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「丁寧な暮らし」の本質とは? ──オペレーション(作業)を洗練し、リチュアル(儀式)へと昇華するということ

皆さんは、日々の作業を「面倒だ」と感じることはありませんか?

私はしょっちゅうです。お風呂掃除や洗濯物の片付け、部屋の掃除……。「あぁ、面倒だな。やりたくないな」と感じてしまう瞬間が、日常の中で何度もあります。

その「面倒さ」をまだ完全に消し去ることはできていません。ですが、ある日ふと気づいた考え方のおかげで、その感覚が少しだけ軽くなった気がします。

今回は、私自身の体験を通じて見えてきた、家事などの日常のオペレーションに対する向き合い方についてお話ししてみたいと思います。

「楽をしたい」だけではなかった、風呂掃除の葛藤

新居に引っ越して間もない頃のことです。私は毎日の風呂掃除を、非常に負担に感じていました。

ある日、その「面倒くさい」という感情に真正面から向き合ってみたのです。「なぜこんなに億劫なのだろう? 私はただ楽をしたいだけなのだろうか?」と。

そこで気づいたのは、「楽をしたい気持ちはもちろんあるが、それ以上に『きちんとやりたい』と思っている」という自分自身の本音でした。

以前住んでいた築年数の経った賃貸住宅では、正直なところ、そこまで「綺麗に保とう」というモチベーションがなく、適当に済ませてもストレスを感じませんでした。

しかし、こだわり抜いて建てた新居のお風呂は違います。できるだけ長く綺麗に保ちたい、快適に過ごしたいという強い思いがありました。

それなのに、当時の掃除道具や方法は古いままで、追求できていなかったのです。

「きちんとやりたいのに、うまくできない」。その結果、掃除をしている割には床に赤カビが発生してしまう。そんなモヤモヤとした葛藤こそが、「面倒だ」という感情を増幅させていた原因でした。

そこで私は、風呂掃除の「オペレーション」を見直すことにしました。

床をしっかり磨けるブラシや、自分が使いたいと思えるスポンジを買い揃え、道具を一新しました。

するとどうでしょう。もちろん疲れている時は面倒に感じますが、以前のような重苦しい気持ちは、はるかに減ったのです。

ここでの学びは、たかが風呂掃除一つとっても、「なぜそれをやるのか(動機)」と「どうやれば満足できるのか(手段)」に向き合うことの重要性でした。

自分が達成したい状態を前提に、オペレーションを洗練させ、満足度を上げていくことが大切だったのです。

「やらされ仕事」を「自ら選択した作業」へ

この気づきは、他の場面でも当てはまりました。

例えば、以前の私は一人暮らしの時など、汁物を作ることがほぼありませんでした。

しかし、「汁物が一品あるだけで食生活が豊かになる」と実感して以来、スープや味噌汁を作ることへの面倒さは激減しました。

また、子供が生まれた時の保湿ケアもそうです。最初は「お風呂上がりに毎回塗るなんて」と面倒な気持ちが勝っていました。

しかし、長男が脂漏性湿疹になり、しっかり保湿をしたらあっという間に治ったのを目の当たりにした時、保湿の重要性が腹落ちしました。それ以来、保湿作業は全く苦にならなくなりました。

これらの経験から、日常の些細なオペレーションに対する満足度を上げるためには、次の2つの要素が不可欠だと考えています。

  1. 生活を豊かにする確信(Why)

    • 「これをやることで、自分の生活が良くなる」という実感です。保湿の例のように、ここが欠けたまま「なんとなく」やっていると、作業はただの苦痛になります。

  2. 手段や方法への理解と納得(How)

    • 風呂掃除の例がこれです。道具や手順に納得がいっていないと、「やったのに報われない」という徒労感が生まれ、面倒くささにつながります。

この2つが揃うと、日常の些細で面倒な作業は、満足感の高いものへと洗練されていきます。

逆に言えば、これらを考えても「やっぱりやりたくない」と思うのであれば、それは自分の生活の質に寄与していない作業なのかもしれません。

世間体や「一般的にやるべきだから」という理由だけで続けているなら、いっそのことやめてしまうのも、一つの賢い選択肢ではないでしょうか。

オペレーション(作業)をリチュアル(儀式)に昇華する。それこそが「丁寧な暮らし」だ!

私は以前から、ミニマリストの考え方に共感し、実践しようとしています。

モノを極端に減らしたい訳ではありませんが、こだわり抜いて選んだ、自分のお気に入りのものだけに囲まれて暮らすスタイルに憧れています。

この考え方は、「モノ」だけでなく「コト(行動)」にも拡張できるのではないかと感じています。

日常のオペレーションを、単なる「片付けるべきタスク」として捉えるのではなく、自分の生活を豊かにしてくれる「儀式(リチュアル)」として昇華させるのです。

そうすることで、日常の些細な作業すらも、自分が選び抜いた「生活を豊かにしてくれるものたち」に囲まれることになり、生活の満足度はぐっと上がるはずです。

世間では「丁寧な暮らし」という言葉が流行っていますが、美しいインテリアや完璧な手料理など、外から見て「丁寧ですごい」と思われることが、その本質ではないはずです。

自分が、自分や家族の生活スタイルに真摯に向き合い、考え抜いて洗練させた、独自かつお気に入りのオペレーションや道具を持つこと。

それこそが、誰のためでもない、自分にとっての真の「丁寧な暮らし」なのではないかと、私は思っています。

P.S.

随分と格好つけたことを書きましたが、実を言うと、私の家は今も荒れ放題で、ミニマリストとは程遠い現状です。

家事をいつもニコニコと気持ちよくやっているかと言われれば、全くそんなことはありません。風呂掃除は今でもやっぱりそれなりに面倒です。

けれども、気持ちとして目指したい方向性は、ここにあると感じています。

「やらなきゃいけないから仕方なくやる」
「できることなら全部外注したい」

生きるための活動を全てそのように捉えていたら、一体私たちに何が残るんでしょうか。

ただひたすらに娯楽を追求する、というのもなんだか虚しい気がします。

ある程度汗をかいて、自分たちなりに考えながら、自分たちの生活を組み立てている。

その実感が、満足や幸福に結びつくような、そんな気がするのです。

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