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ぐいぐい猫のメンタル日記5 自己否定という「生きたい証」

1.歌の中の救い
1994年に大ヒットした『空と君のあいだに』という曲をご存知でしょうか?中島みゆきの楽曲で、『家なき子』というテレビドラマの主題歌に使われました。

このドラマは、過酷な境遇に立ち向かって生き延びていく少女の物語ですが、非常に苛烈な描写や衝撃的な展開は社会的にも大きな話題を呼びましたね。この主題歌からは、過酷な状況に置かれている「君」に寄り添う「僕」の愛の強さと大きさが感じ取れます。「僕」とは主人公の愛犬だと言われているようです。愛犬から見ると、「君」が騙され傷つけられる様子がよく分かっていたのですね。

「君を泣かせたあいつの正体を僕は知ってた」と語る言葉には、主人公を守るために敵の懐に忍び込んで魂胆を偵察するもう一つの眼として健気に働く意思が宿っています。

中島みゆきの歌唱力が絶大で化け物レベルであることもあって、この曲が放つ凄みとエネルギーも強烈です。一方で、抜きん出た名曲でありながらも、あまりの悲壮さのせいで日常的に聴くには重すぎるという難点もありました。

では、といって他の歌手がカバーしたものを聴いても、どこか物足りなさが否めずにいました。この曲を歌いこなすには相当の歌唱力が不可欠なのは言うまでもありませんが、それだけではまだ何かが足りなかったのです。

しかし、最近Spotifyで偶然日常的に聴いても満足のいくカバーを見つけたのです。Ms.OOJAによるカバーがそれです。彼女の歌声には、中島みゆきが表現しきったような世の中の徹底した非情さと、それから「君」を守ろうとする「僕」の堅固な愛はありません。しかし、それに代わる悲壮さに加えて、微かな救いを感じさせる柔らかな響きが含まれています。とても美しく心地良い歌声で重すぎず、この曲に救済のニュアンスを吹き込みました。おかげで毎日彼女のカバーする『空と君のあいだに』を聴いています。

冷酷な世の中に生きる私たちには、救いが必要です。すがるものが。それがたとえただの歌であっても。そしてそれには少し軽めで優しく柔らかな共感が込められていると良いのかもしれません。

2.分かってもらえない孤独
メンタル疾患って理解してもらえないことが多いですよね。職場の人たちをはじめ、人事も産業医すら素人だなぁって感じることはありませんか?私の主治医(産業医の資格も持っている)も、ひとくちに産業医と言ってもメンタル分野を分かっていないヤブ医者みたいな人もいると言っていました。ついでに産業医ではなくても、精神科の看板を掲げながらメンタルについてわかっていない医者もいるのだと口を滑らせていました。

実際、脳というとんでもなく複雑な臓器を相手にしつつ、人の気持ちについての深い理解を必要とし、しかも診察の際に使う言葉をひとつ誤るだけで命に関わるほどギリギリの精神状態の患者と毎日向き合うのは、並大抵のことではありません(他の診療科が楽だと言いたいのではありません)。

ともかく、医者の中にさえメンタル疾患の辛さや患者への接し方を理解できていない人がいるのですから、医学教育を受けたこともない一般人にメンタル不調について理解してもらうのは大変な難事業です。

ただでさえ辛いのに、周囲の無理解や傷口に塩を塗るような社会の態度にさらに痛みが増すわけです。私は前職で休職し始めてすぐ、当時の上司から1ヶ月も休んだんだからそろそろ大丈夫だろと遠回しに言われて愕然としたことがあります。休職延長の診断書を提出するたびに「まだなのか」という空気も醸し出されて、とても悲しい気持ちになりました。ひたすら一日中布団の中で寝ているだけで精一杯なのに、なぜたかだか1ヶ月やら2ヶ月休んだくらいで治ると思ったのだ、と。軽んじられている、と。

まあ「周囲の無理解」といっても、ほんの些細なことでも患者本人にとっては3cmの近接距離からバズーカ砲を発射されるくらいの威力を感じてしまうので、厄介なのは確かですが。きっと当時の上司も「誤解だ、そんなつもりはなかった」と弁解するでしょう。しかしその厄介さも含めてメンタル疾患について周囲の理解を求めることの困難さは、3歳児に三平方の定理を理解させるようなものです。それならばまだ「同情するなら金をくれ」と要求した方が話は簡単に通じることでしょう。

そんな環境に一人で置き去りにされてしまって、辛さがエスカレートしていく中で自分で自分を傷つける言葉を口にしてしまう人もいるかもしれません。傍目には痛ましかったり、近づきにくかったりするのですが、しかしそれはそれで本人がダウンするギリギリのところで自分を守るために繰り出した渾身の護身術だったりするので侮ってはなりません。

ん?護身術?それはどういうことでしょうか?

