創戯旅団 生存の記録-SM奇譚 第2夜-白い天井、片脚の王国
関東に、いったいどれほどのSMクラブがあるのだろう。
その問いは、いまや数字としてではなく、夜の底に沈んだ灯の数として、私の胸のうちに揺れている。
病室の天井は、あまりにも白い。
白というより、それはすべての色彩を奪い去ったあとの沈黙そのものだった。
昼も夜も、そこには均質な無表情がひろがっている。消毒液の匂い、乾いたシーツの皺、遠くで鳴る器械のかすかな電子音。それらはみな、この世界がまだ生きていると告げるための、無機質な祈りのようでもあった。
けれど私には、どうしても思い出してしまう別の匂いがある。
革の匂い。香水の匂い。熱を帯びた密室に満ちる、人の欲望がわずかに焦げる匂い。
薄闇のなかで、誰かの声が低く震え、誰かの沈黙がそれに応える。
赤い壁、落とされた照明、鏡の奥にもうひとつの世界が口を開けているような部屋。
そこで私は長いあいだ、名もない夜の支配者として立っていた。
今、私の左脚はない。
その喪失は、雷鳴のようには訪れなかった。
むしろ、湿った腐蝕が木の内部をゆっくり空洞にしていくように、静かに、執拗に、私の肉体を食んでいた。糖尿病という名前の、見えない獣。ある日私は救急車で運ばれ、その一週間後には片脚を失っていた。
失う、という言葉はあまりにも整いすぎている。
実際には、身体の一部が時間の外へ切り離され、自分だけがまだこちら側に取り残される、そういう奇妙な断絶に近かった。
麻酔から醒めたあとも、私はすぐには理解できなかった。
痛みより先に訪れたのは、空白だった。
あるはずのものが、そこにない。
人は欠損を、最初は痛覚ではなく、沈黙として知るのだ。
だが、その沈黙を真っ先に破ったのは、私の喪失ではなかった。
一本の予約電話だった。
病院のベッドの上で、まだ身体が手術の記憶を発熱のように残しているその日に、私は店の営業をしていた。客の名を確認し、時間を調整し、誰をどこへ入れるかを考える。まるで呼吸でもするように。
人はそれを狂気と呼ぶかもしれない。
だが私には、それは狂気ですらなかった。
もっと古い、もっと根深い、習性のようなものだった。十四年という歳月、私は起きてから眠るまで店のことだけを考え、そのために身体を削り、感情を削り、人生を削ってきた。三百六十五日、ほとんど休まず、ひとりで、ある種の信仰のように働いてきたのである。
だから、脚を一本失ったくらいで、急に俗世の常識へ帰ることなどできなかった。
SMクラブというものは、そもそも昼の経済の理屈だけでは量れない。
そこに集まるのは、単なる快楽ではなく、言葉にしにくい飢えだ。
けれど、特殊な性癖を持つ客が、ただそれだけで一般的な欲望を捨て去っているわけではない。むしろ逆だろう。深い闇を抱える者ほど、同時にありふれた光も欲しがる。美しい女に会いたい。若さに触れたい。優しくもされたいし、支配もされたい。
欲望とは、いつだって一枚岩ではない。
それは幾つもの色の油膜のように重なり、見る角度によって残酷なまでに表情を変える。
だから、この業界は甘くない。
SMという看板を掲げたからといって、それだけで選ばれる時代など、最初からどこにもない。技術だけでも足りない。見た目だけでも足りない。接客だけでも足りない。客はつねに、他の店も知っている。普通の風俗も知っている。比較する。値段を比べ、容姿を比べ、空気を比べ、満足度を比べる。その視線の冷たさは、冬の刃物に似ている。
勘違いした店から消えていく。
「特殊」であることを免罪符にした店から、静かに朽ちていく。
供給過多にすらなれないまま、店も、女も、夢も、音もなく沈んでいく。
私はその沈没を、何度も見てきた。
