【創作大賞2026お仕事小説部門応募作】かなめ、DXしちゃいます。- 第2話「この部署、本当に大丈夫ですか?」
桜華化学株式会社・DX推進課に着任して、三日が経った。
わかってきたことが、いくつかある。
まず、権藤課長は毎朝九時ちょうどに「よっしゃ、今日もDXしていくぞー!」と言う。
毎朝。九時ちょうどに。ほぼ同じテンションで。
次に、松川さんは権藤課長の「よっしゃ」に対して毎朝「はーい」と答える。
覇気はない。
でも、毎朝答える。
それはそれで、すごいと思う。
早乙女くんは毎朝プロテインを飲みながら「今日もいっすねー」と言う。何がいいのかはよくわからない。
そして毛利さんは、毎朝Teamsで「おはようございます」とだけ送ってくる。在宅なので顔は見えない。声も聞こえない。
でも、毎朝ちゃんとおはようと言う。
その几帳面さが、なんとなく好きだった。
かなめは三日間、ひたすら資料を読んでいた。
第一版から第三版までのロードマップ。過去三年分の会議議事録。全社アンケートの結果。システム導入の稟議書。読めば読むほど、頭に疑問符が増えた。
ただし、最初の印象とは、少し違う疑問符だった。
四日目の朝。
権藤課長が「よっしゃ、今日もDXしていくぞー!」と言ったあと、かなめのほうを向いた。
「そうだ、松尾さん。そろそろ動いてもらおうかな」
きた。
かなめは背筋を伸ばした。
「その前に、一個確認していいですか」
「どうぞ」
「三日間、資料を全部読みました。DX推進課って、けっこういろいろやってきてますよね」
権藤課長が少し驚いた顔をした。松川さんがコーヒーカップを置いた。
「まあ……うん。やってきたよ」
「Salesforceも入れましたよね。三年前に」
「入れた」
「全社展開で、かなりの予算をかけて」
「……かけた」
「今、使われてますか」
沈黙。
五秒くらい経って、松川さんが口を開いた。
「営業部の一部の人が、たまに開いてます」
「たまに、ですか」
「月一回くらい」
月一回。
かなめは資料をめくった。「SlackもNotionも入れましたよね」
「入れた」早乙女くんが引き取った。「俺が提案したやつです。最先端のツールを入れれば絶対変わると思って」
「今は?」
「Slackは……俺と毛利さんしか使ってないっす」
Teamsから通知が来た。
毛利:私と早乙女くんでDM送り合ってるだけです。実質、二人のチャットツールになっています。月額いくらだったっけ。
「Notionは?」
早乙女くんが天井を見た。
「……誰も使ってないっす」
「誰も」
「誰も。パスワード忘れた人が何人かいます」
かなめは深呼吸をした。Salesforce、Slack、Notion。名前を聞けば誰でも知っている一流のツールばかりだ。それが、誰も使っていない。
「あと、去年RPA入れましたよね」とかなめは続けた。
今度は権藤課長が天井を見た。「……入れた」
「経費精算の自動化で」
「そう」
「今は?」
「経理部の部長さんが『うちのやり方と合わない』って言って、三ヶ月で使用中止になりました」
Teamsから毛利さんのメッセージが来た。
毛利:あのRPAの設定、私が四ヶ月かけてやりました。
「……四ヶ月」
毛利:はい。導入後三ヶ月で終わったので、設定期間のほうが長かったです。
かなめはメモ帳を閉じた。
DX推進課は、何もしてこなかったわけじゃない。
むしろ、いろいろやってきた。Salesforce、Slack、Notion、RPA。世の中で「DXの成功事例」として名前が挙がるようなツールを、ちゃんと入れてきた。予算もかけてきた。
でも、ことごとく使われなかった。
これは、ツールが悪いわけじゃない。
Salesforceは世界中の企業が使っている。
Slackもそうだ。問題は別のところにある。
「課長」
「なに」
「なんで使われなかったと思いますか」
権藤課長は腕を組んだ。しばらく考えて、言った。
「……正直、よくわからないんだよね。ちゃんと説明会もやったし、マニュアルも作った。でも、気づいたら誰も使ってなくて」
