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創戯旅団 生存の記録-SM奇譚 第3夜-三つの季節を生きた店

店には寿命がある、と人は言う。
だが本当は、寿命があるのは店そのものではなく、そこに出入りする人間たちの熱や迷いの方なのかもしれない。店はただ、黙ってその上を通り過ぎていく季節を受け止めているだけである。雨の夜も、電話の鳴らない午後も、誰かが笑いながら嘘をつく瞬間も、誰かが帰り際に見せたわずかな疲れも、店は何も言わずに抱え込む。そうして年月の底に、目には見えない澱のようなものを少しずつ沈めていく。

厚木エレガンスという店を振り返るとき、私の中では、その時間は一本の線ではない。
それは三つの色に分かれている。
まだ何者でもなかった頃の、輪郭の曖昧な薄明。
変わろうとして何度も形を崩した、長い昼の照り返し。
そして今、失うことにも慣れながら、それでも灯を消さずにいる夕暮れ。

人は歳月を均等には覚えない。
長かった日々ほど、いくつかの場面に折れ、いくつかの匂いに分かれ、いくつかの沈黙に名前を与えられる。
だから私も、この店の来し方を三つに分けて語る。
第一期、創生期。
第二期、激動期。
第三期、革命期。
それは経営上の区切りであると同時に、私の心の中で季節が変わった地点でもある。

第一部 創生期
二〇一〇年十二月〜二〇一五年九月
最初、店の名前はただ「エレガンス」だった。

その名を口にするとき、私はいつも、少し古びたベルベットのカーテンを思う。色は深いはずなのに、長年の埃と指先の脂でどこか曖昧になってしまった布地。上品といえば上品だが、何を包んでいるのかははっきりしない。そういう名前だった。
しかも小田急小田原線相武台前駅の駅前には、同じく「エレガンス」という名のピンサロがあった。街のどこかに、自分と同じ名前で別の人生を生きている人間がいるような、妙な座りの悪さがあった。こちらは本厚木で、あちらは相武台前。ただそれだけの違いなのに、名札だけが同じであることが、なぜか薄い不安を呼んだ。

店の始まりは、だいたい美しくない。
あとから物語に仕立てれば、それらしく見えるだけだ。
あのときは場所があり、人がいて、商売を始める事情があり、名があり、まだ中身の定まりきらないまま暖簾だけが風に揺れていた。誕生というより、半ば置き去りにされたものに、こちらが後から意味を与えていったようなものだ。

オープンした翌年の三月、東日本大震災が起きた。
あの日、町の空気は目に見えない砂を大量に吸い込んだようにざらついた。テレビの画面の向こうで世界が崩れ、その振動が遠く離れたこちらの日常の皿の上まで、かすかにひびを入れていった。人々は笑い方を少し忘れ、財布の紐だけでなく、気持ちの扉まで固く閉めた。
店にとっても、不運な時代の始まりだったのだと思う。

それでも、人生とは皮肉なものだ。
もしあの震災がなかったなら、私と玲子女王様は厚木エレガンスに辿り着かなかったかもしれない。大きな不幸の影の裏で、別の縁が静かに結ばれていく。瓦礫の向こう側で、人の巡り合わせだけが、まるで何事もなかったように糸を手繰り寄せていた。そう思うと、運命という言葉はあまりに安直だが、因果という言葉だけでは足りないものがある。人は壊れた時代の隙間からでも、誰かに出会ってしまうのだ。

この頃の店は、まだ何者でもなかった。
何を売りにし、どう記憶され、どんな色で残る店になるのか、誰も正確には掴んでいなかった。曖昧さは不安であると同時に、まだどこへでも転がれる自由でもある。今思えば、あの時代の私たちは、土台の固まっていない船の上で帆の形だけを先に決めようとしていたのかもしれない。

二〇一二年七月、姉妹店として厚木レディースⅡが立ち上がった。
この名を初めて耳にしたとき、私は本気で少し笑ってしまった。厚木レディースⅡ。どこか昭和の排気ガスの匂いがする名前だった。店というより、夜の国道に群れて走る集団の呼び名のようで、下着姿の女性を並べたホームページより、むしろ刺繍だらけの特攻服を着た女たちが腕を組んで睨みつけている絵の方が似合うのではないかと思ったほどだ。

名前には、理屈よりも湿度がある。
正しいかどうかではなく、どんな空気をまとってしまうか。
厚木レディースⅡには、そういう意味で、最初から妙な湿り気と熱気があった。