夜の海に灯るはずだった船が、名も持たぬまま闇に呑まれていくのを。
それでも、生き残る店には必ず骨格がある。
野球で言うなら、エースがすべてを支えているチームもあれば、四番打者の一振りに命運を預けるチームもある。守りの堅さで勝つところもあれば、投打の均衡で長く持たせるところもある。
店も同じだ。
何で勝つのか、その輪郭を知っている店だけが、夜を越えて朝まで残る。
私の店は、最初からはっきりしていた。
女王様メイン。
それが心臓であり、看板であり、ひとつの宗教に近い重心だった。
SもMもできるキャストはいた。M女の在籍が皆無だったわけではない。だが、長い目で見れば、うちの王国を支えていたのは明らかに“女王様”という柱だった。
そして、その柱の中心には、一人の絶対的なエースがいた。
場の湿度を変え、客の視線の揺れを読み、命令と赦しの境目を自在に行き来する存在。
しかもその者は、女王様としてだけでなく、M女としても本指名を持っていた。ひとりで二つの極を渡る、奇妙な二刀流。
その名をここで遠回しに隠すのも、いまさら意味はないだろう。
それは第二期を支えた女王様だった。
思えば私は、彼女を店の中核に据えすぎたのかもしれない。
だが、そうするしかなかった時代もまた確かにあった。
人が足りず、金も足りず、信用だけが薄いガラスのように揺れていた頃、彼女そのものが店の証明だった。
店を開ける。電話を取る。客を迎える。
これは運営側の、私の役目だ。
彼女の場合は、女王として立つ。必要ならM女として沈む。
そうやって、一軒の店を、一つの生き物として飼い慣らしてきた。
いや、飼い慣らしたつもりでいただけで、本当は私のほうが、その生き物に喰われていたのかもしれない。
十四年目にして、私が文章を書き始めたのは、たぶんそのことを知ったからだ。
病院では時間が余るのではない。
時間が剥き出しになるのだ。
リハビリの時間だけが不自然に固く、それ以外の時間は水のように、白い床と白い壁のあいだを音もなく流れていく。健康だった頃には、私は時間を時間として見たことがなかった。時間とは使い潰すものであり、売上に変わるものであり、予約表の升目に刻まれるものだった。
だが病院での時間は違う。
それは私の前に座り込み、こちらをじっと見返してくる。
だから私は、その視線から逃れるために書き始めた。
店の裏側。
淘汰される世界。
消えた女たち。
笑い話にしか見えない狂気。
そして、笑い話では到底済まされぬ、生活の骨の軋み。
足を切断したその日も営業していた、と言うと、多くの人は異様なものを見る顔をする。
けれど私自身は、それを武勇伝だとは少しも思わない。
ただ、止まれなかっただけなのだ。
店を休むということは、単に一日の売上が消えることではない。
もっと深いところで、呼吸が止まる。
客の流れは、ほんの一度の停滞で別の水脈へ逸れていく。
働く者の気持ちも、店の空気も、稼働の熱も、一度冷えれば元の温度には戻りにくい。
だから私は、血の気の引いた身体で電話を取り続けた。
それが商売人の本能なのか、あるいはただの病なのか、もう私には区別がつかない。
なぜそこまでして続けるのか。
片脚を失ってなお、なぜ店を守るのか。
そう問われることがある。
私はいまだに、その問いにきれいな答えを持たない。
ただ、支配とは、相手の上に立つことではない、とだけは分かっている。
支配とは、最後まで責任を負うことだ。
客の欲望に。
キャストの生活に。
店という灯りが今夜も消えずに在ることに。
鞭を持つ手よりも先に、引き受ける覚悟がなければ、社長などただの仮装にすぎない。
そう考えるなら、足を失ったあとも店を回している私は、狂っているのではなく、むしろ自分の役柄にあまりにも忠実すぎるのだろう。