松川さんが「そうなんだよねー」と言った。
早乙女くんが「俺も最初めっちゃ頑張ってデモしたんすけどねー」と言った。
毛利:私はマニュアルを全部で47ページ作りました。渾身の出来でした。
「四十七ページ」
毛利:はい。誰にも読まれませんでした。
みんな、ちゃんとやってたんだ。
かなめはそこで、最初の三日間の印象を少し修正した。
やる気がない人たちじゃない。頑張ってきた人たちだ。
でも、頑張るたびに空振りしてきた。
それが積み重なって、今の「なんとなく諦めた」雰囲気が生まれている。
これ、研究室でも同じことがあったな。
うまくいかない実験を繰り返すと、そのうち「どうせうまくいかない」という目で見るようになる。かなめにも覚えがある。
「で、松尾さん」と権藤課長が言った。「改めて聞くけど、どう思った?三日間読んで」
「正直に言っていいですか」
「どうぞ」
「使われなかった理由、なんとなくわかった気がします」
権藤課長の眉がぴくっと動いた。
「ツールを入れる前に、現場の人たちと話せてましたか」
「……説明会はやった」
「説明会じゃなくて、ヒアリングです。困ってることを聞く、という意味での」
権藤課長は少し黙った。
松川さんが「アンケートは取ったよ」と言った。
「アンケートの回収率は何パーセントでしたか」
松川さんが目をそらした。「……二十三パーセント」
「そのアンケートの結果を、ツールの選定にどう反映しましたか」
今度は早乙女くんが目をそらした。
Teamsから毛利さんのメッセージが来た。
毛利:アンケートの集計は私がやりました。でも集計結果を見た人が何人いたのか、把握していません。
そういうことか。
かなめは窓の外を見た。春の空が広がっている。
Salesforceが使われなかったのは、Salesforceが悪いからじゃない。現場が何を困っているかを聞かずに、「これがいいツールだから」で入れたからだ。どんなに優れた道具も、使う人の手に合っていなければ、ただの飾りになる。
それは、化学の実験と同じだ。どんなに精度の高い分析装置も、測りたいものに合っていなければ意味がない。
「わかりました」とかなめは言った。
「え?」と権藤課長が振り向いた。
「やってみます。ただ、今度はツールを選ぶ前に、研究開発部の人たちに話を聞かせてください。実際に使う人の声を聞かないと、また同じことになるので」
権藤課長が、ぱっと顔を明るくした。
「それ、いいね! ヒアリングね! やろう!」
この人、即断即決だけはできるんだな。
松川さんが「でも前もヒアリングしようとして断られたんだよねー」とぽつりと言った。
「断られた?」
「研究開発部の佐野部長がね、『うちの部署の業務に口出しするな』って」
かなめは少し黙った。
「……それ、今も同じ状況ですか」
「変わってないと思うよー」
早乙女くんが「俺が去年アポ取ろうとしたら、秘書さんに『部長は多忙です』って三回連続で断られましたよ」と言った。
毛利:私は四回断られました。記録更新したいです。
なんでそこで記録更新を目指すんだ。
かなめはとにかく、研究開発部に行くことにした。
その日の午後、かなめは研究開発部に顔を出した。
ついこの前まで、自分がいた場所だ。実験室の扉を開けると、試薬の匂いがした。体が覚えている匂いだ。少しだけ、懐かしかった。
後輩の高橋くんが顔を上げた。
「あ、松尾さん! どうしたんですか、DX推進課の人が来るとか珍しい」
「ヒアリングしにきたよ。データ管理について、困ってること、ある?」
高橋くんは一瞬だけ間を置いてから、ため息をついた。
「……たくさんあります」
「聞かせて」
「でも、前にもDX推進課の方に同じことを話しました。一年くらい前に。でも、何も変わらなかったので」
やっぱり。
かなめは高橋くんの目を見た。
「今度は変えます」
「……本当ですか」
「本当かどうかは、やってみないとわからない。でも、変える気はあります」
高橋くんは少し考えてから、椅子を引いた。「……じゃあ、聞いてください。長くなりますよ」
