見出し画像

連作恋愛短編 | 🎃ハロウィンの夜「傷に溺れる僕」

僕はどうしても、それを触りたい。

🎃

筆を取った瞬間から、世界は狭まっていった。
散らかったお菓子、遠くで笑う声。
それらは遠ざかり、光の輪の中に浮かぶ一点だけが残る。

ナオの皮膚。
柔らかく、わずかに温かい。
そこに刻まれた痕跡。
髪に隠されてきた線が、晒されている。

──あれは幼稚園のころだ。
夏の日、河原で従姉妹のミキと遊んでいた。
石に足を取られ、彼女は転んだ。
次の瞬間、膝がぱっくり割れ、鮮やかな赤が土と混ざった。
その時、どうしてか分からない。恐怖でも嫌悪でもなく、熱のようなものが胸の奥でふくらんだ。
泣き叫ぶ声よりも、その裂け目から覗く色の方が、異常なほど鮮明に心を支配した。
あの瞬間が、今も消えずに残っている。

だから僕は震えていた。震えを抑えるために呼吸を浅くした。けれど筆先は迷わなかった。
透明のシールを置き、その輪郭を縁取るように赤を足す。血糊の濃淡を整え、ラメを散らす。
瞬間ごとに線は変質する。
痛みの記録が装飾として蘇る。

ラメの粒子が光に反射するたび、脈が跳ねた。
赤と黒を重ねるごとに、心臓が痺れるように収縮する。他人の皮膚の上で、まるで自分自身が刻まれていくように。

ナオがどう思っているか、そんなことは関係ない。ただ、ただ、その存在を確かめ続けたかった。

やがて筆を置いた。
鏡に映るのは、確かに「かわいいゾンビ」だった。
ナオは驚いたように鏡を見て、周囲からも声があがった。
「すごい!ヒサシありがとう」

だがそんな言葉は空虚だった。
僕の胸に響くことはない。

あの線に触れられたこと。
それだけが、この夜の意味だ。

ハロウィンや街の熱気はどうでもいい。
ナオが誰に微笑みかけるかも、どうでもいい。
僕はナオの目なんか見ちゃいない。
あの傷だけが、愛おしい。

🎃

昨日の続きです。
合わせてお楽しみください。

いいなと思ったら応援しよう!