夜の病室は深海に似ている。
巡回の足音が遠ざかるたび、世界はさらに青く、さらに静かになる。
そんな時間になると、私は自分のいない店のことを考える。
フロントの灯り。
予約の並び。
誰がどんな顔で扉をくぐり、どんな沈黙を身体にまとって帰っていくのか。
私は病院にいて、なお店の内部に棲んでいる。
店もまた、私の肉体のなかに巣を作っている。
片脚を失ってもなお消えないものがあるとすれば、それは意地ではなく、執着だ。
しかも、ひどく濁った、救いのない種類の執着である。
けれど人は、ときにその濁りによって生かされる。
清らかな理想だけでは、現実の泥を渡れない。
むしろ、見苦しいほどの執念こそが、沈まぬための錘になることがある。
私はこれから義足を作る。
切断面の皮膚が落ち着くのを待ち、欠けた輪郭に人工のかたちを与え、新しい脚を差し込む準備をする。五ヶ月後か、六ヶ月後か、その先か。いつ退院できるかも、どこまで以前のように動けるのかも、まだ分からない。
分からないまま、私は明日の予約を考える。
分からないまま、次の文章を書く。
未来が霧の中にあるなら、その霧のなかで店の灯りだけは見失わないように。
これは業界の内幕話などではない。
もっと湿っていて、もっと私的で、もっと醜い、生存の記録だ。
SMクラブのことを書きながら、私はたぶん、ひとりの人間が何によって立ち、何を失ってもなお何に縋りつくのかを、白い天井の下で書いている。
関東にSMクラブがいくつあるのか、正確な数など知らない。
けれど、消えていった店々の気配なら知っている。
夜に咲いて朝には萎れる花のように、名を持つ前に枯れていった場所の匂いなら知っている。
その屍のうえに、いまもなおいくつかの店だけが危うく立っている。
私の店もそのひとつだ。
奇跡ではない。美談でもない。
それはただ、執念がまだ死んでいないというだけの話だ。
白い天井を見上げる。
夜明け前の病室は、まるで世界そのものが息を潜めているように静かだ。
私は心のなかで、遠い店の名前を呼ぶ。
そこにはまだ灯りがある。
私の脚は一本減った。
だが、灯を絶やさなかったという一点において、私はまだ完全には倒れていない。
ならば書こう。
血の話を、汗の話を、快楽の裏で軋む生活の話を。
笑えるほど滑稽で、笑えぬほど切実な、この十四年を。
怪談のように。
祈りのように。
あるいは、自らの欠損を撫でるための呪文のように。
それにしても、不思議なものだと思う。
人は肉体のどこかを失うと、失ったものそのものよりも先に、失ったことで照らし出される残りの部分と向き合わされる。脚を一本なくしたとき、私が思い知らされたのは脚の価値ではなかった。むしろ、まだ残っている指先の温度や、喉の渇きや、夜更けにふいに胸をよぎる焦燥の、あまりの生々しさだった。欠けた身体は、その欠け目を中心にして、かえって生の輪郭を鋭くする。まるで、欠けた茶碗の縁だけが異様に光を返すように。
夜半、眠りの浅い私は、しばしば幻の脚に呼ばれる。
もうそこにはないはずの足先が、布団の下で冷えている気がする。かかとが痒い気がする。指がわずかに攣っている気がする。存在しない部位がなお訴え続けるこの奇妙な現象を、医師たちは手際よく説明するけれど、説明されたからといって納得できる種類のものではない。ないものが痛む。失われたものがなお私の内側で生きている。その矛盾は、どこか店の記憶にも似ている。消えてしまった店、去っていった女、もう二度と戻らない夜。そういうものたちもまた、消失したあとになってなお、私の神経のどこかで疼き続けるからである。
過去は死なない。
とりわけ、欲望に関わる過去は、簡単には死なない。
