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「白黒つけるゲーム」に熱狂した私が、言葉の通じない宇宙人と出会って知った「虹色の世界」


「ワーク〈ライク〉バランス」という考え方があるらしい。

ん?ワーク〈ライク〉?
ワークライフではなくて?

気になって調べてみると、求人メディア「doda」が提案する新しいはたらき方の概念だという。

"ワークとは、仕事に限らず、日々のなかで「やるべきと感じるコト」。人生における満足度の向上のため、「やりたいと感じるコト(ライク)」の比重を増やし、「やらざるを得ないと感じるコト(ワーク)」とのバランスを整えることを目指します。"

なるほど、「やるべきコト」と「やりたいコト」のバランスか。
今までそんな風に自分の毎日を意識したことはなかった。
俄然興味が湧き、さっそく「ワーク〈ライク〉バランス診断」を行ってみた。


画面に表示された質問に答えながら、自分の内面と向き合ってみる。
「私にとって、パートはライク寄りだな」
「でも、家事はほぼワーク!」
一つ一つ丁寧に棚卸しをする中で、ある一つの事実に気がついた。
「あ、私は昔から、目の前の「ワーク」を「ライク」に近づけるよう、必死に工夫して生きてきたんじゃないか?」と。

1. 原点は証券マン時代

その原点は、私の「証券マン時代」にある。
出産するまで、私は証券会社の営業マンだった。個人のお客様の資産運用をお手伝いする仕事だ。
朝は5時の相場チェックから始まり、新聞片手に通勤。道中でお客様へのアプローチを脳内で超高速シミュレーションし、7時半には出社する。そこからは19時に退勤するまで、怒声の飛び交うフロアで怒涛の営業。退勤後も接待をこなし、帰宅してからは今日の相場の振り返り。
文字通り、休む暇もない目まぐるしい毎日を過ごしていた。
ここまで聞いて、どう思うだろう。
「うわぁ、しんどそう。絶対働きたくない」と思われるだろうか。
しかし当時の私は、むしろ望んでこの働き方に身を投じていた。
営業マンは数字が命。数字が人格。数字を上げたやつの勝ち。私にとってそれは、最高に興奮する「ゲーム」だったのだ。
勝つために、できることは泥臭くなんでもやる。そして勝つ。
それがあの頃の私の生きがいであり、まさに「ライク」の筆頭だった。
もちろん、最初から「ライク」だったわけではない。
最初は何もわからず、ただ「ワーク」として必死に食らいついていた。しかし、その過程で「もっと勉強したい!」「もっとうまくアプローチをかけたい!」という主体的な意欲が湧き、気がつけば「ワーク」が「ライク」へと変化していったのだと思う。
そんな、ロジックと数字で白黒つけるゲーム(仕事)に全力を注いでいた私が、出産を機に現場を離れた。
それは私にとって、人生で一番大切だった「やりたいコト」を、強制的に手放した瞬間でもあった。

2.「数字で白黒つける世界」から「灰色の世界」へ

長女を出産してから、住む世界が一変した。
「ここは本当に同じ日本か?」と、冗談抜きで思った。
それまでは毎日100本以上の電話をかけ、怒涛のように言葉を交わしていたのに、今日は朝からひと言も発していない。かつては同僚と相場の見通しについて対等に議論していたのに、今目の前にいるのは、言葉の通じない赤ん坊だ。
何より、私の愛してやまない「ロジックと数字で白黒つける」が全く通用しない。
何か不都合があれば、ただ泣くのみ。何が正解かもわからない、数字としての成果が出るわけでもない。こちらの人権や都合は完全無視。
まるで、出口のない「灰色の世界」に迷い込んでしまったようだった。

一日中まともに話をしていないせいで、スーパーのレジで「袋お願いします」のたった一言がすんなり出てこない。
「あ、え、ふ、袋……」
喉の筋肉の使い方を忘れ言葉に詰まる自分に、情けなさと、社会から完全に切り離されてしまったような猛烈な孤独感が押し寄せた。

