【エッセイ】第4回 親が守れない場所|前提がほどける場所で── インドで子育てをして知ったこと
第4回|親が守れない場所
1|思いがけない挑戦
インドの学校では、生徒会役員(スチューデント・カウンシル・オフィサー)は9年生が副代表、10年生が代表を務める生徒会制度になっている。
ふたごの子どもたちが9年生になった時のことだった。
息子と娘が、スチューデント・カウンシル・オフィサー(生徒会役員)選挙に立候補したいと言い出した。息子はデピュティ・ヘッド・ボーイ(男子生徒副代表)に、娘はデピュティ・ヘッド・ガール(女子生徒副代表)に挑戦したいという。
私は驚きを覚えた。しかし、本人たちがやりたいのであれば応援しようと思い了承した。
投票権は5年生以上の全校生徒とすべての先生たちが持っている。先生たちの1票は生徒の3倍に値する得票として計算される。子どもたちはそれぞれ翌日、学校で立候補の受付を済ませた。数日後、学校側によるショートリスト作業が終わり、2人は揃って最終立候補者に残った。
家に帰ると、子どもたちはすぐに選挙の準備を始めた。ポスターの言葉を考え、紙を広げ、スピーチ原稿を書き始めた。翌週から、投票日に向けて2週間の選挙戦が始まることになっていた。
2人は楽しそうに準備をしていた。私は、その挑戦を心から応援していた。
しかし、この選挙戦の中で思いもよらない出来事が起こった。
2|ネガティヴ・キャンペーン
デピュティ・ヘッド・ボーイの対抗馬の1人、同じクラスのヤダヴくんが、息子と娘に対するネガティヴ・キャンペーンを始めたのである。
「インドの学校で日本人をスチューデント・カウンシル・オフィサーにすべきではない。インド人がトップに立つべきだ。」
それは息子と娘を名指しした主張だった。しかもヤダヴくんは、子どもたちのクラスメートであるだけでなく、ダンス仲間でもあった。
子どもたちは予期せぬ攻撃に戸惑った。私も大きな衝撃を受けた。それまで必死に積み重ねてきた日々を、国籍という言葉ひとつで否定されたように感じたからだった。
私は学校に訴えたい衝動に駆られた。しかし、もし私が余計なことをすれば、かえって息子と娘それぞれの立場を悪くしてしまうかもしれない。私は踏みとどまった。
実際、子どもたちを応援するクラスメートの中には、この主張に対する反論も出ていた。しかし先生たちは、この件について特別な対応を取ることはなかった。9年生や10年生の選挙は、生徒たち自身の判断で行われるものとして扱われていたからである。
3|親の動揺
私たちはそれまで、インドで国籍による差別的な扱いを受けたことはほとんどなかった。むしろ、日本人であることで温かく迎え入れてもらっていると感じることの方が多かった。インドの人々は日本に対して良いイメージを持ってくれており、私たちもその寛容さに感謝しながら生活してきた。
だからこそ、この出来事は私にとって大きな衝撃だった。
その頃、ムンバイのアッパークラス現地校に通う日本人はほとんどいなかった。穣と恵実の言動が、そのまま日本人の印象として受け取られる可能性もあった。
我が家では、インドに住んでいるからこそ日本人らしさを忘れないようにと考えてきた。日本語の勉強を続け、礼儀を大切にすること、規律を守ること、物事を丁寧に行うことを繰り返し伝えてきた。それは、日本人として恥ずかしくない生き方をしてほしいという願いからだった。
オリンピックやサッカーのワールドカップで、日本代表の選手たちが世界の舞台で戦う姿を見るたびに、私たちは胸を熱くしながら応援してきた。息子と娘もまた、小さな日本代表のような気持ちで学校生活を送っていたのだと思う。
だからこそ今回の出来事は、私の心を大きく揺さぶった。
もしインドでは日本人だと言われ、日本ではインド人だと言われたら。この子たちは、自分の居場所をどこに見つければいいのだろう。私はそのことを考え続けていた。
4|親にできること
選挙活動は予定通り進んでいった。教室を回って支持を訴え、ディベートが行われ、ポスターが掲示される。学校の中は選挙の話題でいっぱいだった。ネガティヴ・キャンペーンが行われていても、息子と娘は変わらず選挙活動を続けていた。
私はその姿を見ながら、親として何ができるのかを考えていた。選挙は学校の中で行われる。判断は生徒たちと先生たちに委ねられている。親が介入することはできない。
しかし、だからといって何もできないわけではなかった。私は2人の話をよく聞き、感じていることを受け止め、できるだけ声をかけていた。ショックを受けている気持ちにも共感しながら、2人がどれだけ頑張ってきたか、そして私を含め周囲がどれだけ応援しているかを繰り返し伝えていた。息子と娘が自分たちの力でこの経験を乗り越えられるよう、親としてでき得る限りの形で支え続けていた。
5|子どもは前に進む
投票日が来て、結果が出た。息子と娘は2人とも落選した。
デピュティ・ヘッド・ボーイ(男子生徒副代表)には、子どもたちに対するネガティヴ・キャンペーンを展開したヤダヴくんが当選した。
私は胸が締め付けられる思いだった。立候補を許したことを後悔した。
しかし子どもたちは、思っていたより早くいつもの2人に戻っていった。ヤダヴくんとの関係も、時間が経つと自然に元通りになった。学校生活は続いていく。友達との日常も変わらず続いていた。
その様子を見ながら、私は少しずつ理解し始めていた。今回のことは、私にとって大きな出来事だった。そして子どもたちにとっては、人生を学ぶ上で通過すべき大事な経験だったのかもしれないと。
それでも私の中には、一つの問いがくすぶっていた。
この経験が、子どもたちに何を残すのか。私にはまだ分からなかった。
しかしその答えを、私は1年後に知ることになる。
【連載一覧】
第1回 日本の子育ての前提が崩れた日
第2回 答えを教えない学校
第3回 任せたつもりの場所で
第4回 親が守れない場所
第5回 もう一度、挑戦する
第6回 前提がほどける場所で
