【第二十八話】ゆとり世代の1987生まれが青春時代を過ごした平成についての思い出を語る【366日/清水翔太feat.仲宗根泉(2012年)】
2012年、僕はかけがえのないものと出会った。
その出会いは、今に繋がっている。
「青春」とはなにか。
辞書を引くと「若さゆえの輝き、未熟さ、情熱」なんて書かれているけれど、実際僕にとってはシンプルで、音楽と共に過ごした時間こそが青春だ。
僕は怖いくらい覚えている。
新人指導の苦悩と成長を。
カードゲームを通じて切磋琢磨した仲間を。
そして、あなたが食べたエビピラフを。
そう、僕は懐古厨だ。
でも、この懐古があるからこそ、今の僕があるのだと思う。
懐古厨のゆとり世代と、この気持ちを分かち合うために、このnoteを書き上げる。
それでもいいよ
「366日」は、HYがリリースした曲を清水翔太がカバーした楽曲だ。
僕はHYも清水翔太も好きだった。
2008年にHYがリリースしたアルバム「HeartY」に収録されていた「366日」は、僕の心を揺さぶっていた。
当時付き合っていた彼女と別れたばかりの僕は、「失恋ソング」として「366日」をリピート再生して聞きまくっていた。
あれから4年。
清水翔太の歌声に、仲宗根泉のピアノとハーモニーで奏でられた「366日」は僕の心の中を鋭くエグった。
あの時の大学生活が一瞬で蘇り、そして現実に戻されるようだった。
いつまでも過去に執着していてウジウジしていた僕。
そんな僕は、自分自身を好きになれなかった。
けれども僕は、一つの出会いで大きく変わることができた。
僕は、職場の先輩たちに連れられて都内のアジア料理屋に連れて行かれた。
そのアジア料理屋は、ベリーダンスショーを見られることで有名だった。
そこで、僕はある人と出会った。
四国の位置がわからず、苦悩する彼女。
しゃもじのアクセントが独特で、何度もツッコミを入れる僕。
極めつけは、水族館に一緒に行った時のことだ。
たしか夕方の約束だったけど、水族館に着くなり「食堂に行かせてくれ」といい、水族館に併設されていたフードコーナーでエビピラフを注文。
あっという間にたいらげてしまった。
聞けば、「ダンスの練習でお腹が空いていた」とのこと。
恐れ入った。
僕はこのエピソード以来、彼女のことが好きになり、僕からの申し出で付き合い始めた。
いつでも自分を隠さず、「素」でいられる彼女は、僕にとって憧れだった。
そして、一緒にいる時の安心した空気感が、僕の弱っていた心を落ち着かせてくれた。
北は北海道、南は沖縄まで。日本中を旅した。
そして、たくさんの温泉に浸かった。
新宿ピカデリーでよく映画を観た。
TSUTAYAで借りたDVDを一緒に観て、そのあと大戸屋やサイゼリヤ、地元のラーメン屋で晩御飯を食べた。
今振り返ると、あの時間の一つひとつが尊く、人生で一番安らげる日々だった。
ヴァンガードで多様性を感じた日々
2012年の僕は、趣味を探していた。
ゲームもアニメも一区切りをつけていた僕は、何かに熱中したいという気持ちがあった。
僕はよく、ポケモン対戦に熱中していた頃を思い出していた。
今まで飽き性で、広く浅くを繰り返してきた僕は、あの時のように全身全霊を尽くしてみたかった。
ちょうど同じ頃、TSUTAYAの仲間たちがカードゲーム「ヴァンガード」を始めており、僕はその光景を羨ましく思っていた。
※ヴァンガードとは、惑星クレイという星に住むユニット「ヴァンガード」になりきり、対戦するカードゲームで、今もなおシリーズが続いている。
2012年頃は「双剣覚醒」というブースターが発売し、「ドラゴニックオーバーロード」や「ブラスターロード」、「ファントムブラスターロード」といった人気カードが強化されたということで、バカ売れしていた。
僕もその熱にあてられ、気づけばデッキを握っていた。
マジックザ・ギャザリングに熱中していた中学時代を思い返しながら、沼にハマりたい僕と、あの沼は地獄だ、引き返せ!と心の中で叫ぶもう一人の僕の間で揺れていた。
結局、僕自身の意思で「カードを教えてくれ」といって仲間に入れてもらった。
最初にオススメしてもらったデッキは「かげろう」。
確かコミックについてくるカードを4枚集めると環境デッキにもそれなりに対抗できるということで買った記憶がある。
その翌週。
僕らはみんなで集まってカードゲームで遊ぶことになった。
そのときには、僕は当時1枚2500円していた「ドラゴニックオーバーロード・ジエンド」を4枚揃えていた。