あの頃の私にとって、家事と育児は100%「ワーク」。それに24時間すべてを費やされ、私は次第に追い詰められていった。

3. 育児を「義務」から「RPG」へ捉え直した日

そんな限界の毎日を過ごす中で、私は開き直った。
まず、「私は家事が嫌いだし、苦手だ」と認めることにした。家事は私にとって完全なる「ワーク」。やりたくないなら、徹底的にサボればいい。
ご飯は躊躇なくレトルトやお惣菜に頼る。掃除は子どもが危なくない程度。私専用の引き出しと本棚を作り、「いくら散らかしてもいい聖域」にした。食器? 明日洗ったって死にはしない。実母は眉をひそめていたが、知るもんか。自分を守る方が先決だ。
では、育児はどうだろう?
子どもは大切だ。将来幸せになってほしいと心から願っている。だからこそ、育児は絶対に手を抜けない「ワーク」。
……いや、待てよ?
この「ワーク」を、私が最高に楽しめる「ライク」に変換できたら、私も我が子も、全員ハッピーになれるんじゃないか?
その日から私は、我が子をただ守るべき「子ども」として扱うのをやめた。
私の世界に新しくやってきた1人の対等な「宇宙人」として、一緒にこの日常を面白がろうと決めたのだ。育児を「義務」ではなく、我が子という相棒と一緒に未知の世界を冒険する「RPG」だと捉え直した。
すると、どうだろう。
その日からだんだんと、育児が「やりたいコト」へと姿を変えていった。
我が子は、数字のゲームしか知らなかった私に、この世界の圧倒的なおもしろさを教えてくれた。
踏切をじっと待つ時間が、あんなにワクワクするものだとは知らなかった。
道端に、あんなに健気で可愛いお花が咲いているとは知らなかった。
夜空を見上げると、月以外にも無数の星がまたたいているとは知らなかった。
春先にはてんとう虫があちこちを忙しなく歩いていることも、ダンゴムシが意外と素早い動きをするなんてことも、知らなかった。
カマキリがバッタを捕まえる瞬間、あたりの空気がどれほど張り詰めるか。アゲハチョウの青虫を、これほど愛しいと思える日が来るなんて、想像もしなかった。
そして、子どもたちが、これほどまでに素晴らしい「色鮮やかな世界」を生きているなんて、私は何も知らなかったのだ。
育児が「ワーク」から「ライク」に変わった途端、私の人生は一変した。
「数字の白黒だけを追い求めていた人生」から、「身の回りのささいな彩りを、全力で楽しめる人生」へ。
それはまさに、灰色の世界が「虹色の世界」へと変わった瞬間だった。

4. 「ワーク」を「ライク」に変える3つのアプローチ

今の私は、家事や育児、パートやPTAといった日々の「ワーク」に直面したとき、ただ耐えるようなことはしない。自分自身の捉え方を変えて、それを「ライク」に変える術を身につけたからだ。
私が日常の「ワーク」を「ライク」に変えるために実践している、3つのアプローチを紹介したい。

① 自分の「ライク」の領域へ、「ワーク」を強引に引っ張り込む
「子どもを公園で遊ばせなきゃ」という「ワーク」に直面すると、どうしたって足が重くなる。せっかく連れて行ったのに、子どもがつまらなさそうな顔をしていたら、こっちだって腹が立つ。
だから私は、義務感に襲われたらまず、なぜ私は今、我が子を公園に連れて行こうとしているのか? と目的を考え直す。
目的が外で体を動かして体力をつけるためなら、行き先は近所の公園でなくてもいい。
たとえば、少し遠くの図書館まで親子で並んで歩いて行き、そこで大好きな本を読むのだって目的は果たせる。自分がふらっと遠出したい気分なら、子どもの負担にならない範囲で「特別なお出かけ」に変えてしまえばいい。
課せられた「ワーク」を、なんとか自分の「ライク」の領域に持ち込めないか。そうやってゲームのルールを書き換えてみると、案外うまい代替案が見つかるものだ。

