2025年のベスト本 『暇と退屈の倫理学』
こんにちは、アイルランド在住のつぐみです。
2025年に読んだ中で1番のおすすめ、衝撃を受けた一冊はこれ。
ハイデッガー、スピノザ、ラッセルなどの哲学者や、生物学者ユクスキュルの思想などを読み解く難解だけど面白い読み物。
私のように、退屈の第三形式「なんとなく退屈」状態にある方には、非常に得るものがある本だと思います!
1. 心に残ったのは
私がこの本で強く心に残ったのは、
①「消費」と「浪費」の違い、そして ②「環世界」という概念だった。
この本は退屈を心理的な問題としてではなく、消費社会の構造と、人間という存在のあり方そのものから捉え直す。國分先生、カッコいいー!
2.消費と浪費:終わらないゲームに巻き込まれる理由
定住生活によって人は「暇」を持つようになった。労働者の暇は搾取され、有閑階級の暇になった。そして有閑階級は暇つぶしのプロになった。(暇つぶしという点でこの階層に学ぶことは多い。)
かつては有閑階級だけが抱えていた退屈を、やがて労働者階級も引き受けるようになる。
具体的にはフォード消費社会が例示されている。
フォードで働く労働者は賃金を得て、そしてフォード車を買い、レジャーに行き、更なる消費することで、フォードに資本を蓄積する。
余暇そのものが資本に転換される時代だ。
ここで重要なのが、「浪費」と「消費」の違い。
• 美味しいものを食べる → 浪費、終わりがある。
• 有名店に行き「行った」という物語を得る → 消費、終わりがない。
モノやサービスを享受する浪費には限界がある。
しかし、記号や観念を得る消費には終わりがない。消費社会はこれに目を付け、気晴らしの先にあるモノを、記号や概念に置き換え、人々は終わることのない消費ゲームに参加させられてしまった。
私が好きな、とある作家も「マチュピチュに行った人」になりたいがためにマチュピチュに行った、とネタにしていた。私もマチュピチュに行ったことがある。でも私のマチュピチュ旅は人生で3本の指に入る素晴らしい旅だった。
マチュピチュ訪問という行動が同じでもそれに伴う意味は人によって違う。
私も人に言いたいがためにした消費は腐るほどあるが、恥ずかしくて例を挙げられない。
「生きがいのある仕事」
「充実した人生」
労働に意味を求めることさえ、「意味」という記号を消費するゲームに組み込まれてしまった。
怖いですよ、自分の消費と浪費を考えるの。
3. 労働と仕事、そして余暇を生きる技術
本書は労働と仕事を区別する。
• 労働の成果は消費される
• 仕事の成果は世界に存続する(芸術が典型)
そんなことを言われると、じゃあ世界に存続しない作業には意味がないんですか?と言いたくなるが、著者はこう言う。
「魚釣りはしても、漁師になる必要はない。
文芸評論をしても、評論家にならなくていい。
それは余暇を生きる一つの術なのだ。」
人は何もすることがない状態に耐えられない。
だから仕事を探す。
だが、仕事の役割に逃げ込むことが唯一の解ではない。
4. 環世界: 人間は「一つの世界に留まれない」存在である
本書の中で最も衝撃的だった概念が、生物学者ユクスキュルの「環世界」だ。
ユクスキュルによれば、すべての生物が同じ世界・同じ時間・同じ空間を生きているという考えは幻想である。
生物はそれぞれ、意味をもつシグナルだけで構成された固有の世界を生きている。
象徴的なのがダニの例だ。
ダニの世界はたった三つのシグナルでできている。
• 酪酸の匂い
• 摂氏37度の温度
• 体毛の少ない皮膚
人間の世界のように、森林での光も風も美しさも存在しない。それでもダニは迷わない。
なぜなら、その世界に「完全に没入している」からだ。目も見えず耳も聞こえないが、酪酸の匂いで枝から飛び降り、体温のある動物の上に落ちたら捕まり、皮膚を見付けたら血を吸う。それがダニの世界の全て。
一方で人間はどうか。
人間は一つの環世界に「とらわれ続ける」ことができない。
容易にそこから離脱し、別の可能性を想像してしまう。
「ここじゃない気がする」
「他にもっと意味のあることがあるのでは?」
この環世界間移動能力こそが、人間の自由であり、同時に退屈の源泉である。
人間は、どこにも完全には属せない存在なのだ。
5.退屈の出口 ― 「動物になることを待ち構える」
本書が提示する解決策は、3つ。
①退屈について新しい認識を持つこと(この本を通読すれば得られるよ!と著者自らおっしゃってます笑)
②楽しむ能力を訓練すること
③一つの環世界に没入する「動物になること」を待ち構える」こと
楽しむことには訓練が要る。
教養が必要となる芸術だけでなく、食べること、暮らすこと、身体に根ざした楽しみも同じだ。美味しいと思って食べることと、美味しいと言われる店に行って食べることは違う。
さらに、人は時に環世界間移動能力を低下させる。
何かにとりさらわれる瞬間に、その世界に没入して動けなくなる。
思考せざるを得ない状況。
一つの世界にどっぷり浸かる時間。難しく言ってるけど、いわゆるフローとかゾーンに陥る瞬間なのかなと他の本との比較からも思う。
ドゥルーズはこれを「待ち構える」と呼んだ。
美術館や映画館のように、自分がとりさらわれやすい場所へ、自ら赴くようにしていたらしい。その場所やきっかけがどこか何かは個々で異なる。フロー状態に入るためのトリガー。以前、『習得への情熱』で読んだことが思い出された。
人間であることを引き受けながら、一時的に動物になる。その瞬間を待ち構える。
まとめ
退屈とは欠陥ではない。
それは、人間が自由であることの副作用だ!
だから退屈を消そうとしないこと。
興奮の消費ゲームに乗らないこと。
そして、世界にとりさらわれる場所を自分で探すこと。そこで待ち構えること。
この本は、「退屈にどう勝つか」ではなく、「退屈とどう共存するか」を教えてくれたと思います。
この本は私には難しく、読むのにもまとめるのにもかなり時間がかかりましたが、こうやってログを書くことで頭が整理され、本の内容が深く刻まれることを再認識できました。読書アウトプットはいい!
今年もたくさんの名著に会えますように!