その登録のとき、私は半ばどさくさに紛れて、上司の許可も取らずにエレガンスの登録店名を「総合SM倶楽部 厚木エレガンス」に変えてしまった。
いま振り返ると、若気の至りというには少しずるく、大胆というには少し小賢しい。だが当時の私には、曖昧なものに輪郭を与えたい焦りがあった。名前とは看板である以前に、自分たちの足場でもある。何の店なのか分からないままでいると、働いているこちらの輪郭まで溶けていく気がしていた。

けれど、その変更に上司が最後まで気づいていなかったとしても、私はさして驚かない。
あの頃の空気は、細部を厳密に締める金具より、多少がたついても全体が回っていくことを優先する、古い木造家屋のようなものだった。きしみはするが崩れない。隙間風は入るが、なぜか人は住み続ける。そういう構造だった。

「レディースⅡって、レディースⅠがあったみたいに思われませんかね」
そう尋ねた私に、上司はどこまでも気楽な口調で言った。
「名前にレディースⅡってつけたら、皆、レディースⅠが昔からあったと思うじゃん」

誰も思わないだろう、と私は内心で突っ込んだ。
だが、その通らない理屈が、そのまま店の呼吸になっていくこともある。世の中には、整っているから残るものより、少し変だからこそ忘れられないものの方が多い。厚木レディースⅡという名前もまた、そうやって定着していった。

いまなら冗談半分で思う。
いっそあのまま「暴走天女レディース厚木」くらいまで突き抜けて、まったく違うコンセプトの店にしてしまっても面白かったのではないか、と。もちろん本気ではない。だが、実現しなかった冗談というのは、実は時代の空気をいちばんよく表している。笑って終わった案の中に、その時代の本音がいちばん素直に混じることがある。

創生期とは、まだ何ひとつ完成していない時代のことだ。
看板の文字も、働く人間の覚悟も、店の色も、すべてが乾ききらないまま触れられて、指の跡を残していた。だが、だからこそ熱があった。始まりの熱というのは、完成されたものの静かな強さとは違う。もっと濁っていて、もっと雑で、もっと頼りない。けれど、何もないところに店を立たせるのは、結局そういう不格好な熱だけなのだと思う。

第二部 激動期
二〇一五年十月〜二〇二四年六月
第二期を激動期と呼ぶのは、少し見栄を張った言い方かもしれない。
激動という言葉には、どこか成長の響きがあるからだ。だが実際のところ、この時代は成功の連続というより、試しては崩れ、直してはまた歪み、手応えと徒労が交互に押し寄せる長い潮の満ち引きのようなものだった。

店を変えるというのは、壁紙を貼り替えることではない。
むしろ、自分たちが何を信じてここに立っているのかを何度も疑い直すことに近い。
昨日まで正解だったものが今日は鈍く見え、これでいけると思った形が、客の目線の前では途端にちぐはぐに見える。変わることは、いつも少し恥ずかしい。過去の自分の未熟さを認めることでもあるからだ。

二〇一七年三月、厚木レディースⅡは
真正痴女ハードコアコネクション グランブルー厚木
へと名を変えた。

その名は、以前の店名よりもずっと鮮烈で、海の底へ沈めた青い鉄のような重みがあった。長く、強く、何をしたい店なのかを隠そうとしない名前だった。そこに至るまでには、それなりの時間があった。二〇一二年の年末頃にSMスキッパーの社長さんと知り合い、二〇一四年には社長さんの助言もあって、先に厚木レディースⅡに痴女コースとM性感コースが立ち上がっていた。とくに痴女コースは大きく当たり、店の空気をぐっと一方向へ傾けた。グランブルーという新しい名は、その流れがようやく一つの看板に結晶したものだった。

店名とは、表札である以上に誓いに近い。
自分たちは何者としてここに立つのか。
どんな客に、どんな期待を抱かせ、どんな誤解を覚悟するのか。
看板を掛け替えるたび、その問いは以前よりも重くなって戻ってくる。
激動期とは、外見の変化より、むしろそういう問いの重さが増していく時代だった。

そして二〇一八年一月、さらに別の流れが生まれる。
エレガンスの事務所の下の階にあったピンサロ店を営業することになり、Mサロ ギャルズスタイルが誕生した。

この店について語るとき、私はいつも、少し灯りの足りない地下の廊下を思い浮かべる。音はするのに人気がない。誰かがいる気配はあるのに、姿が見えない。そんな場所だ。
実際、この店はほとんど無人営業だった。
受付に着いた客は、フロントにある電話番号へ電話をして受付をする。
現実でありながら、どこか寓話じみた仕組みだった。店に来たのに、まず電話をかける。目の前の空間が応答せず、代わりに受話器の向こう側から商売が始まる。人の体温より、配線の冷たさの方が先にあるような営業形態だった。

