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サブカルクソ野郎の贖罪:「浅いw」と言っていた自分と〈カルチャー殴り〉の日米差【ひとりごと】

■ 最近『ウィッチウォッチ』のケイゴに殺されている

いや、正確にはケイゴ自身ではない。
過去の、学生時代の自分だ。

「自分の感性だけでやってるから、セオリー?みたいなのないし」
「なんか夜中テレビつけたらすげえマイナーな映画やってて、その監督オレすげえ好きで、結局明け方までずっと観ちゃって」

みたいな系統の台詞。サブカル好きを自認し、その自認こそを存在意義にするタイプの人種。

売れているものを「浅い」と見下し、「本物知らないんだね」と謎の哀れみを向ける。

ああ、やってた。確実にやってた。
思い出すだけで胃が痛い。

同時に、最近こうも思う。
あの頃の自分は、なぜあんなに「カルチャーで殴りたかった」のだろうか。


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■ 私は紛うことなきサブカルクソ野郎だった

典型的なサブカルクソ野郎だった学生時代の私。

洋楽 >>>>>> 邦楽。
ORANGE RANGEを見下す。
「ジャパニーズラップ? あんなん本物のヒップホップじゃねえよ」と文句をつける。
ヴィレヴァンを神格化。
松本大洋は神。
『広告批評』を定期的に読むことで「分かってる側」に立った気になる。
エモやシューゲイザーには「理解ある俺」として寄り添う(という名の上から目線)。
椎名林檎だけは「別」と言い張る。

役満である。

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■ アメリカでも同じことをやっていた

厄介なことに、私は留学先のアメリカでも同じようなことをやっていた。

2000年代前半。世はニューメタル全盛期。
Korn。Limp Bizkit。Slipknot。Linkin Park。
ダークな世界観と音楽性が最もど真ん中の市民権を得ていた時代、私は異国にいた。

あの時代のアメリカの高校は、今より遥かに「カルチャーで人格が決まる」空気が強かった。「何を聴くか」とは「どの部族に属するか」だった。

だから当然

「Backstreet Boys? NSYNC?
ダッサ。ソフトじゃん」

みたいな価値観も普通に存在していた。
ボーイズグループなんて聴く男はダサい。
女々しい音楽性は悪。

そして私は、そのアメリカならではの空気(≒同調圧力)を吸い込みながら、

「俺、マーチングバンドやっててドラム叩けて、なのにアメフト部の友達いるんだぜ」

みたいな「複数のカーストのリアルを知ってるマルチカルチャーな俺」感まで漂わせていた。

もう地獄である。
恥ずかしい。
思い出すと死ぬ。

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■ 日本とアメリカの「殴り方」の違いと、両方を悪魔合体した特級呪物

ただ、日本とアメリカでは「カルチャー殴り」の構造が微妙に異なる。

アメリカは比較的ストレート。クールか否か。

“lame”
“weak”
“soft”

つまり、人格や強さの種類で殴る。
強いか弱いか、雄々しいか女々しいか。

一方、日本のサブカル殴りはもっと陰湿で、もっと知的ぶっている。スノッブ感がより強い。

「浅い」 
「分かってない」
「センスない」

つまり理解度の差で殴る。

アメリカサブカルは「強い奴が偉い」。
日本サブカルは「分かってる奴が偉い」。

だから、日本のサブカル層には独特の「無知への憐れみ」が発生する。ああ、痛い。

そして私も、かなりそちら側の人間だった。
しかも日米両方の「サブカル層のクソなところ」を悪魔合体させた特級呪物として。
留学というシステムが生んだ化け物だ。

うん、思い出すと死ぬ。

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■ カルチャーは娯楽ではなく「自分の位置確認装置」だった

今振り返ると、あの頃の私はカルチャーを楽しんでいたというより、自分がどの位置にいるか確認するために使っていた気もする。

「分かってる側」に立ちたかった。
「浅い大衆」とは違うと思いたかった。
カルチャーとは安全保障だった。

知識は武器。
理解は優越。
無知は恐怖。

だから人は、カルチャーで殴る。
そして今の私はあの頃の私を殴りたい。

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■ そして私は、自分より詳しい人間に殴られた

東京の芸術系大学へ進学して、サブカルクソ野郎の無根拠な全能感は崩壊した。

上には上がいた。
本当に詳しい人間。
本当に作品を理解している人間。

そして何よりも、「マウントのためではなく、純粋にそれが好きな人間」が大量にいた。

偏見を持っていたエロゲー文化にも殴られた。

「え、こんなに面白いの?」 
「こんなにオリジナリティあるの?」
「こんなに真剣に作ってるの?」

そこで初めて、自分の中の「雑なヒエラルキー表」に気づいた。私は作品ではなく、ラベルとしての人間を見ていたのだ。

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■ たぶん、多くの人に心当たりがある

たぶんこれは私だけの話ではない。

「売れてるから嫌い」 
「にわか」
「本物」
「浅っw」

あの感覚。SNS時代のはるか以前から存在していた、「分かってる側に立つ」快楽。

ただ今は、少し違う視点で見られる。
カルチャーとは本来、人を殴るためのものではない。世界を広げるためのものだ。そして、なるだけ中立の視点でnote記事を執筆しようと心掛けているのは、ある意味で過去の贖罪なのかも。

それでも。今でも時々 「その解釈は浅いな」と思ってしまう瞬間はある。口には出さんが。

三つ子の魂百まで。
人間、そう簡単には変わらないものである。

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