睡眠時以外は常に考えている人のこと
私のパートナーは、私からすると少し変わっている。
パートナー曰く、365日24時間、覚醒時(睡眠時以外)は常に何かを「考えている」のだという。そして、頭の中には視覚的心的イメージ(いわゆる脳内映像)も飛び交っているのだという。
さぞ煩(わずら)わしいのでは、と私が聞いたところ、慣れているから平気だという。そんなに忙しい脳で疲れないのかと尋ねても、やはり慣れているという。パートナーにとっては、この状態が普通なのだ。
ただ例外もあるようで、たとえば何かに夢中になっているときは、そこに意識がフォーカスされるため、余計な雑念は起こらない・起こりづらいのだという。
それに、これまで悩んだことはないという。「悩む」のではなく「考えている」のだそうだ。私からすれば同じことのように思えるが、本人にとっては区別があるらしい。
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一方で、アファンタジアおよびSDAMの当事者である私は、パートナーとは真逆で、何も浮かばない・何も考えないという状態が普通にある。
この状態のとき、外界からの感覚インプットは受け流し、内的にも感情や思考を「抜いている(オフにしている)」ので、いわば、ただ肉体という物体がそこにあるような、そんな状態になる。
というわけで、私とパートナーでは内的世界が大きく異なっていて面白い。
私はパートナーのそういうところに畏怖の念を持っている。
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私はパートナーのことを(私の基準からすれば)少し変わっていると感じているが、パートナーから言わせれば、私のほうが変わっているという。
互いが互いの差異を相対的にみているので、客観的には(第三者的な視点では)どちらが変わっているかは分からない。
だが、パートナーは私よりも対社会への反射(インターフェース)や知恵(プロトコル)が洗練されているから、客観的にはパートナーのほうが「まとも」に見えるかもしれない。実際、パートナーの社会的な佇まいの精度は高い。
私はパートナーのそういうところにも畏敬の念を持っている。
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とはいえ、パートナーの本質は、家でくつろぎ、本音を見せる姿にある。これは家族だけが知っているささやかな喜びでもある。
