【第二十三話】ゆとり世代の1987生まれが青春時代を過ごした平成についての思い出を語る【心の花を咲かせよう/いきものがかり(2008〜2009年)】
2008年から2009年にかけて。
終わりという始まりを経験した僕は、夢に向かって走り出すことにした。
「青春」とはなにか。
辞書を引くと「若さゆえの輝き、未熟さ、情熱」なんて書かれているけれど、実際僕にとってはシンプルで、音楽と共に過ごした時間こそが青春だ。
もう負けないと誓ったあの日。
あの日があったからこそ、今の僕がいる。
そう、僕は懐古厨だ。
でも、この懐古があるからこそ、今の僕があるのだと思う。
懐古厨のゆとり世代と、この気持ちを分かち合うために、このnoteを書き上げる。
終わりという名の始まり
「心の花を咲かせよう」は、いきものがかりのアルバム「My song Your song」に収録された曲だ。
2008年の年末に発売されたこのアルバムは、僕もすぐに手に入れて「iPod touch」へ同期していた。
サブスクリプションで好きな曲を好きなときに聞く現代社会。
しかし、当時はまだアルバムを頭から最後まで通して聞くことが当たり前だった。
アルバムの約70分程度の曲を通して聞くことで、初めてわかるメッセージ性もある。
また、曲順に込められたアーティストの想いを感じながら聴くことも含めて、「アルバム文化」だった。
僕は「My song Your song」を通して聞くのが好きだった。
特に、「心の花を咲かせよう」はシングル展開されていない曲で、馴染みはなかった。
けれども、「My song Your song」を聞く度に、アルバムの最後の方に流れるこの曲が妙に胸に刺さった記憶がある。
2008年の秋。
僕は、目標を見失っていた。
インターンも上手く行かず、彼女に振られ、社会に出ることに不安を感じていた。
そんなある日、僕が大学2年時から受講していた講座の個別面談があった。
個別面談の日、僕は糸が切れたように不安や悩みを打ち明けた。
涙ながらに彼女に振られたことまで打ち明けた。
講座を担当していたキャリアセンターの職員である水野さん(仮称)は、僕の話を真剣に耳を傾けてくれたあと、静かに言った。
「彼女を見返してみたらどうだろうか」
水野さんはそう言うと、その涙と鼻水を拭けと言わんばかりにティッシュ箱を一箱プレゼントしてくれた。
イケメンかよ。
今までの僕は、真剣さが不足していた。
なぜ夢を実現させたいのか、なぜそうありたいのか。
それがわからずにいた。
けれども水野さんの言葉で、僕はハッとしたことを強く覚えている。
どうしても実現したい夢。
そして、そのためには、がむしゃらににならなければ実現できないことを悟った。
そして、そのきっかけは彼女を見返してやりたいからだった。
夢を叶えて、別れたことを後悔させてやるのだと、本気で思っていた。
今振り返ると、僕は本気で取り組むためのきっかけを探していたのかもしれない。
それが「失恋」だった僕は、きっかけが不純すぎたと今では反省している。
けれども、僕の中では、フワフワとしていた自分が真剣モードに切り替わるスイッチが入ったような気がしたのだ。
僕はこの日以降、夢を叶えるために大学受験以来の勉強の日々がスタートした。
当時のガジェットとケータイ小説
僕は、愛用の「iPod touch」で音楽を聞きながら勉強していた。
奇跡的に僕の愛用していたiPod touchが残っていたので記録する。

僕は、落として傷だらけのiPod touchへ32Gの容量限界まで曲を入れ、自分なりのプレイリストを作ってよく聞いていた記録がある。
例えば、春の曲とか、夏の曲。
はたまた失恋ソングだけを集めたプレイリストもあった。
2008年当時は、様々なガジェットが展開され始めた年だ。
iPhoneが発売し、ついにスマホ時代の幕が開けた。
僕も高嶺の花として憧れていたものの、メリットがわからずにガラケーのままだった。
代わりに、iPod touchをヨドバシカメラで買い、愛用していたのだった。
そして、僕は2008年当時ドコモのシャープ製の機種を使っていた。
当時使っていたガラケーが奇跡的に僕の手元にあった。

なぜピンクを選んだのか。
僕はその理由を思い出せないでいる。