もちろん、それには事情があった。
以前この場所でピンサロが営業していた頃、強盗が入ったことがある。だからこそ、無人であることは合理でもあった。そこに誰かが常駐していると見せないことが、防犯にもつながった。誰もいない場所を襲っても、奪えるものは少ない。物騒な知恵ではあるが、この世界には綺麗な理屈だけでは立ち行かない部分がある。夜の商売は、しばしば傷の経験を制度に変える。

加えて、この店は業態そのものが変わっていた。
Mサロ。
ピンサロという器の中で、ソフトM性感をやる。
普通なら交わらない川筋を、一つの場所で合流させようとしたようなものだった。私は当時から、これはかなり珍しい試みだと思っていた。だが、珍しいことは、そのまま機能することを意味しない。むしろ、珍しいものほど、どこで水流が乱れるか分からない。

価格が安かったこともあり、M男のお客様は一定数来てくれた。
しかし、それ以上に、普通のピンサロ客が流れ込んできた。
半分は説明を聞いて帰る。
もう半分は「興味がある」と言って強行突破する。
けれど、その先に理解があるわけではなかった。
こちらが丁寧にM性感をやっていても、向こうの頭の中には最初から別の遊びの設計図がある。だから、結果として残るのは「思っていたのと違う」という不満だけになる。
「口が無い」
「脱ぎもしない」
「生意気な女がついた」
そんな声が、湿った壁のように少しずつ積み重なっていった。

誤解されることは、侮辱されることと少し似ている。
こちらの意図が届かないだけなのに、まるで存在そのものを取り違えられている気分になるからだ。店はそこで、何をしている場所なのかではなく、何でないかを説明し続けねばならなくなる。商売とは本来、価値を伝えることのはずなのに、その頃のギャルズスタイルは、前提の食い違いの修復にばかり力を使っていた。

さらに、Mのお客様は来ているのに、厚木エレガンス側でキャストが全員出動していて対応できず、遊べずに帰る人もいた。店が複数になると可能性も増えるが、同時に薄さも増す。人手も集中力も善意も、広げれば広げるほど向こうが透ける。全体として、少しずつ、ギャルズスタイルは噛み合わなくなっていった。

そして痛かったのは、客に嫌われてしまうキャストが複数いたことだった。
相性で済ませられる範囲には限度がある。クレームというのは、単発なら偶然だが、重なれば景色になる。その景色が濁ってしまった店は、もう内側からも外側からも疲れ始める。
私はその疲れを、ずいぶん前から感じていた。

本当のことを言えば、ギャルズスタイルの閉店は、実際に閉めるよりかなり前から、自分の中では決まっていた。おそらく二年ほど前には、答えは出ていたのだと思う。
だが、決めることと切ることは違う。
店を閉めれば、そこで働くキャストの生活に影が差す。
その現実を前にすると、正論はいつも少し冷たすぎる。
私は結局、働いてくれている人たちを見殺しにするような気分に耐えられなかった。
それを優しさと呼んでよいのか、弱さと呼ぶべきなのか、今でも分からない。たぶん両方だろう。

昔、上司が自嘲気味に「俺、人を切れないんだよな」と言っていたことがあった。
そのときは、どこか大人の欠点を面白がるような気持ちで聞いていた。
けれど、いざ自分が同じ場所に立つと、それが冗談では済まないことが分かる。人を切れないというのは、情でもあり、責任の先送りでもあり、時にはただの臆病でもある。夜の商売は現実的であるほど残酷だが、人間の方はいつも現実的になりきれない。

結局、ギャルズスタイルは二〇二四年六月後半で閉店した。
誰か一人のせいではない。
力不足だった。
情熱も足りなかった。
そして何より、店と営業の形が、最後まで完全には噛み合わなかった。
歪んだ歯車を情だけで回し続けても、いつか金属の擦れる音だけが大きくなる。閉店とは、破局というより、その音を止めるための決断だったのだと思う。

振り返れば第二期は、海の上を歩こうとしていたような時代だった。
踏み出すたびに足元が形を変え、沈みかけては別の場所へ重心を移し、それでも岸へ辿り着けると信じていた。
激動期というのは、うまくいった時代のことではない。
変わらなければ沈むと知りながら、何度でも手を伸ばした時代のことを言うのだろう。