それは墓に入る代わりに、匂いとなり、癖となり、視線の角度となり、他人には見えない襞として身体の内側に沈殿する。私はたぶん、十四年間で浴びた無数の夜を、ひとつも綺麗には処理できていない。忘れたつもりの客の声が、病室の蛍光灯の唸りに混じってふと蘇ることがある。もう引退した女の笑い方が、看護師の何気ない相槌のなかに紛れ込んでくることがある。時間は過ぎる。けれど、通り過ぎたものが消えるとは限らない。ただ、肉の下へ沈むだけだ。
かつて店で会った男たちの顔を、私ははっきり覚えているわけではない。
むしろ、顔ではなく、彼らがBOXへ入るときに纏っていた沈黙の種類を覚えている。
世間に向ける顔を脱ぎ捨てる直前の男というものは、どこか祈る者に似ている。
傲慢な者もいた。怯えた者もいた。滑稽なほど強がる者もいた。けれど、扉が閉まる寸前、その誰もが一瞬だけ、自分の奥底にあるいびつな空洞を差し出していた。その空洞を前にするとき、私は女王様である以前に、ひとつの井戸の番人のような気持ちになったものだった。井戸の水は、覗き込む者の顔を映す。だが深く覗きすぎれば、映っているのが自分なのか、底に棲む闇なのか分からなくなる。
SMとは、しばしば誤解されるような単純な倒錯ではない。
少なくとも、私が見てきた現場ではそうだった。
人が自らの秘めた形を他者の前で露わにするには、想像以上の緊張と、想像以上の演技と、そして想像以上の信頼が要る。鞭や革や命令口調は、そのための舞台装置にすぎないことさえある。本当にやり取りされているのは、もっと目に見えないものだ。羞恥、許し、服従への希求、支配されることで初めて手に入る休息。あるいは、他者を完全に受け止めきることによってしか成立しない一種の祈祷。そうしたものの総体として、夜の一室はときに寺院のような沈黙を持つ。
だからこそ、それを商売として成立させ続けることは、単にサービスを売る以上に難しい。
商品の形をしていながら、売っているのは目に見えない裂け目の手当てだからだ。
私は何度も、商売と救済の境目で立ち止まった。
もちろん、店は慈善ではない。売上が立たねば潰れる。家賃も、人件費も、広告費も、容赦なく現実としてこちらへ迫ってくる。綺麗ごとだけでは一週間も持たない。だが同時に、金銭だけでは回らない夜もある。
たとえば、どうにも言葉を失っている客がいる。
たとえば、震えるほど張り詰めていた女が、プレイを終えた帰り際に不意に人間らしい笑い方をする。
その一瞬に、帳簿の数字とは別種の何かが確かに灯る。
私は長いあいだ、それが何であるのか言葉にできなかった。
いまも、うまくは言えない。
ただ、それは快楽というより、もっと冷たく、もっと切実な、存在の確認に近いものだったのではないかと思う。
あなたはそこにいる。
あなたはまだ壊れきってはいない。
たとえ歪んでいても、欲望があるかぎり、人はまだ世界との細い糸を持っている。
店とは、その糸が切れかけた者たちが、ときに立ち寄る薄暗い中継地点でもあった。
そんなことを考えるのは、病院という場所が、別の意味で生と死の待合室だからかもしれない。
この場所では、人はみな何かを失いかけ、あるいは失ったあとで、なお日常へ戻る方法を学ばされる。
隣の病室の老人は、自分の臓器の数値について淡々と語る。
廊下ですれ違う若い患者は、片腕を吊ったままスマートフォンの画面に笑っている。
リハビリ室では、誰もが不格好な歩行を繰り返しながら、それでも前へ進む練習をしている。
その姿は、妙に似ている。
私が店を続けてきたことと。
欠けた条件のなかで、なお立つ方法を探すこと。
以前と同じ優雅さがなくても、以前と同じ速度が出なくても、とにかく崩れない形を身体に教え込むこと。
人の営みとは、結局その繰り返しなのかもしれない。
