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「誰かのために」は、きれいごとかもしれない

誰かのために動いている。

そう言いながら、
本当は少し期待していないだろうか。

感謝されたい。
信頼されたい。
応援されたい。


見返りはいらないと言いながら、
心のどこかで“返ってくる何か”を求めている。

僕もそうだった。


会社で、こっそりスマホを見た

仕事中だった。

どうしても気になって、
ポケットのスマホを確認した。

応援していたクラウドファンディング。

ページを開いた瞬間、
「達成」の文字が目に飛び込んできた。

呼吸が止まった。

目が熱くなった。

周りに気づかれないようにうつむきながら、
強く、拳を握りしめた。

嬉しかった。

心の底から。


その瞬間、気づいた

その人が喜んでいる姿を想像した。

その表情を思い浮かべたとき、
一番満たされていたのは、

自分だった。

ああ、そうか。

僕は「誰かのために」と言いながら、
その人の笑顔を見て
自分が幸せになりたかったんだ。

でも、それでいいと思った。

誰かの幸せで自分が幸せになる。

それは打算じゃない。
それは循環だ。


応援される人には、理由がある

人に心を使わないまま、
応援してくださいなんて言えない。

応援される人は、
先に応援している。


見返りを計算せず、
本気で相手の未来を願っている。

即効性はない。

でも消えない。

誰かのために重ねた行動は、
巡り巡って返ってくる。

あの日の達成通知は、
その証明だった。


共に幸せになるという選択

誰かのために動くことは、
自分の幸せを遠回りすることじゃない。

むしろ、一番確かな道だ。

応援されたいなら、
まず応援できる人でありたい。

誰かの幸せの一部になれたらいい。

それが巡って、
また誰かを照らす。

共に幸せになろう。

それが、
一番強い生き方だ。

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