「お気に入り」という感覚を優先してみるということ
先日、どこで触れた情報かは忘れてしまいましたが、こんな話を聞きました。
それは、「見栄やマウント、あるいは誰かに羨ましがられるためのモノにお金を使うより、『機能的なもの』、つまり自分の生活の実際に役に立つものを買ったほうが幸福度は高まる」という話です。
それを耳にした際、「それはそうだろうな」と納得する一方、そこで使われる「機能的」という言葉に、少しだけ違和感を覚えました。
別に機能として特段優れているわけではなくとも、自分が愛着を感じるもの、お気に入りなものは、生活の質をとても高めてくれるように感じます。
今日はそんな疑問を入口にして、「お気に入り」というものについて、考えを深めてみたいと思います。
重要なのは、「機能的」ではなく「実用的」
まず、先述した違和感について思索を巡らせていてたどり着いたのが、「機能的」と「実用的」の違いです。
「機能的」は、目的を果たす仕組みや性能が優れた状態。効率性や構造の無駄のなさという「スペック」に焦点を当てます。
一方「実用的」は、日常で実際に役立ち、使い勝手が良いこと。手軽さや価格などの「現実的な利便性」を重視します。
機能は「性能の高さ」、実用は「生活への馴染みやすさ」を指します。
私が感じた違和感の正体は、まさにこの違いにあるのではないかと思いました。
つまり、我々の生活の質を高めてくれるものは、必ずしも「機能的なもの」である必要はなく、「実用的なもの」であれば良いのです。
まずここは、明確な違いとして押さえておきたいと思いました。
「実用的」を広義に捉える
この違いを押さえると、さらに違った観点が見えてきます。
「生活に馴染む、貢献する」という点に着目し、「実用的」をより広義に解釈しても良さそうだ、ということです。
例えば、むしろ、手間を生み出すモノでも構わない。なんなら、ただのオブジェでも構わない。
それでも、その存在が自分を支えてくれるものには、価値があるのではないか。
使っているだけで気分が良くなる、眺めているだけで気持ちが明るくなる。
そういった自分の「お気に入り」もまた、広い意味で「実用的」に含まれるのではないでしょうか。
だってそれは、確かに自分の役に立っているのですから。
そこにメリットが存在すれば、眺めるだけでも、もはや実用なのです。
「お気に入り」に囲まれて生きる効用
さて、そうした考えを巡らせる中で、ふと昔読んだ『より少ない生き方』という本を思い出しました。
シンプルに言えばミニマリストに関する本なのかもしれませんが、私はミニマリストではないし、ミニマリストを目指している訳でもありません。
私がその本から受け取ったより核心的なメッセージは、モノを減らすことではなく、「お気に入りに囲まれて生きることの素晴らしさ」でした。
例えば、「飲み物を飲む」という日常の動作ひとつとってもそうです。
自分のお気に入りのコップで飲むと、それだけ少し気分が上がります。
一方で、「薄汚れてて嫌なんだよな…」と思ってるコップを使うと、毎回少し心が削られます。
また、分かりやすい例で言えば「服」でしょうか。
毎日身につける服がお気に入りかどうかは、想像以上に自分の機嫌に影響します。
身につけるたびに「これ、やっぱり好きだな。いいな」と感じる。そうすると、常時気分にバフがかかります。
一方で、しっくり来ないまま身につける服は、ニュートラルならまだ良いが、気分的なデバフにすらなり得ます。
そして、そういった感覚は、日々積み重なり、少しずつ私たちの気分や情緒に影響します。
実用の側面として、「お気に入りかどうか」というのは、思った以上に大切なことだと、改めて感じます。
得てして、「お気に入り」は後回しにされがちだ
そんな大切な感覚である「お気に入り」ですが、得てして後回しにされがちなように思います。
モノ選びにはバランスが必要です。価格や機能性、他の持ち物との調和、あるいは社会通念上の妥当性など、様々な制約に晒されます。
そうした中で、「お気に入りかどうか」「しっくりくるか」という要素は、優先度を低くしがちです。
