなかった夫が、今や赤ちゃん言葉を連発しながら娘と遊んでいる姿を見ると、牙を抜かれた生物学的変化の凄まじさを実感せずにはいられません。あのシュッとした自意識は、育児スイッチによって一体どこへ消え去ってしまったのでしょうか。生物としての変化とはいえ、時々ただの親バカに見えてしまうのはここだけの秘密です。)
しかし、子どもが大きくなると、今度は別のスイッチがオンになります。
特に思春期の娘が、父親の体臭を無意識に避けたくなってしまう現象がしばしば語られます。
これには、ヒト白血球抗原、いわゆる免疫に関わるヒト白血球抗原(HLA) の型が近い相手を遠ざけることで、遺伝的な多様性を保とうとする近親回避の仕組みが関係している可能性が議論されています。
お父さんは何も悪くないし、娘の心が変わってしまったわけでもありません。
ただ、生命としての防衛システムが、一時的に親子を物理的に引き離すための冷徹な境界線を引いているのかもしれません。
磁石の同極がつくる、静かな距離
この強制的な隔離の時期を過ぎて、私たちが大人になったとき、ようやく手に入れるのがあの居間の、あの独特な距離感です。
それは、磁石の同じ極同士が近づいたときのような感覚に似ているかもしれません。
反発し合って決してぴったりとはくっつかないけれど、見えない力で押し合うように、一定の距離を保って静かに安定している。
私はあのテーブルの上のやり取りを、愛情が冷めてしまったからだと思っていました。
でも、そうではないのかもしれません。
激しい接近と、本能による拒絶の長い旅路を乗り越えて、私たちが一人の独立した大人同士として、ようやく見つけ出した最も安全な境界線。
それが、あの目を合わせない数センチの距離だったのだと思います。
ぴったりくっつかなくても、親子の形を崩さずにそこにいられる。
それは、遺伝子が何万年もの時間をかけて設計した、とても調和のとれた家族の着地点なのかもしれません。
リビングでは、飛行機ぶんぶんが終わり、今度は夫の背中に娘がよじ登って騒いでいます。
散らばったレゴを踏まないように足元を片付けながら、私はカレンダーに目をやりました。
今年の父の日は、思い切って靴下以外のものを送って、静かな均衡をほんの少しだけ揺さぶってみようかなと密かに企んでいます。
とはいえ、到着した日の夜にはいつも通り「届いた」という素っ気ない連絡が来て「よかった」とだけ返すのでしょう。
お互いに干渉しすぎない、あの絶妙な距離感のままで。
▼もう少し「ふしぎ」を眺めたい方へ
子どもの寝息を聞いていると、どうしてあんなに心が安らぐのでしょうか。親の脳をリラックスさせる不思議なメカニズムについてのお話です。
父との絶妙な距離感の一方で、母とは細胞レベルで繋がっているという不思議。母の日に綴ったお話です。
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