パンツを奉納して無人島に行こう|加太淡嶋神社・友ヶ島
東の猿島、西の友ヶ島。いずれもかつての要塞の島である。神奈川県の猿島は、横須賀から船が頻発運航されるが、和歌山県の友ヶ島は、定期4便、臨時2便である。とりあえず、9時発の第一便に乗りたいので、和歌山市駅を7時半すぎの南海加太線に乗り、加太駅に向かった。
観光客はあまりいなかった。それで安心していたが、加太港にたどり着いて、チケットを待つ観光客の長蛇の列に驚いた。乗船できるのは3時間後......。しかたない、付近を散策しようと淡嶋神社を参拝。そのときの衝撃は忘れられない。

かつは観光客で賑わった加太線
2015年のゴールデンウィークの真っ只中、和歌山から乗車した南海加太線に乗客の姿は僅かだった。

この路線は海沿いを走り、かつては海水浴輸送で賑わった観光路線ということだが、そんな華やかさは全く感じないローカル線だった。最近になって南海電鉄の公式ホームページにも、「賑わったのはかつてのこと」と言い切ってしまっている。
加太(かだ)をもういちど元気に
「加太さかな線」とは、
和歌山県と大阪府の境の海辺を走る、
南海電鉄の支線、加太線の愛称です。
加太が海水浴客などで賑わったのはかつてのこと。
当時の元気を取り戻すため、南海電鉄と沿線住民の方々が手を取り合って「観光列車で地元に元気を」は生まれました。
そんなローカル線に30分ほど乗車して終点の加太駅に到着する。

ホームは2面2線あり、駅舎も風格があって、駅前には土産物屋もあった。かつて、海水浴客で賑わっていたことを感じる。鉄道の駅というものは、たとえ輸送の規模が小さくなっても、その最盛期の姿を残しているものだ。

ここから港まで約1㎞。河川沿いの集落は、古い歴史を感じる建物が多く、大きな家も多い。全てにおいて「かつて…」という枕詞がつくが、繁栄していた街という雰囲気はある。
山口県の萩に似ているような気がする。歴史が止まってしまったかのような家並みを通り抜け、やっとやって来た船乗り場。

すぐに船に乗れるかと思っていたが、冒頭のような船を待つ長蛇の列に唖然とした。諦めようと思ったが、和歌山は東京から出直すには遠すぎる。仕方なく列に並ぶことにした。

12時の船に乗れることになったが、まだまだ時間がある。時間を潰すつもりで淡嶋神社を参拝することにした。
奉納されるパンツと人形
その光景は強烈だった。境内を埋め尽くす無数の雛人形や日本人形。ものを言わぬ彼女たちが一斉にこちらを見ていた......。

人形だけではない。招き猫や動物の置物も一カ所に集められ、じっとこちらを見ている。招き猫はなんで無表情なのだろう……。せめて笑ってくれたら良かったのに。

加太淡嶋神社は人形供養の神社としても知られていて、境内に奉納されている数は2万体にのぼるという。
雛人形や日本人形には、持ち主の魂が宿るそうだ。役割を終えたからといって、簡単に捨てるわけにもいかないので、ここに集められ、供養されているのだ。

つまり、ここには2万体の魂が集まっているということになるのだろうか。どんな心が宿っているのかわからない。霊感は強い方ではないと思うが、ここは強烈すぎた。
人形は人に見られることが嬉しいそうだ。人も人形を見て、かつて持っていた方の気持ちに優しく寄り添うべきなのかもしれない。人形の目が怖いなんて言ってはいけないのかもしれないけど......。

また、ここは女性のための神社でもある。婦人病、安産祈願のために、愛用していたパンツも奉納するらしい。さすがに、パンツは晒されていないが、なんというか......。
ここの風習を初めて知り、脱ぎたてのパンツ奉納する方もいるとか……。でも大丈夫。この神社で、祈祷済のパンツも販売されているらしい。
かつては要塞だった友ヶ島
12時、やっと友ヶ島に向けて出港だ。行く手には4つの無人島が見える。友ヶ島とはひとつの島ではなく、これらの島々を総称している。
田倉埼灯台を眺めつつ沖に出て。虎島、神島の沖を迂回しながら最大の島、沖ノ島の野奈浦桟橋に到着した。

民宿も売店もあるので、無人島という雰囲気ではない。この日は多くの人が上陸していたのだが、島が大きいので、観光客で溢れているという事はなく、快適なハイキングが楽しめた。
この島の特徴は、ここが江戸時代から大阪湾の入口を守る要衝だったことだ。

明治時代、東京湾には人工島の海堡や猿島要塞が。大阪には由良要塞が造られ、外敵に備え砲台が設置された。私はこの遺跡を見たくてこの島を訪れたのだ。
島を巡るコースは2つ。遺構を巡る3.3㎞コースと、自然散策がメインの6.1㎞コースがある。ふたつとも巡りたかったが、時間が無いので、遺構だけを巡る事にした。

海沿いを歩き、第2砲台跡を訪れる。明治時代に作られた砲台といえば、5年前に訪れた千葉沖の第二海堡でキャンプしたことを思い出す。あの島にはもう行くことができない。

いよいよ、最大の目的地である友ヶ島灯台にやってきた。この灯台は1872年(明治5年)に点灯した洋式灯台だ。この頃、私は灯台巡りに夢中になっていた。友ヶ島灯台はずっしりとしたレトロな造りで、私がもっともグッとくるタイプだ。
灯台巡りは、このような離島にまでやってこなければならない。鉄道の乗りつぶしよりも難易度が高い。その後、音を上げてしまうのだが、この頃はまだ全ての灯台を巡ってやろうという野心があった。
第二次世界大戦時も要塞だった
友ヶ島が要塞化されたのは、明治初期であった。幕末に黒船来航などで海防の重要性が高まったからである。しかし、幕末から明治時代の話ではあまりにも昔すぎて実感が湧かない。その点、旧海軍聴音所跡は第二次世界大戦の頃に造られた遺構であり、リアリティを感じた。

聴音所とは、大阪湾に進入する連合軍の潜水艦の動きを探知していた軍事施設である。戦時中も、ここは要塞だったのである。

砲台跡はまだ続く、島の中央部にある第3砲台跡および地下要塞は、この島を代表する遺跡である。地下通路には灯りが無いので、懐中電灯を持って行く事をお勧めする。

この後、探照灯跡を巡った。この付近の雰囲気は、ジブリの「天空の城ラピュタ」の世界観に通じると言われている。

第二次世界大戦の軍事遺構と聞くと、足を運ぶことに抵抗を感じる人もいるかもしれない。しかし、実際にここが戦場になったことはない。だからなのだろう。純粋に幻想的な異空間の雰囲気だけを楽しむことができた。

見所はまだまだある。少し急いで周っていると船の案内が聞こえてきた。
「これから混雑が予想されます。ピストン輸送しますが、いつ乗れるかわかりません。なるべくこの船に乗ってください」。
時刻は14時30分、上陸してから2時間たっていた。今日はこの後、和歌山線を経由して東京に戻る予定である。見所はもっとあるが、名残惜しいが、この島を後にすることにした。
今回、淡嶋神社の印象が強烈すぎたが、友ヶ島を訪れるのであれば、是非、セットで訪れて欲しい。ちなみに、パンツはその場で脱ぐのではなく、洗ったものを持ち込むのがマナーとのことである。
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