なぜなら、デザインや好みの面で妥協しても、直接的な「実害」が発生しないからです。
機能が欠けていて家事が回らなかったり、家計を圧迫したりすれば「実害」が生じるので対処せざるを得ません。
しかし、「自分にしっくりくるかどうか」は、無視しても生活自体はできてしまいます。
そして、意識しないと、どんどんその感覚は鈍っていくように思うのです。
情報の洪水の中で、「お気に入り」という感覚は麻痺する
別の側面として、マーケティングやSNS、メディアによる膨大な情報の影響もあるように思います。
あらゆるモノに対して存在する、「これが正解!」「これが最高!」といった発信。
タイムラインや広告に流れてくる、色味のないシンプルで洗練された部屋。
そういった情報に触れる中で、自分の「お気に入りかどうか」という感覚が、だんだん麻痺していくような気がするのです。
カラフルでガチャガチャしたものより、シンプルでスタイリッシュなものを選ぶことが当たり前になる。
自分の感覚を無視することが習慣になり、「本当はカラフルで派手なものが好きだ」という気持ちに蓋をしていることすら、忘れてしまう。
現代の情報社会には、少なからずそんな影響がある気がするのです。
「お気に入り」という感覚を研ぎ澄まし、優先してみるということ
最近、個人的に辛いことが多い中で、少しでも小さな幸せや、自分への労いを増やしたいと考えています。
その中で気づいたのが、この「お気に入り」の話なのです。
私は普段シンプルな服を着ていますが、自分に向き合ってみると、本来は派手なものが好きだということに最近気づきました。
私が惹かれるのは、カラフルで色味があるもの、そして無地よりも柄があるもの。
感覚を研ぎ澄ませてみると、自分の本当の好みが見えてきます。
その感覚に従って選んで「成功したな」と感じているのが、仕事部屋の壁紙です。
家を建てた際、仕事部屋だけは誰にも迷惑をかけないからと、自分の好みだけで選ぶことができました。
そこで選んだのが、国立科学博物館とのコラボレーションで作られた、植物の標本がプリントされている壁紙です。

見てわかるように、採用するには少し勇気がいるような派手な壁紙です。しかし、私はこれをとても気に入っています。
これは、機能面で言えば普通の白い壁紙と何ら変わりませんが、私にとっては極めて実用的です。
仕事部屋の席に座ってこの壁紙を眺めるだけで、気分が良くなります。
「気分良く仕事に向かえる」というその一点において、これは非常に有用で、実用的なのです。
もっと「お気に入り」に囲まれて生きていきたい!
今回は、「機能的なものにお金をかけると良い」という情報への違和感を入口に、機能的と実用的の違い、そして機能性以上に大切かもしれない「お気に入り」という感覚について書いてみました。
これまで無意識に後回しにしてきたことで、私自身、自分の感覚が麻痺していたように思います。
これからは、誰かにどう思われるか、あるいは機能的に優秀かどうかだけでなく、「自分がそれを好きかどうか」という感覚を大切に、モノを選んでいきたいと改めて思いました。
(例えば、派手なTシャツとか買ってみたいなーと思ってます。)
もしこの記事を読んで、「自分もそういう感覚を忘れがちだな」と思った方は、次にモノを選ぶ機会にぜひ思い出してみてください。
毎日の気分が、少しだけ上がるかもしれませんよ。
P.S.
以前、日々の作業(オペレーション)をただ「面倒なもの」と切り捨てるのではなく、向き合って洗練し、自分にとっての大切な儀式(リチュアル)に昇華する、という記事を書きました。
本記事は「モノ」、その記事は「コト」に関する「お気に入り」についての記事だと言えます。
そして、それらは独立している訳ではなく、密接に絡み合うものでしょう。
モノがオペレーションを決定する側面はありますから。
そのあたりをトータルで踏まえて、自分の「お気に入り」の生活を追求していければなーと思います。
そんなにストイックに追い求めるわけではないけれど笑
