母が憎み、娘が渇望したバターケーキ
バターケーキが食べたい。
そう思い立ったのには理由がある。
恥ずかしながら、私の趣味のひとつにお菓子作りがある。やはり甘いものは脳を働かせるのに肝心であるし、作る工程は文章作りによく似ている、と最近思うようになった。
材料集め(資料集め)、手順を整える(構成案を作る)、1から作り始める(文章作成)。ほら、そっくり。
それはさておき、クッキーやパウンドケーキなどを作る際、だいたいシュガーバッター法で作ることか多い。これはバターをクリーム状になるまでふんわりと混ぜ、そこに砂糖を入れ、卵を混ぜるというもので生地作りの第一段階だ。
そう。この砂糖を入れるまでの工程でできるバタークリームが最高に美味なのだ。私はこの段階でだいたい味見する。
バターのクリーミーで芳醇な香り、そこに加わる砂糖のしみるような甘さ。むしろこれがある主の頂点。神が与えたもうた最高の食材とも言える味わい。

これを楽しみたい。延々ずっとだ。…となればバターケーキが食べたくなるのも必定。
しかし、ここで大きな壁にぶちあたる。私にとってバターケーキは神が生み出した神聖なものであっても、母にとっては邪教の食べ物だったのだ。
というのも、母の幼少から青年期にかけて身近にあったケーキはまさにバターケーキ。しかもその思い出は最悪なのだという。
母の記憶に残るクリスマスは、昭和40年頃のことになる。終戦から20年が経過したとはいえ、日本は貧しく、生クリームを使用したケーキを保管するための冷蔵庫は各家庭に普及しておらず、洋菓子店も高価な材料の入手は難しかった。そこで代替品となったのが、生クリームよりも安価で、かつ常温で保存できるバタークリーム。
作り方や細かい材料は色々あるようなのだけれど、基本はバター・砂糖・卵黄(または卵白)になる。この材料なら、よほど甘いものが苦手でない限り、美味しいと感じるものしか使われていない。ちなみに母は、昔から洋菓子より和菓子派ではあるものの、甘いものが大好きだ。
では、なぜ最悪な記憶になるほど、母はバターケーキを毛嫌いしているのか。昭和40年代、母が家族団だんのクリスマスでテーブルに囲ったのは、実はバターではなくマーガリンを使用したケーキだったのだ。
バターも高級品なので、なかなか出回らなかったらしい。しかも当時のマーガリンは、今ほど品質も良くないため、おそらくはバターのような芳醇な香りも、濃厚な味もしなかっただろう。
それが、もったりとスポンジケーキに塗られていたら…相当、胃が重いはずだ。口いっぱいに甘いだけの油のかたまりを頬ばるのは、想像でもなかなかきつい。
わたしは母に言い聞かせた。「あなたが昔食べたバターケーキは、まがい物だったのだ。今回は美味しいバターケーキをご用意しましょう」と。まがい物とはいうものの、代替品は古くから存在する。「食材Aは高くて手が出せない、食材BはAによく似ていて安価で手に入る」というようにだ。
【例①】おせち料理などに用いられる「栗きんとん」は、栗と言いながらさつまいもが多い。
→栗の黄色は金を思わせるなど、豊穣の象徴だった。しかし、さつまいもの方が安価なため代用品となる。
【例②】有名なカニかま。カニは高いが、カマボコなら量産できるというやつ。
→ 今はカニの身そのもので味や香りまでカニ…みたいなカニかまもあり本当にありがたい。なんなら本物よりこっちの方が美味しいとすら思ってしまう。
そんなこんなで今年のクリスマスはバターケーキを用意した。わたしは生クリームにはない硬い食感を楽しみ、口の中に入れても切ない別れの訪れないバタークリームを存分に味わったのだ。
けれども、材料表示をよく見るとバターではなくショートニングや植物油脂とあるのは母には内緒である。母もわたしも美味しく楽しんだので、結果オーライということで♫

