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57歳米留学・就職・永住権取得記(13) 次も博士課程を目指す!

博士課程、全滅…。

 また、暫く更新できなかった…。
 実は、年末に申し込んでいた博士課程の結果が全滅で、意気阻喪していたからである。とほほほほ。
 修士課程はそうでもなかったが、博士の壁は厚かった! 特に私が申し込んだのは、こともあろうにニューヨーク州の名門校ばかり(日本文学の博士課程を有するのは、大規模大学に限られることも理由の一つ)。とはいえ、某大学のO教授からは、私の「申し込みを歓迎する」旨のイーメールは事前に頂いていたのに、実際は落選。落ちた後、O教授に「応援を感謝する」とメールを送ったら、
「今後も是非、お互いに連絡を取り合おう」
との返信を下さった。(本心か否かは不明。)だからというわけではないが、あと一年は挑戦したいと思う。今度は全米に範囲を広げ、しかも日本文学分野に限らず申し込む予定だ。ひょっとしたら、全世界に目を向けてもいいかもしれない。

目標は、文学者から発信する世界平和

 私が博士でやりたいことは、日本戦後文学に基づく世界平和の構築である。日本は世界唯一の被爆国であるという事実、かつ、現在も続く沖縄問題、それらの史実が日本文学に与えた影響は甚大であるから、私はその力を利用したいのだ。つまり、文学者の立場で、反核・反戦運動をアメリカから発信・行動したい。そして、平和を育む次世代を育成したい。だから、その目標を成し遂げる方法は、日本文学部以外にもあるのではないかと、現在模索している最中である。何か情報があったら、是非、お知らせ願いたい。

ニーチェの言葉で、不死鳥のように生き返った私

 ところで、昨日、ニーチェ『ツァラトゥストラ』の解説動画を見たのだが、これが著しく興味深く、ガックリと落ち込んだ私を勇気づけてくれたので、是非皆様にご紹介したい。この動画は、西研著『ニーチェ ツァラトゥストラ』を元に、井上一樹という人が配信している連続物である(リンクは最後)。
 ニーチェと言えば、ニヒリズムの元祖。「神は死んだ」「超人」という言葉も有名だ。念のため、彼の略歴を紹介しておく。

 ニーチェは、25歳で大学正教授になった超エリートであったものの、28歳時の著作『悲劇の誕生』が当時の学会の主流とは相いれず、学会・学生から総スカンを喰らった。友人も激減し、本も売れず、その後、激しい頭痛・胃痛等の体調不良のため35歳で退職。38歳で才色兼備の女に振られて生涯独身だったが、彼は失恋をバネにしたのか、その翌年から『ツァラトゥストラはかく語りき』を、猛スピードで書き上げたという。(「女は歴史を支配する」ことの典型例が、ここにも見て取れる。)44歳で精神病と診断される。その後、徐々に著作は売れ出したが、その事実も認識できることなく、ニーチェは狂気と孤立の中で、55歳、肺炎で亡くなった。
 以上が、ざっくりとした彼の生涯だ。

 昨日、三島の修士論文を書き進むにあたり、どうしてもニーチェの「悲劇」を知る必要があったのである。面倒だなと思ったものの、ニーチェには面白いかもという予感も同時にあった。なぜなら、私は『この人を見よ』しか読んだことがなかったが、この本には、冒頭から爆笑した経験があったからである。
 表紙をめくると、目次には以下のように書かれていた。

 『この人を見よ』フリードリヒ・ニーチェ
     目次
   なぜ私はかくも賢明なのか
   なぜ私はかくも怜悧なのか
   なぜ私はかくも良い本を書くのか
   …

 さすがである。執筆時、彼の本は全く売れてなかったから、ここまで豪語できるとはまともでない証左だなと思ったら、これはニーチェ発狂の直前(44歳)に書かれていたのであった。「メンタル相当やられている感」が満載である。そして、次のような荘厳な文章が、手を変え品を変え、次々登場するので、決して飽きることなく、楽しく読み進むことができるのである。