第三部 革命期
二〇二四年七月〜現在
そして、いま続いている第三期。
この時代を私は革命期と呼んでいる。

革命、という言葉には狂気の響きがある。
勝利のような華やかさと、改革のような高揚さを併せ持つ。
けれど、長く生き残ってきたものにとって、革命とは最も重い意志の名でもある。
ただ続いているのではない。
やめてもよい場面で、やめないことを選んでいる。
それが革命だ。

ギャルズスタイルを閉めたあと、状況は決して楽ではなかった。
むしろ、息を吸うたびに現実の乾いた味が喉に残るような時期だったと思う。それでも、この店に残る決断をしてくれたキャストさんが三人もいた。私はそのことに、いまでも深く頭が下がる思いでいる。
店というものは、人が残ってくれた瞬間に、ただの箱ではなくなる。
逆に言えば、人が去るとき、どれだけ立派な設備があっても、そこはすでに抜け殻に近い。
だから三人が残ってくれたことは、売上や数字以上に、この店にまだ血が通っている証だった。

お客様に対しても、同じ思いがある。
いまだに当店をご利用くださる方がいる。
それは、言葉にすると当たり前の感謝だが、本当は当たり前ではない。時代は変わり、遊び方も変わり、店の数も人の欲望の形も変わっていく。その中でなお、こちらを選んでくださる方がいる。
その事実は、冬の朝、凍った窓の向こうに一つだけ点いている家の灯りのように見える。大げさではなく、その小さな灯りがあるからこちらも完全には暗くならずに済んでいる。

一方で、私は自分の身体とも向き合わざるを得なくなった。
こんな体調で、完全な健康体として動けていないことが、もどかしくてならない。悔しい。早く実生活に戻り、以前のように働きたい。その思いは、晴れない空の日ほど強くなる。
病院のリハビリの時間、研修に来ていた学生さんが私を見て「自分に厳しいタイプの人ですね」と言ったことがある。
たしかにその通りだった。
けれど本当は、私はもっと面倒くさい。
無駄なところに几帳面で、無駄なところで自分に厳しい。
そういう質の悪い真面目さを、自分でも持て余している。
けれど、その持て余し方まで含めて、たぶん私という人間なのだろう。

この第三期には、第二期のような派手な店名変更も、大きな新業態の立ち上げもない。
その代わり、思案がある。
静かな時間がある。
どうすれば続けられるのか。
何を削り、何を残し、どこに有効打があるのか。
いまの私は、派手に勝つ方法よりも、静かに生き延びる方法を考えている気がする。戦い方が変わったのではなく、見るべき距離が変わったのだ。

ある程度長く店を続けていると、不思議なことが起きる。
店というのは、最初は人が無理やり動かしているだけなのに、年月が経つにつれ、逆に店の方が人の思いを吸い込んで、独自の重力を持ちはじめる。過去に働いてくれた人、今ここにいる人、通ってくれているお客様、去っていった人、それぞれの思いの切れ端が、壁紙の裏や机の角や電話の受話器の艶にまで染み込んでいく。そうして店は、単なる商売の器ではなく、記憶の容れ物になっていく。

私は、その感覚が嫌いではない。
むしろ、だがそれが良い、とすら思っている。
綺麗に整理できないものが残っている店。
合理性だけでは説明しきれない執着や愛着が、どこかにまだ居座っている店。
そういうものには、人を引き留める妙な力がある。

今の私の中では、儲けよりも継続への喜びや意地の方が大きい。
これは負け惜しみではない。
商売である以上、数字が大切なのは当然だ。だが、数字だけを見ていた頃には見えなかったものがある。続けることそのものの重み。潰さずに灯を守ることの意味。人の思いを乗せたまま今日を開ける、その小さくて頑固な行為の価値。
昔の私は、もっと結果や勢いを欲しがっていたのかもしれない。
だが今は、店が残っていること自体に、静かな誇りのようなものを感じている。

第三期とは、華やかに勝つ時代ではない。
残る時代である。
踏ん張る時代である。
そして、残ることの方が勝つことより難しいと知る時代である。

この店には、いまもいくつもの気持ちが乗っている。
だから私は、その重さごと抱えながら営業していく。
楽しみながら、と言うと少し軽く聞こえるかもしれない。けれど本当に、そういう不思議な力の中で仕事をしていると、苦しさの中にも奇妙な面白さがある。
店はもう、私ひとりのものではない。
多くの人の時間が染みた場所として、こちらの背中を逆に押してくる。

だから、これからも厚木エレガンスをよろしくお願いします。
そう言うときの私は、昔より少しだけ静かだ。
だが、その静けさの方が、今の私には本当の気持ちに近い。


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