柿の木とじいちゃん
ワタシの実家はほどほど田舎だ。
都市分類としては、都市型農村という部類なんだそうだ。
関東平野ど真ん中で、視界には民家と畑と田んぼ。
山は遙か彼方に霞んで見えるくらい。
大きくなって各地に旅行に行き、どこも山が身近で驚いた。
実家は、昔からある家としては割と普通な、防風林に囲まれた敷地に、家と納屋と畑(家庭菜園と言うにはデカい)と駐車スペースのある家だ。
なんなら家の横にはニワトリ小屋があったし、裏には雑木林や墓もある。
東京の住宅密集地からすると、「家、何軒建つ?!」という広さだが、この土地建物全部を売り払っても、東京の駐車スペース1つたりとも買えない。
そんな田舎の古い家あるあるとしては、必ず「柿の木」が植わっている。
ワタシの印象としては、どこの家もシンボルツリー的に、割と良いところに植わっている。
柿の木というのは、春夏は鮮やかな緑の葉(と刺されると超痛いイラガの毛虫)、秋にはオレンジ色の実を付けて派手に紅葉し、冬も採られなかった実が木の上の方でくすんだオレンジ色になってぶら下がり、それをカラスがつついていたりして、庭の隅の方にあっても目を引くような存在感があるのだ。
ワタシの実家にも物心ついたときからそこにある柿の木がある。
幼い頃は、秋にはお腹が空いたと言えば「柿取って食え」と言われるので、毎日オヤツは虫取り網を柿に引っかけてエイッと引いて収穫。それを食べていた。ワイルドだった。
今もその木はちゃんと実を付けている。
柿の木の寿命は100年を超すこともあるらしいが、ウチのあの柿の木は樹齢はどのくらいなのだろう。
ワタシの小さい頃でも、オヤツの木はすでに屈強な木だったのだ。
何が屈強かというと。
じいちゃんの車での度重なる「激突」にびくともしていなかったのだ。
今にして思えば恐怖なのだが、柿の木はじいちゃんがバックで車庫入れをするときのストッパーとして機能していた。
なぜ当時恐怖でなかったのか。
事故というものをリアルに理解していない程度の年齢だったと言えばそれまでだが、一種のイベント&ショーのように見ていたのだ。
じいちゃんの車が帰ってきた!逃げろ!(イベント発生)
↓
家の中から見守り(わくわく)
↓
今日はぶつからなかったかー(煽られる射幸心)
という感じ。
きっと、母は毎日子供達を避難させるのに必死だったのだと思う。
じいちゃん帰還の車の音に誰よりも早く気付く特殊能力を持っていた。
柿の木は、本来車を止める位置の真後ろにあるわけではない。
横にある。
下手なヒトが寄りすぎて車側面をこする、という域ではない。
完全に車のド真後ろド真ん中で、結構なスピードで激突していく、相当なノーコンドライバーだった。
当時はオートマ車なんてものは無い。マニュアル車だ。
半クラッチからズバンとアクセルを踏みこんでいたのかもしれない。
月イチくらいで激突していた。
どういうカラクリで免許が取れたのか。
勤務先での駐車はどうしていたのか。
確か『校長先生』という職業だったはずなのだが。
屈強とはいっても、柿の木の枝は折れやすいことで有名だ。
妹は非常に活発で身軽、どんな木にもするする登るタイプ。
ある日、幼かった妹は登るのが禁止されている柿の木に登っていたところを父に見つかって、家でコッテリ怒られていた。
怒られている最中に「あ」と外を見る妹。
つられて外を見る父。
「おやじ💢」
外には柿の木に登ろうとするじいちゃん。
父の声に反応して振り返るじいちゃん。
バキッ
枝が、折れた。
「おやじ!?」
外に飛び出す父。逃走するじいちゃん。
じいちゃんがそれで怪我をしたという記憶はないのだけど、
この件はどうなったんだろう。
とりあえず妹は「柿は重い大人が乗ると枝が折れるけど、子供なら大丈夫」という教訓を得たらしい。
父と妹の柿の木をめぐる攻防はこの後数年は続く。
そして。
じいちゃん亡き後も、じいちゃんと柿の木の因縁は続く。
ある台風の日。
強風で墓の卒塔婆が吹っ飛び、柿の木直撃。
柿の木がなかったら家に直撃するところだった。
卒塔婆が家の窓を突き破ってきたら「じいちゃんの祟りか」と騒ぎになる事件だけど、家を守るように、じいちゃんの前に立ち塞がった柿の木。
「じいちゃん、死んでも柿の木に当たるのか……」
法事の席は大いに盛り上がった。
田舎の家にはシンボルツリー的柿の木があり、
シンボルツリーにはドラマがある。
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