「どうぞ」
そこから一時間、かなめはひたすらメモを取った。
Excelのファイル名問題。バージョン管理のカオス。「最終版」が十五個ある問題。担当者が退職すると過去データが読めなくなる問題。似たような実験を別の人が重複してやってしまっていた問題。
そして、こんな話も出てきた。
「Salesforceって、入りましたよね」と高橋くんが言った。
「うん」
「あれ、研究開発部には関係なかったんですよ。営業向けのツールなのに、なぜか『全社導入』ってことになって、使い方の説明会に二時間参加させられて。何に使えばいいのかわからないまま今日に至ります」
「……なるほど」
「Slackも入りましたよね。あれ、私のPCに入ってます。一回も開いたことないですけど」
かなめは苦笑いした。「Notionは?」
「なんですかそれ」
「知らないですよね。わかりました」
帰りがけ、高橋くんが言った。
「松尾さん、一個いいですか」
「うん」
「松尾さんが研究開発部にいたとき作ってたPythonのツール、あれ、俺使ってましたよ」
かなめは廊下で固まった。
「……え、本当に?」
「こっそり使ってました。他の人には内緒で。なんか、新しいもの使ってるって言ったら浮く雰囲気があったので」
使ってた人が、いた。
こっそり、内緒で、使ってた人が。
そういうことか。
問題はツールじゃなかった。使いにくさでもなかった。「使ってると言えない雰囲気」だった。新しいものを試すことへの、なんとなくの抵抗感。それは、Salesforceが使われなかった理由とも、きっと繋がっている。
かなめはメモ帳に一行書き足した。
「問題は、ツールより前にある」
翌朝。
権藤課長の「よっしゃ、今日もDXしていくぞー!」が鳴り響いた。
かなめはメモ帳を開きながら口を開いた。
「課長、ヒアリングして気づいたことがあります」
「おっ、早いね。なに?」
「Salesforceが使われなかったのは、Salesforceのせいじゃなかったです」
「……うん」
「Slackが使われなかったのも、Slackのせいじゃなかったです」
「……うん」
「RPAが止まったのも、RPAのせいじゃなかったです」
権藤課長が神妙な顔になった。「……じゃあ、なんのせいだ」
かなめはホワイトボードにマーカーを走らせた。
「使う人のことを、後回しにしてきた」
しんと静まり返った。
松川さんが「……そうだね」と言った。いつもより少し、声が真剣だった。
早乙女くんが「俺、耳が痛いっす」と言った。
Teamsから毛利さんのメッセージが来た。
毛利:三年間ずっとそれが気になってましたが、言語化できませんでした。松尾さん、さすがです。
毛利:ちなみに観葉植物、水やってもらいましたか。
「やりました昨日。毛利さん、空気読んでください」
毛利:すみません。でも大事なことなので。
かなめは笑いをこらえながら、ホワイトボードを見た。
三年間、いろんなツールを入れてきた。予算もかけてきた。マニュアルも作った。説明会もやった。でも、使う人の気持ちを置いてきぼりにしてきた。
それが、全部の失敗の根っこにある。
でも、それがわかれば、変えられる。
わからないことがわかった。それだけで、三日前よりずっと前に進んでいる。
かなめは深呼吸をして、権藤課長を見た。
「次は、ツールを選ぶ前に、使う人と一緒に考えます。時間かかるかもしれないですけど、いいですか」
権藤課長がうなずいた。「任せる」
「失敗するかもしれないですよ」
「失敗ならもう慣れてる」
松川さんが「慣れすぎてるよね私たち」と言った。
早乙女くんが「慣れすぎは問題っすよ」と言った。
毛利:慣れすぎた失敗より、新しい失敗のほうがいいと思います。前進している証拠なので。
かなめはTeamsの画面を見た。
毛利さん、いいこと言う。
私、DXしちゃいます。
今度こそ、ちゃんと。
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