【第十八話】ゆとり世代の1987生まれが青春時代を過ごした平成についての思い出を語る【Real Face/KAT-TUN(2006年)】
大学進学、それは「自由」と「孤独」のはじまりだった。
「青春」とはなにか。
辞書を引くと「若さゆえの輝き、未熟さ、情熱」なんて書かれているけれど、実際僕にとってはシンプルで、音楽と共に過ごした時間こそが青春だ。
理想と現実のギャップに悩まされた僕は、「リアル」を手に入れるためにもがき苦しんでいた。
そう、僕は懐古厨だ。
でも、この懐古があるからこそ、今の僕があるのだと思う。
懐古厨のゆとり世代と、この気持ちを分かち合うために、このnoteを書き上げる。
憧れのTSUTAYAの現場で
大学への進学が決まった僕は、「TSUTAYA」でアルバイトを始めた。
高校時代からよく利用していた「TSUTAYA」。
僕は青色のチャックのシャツと、最先端のエンタメに触れることができる職場環境に憧れていた。
本当はレンタル部門を希望していたけれど、配属されたのはCD販売部門だった。
ちょうど僕が初出勤を迎えた頃、KAT-TUNがデビューシングル「Real Face」を発売した。
その勢いはとんでもなく、毎日のようにシングルが飛ぶように売れていった。
僕も、初めてのレジ打ちに慣れない中で何十枚ものシングルを売った記憶がある。
店頭の液晶テレビで、「Real Face」のPVがリピート再生されていたため、アルバイト中何をしていても「ギリギリでいつも生きていたいから」というサビが聞こえてきていた。
あまりにもこのフレーズを聞きすぎていたため、家に帰ってもサビのメロディが頭から離れないほどだった。
これがTSUTAYAか。
TSUTAYAでの仕事は、平凡な生活を送っていた僕にはとても刺激的だった。
日が落ちてから入るシフト、途中の休憩で食べるカップラーメン。
閉店作業のレジ閉めや、深夜2時頃に帰宅するときの高揚感。
多種多様な人たちがエンタメを求めに来店してくる。
親切な人もいれば、今でいう「カスハラ」の類をしてくる人もいて、僕達を困らせた。
TSUTAYAで扱っていた音楽のジャンルは幅広かった。
J-POPから洋楽、ヒップホップやクラシックまで。
満遍なく知識を持っていないと対応できなかった。
そんなTSUTAYAの仕事で特に印象的だったのは、自分の全く知らない曲や歌手の問い合わせを受ける時だ。
「あのテレビでやってた」とか、「いついつのラジオで流れていた曲」とか、はたまた聞いたこともない洋楽の問い合わせもあり、調べようもなく途方に暮れていた記憶がある。
けれども、TSUTAYAの先輩方は「あぁ、あれね」とササッと売り場まで案内するのだ。
本当にすごい。
その分、当時の流行をいち早く察知することができるので、とても楽しかった記憶がある。
例えば、「九州男」(くすお)というアーティストが当時流行っていて、「どこにあるのか」的な問い合わせを頻繁に受けていた。
そんな流行りのCDは、僕も試しにレンタルしてみたことを覚えている。
話を元に戻すが、「ギリギリでいつも生きていたいから」というフレーズは、これからの大学生活を予言しているようにも思えた。
不思議と「Real Face」のシングルをレジに通すたびに、あの挑戦的なメロディが胸に刺さったのだった。
SNSの始まり「mixi」の時代
2006年といえば、SNSの代名詞は「mixi」だった。
僕も陸上部の先輩から誘いを受けて加入した記憶がある。
※当時は「招待制」だったため、身近な友人や先輩から招待メールをもらってやっと始められるSNSだった。
今のように誰でも自由に登録できるわけではなかったので、「mixiに入れた」というだけで小さなステータスを感じた記憶がある。
そして、知り合い同士でつながり、日々の日記を書いたり、コミュニティに参加するのが当たり前だった。
「足あとをつけた、つけない」で一喜一憂し、プロフィールに「バトン」を貼りつけ、知らない誰かと共通点でつながる。
今のSNSのような拡散力はなかったけれど、「つながりの濃さ」は段違いだった。
僕はといえば、当時ひいきにしている野球チームの個人応援コミュニティに所属していた。