失いながら、立ち方を更新する。
壊れながら、名前だけは持ちこたえる。
その執拗さのうえにしか、人生というものは建たない。
私は退院したあと、自分がどんな歩き方をするのか、まだ知らない。
義足の感触も、街の段差の高さも、雨の日の重さも、何も知らない。
だが、ときどき思う。
もしこの先、私が以前とは違う歩き方しかできなくなったとしても、それは敗北ではないのではないかと。
社長とは、常に完璧な姿勢で玉座に座る者のことではない。
むしろ、崩れた王冠を被ったまま、それでもなお人前に出てくる者のことではないか。
傷を隠しきれず、欠損を抱え、過去のようには動けず、それでもなお「ここに在る」と言い切る者。
そのみじめさと威厳が同時に宿る瞬間にしか、本当の気高さは現れないのかもしれない。
考えてみれば、店もまたそうだった。
最初から立派だったわけではない。
ぎこちなく、見栄を張り、無理をし、何度も綻びながら、それでも倒れずにきた。
完璧な店などどこにもない。
あるのは、欠点をごまかす技術と、ほころびを抱えたまま夜を越える知恵だけだ。
だから私は、店のことを一つの城というより、継ぎ接ぎだらけの古い劇場のように思っている。
幕の裏では縄が軋み、照明は熱を持ち、化粧の匂いと埃が混じり合っている。
それでも幕が上がれば、人はそこに夢を見る。
たとえ数時間だけでも、別の名を与えられ、別の役を生き、別の痛み方を許される。
その劇場を守ることが、私にはずっと、自分自身を守ることとほとんど同義だった。
だから、書くのだろう。
いま私が書いているのは、回想ではない。
美化でもない。
むしろ、散逸しそうになるものへ錘をつける作業に近い。
失われた夜が霧になってしまわぬように。
消えていった者たちが、ただの数字や噂話に崩れてしまわぬように。
私自身が、自分の狂気を「なかったこと」にしてしまわぬように。
文章とは、ときに棺であり、ときに標本箱であり、ときに割れた鏡である。
私はそのどれかとして、言葉を並べる。
そうしなければ、十四年という歳月があまりにも無音で、あまりにも曖昧な闇へ還ってしまいそうだからだ。
窓の外がわずかに白みはじめる。
病院の朝は、夜より残酷だ。
現実がふたたび輪郭を取り戻し、検温や投薬やリハビリの時刻が、容赦なく一日を刻みはじめる。
けれどその規則正しさの奥で、私はまだ夜の気配を手放していない。
むしろ、夜のほうが私を手放してくれないのかもしれない。
あの赤い部屋も、革の匂いも、扉の向こうで息をひそめていた無数の欲望も、いまだ私の血のどこかを黒く染めたままでいる。
それならもう、潔くその染みと生きていくほかないだろう。
私は白い天井を見上げる。
白は、無垢の色ではない。
ときにそれは、あらゆる罪と記憶を受け止めたあとの、巨大な余白の色だ。
そこへ私は、今日もまた自分の言葉を少しずつ滲ませていく。
黒いインクのように。
乾ききらぬ夜の名残のように。
あるいは、片脚を失ってなお滅びきらなかった、小さな王国の最後の紋章のように。
ようこそ、と私はまだ見ぬ読者へ囁く。
ここは綺麗なだけの場所ではない。
だが、虚飾だけでできた場所でもない。
片脚を失った経営者が、それでも守ろうとした小さな王国。
支配と責任、快楽と労働、虚栄と現実、肉体の滅びと意志の残響――そのすべてが絡み合い、まだかろうじてひとつの物語の形を保っている場所。
また、怪しい夜に。
その言葉を、今度は客寄せの挨拶ではなく、闇のなかで互いの生存を確かめ合うための合図として。
私は白い天井の下で、失われた脚の重さを幻のように感じながら、次の一行へと手を伸ばす。
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