 「ある医者は、私を久しく神経病患者として扱って来たが、とうとう次の ように言った。『間違えていました! 貴方の神経は何ともありません。私自身が神経質になっていただけです』と。」

 「私は他人に反感をもたれるようにする術がどうしても呑み込めない。…反感を持たれた方がよほど有難いと思われた場合でさえ、そうはならなかった。—私はどんな熊(くま)でも手なずける。剽軽物(ひょうきんもの)でもお行儀よくさせる。」

 「私は、願いというものを持ったことがない。44歳を過ぎていながら、自分はまだ一度も名誉のために、女のために、お金のために苦労したことがないなどと言える人間が、私の他に誰かいるだろうか。」

 という感じで、常人には絶対に書けない、素晴らしい文章の大盤振る舞いなのである。

幸せになるために力を惜しまない。

 そのニーチェのどこに共感したかというと、彼の不屈の意志である。狂気故だとは思うが、さるにても巌のように強固だ。毎日筋トレしようと思っても、翌日にはサボってしまう蒟蒻のような私の意志とは、天と地の差がある。
 「神は死んだ」とは、元来ニーチェのキリスト教全否定から来る言葉だが、その結果、人々が「至高の価値(神)」を失い、何を目指してよいかわからなくなる状態(ニヒリズム)を言う。「至高の価値がある」という考え自体が誤りなのだ。なぜなら、「価値」とはどこかで誰かが作り上げたフィクションにすぎないから。よって、そんな「価値」とは無関係に、「私はこうする」と強く意欲すること、つまり「意欲と創造」が人間を開放し、自由にするのだとニーチェは言う。

 神とか道徳、身分・職業・資産・美醜・年齢。そんな、架空の価値観とは全く関係なく、他人と比較するという発想を放棄し、全く無根拠に自分を肯定することがまず必要だ。そして、「人間の正しい生き方とは、自分の欲望をあきらめないこと」であり、「自分の欲望こそ自分自身なのだ」。これが昨日、井上ゼミの動画で見た限り、ニーチェの思想でる。
 これは、凄いと思った。実存哲学は私の性格に合っているので、共感することは多いが、それにしても欲望を全肯定し、それこそが自分だと言い切る潔さ! ニーチェの友達が減ってしまったのも、きっとこの性格が原因だろう。
 
 そして、何より私の心を打ったのは、動画の元となっている本の著者である西氏の言葉であり、我々がいかにニーチェを今日に生かすかについての部分であった。
「幸せになるためには、力を惜しまない姿勢が大切。自分の持っている場所や条件の中で、どうやって面白いこと、幸せなことができるのかと本気で考えてやってみる」。
 
ガーン。。。
 
その時、私は思い当たることがあった。実は、私が博士課程に申し込みたいと周囲の人々に相談した時、多くの反応はこうであった。

「博士は職業訓練の場だから、将来大学教授を目座す人のプログラム。貴方には、他の道があるのでないか?」

 彼らの考えの根底には、私が65歳だから「どうせ」教授にはなれないという前提があったのだろう。まあ、それは常識的に考えて仕方がない。しかし私は、できれば大学の教員になり、世界平和への貢献を欲している。そのためには、何かできるはずだ。
 全く無根拠に自分を肯定し、自分の欲望を諦めないことが正しい生き方だとするならば、自分が今すべきことは何だろうか。それを今、第一に考え、またまた、神的留学エージェントTBTの蛯沢さんに連絡し、IELTSの受験予約も3回入れた私である。(初動は早いんだけど、続くかどうかだよね)

 今回は少し長くなってしまい、かつ、読みにくい内容だったかもしれない。それも、私の人生の岐路だったから、ということで、ひとつ。
 
【ニーチェ・ツァラトゥストラ】井上ゼミ


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