僕はこのガラケーの「iモード」で様々なサイトへアクセスしていた。
※今でいうGoogle Chromeのアプリ。当時ドコモは「iモード」、auは「EZweb」、ソフトバンクは「Yahoo!ケータイ」だった。
iモードを活用し、「mixi」をはじめ、Yahoo!の検索サイトやプロ野球の速報など、多くの情報を仕入れていた。
また、ゲームの攻略情報に関しても、ケータイ1つあればいい時代。
完全に攻略本が不要になったときでもあった。
さらにワンセグボタンもあり、テレビを見ることができた。(電波が悪すぎて見た記憶はほとんどない)
当時といえば、「ケータイ小説」が流行っていて、僕の働いていたTSUTAYAでも「恋空」とか「赤い糸」とかがバカ売れしていた。
僕はといえば、小説は好きなのに「ケータイ小説」を毛嫌いしていて、mixiのマイページにも「ケータイ小説は嫌いです」とはっきりと宣言していたことを覚えている。
今思えば、完全に読まず嫌いだし、偏見の塊だった。
一度「魔法のiらんど」を覗いてみればよかったかもしれないと、少し後悔している。
※当時、「魔法のiらんど」という携帯小説サイトが女子高生を中心に爆発的に流行していた。
通学電車や休み時間に、ガラケーを開いては小説を読みふける姿が当たり前の光景になっていた。
ゼミの学長として
当時の僕は、ゼミナールに精を出していた。
ゼミでは、学説ごとにA派とB派で対立し、ディベートをするというものだった。
合宿もなし、出席もとらない。
代わりに卒論はあるといったもので、大学内でも少し変わっていたゼミだったと思う。
僕は、ゼミの同級生たちと、ゼミナール活動を通じて仲を深めていた。
よく大学にあった図書館にこもり、色んなことを調べていた気がする。
けど、ディベートは苦手だった。
反論したいのに、反論できずまごまごしている僕。
実力はまったくなかったのに、同級生からの推薦で、人柄だけでゼミ長にされてしまった。
そんなことあっていいのかよ。
ゼミ長就任以降は、ゼミをまとめるために色んなことに挑戦した。
自主学習の連絡調整や教授とのやりとり。
下級生へのゼミナール希望者向け説明会など、雑務をひたすらにこなしていた。
ゼミナール活動が3年生だけになったある日。
僕たちはグループ内で揉めていた。
要因は、「あいつらはなぜやらないのか」ということだった。
僕たちのゼミでは、ディベートのための下準備として、学説などをとにかく調べることが重要だった。
しかし、大学3年生の僕たちは、就活などで忙しくて調べ物も進んではいかなかった。
そのため、調べている人とそうでない人の差が激しくなり、対立を生んでいたのだ。
対立は進み、空気が悪くなってグループで集まることも少なくなってくる。
当時はLINEなどがなく、グループ全体で連絡をとる手段なんてメールしかなかった。
そのため、とにかく〇〇くんがこないとか、▲▲ちゃんと連絡がとれないとか、そんなことばかりだった記憶がある。
僕も、確か一度だけアルバイトやら勉強やらでそのグループ会合に参加できなかった。
その時は、「ゼミ長なのに…」と多くの非難を浴びた。
僕はゼミ長としてその対立を埋めることができないまま、一人また一人とゼミを去っていった。
結局、翌年度もゼミに参加していた同級生は、当初の半分になってしまった。
今あの経験を振り返れば、もう少しできることはあった気がする。
例えば、もう少しマメに連絡をとるとか、問題を抱えていたゼミ生と面談するとか。
負担の集中を分散して、平準化することもできたはずだ。
他にも、いくらでもやりようがあったのに。
けれども僕は余裕がなかった。
夢に向かって勉強に励んでいた僕は、全体調整する元気など残っていなかった。
まったくうまくいかなかったけど、あの時の調整で失敗した経験は、今の僕にとっては貴重な財産だ。
後悔は必要ない
「もう負けない」
そう誓ったあの日から、心の花を咲かせるために、僕の運命は動き始めた。
僕にとって「心の花を咲かせよう」は、勇気を与えてくれる曲だ。
いまでもこの曲を聞くと、あの頃の揺るがぬ決意やゼミ長としてもがいていた日々が蘇る。
ひとひらの淡い奇跡を見るため。
僕はがむしゃらに進んでいくのだった。
■第0話(イントロダクション)はこちら。
■まとめ記事はこちらから。
