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【稲盛和夫 最後の闘い】 読書#185

みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。

自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

今回は、経営です。
というか、哲学・信条といって良いかもしれません。

ヘッダーは、つじともさんの作品を使わせていただきました!
ありがとうございます!!


目次


基本情報

大西 康之  (著)
日本経済新聞出版社 出版
2013年7月12日 第1刷発行

全224ページ
読書所要期間3日

本書も、バリューブックスさんで購入しました!!

私が本書に出会うきっかけ

私は、ANAが大好きだ。
これは、揺るぎない。

しかし、その前はJALが大好きだった。
そして、さらにその前はJASが大好きだった。
JASはJALに統合・合併されたため、JALへそのまま好きが移行していったという感じ。

稲盛和夫氏は、そんなJALが会社更生法を申請したばかりの頃の代表者だった方。
正直に言えば、私はこのJALの一連の出来事がきっかけで、ANA好きへと大きく加速していった要因の一つだった。
(あと、キムタクのグッドラックというドラマ)
それは、当時の民主党政権が、JALを贔屓しているという世論に私は流されてしまったと言っていい。

そうした世論は、果たして本当だったのか?
同氏は、同社でいったい何をしたのか?
同氏は、いったいどれだけすごい方なのか?

本書は、JALと同氏をより理解するために、読むことにした。

私が思う、この本の本質

稲盛氏といえば、私にとってのイメージは、
京セラの創始者であり、
アメーバ経営の生みの親であり、
JALを再生した方
といった、大きく3つ。

JALは、会社更生法を申請して、わずか3年足らずでV字回復を果たした。
しかし、これほど鮮やかに、絵に描いたような復活劇は、本当だったのか?
そんなことってあり得るのか?
やはり、時の政治が贔屓した部分もあったのではないか?

私の中で、そこをもう少し理解できればという思いがあったが、まさにその辺りを著者の視点からまとめられたものとなっている。

結論は、本当であり、あり得ることであり、贔屓はなかった、と理解した。

私が感じたこと

「動機善なりや 私心なかりしか」

これは、稲盛氏がよく使っていた言葉らしい。
本書にも、随所に登場する。
この言葉は、何かの古典(特に中国古典)に出てくるものなのかと調べてみると、どうやら違うようだ。
純粋に、同氏の言葉らしかった。

意味は、読んでの通りだが、あえてまとめてみると、

  • 動機善なりや 〜その行為を始めようとする動機が「善」かどうか

  • 私心なかりしか 〜そこに自己中心的な名誉などに対する欲望が混じっていないか

ということだそうだ。
つまり、「結果」をどう出すかというよりも、「出発点」を見定める、「初心」を忘れないための判断軸として、これまでの行いを振り返ってきているようだ。

同氏は、JALが大嫌いだったそうだ。
簡単に言えば、偉そうな職員ばかりだったから。
それでも、日本全体のためと思い、引き受けた。
週2〜3日の稼働で、無報酬だったという。

ANAに買収されるかもしれないという噂で騒然となった時期があったというが、「独占は悪」と毅然とした態度で、慌てるJAL職員と向き合い続けた。

京セラ時代に、KDDIを立ち上げた時も、NTTという独占を競争原理でなんとか風穴をこじ開けようとした。
KDDIの株は、一株も持っていなかったということである。

利益至上主義的な現在の資本主義経済下において、私たちはこうした心を忘れていったのかもしれない。
いや、そもそも持っていないまま育ってきたのかもしれない。
資本主義の父と言われる渋沢栄一は、「論語と算盤」等の中でまさにこれを説いていると私は捉えている。

あるいは、昨今のポスト資本主義の提唱者たちも、稲盛・渋沢両氏のような考え方に基づいていることが多いように思う。
以下は、ポスト資本主義の一例↓↓

彼らが目指す先は、日本の真の豊かさ、つまり、経済のみを主としない生き方への解放なのかもしれないと感じた。

むすびに(まとめ)

もうずいぶんと古い本だ。
もうかれこれ10年以上前。
そして、稲盛氏がこの世をさってから3年以上が経過している。

もう、彼の言葉を聞くことはできない。
もう、彼の新しい言葉は出てこない。

しかし、だからこそ、今この世に残された彼の言葉を、彼の想いを、私は少しでも知っていきたいと思う。
そして、今回いただいた言葉を大切にしていきたいと思う。

儲けたいと思って、やっていないか。
偉くなりたいと思って、やっていないか。
賞賛されたいと思って、やっていないか。
目立ちたいと思って、やっていないか。

その行いは、いったいなんのためにやっているのか?
誰かのために、できているか。
何かのために、できているか。

「動機善なりや 私心なかりしか」
職業人としての私もそうだが、例えば色々頑張って取り組んでいる私のライフワークである「ボランティア」は、動機が善であったとしても、私心があるかもしれない。
誰かのためにすることで、誰かに褒められたい・認められたい的な。

誰か・何かのためにすることで、「あぁ、やってよかったなぁ〜」と自分自身の達成感と、そこから得られる成長のために、つまりは他者との比較でない自分軸・絶対評価で、物事を取り組んでいきたいと、強く思った。

要するに、JALのこと、同氏のことを知るのみならず、「自分とは何か」、そしてそこから見えてくる「社会とは何か」を考えるきっかけにもなる本だ。


ちょうど7年前、私たちは北海道胆振東部地震で、生きることが当たり前でないことを体感しました。
その時の人々は、善なる動機で私心なく、周囲の人々と支え合って過ごしました。
そのときのエネルギーたるや、忘れることのできないダイナミズムを感じたことを思い出します。

そのとき私たちは、全国からたくさんの方々に支えられました。
次何かあったときは、私心なく、善なる動機で誰かに恩返ししたいと思うとき、今、能登の皆さんはどんな気持ちで過ごしているかと、心が痛くなります。

頑張れ、能登!

本日も、ご覧いただきありがとうございました!!

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