② 相手の「好き」の世界に、爪先だけそっと踏み入れてみる
「うちの子、虫が大好きで……」
虫が大の苦手なお母さんにとって、虫取り少年の相手は完全なる「ワーク(苦行)」だろう。かつての私もそうだった。こっちは虫が嫌い、だけど息子は虫が好き。当然、毎日虫取りに付き合わされる。
この地獄の「ワーク」を少しでも「ライク」に変えるため、私は息子の昆虫図鑑を一緒に開いてみることから始めた。「息子の見ている世界を知りたい」という好奇心もあった。
図鑑はいい。本当に受け入れ難いページはすぐに飛ばせるから。
パラパラとめくっていくうち、私はあるチョウの写真に釘付けになった。なんて綺麗な羽の色だろう。「これほどまでに鮮やかなブルーが、本当に自然界にあるのか」と思うほど、目の覚めるような美しさだった。
さらにページをめくると、アゲハチョウの幼虫が目に飛び込んできた。食い入るように説明を読むと、なんと家でも簡単に飼えるらしい。
この瞬間、「アゲハの幼虫、自分で育ててみたい!」と思った。
虫取りという「ワーク」が「ライク」に傾いたのだ。
こうなればあとは早い。私の方から目を輝かせて「アゲハの幼虫、捕まえに行こう!」と息子を誘い、みかんの枝を目を皿にして探した。

先入観を取り払って、相手の「好き」の世界に爪先だけそっと踏み入れてみる。すると、思いもよらず自分の「ライク」まで広がっていく。子どもの「好き」は、私にとって未知の扉を開けてくれる最高のきっかけだ。

③ 完璧をあきらめ、エネルギーを自分の「ライク」に全振りする
私は家事が苦手だ。どれほど工夫しても、家事は「ワーク」のまま、やりたいコトにはなり得ない。
であるならば、家事をサボることに罪悪感を持たないことに決めた。
お惣菜には躊躇なく頼り、自分だけの「いくら散らかしてもいい聖域(引き出し)」を作る。そうやって「ワーク」の体積を限界まで小さく削ることで、余った時間と脳のエネルギーを、自分が本当にやりたいこと(我が子と虫取りに勤しむことなど)に100%注ぎ込むのだ。

5. おわりに

「私にとって、本当に大切なことってなんだろう?」
時たま、深く考えそうになる。
けれど、すぐに我が子の無邪気な声に、私の思考はかき消される。
「おかあさん!あそぼ!」
あぁ、深く考えるまでもなかった、と笑みがこぼれる。
私にとって一番大切なのは我が子で、私にとっての一番の「ライク」は、この子たちと一緒に毎日の世界を楽しむことだ。
かつて証券マンだった頃、私は「ワーク」を「ライク」へと変え、自分の努力とロジックを武器に突き進んでいた。けれど育児の世界は、私のそんなロジックが1ミリも通用しない未知のゲームだった。
言葉すら喋れなかった我が子は、正論や数字に代わる「新しい人生の彩り方」を私に教えてくれた。アゲハの愛おしさを、カマキリの狩りのスリルを、そして世界の美しさを。
人生というゲームでは、これからもたくさんの「ワーク」が降ってくるだろう。
けれど、自分で自分を面白がらせる工夫さえあれば、いつだって、どんな「ワーク」だって、自分だけの「ライク」に変えていける。
今日も私は、愛すべき小さな相棒たちと一緒に、この灰色の世界を鮮やかな虹色に塗り替えながら、生きていく。

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幾田まどか 育児やPTA活動の合間に日常で感じたことをnoteを書いています。もし「面白い」「役に立った」「うちの方がまし」などと思っていただけたらサポートで応援していただけると嬉しいです! 次も本気で書きます。

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