負けず嫌いかよ。
それからの僕は、各街のカードショップに顔を出し、大会へ参加した。
新宿、練馬、中野、吉祥寺、秋葉原、大井町、蒲田、町田など都内のあらゆるカードショップをめぐった。
公式の大型大会に出るため、仙台、名古屋、金沢、大阪、岡山の各街へ行ったことも非常に思い出深い。
中でも、池袋にあるカードショップは僕にとって思い出の地だ。
平日は仕事終わりに毎日のように池袋へ繰り出して大会に出ていた。
そして、あの頃出会った仲間は本当にかけがえのないものだった。
大会終わりのフリーファイトは、自分のお気に入りのデッキを笑いながら試すとても楽しいものだった。
若貴(回転寿しチェーン)から漏れ聞こえてくる店内BGM「スシ食いねぇ」や、松屋の横を通るたびによぎる牛丼の匂い。
もうやんカレーや花田の味噌ラーメンの味。
そして、平日の大会終わりに仲間で食べた中華一番館。
今では大会に出ることはなくなったけど、
池袋でファイトしていた日々は昨日のことのように覚えている。
今振り返ると、カードというツールを用いてたくさんの人とコミュニケーションを取れたことは貴重な財産だった。
大会で対戦する人の中には、明らかに年上のサラリーマンや自分よりだいぶ年下の学生、はたまた孫に連れられて参加したおじいちゃんとも対戦したことがある。
地方の大会に出る度に、都会では感じられない地域ならではの空気感を感じていた。
他にも国籍や障がいの有無などを問わず、多様な人たちとファイトできたことは、僕の経験と自信に繋がった。
新人指導の難しさと気付き
仕事を始めてから3年目の春。
ゆとり世代の僕も、ついに先輩になる日がやってきた。
仕事に関してはまだまだ未熟だった僕だったけど、係内での業務バランスを加味して新人の指導担当に任命された。
期待半分・戸惑い半分の複雑な気持ちで揺れながら、僕の指導担当の一年がスタートした。
新人さんは、大学でこの道を専門的に学んだ、いわゆる「セミプロ」だった。
そのため、入念に準備を重ねた。
簡単な庶務手続きから事務作業、接客の流れまで、教えた。
本当にあっているのか調べたり、どうすれば理解できるかを考えたりしながらプログラムを組んだ。
新人へ教えている間、自分の仕事はできないのでその分残業となった。
他人に教える難しさと自分の仕事のバランスに苦慮した。
新人指導にあたって、一つだけ思い出深いエピソードを覚えている。
新人指導を担当していた高揚感なのか、はたまた指導していた自分に酔っていたのか。
僕は指導担当だった先輩から言われた言葉を引用し、この仕事のめざす姿を、例えるなら「計算さえできればいい」と比喩して新人へ伝えていた。
新人は「はい」とだけ返事をして、特段の反応を示していなかったことを覚えている。
その年の6月、別の部署の新人と若手で飲み会が行われた。
その場では、新人の自己紹介と今後の決意表明を宣言する機会が設けられていた。
一人ひとりが仕事への熱意を語る中、僕が担当していた新人の番がやってきた。
新人は、「計算する人ではなくその人に寄り添った対応をしていきたい」と高らかに宣言した。
僕はその新人の発言に衝撃を受けたと同時に、視野の狭さを痛感した。
僕が押し付けていた理想は、新人の理想とは正反対のベクトルだったことに気がついたのだ。
むしろ、僕の心の中では「本当に計算だけでいいのか」と僅かに抱いていた疑念を掘り起こしてくれた。
そんな新人の姿が眩しく、僕は心からその新人を尊敬したことを覚えている。
新人の成長は凄まじいもので、あっという間に色んなことを一人でできるようになった。
その成長をそばで感じて、僕もなんだか嬉しくなったのだった。
怖いくらい覚えている
僕にとって「366日」は失恋ソングであると同時に、決別と新しい出会いをもたらせてくれた曲だった。
今でも366日を聞くと、彼女との出会いやカードゲームに励んだ日々、そして新人担当の苦悩を思い出す。
あれから13年。
あの時付き合い始めた彼女は妻になり、今でも隣にいてくれている。
2012年は4年に一度のうるう年で、366日間だった。
2012年に過ごした366日すべてが、僕の心の中に色濃く残っている。
そう、僕は当時のことを怖いくらい覚えているのだった。
こんな僕の話を聞いた妻は、おかしいねと笑ってくれるだろうか。
それだけが気がかりだ。
■第0話(イントロダクション)はこちら。
■まとめ記事はこちらから。