3.それは護身術
心の奥底では他者と協調しのびのびと自らの人生を満喫することを望みながら、倒れているだけで何もできていない自分に不甲斐なさを感じ、周囲からも期待外れだという視線を浴び続けるというのは、二重に辛い状態です。現状の自分は、「自分自身の本心からの期待」と「社会からの期待」の双方に応えられていないという意味で二重の苦しみなわけです。

そんなとき、「本心」に逆らって「社会」からの冷淡な声に同調してみせることで葛藤のひとつを解消する、という苦しみの軽減方法はよく見られるやり方です。自虐や自傷、自己否定というやつです。「自分は社会に適合できないダメ人間だ」、「根本的に自分には欠陥があるのだ」、「自分はどこにいってもうまくやれないのだ」…。

社会と一緒になって、あるいは社会から言われる前に先んじて自分叩きをすれば、少なくとも社会の一員としての自分は保たれるように感じてしまうという理屈です。本心とは食い違いが生じますが、自分の心の負荷を少しでも軽減させるための「優しい嘘」です。

「君が笑ってくれるなら、僕は悪にでもなる」というあの『空と君のあいだに』の歌詞を思い出します。私たちの心理は、悪役を買って出て嘘をついてでも、私たちを守ろうとしてくれるのです。あなたは正しい側なのだから安心なさい、と。「ダメなのは私。社会は正しい。その認識を持っているあなたは正常で、社会の成員たる資格があります」と。健気です。

しかし当然それは極めて危ういバランスの取り方です。必然的に自分で自分を否定するという不可能犯罪に挑むことになるからです。本当はもっと生き生きと暮らしたいのにと望みながら傷つく自分と、お前はダメなヤツだと叩く自分が同じ体内に暮らすのですから、深刻な自己矛盾です。矛盾ですが、その矛盾を作動させることでどうにか延命しているのですから、無意味ではありません。もしその矛盾を認めなかったら?社会と全面対決する精神的な余裕などないはずです。決定的な破滅を紙一重のところで避けるために、人間の心はそれが矛盾だろうが何だろうが使えるものは全て使うのです。

そして、自分自身でも頭の片隅ではこの「欺瞞」に気がついてしまっています。たとえどんなに大声で「全部コイツが悪いんです!」と自分自身を指差したとしても、最後の1%のところではトドメを刺しきれないはずです。他に自分を守る手立てがないから自分を責めているだけであって、他に救いの道があるのならそちらを選びますもんね。すなわち、最後の1%のためらいこそ自分自身の本心です。そしてそのためらう本心の存在に自分自身でも気がついていて、社会の声を徹底できない自分に情けなさを感じてしまったりもします。

「消えてしまった方が自分にとっても社会にとっても良いことのはず。けど、消えきれない」、「そんな勇気もない」、「どこまでいっても本当に情けないやつだ」…。ええ、そりゃ、そうでしょう。人間、本心でもないことに勇気なんて湧くわけがありません。今すでに必死になって社会の側のフリをしつつ自分の本心をかくまっている時点で、莫大な勇気を使っているのです。そんな「敵を欺くための方便」ごときのために、真の勇気など1mgたりとも無駄遣いできるはずがないのです。

スパイみたいですが、メンタル疾患の患者本人にとっては本当にそれくらい逼迫した精神状態です。敵国に自分の身ひとつで潜入しているのと同じなのです。だからこそ下手に追い詰めると、スパイが本国を守るために自らの命を犠牲にするように、「本心を守るために自らの命を投げ捨ててしまう」という悲劇が起きてしまうのです。「死ぬ死ぬと言ってる奴に限って死なないから」などと軽々しく口にしてはならない理由がここにあるって、分かりますよね?「お前はスパイだ」って名指ししているようなものですからね…。

