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世界が自分を監視している?スニーカーのロゴが急に浮き出して見える、脳のちょっとしたいたずら

ふとした瞬間に、世界の「解像度」が急に変わってしまうことってありませんか。

昨日までは単なる風景の一部だったはずのものが、ある時を境に、まるで自分を追いかけてくるかのように何度も目に飛び込んでくる。

たとえば、今まで意識すらしていなかった「緑色のスニーカー」のロゴが、急に自分にだけパッと浮き出して見えるような、あの不思議な感覚です。


きっかけは、先週の金曜日でした。

仕事帰りに寄った本屋で、私はふと見慣れないブランドの名前を、視線の端に引っ掛けてしまったんです。

北欧のスニーカーブランドという、自分には少し遠い世界の響き。その時は「へぇ」と、コーヒーショップのレシートと一緒に記憶の隅へ放り投げたつもりだったんです。

ところが、週明けの月曜日のこと。通勤電車のホームで向かいに立つ人の足元に、まさにそのロゴを見つけた途端、何かが静かに繋がりました。

オフィス街、駅のコンビニ、果ては夕飯の買い出しで見かけたポスターまで。

知る前と後で、情報の鮮度が変わってしまったかのような、不思議な明るさがそこにはありました。

私の脳の中では、一体どんなお節介なライトアップが始まったんでしょうか。


街中に溢れ出す「見えない蛍光ペン」

今まで一度も意識しなかった古い車のモデルや、名前すら記憶になかった海外の都市のニュース。

昨日の深夜、寝ぼけ眼で眺めていた記事で見かけた、耳慣れない言い回し。

それらを一度認識した途端、まるで世界が自分に合わせて急にその色に染まったかのように、街中の看板やニュースのテロップから一斉にこちらへ向かって手を振り始めます。

運命や引き寄せの類いかと少し舞い上がってしまいそうになりますが、実際はもっとドライな脳の仕業なのだそうです。

心理学ではこれを、 バーダー・マインホフ現象 と呼ぶみたいですね。

歴史を辿ってみますと、1994年に一人の新聞読者が「過激派組織の名前を知った直後から、あちこちで見かけるようになった」と投稿したことがきっかけで名付けられたのだとか。

専門家の発見というより、一人の「ねえ、これ不思議じゃない?」という声から始まった。

それ自体がなんだか、手に負えないけれどどこか愛嬌のある偶然だなあ、なんて思ったりもします。


脳の中の「お節介な一軍リスト」

からくりは、意外とシンプルなものでした。

私たちの脳は、日々浴びる膨大な情報のほとんどを「自分には関係ないもの」としてゴミ箱へ捨て続けています。

けれど、何かの拍子に新しい知識を一度でも認識すると、脳のフィルターが「あ、これ重要リストに入れていいやつ?」と勝手に解釈を始めてしまうのです。

これがいわゆる 選択的注意 、自分専用の一軍リストが更新された状態です。

一度その印を授かった情報は、それまで背景だった場所からスッポリと抜け出し、スポットライトを浴びて浮かび上がってきます。

昨日までずっとそこにあったのに、見ていなかっただけ。

なんだか、自分の目なのに半分くらいは寝ていたのではないか、という気さえしてきます。

さらに、 確証バイアス というもう一つの癖が追い打ちをかけます。

脳の中の「証拠集め担当」が、「ほら、やっぱりあそこにもあった!」「やっぱりこれ、流行ってるんだ!」と、期待通りの情報を熱心に拾い集め始めるのです。

その裏で、出会わなかった時間のことは、綺麗さっぱり忘れてしまいます。

自分の頭の中のことなのに、どうにも制御が効かないのが、少しだけ歯痒いですよね。


現代の偶然は、誰かに仕立てられている?

かつて、この現象は純粋な人間の脳の「わがまま」のようなものでした。

しかし現代において、私たちの「偶然」は、少しだけ別の力によって書き換えられ始めている気もします。

ネットを徘徊していると出会う、 リターゲティング広告 の存在です。

一度検索した商品や閲覧したサイトが、全く別の場所で何度も目に飛び込んでくる。

「さっき考えていたことが、また目の前に!」と驚いている裏では、アルゴリズムが私たちの癖を先回りしているんですね。

脳が「これは重要」という印をつけるより先に、デジタル側のシステムが勝手にラベリングして、目の前に差し出し続けている。

脳のいたずらと、緻密に計算された演出による不気味な連携。

もはや、どれが自分の意志で、どれが用意された偶然なのかを区別するのは、不可能に近いのでしょう。

便利になったはずなのに、なんだか自分の思考の主導権を少しずつどこかへ譲り渡しているような、そんな不思議な心細ささえ感じてしまいます。


世界は自分仕様に、書き換えられていく

おそらく、明日か明後日には、どこかの本や画面の中で、ついさっきまで知らなかった「何か」に、ふと出会うはずです。

その時は、どうか思い出してほしいのです。

世界があなたを監視し始めたわけでも、運命の輪が回り出したわけでもないということを。

ただ、あなたの脳が少しだけやる気を出して、世界という大きなキャンバスを 自分仕様 に塗り替え始めただけ……なのかもしれません。

あるいは、どこかのアルゴリズムが、あなたの興味をそっと拾い、次の偶然を用意してくれているだけ。

そう思うと、この少し不気味な一致も、脳とテクノロジーの不器用なサービス精神のように見えてきます。


今夜、本を閉じて眠り、明日目覚めたとき。

あなたの景色に、今まで見ていなかった何が飛び込んでくるでしょうか。

もし駅の階段を上がる際、ひときわ鮮やかなロゴが目に飛び込んできたら――。

それは、この記事を読んだあなたの脳が、「まだその話、終わらせてないよ」と勝手に知識を更新したせいかもしれません。

……なんて言いながら、たぶん私は明日も、別の何かを気にして検索してしまうんでしょうけどね。

私たちは、世界を見ているようでいて、ほんの一部しか見ていない。

その一部は、思っている以上に気まぐれに、誰かの手で塗り替えられていく。

そう考えると、この日常は、ずいぶんと自分仕様にカスタマイズされた、不思議な世界なのかもしれません。


▼もう少し「ふしぎ」を眺めたい方へ

ネット広告に追跡される感覚も少し息苦しいですが、実店舗で服を見ているとき、背後から店員さんがふわっと近づいてくるあの絶妙な緊張感も、私たちの縄張りが関係しているようです。

意識し始めるとよく見える現象の逆で、「見つからない」と思い込んでいると目の前にあるのに見えなくなる、探し物の不思議なメカニズムについても書いています。

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