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氷河期世代AD、テレビの片隅で。#17「29歳無職、父からの100万円。これで最後にしよう」

特番、特番、携帯電話の動画、
それでなんとか食つなぐ毎日。

気づけば、
ずっと編集室にいた。

でも当然、
フリーになったばかりの僕には、
全然実力がなかった。

ある特番でのこと。

僕は必死にVTRを作っていた。

三日間ほぼ寝ずに、
オフライン編集をしていた。

やっと一本つながった。

で、テレビ局員のVTRチェック。

不機嫌そうに言った。

「全然おもしろくない。
 意味わかんない。」

そして次の瞬間、
編集用ハードディスクを、
パソコンから引っこ抜いた。

データが全部消えた。

僕は、
一瞬何が起きたのか分からなかった。

でもその局員は、
別に大声を出すわけでもなく、
普通の顔をしていた。

たぶん、
“教育”
みたいな感覚だったのだと思う。

怖かった。

別の日。

夜10時に、
「VTRチェックするから
編集所で待ってて」
と言われた。

僕は編集室で待っていた。

でも来ない。

深夜2時になっても来ない。

朝になっても来ない。

携帯に連絡もない。

結局その局員が来たのは、
次の日の午前11時だった。

13時間遅刻である。

でも、
謝罪はなかった。

むしろ少し不機嫌だった。

そして始まったVTRチェック。

「これのどこがおもしろいんだよ」

そう言いながら、
髪を掴まれた。

まあ、でも完全に僕の実力不足。

今見返したら、
確かに面白くないVTRも多かったと思う。

フリーになってからも、
僕はずっと惨めだった。

当時の僕には、
“テレビ局員”
という肩書きが、
すごく大きく見えていた気がする。


仕事はどんどんなくなる一方。

そしてフリーランスは不安定だった。

仕事が終わっても、

なかなかギャラが振り込まれないこともある。

実際、

ある制作会社の仕事では、

何か月待っても入金されなかった。

確認すると、

「もう少し待って」

と言われる。

さらに待つ。

また待つ。

そしてある日、

社長と連絡が取れなくなった。

会社はそのまま倒産した。

僕のギャラも消えた。

もちろん、

生活は待ってくれない。

家賃も払わないといけない。

駐車代も払わないといけない。

気づけば、

通帳の残高はどんどん減るばかり。

特番は終わった。

携帯コンテンツの仕事も終わった。

次の仕事は、なかなか来なかった。

気づけば、何か月も、ほぼ仕事をしていなかった。

29歳。 

無職。

なのに、外車のSUVに乗っていた。

かなり痛いヤツである。

貯金は、たしか2万円を切っていたと思う。

家賃は7万円。

恵比寿だった。

駐車場代は4万円。

冷静に考えると、
かなり意味不明だった。

でも僕は、なぜか車だけは手放せなかった。

車を売れば、少しは楽になったと思う。

でも、売った瞬間、

「もう終わりです」

と、自分で認める気がした。

だから持ち続けていた。

たぶん僕は、

外車に乗りたかったわけじゃない。

“まだなんとかなる自分”

を手放したくなかったのだと思う。

仕事もないので、ロケ弁もない。

当然、冷凍弁当もない。

僕はカレーを大量に作った。

母や祖父母が送ってくれた米と野菜が、ほぼ命綱だった。

それを毎日、少しずつ食べていた。

テレビ業界で夢を追っているはずなのに、

生きているのは、東北の農家のおかげだった。

かなり痩せていたと思う。

祖父母と寿司を食べた時以来、
消費者金融へ行くかどうかも迷っていた。


そんなある日。

父が出張で東京へ来た。

久しぶりに会う父は、
あまり変わっていなかった。

その日は、焼肉をご馳走してくれた。

久しぶりに、ちゃんとした肉を食べた。

焼肉屋で父が聞いた。

「フリーはどうなんだ?」

僕は言った。

「ADの頃よりお金もらえるし、
いいよ」

完全に嘘だった。

でも、

「仕事ない」

とは言えなかった。

僕は長男。

たぶん両親は、

地元で就職して、

普通に結婚して、

普通に暮らしていくものだと思っていたと思う。

就職活動の時には、

就活用のスーツも買ってくれた。

「いい会社に入れるといいな」

そんな期待もあったのだと思う。。。

実は父も若い頃、

集団就職で東北から上京したことがあったらしい。

でも、

東京の生活は合わなかったそうだ。

数年で地元へ戻り、

そのまま東北で働いていた。

だからなのか、

父は僕にも、

東京なんか行かずに、

地元で働いてほしかったのかもしれない。

でも僕は、

その期待に応えられなかった。

就職活動は全滅。

結局、

憧れだったテレビ業界へ入った。

それも、

社員ではなく、

アルバイトのADとして。

それでも父は、

僕がテレビをやりたいと言った時、

反対はしなかった。

本当は心配だったと思う。

自分が一度離れた東京へ、

息子が行くのだから。

しかも、

テレビ業界なんて、

何をやっているのかよく分からない世界だ。

それでも上京した時は、

夢を追っているという気持ちがあった。

でも今は違った。

番組は終わった。

仕事もない。

無職だった。

そんな父に、

「実は今、無職なんだ」

なんて言えるはずもなかった。

30歳手前で無職になりかけている姿を

見せたくなかった。

その日は僕の家に泊まり、
次の日に父は帰っていった。。。


その夜。

父から電話が来た。

「口座に100万振り込んだから」

僕は、一瞬意味が分からなかった。

父は、あまり細かいことを言う人じゃない。

だから逆に、全部気づいていたのだと思う。

部屋の感じ。

僕の顔。

冷蔵庫。

たぶん全部。

地方の普通のサラリーマンだった。

別に裕福な家でもなかった。

その父が、30歳手前の息子に
100万円を振り込む。

かなり情けなかった。

でも、ありがたかった。

電話を切ったあと、思った。

このお金が尽きたら、

もうテレビの仕事は辞めよう。

たぶん僕は、

人生で初めて、

本気で終わりを考えていた。


#テレビ業界    #創作大賞2026  
#お仕事小説部門 #実話


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#18  「逆・年齢詐称の経歴書を持って、伝説の制作会社へ」

仕事もなく、毎日ひたすらテレビを見て研究した29歳。
そして僕は、人生を変えるために"盛りすぎた経歴書"を持って、
憧れだった制作会社の面接へ向かいました。


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『氷河期世代AD、テレビの片隅で。全話まとめ』

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