4.本心のかけらを信じよう
ねじれて、歪んで、無理して、嘘までついて、私たちの心は私たちの延命のためにあらゆる手を打ってくれています。私たちは自分の本心すら正しく理解できず勘違いしてしまいますが、それでも心はずっと私たちのそばにいて、すさんだ瞳で強がる私たちを慰め、いくら振りはらわれても絶対に裏切ることなく、うつむく私たちを笑わせようと必死に働いてくれるのです。

私たちメンタル不調者の極めて扱いにくい厄介さは、私たちの心が私たちを思う優しさゆえのものかもしれません。それは無駄なものではなく、ただ面倒臭いものでもありません。もしかしたらそれは完璧なものではなく、単なる対症療法や時間稼ぎにすぎないのかもしれません。一人のスパイが紛争を解決するほどの決定力を持たないように、問題を根本から解決するものではないのかもしれません。それでも一人のスパイが破滅の回避に一役買ったのなら、それは大金星に他なりません。

もしそうしてメンタル患者の「スパイ活動」の功績が認められて国家予算が付けられたら、私たちのカウンセリングルームにはフリードリンクとふかふかのソファが並ぶことでしょう。もはや「同情するなら金をくれ」とは叫ばずとも問題が解決します。

それはともかく、真の大きな問題の解決には時間がかかるものです。少しずつ一歩ずつで良いのです。時にはゆっくり休んでエネルギーを回復させる時間も必要です。すぐに全てが解決しなくても、それは自分の出来の悪さを意味しません。単に出題されている問題の難度が高いだけのことです。他の人と比べたり、社会の中の「普通」を参照しても、そこに答えはありません。焦らずひとつひとつできることをやっていけばそれで十分なのです。チャールズ・チャップリンもこう言っています。「最初から多くのことを成し遂げようとして極端な努力をすると、たちまちのうちに全てを放棄することになる。」と。一歩ずつ、が大事です。

そうしているうちに、きっと少しずつ気持ちも楽になっていくはずです。ひとつひとつ無理も解消していくはずです。自分で自分を責めてしまう時というのはとても辛い気持ちがしますが、自分の心が私たちを守ってくれているのだと思ってみると良いでしょう。自分を責める言葉というのは触れるだけでも苦しいですが、なるべく書き出して自分の体外に置いておきましょう。スマホにそっと一言だけメモをするだけで構いません。そして「これは護身術だ」と書き加えれば完璧です。しっかり護身術として機能するようになります。

そして、1%の本心がもし見えたなら、ぜひそれも書き留めておきましょう。そして「本当は安心したい」「自分を愛せればベスト」と書き加えられれば最高です。たとえそれが断片であったとしても、書いていくうちにだんだんと自分の進むべき道が見えてくるはずです。道が見えてきたら、今度は迷うはずです。本当にこちらの道を進むべきだろうか、勘違いなのではないだろうか、もう遅いのではないだろうか、やっぱりやめておいた方が無難ではないだろうか、と。軌道修正はいつでもできます。真に進むべき道なら、何度でも挑戦の機会は訪れます。だから気楽に選べば良いのです。

そして何より、1%の本心を失わずに生きているだけですでに快挙を成し遂げています。多くの人が社会と同化して己が何者かを忘れているという中で、これは偉業と呼ぶに相応しいことです。辛く悩み深い状況ですが、誇りを持って良いことです。自分で自分を責めてしまう辛い日々というものは、素晴らしいあなたを呑み込もうとする巨大な怪物から守るためにやむをえず選択されたカモフラージュだと思ってください。たとえ空があなたに冷たい雨を降らそうとも、本当はあなたはかけがえのない素晴らしい存在だということをいつも思い出してください。

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ということで今回はここまでです。いかがでしたか?

ちなみに、冒頭にご紹介したMs.OOJAは、くしくも『家なき子』の主役を務めた安達祐実と同世代です(安達祐実より1歳だけ若い)。よりドラマの主人公に近い立場で物語とその主題歌を受け止めて消化した上でカバーに挑戦したのだろうと、私は想像しています。また、Ms.OOJAはデビューが遅かったそうです。私が彼女の歌唱から感じ取った微かな希望と救いは、遅咲きで人生の苦労を知っている彼女だからこそ可能な表現だったのかもしれません。皆さんもぜひ一度、聴いてみてください。「溢れるほどの大きな希望」や「まばゆいほどに輝く救いの光」ではなく、本当にわずかでかすかな希望ですが、人生に傷つき疲れている人には十分温かな救いになるはずです。よければ感想も教えてください!

それでは次回も楽しみにしていてください!

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