そして、勇気を出してオフ会(観戦)に参加した記憶がある。
当時、応援していた選手は控えだったので、試合に出られるかどうかもわからなかった。
けれども、僕たちは必死に応援した。
結局、その選手は控えのまま試合に出ることはなかったけれど、とても清々しい気持ちでいっぱいだった。
赤の他人なのに、共通の趣味でつながるのは、不思議と居心地がよかった。
そして、mixiでは「リア充」な日記を書ける人間かそれ以外か。その線引きが明確に引かれていた記憶がある。ローランドかよ。
通学電車が大変だったとか、アルバイトを頑張ったとか、そんなことばかりを日記で書いていた僕は間違いなく後者だった。
SNS上での僕と、大学生活の僕。
嫌というほど理想と現実の差を痛感していた。
ちょうど1年前くらいに、ふと思い立ちmixiのアカウントでログインしてみた。
当時から変わらないIDとパスワードに懐かしんだのもつかの間、プロフィールをみて絶望した。
やれ、あれが嫌いだとかこれが嫌だとか。
そんなマイナスのことばかり書いていた。
そして恥ずかしいことに、当時の日記も全て残っていた。
日記には、当時のなんでもない日常や悩みなどが赤裸々に記されていた。
まさか、まだこんなものが残されているとは。
いたたまれなくなった僕は、迷うことなくすべての記録を削除した。
もしこのnoteを見たみんなも、mixiのアカウントが残っていたら、一度ログインしてみることをおすすめする。
恥ずかしい記憶とともに、あの時の青春が一瞬で蘇るのだ。
理想と現実・孤独のはざまで
高校時代、あれほど憧れた大学生活。
けれども、いざ足を踏み入れてみると、思い描いていた華やかなキャンパスライフとは程遠かった。
僕にとっての大学1年の時の生活は、想像していたほど輝かしいものではなかった。
バドミントンサークル、県人会、さまざまなコミュニティに顔を出してみたけれど、どうにも雰囲気に馴染めなかった。
最初に声をかけてくれて親しくなった同級生も、学生番号の違いで授業が一切かぶらず、そのまま自然消滅。
気がつけば、講義も昼休みも、移動時間も。大学生活のほとんどをひとりで過ごしていた。
そんな大学1年の僕は、まさに「ぼっち」だった。
憧れのキャンパスライフを送る人たち。
それを横目に、孤独な時間と戦う僕。
僕は、何かと言えば「やらない理由」をつけて一歩(当時は50歩くらいに思っていた)踏み出すことができなかった。
例えば、こんなことがあった。
ある日、僕はキャンパス内でiPodを紛失した。
大学にも問い合わせたけど、届いていなかった。
当時のiPodはかなりの高級品で、気軽に買うこともできなかった。
紛失してから数日が経過し泣き寝入りするしかない、と絶望していた矢先、第二外国語の授業を受けていた同級生たちが「これ」と僕のiPodを渡してくれた。
僕はといえば、一言感謝を述べたと思うとすぐに立ち去ったことを覚えている。
仲良くなるきっかけを自ら手放した僕は、ついに1年間ぼっちのままだった。
それでも、地元には多くの友人がいた。
悩みがあれば地元の友人とカラオケや野球観戦をした。
気心の知れた仲間と過ごす時間が、僕の孤独な大学生活を支えてくれた。
光と影を抱えながら
「Real Face」が流れるたび、あの頃ぼっちだった自分を思い出す。
華やかな大学生活に飛び込んだはずなのに、現実は孤独で、理想とのギャップに苦しんだ。
一体何と戦っていたのだろうか。
今振り返ればわかる。
僕は僕自身と戦っていたのだ。
キャンパスライフという「リアル」を手に入れるため、何かを変えたくて、けどそれが何かわからずにもがいていたあの日々。
その孤独な時間もまた、「青春」の一部だった。
そして、孤独を感じてギリギリでしか生きられなかった僕に、KAT-TUNの歌声は挑む勇気をくれた。
あの日々を振り返ると、大学生活の始まりは「自分の弱さと向き合う時間」だったのだと、今では思う。
※流石にKAT-TUNの曲はなかったので、僕の大好きなYouTuber「MELOGAPPA」のカバーで許してほしい。
■第0話(イントロダクション)はこちら。
■まとめ記事はこちらから。
