#noteの書き方|文章を「書く」という楽しみ
「書いて公開するとそれはとたんにPVの奴隷になる。」
やまだくにあきさんのエッセイを読んで、苦笑いした。
書くことは、楽しい。
たぶん。
いや、楽しいはずなんだけど、最近それがよくわからなくなってきた。
noteを始めたのは、頭の中を整理したかったからだと思う。昔から考えてもどうにもならないことをひたすら考えて、納得する答えを出すことが好き、というちょっと変わった癖がある。これは答えを出すまでが楽しいので、自分で答えが見つかればそれで終わり。コンプリート。考えることはなんでも良くて、ゼリーとプリンの境界線、でも、AIに感情が芽生える条件、でもいい。考えてなにか答えが出れば満足、という特に生産性のない遊び。まあ遊びに生産性はいらんだろと思ってるからそれでいい。
なにか考えたいとき、文章を書いていると、少しずつ考えがまとまっていく。書くことが楽しい。手書きは字が汚いから嫌いだけど、タイプする文章はその劣等感もないから好きだ。そういえば習字が苦手で本当に嫌いだった。みんなの作品が教室の後ろに貼られるやつ。自分のだけなんか違う。あのちょっと嫌な感じがずっとある。その点、パソコンだときれいなお気に入りのフォントが並ぶから、実に気持ちよい。
空白に文字を置いていって、取り留めないものがすこしずつ形になっていく、あの過程が好きだ。その並んだ文字の意味を考えていくと、突然何かがつながって、新しい発見につながったりすることもある。それも楽しい。ジグソーパズルで何気なく手に持ったピースが、偶然試したら意外なところと「パチっ」と繋がる。そんな喜びがある。
でもそうやって書いた文章を、noteで公開するためにまとめていくと、最初は構成を考えて、導入を工夫して、行間を読みやすく整えて、普段自分があまり使わないような文末で締めて。……とか気づいたら「読まれる文章」を設計してる。書いてるんじゃなくて、作ってる。
なんでだ。ちょっと待ってくれ。いっかい思いとどまろう。
これ、思考の家具化だと思う。
頭の中にあったぐちゃぐちゃを、人に見せられる部屋に並べ直す作業。なんか恥ずかしいから片付けちゃって、整っては見えるけど、元のぐちゃぐちゃの方が自分らしかったりする。最初に書いたメモみたいな文章の方が、整えたあとより熱がある。
どうしてこうなる。

そんな思いがあって、やまだくにあきさんの記事を読んで、苦笑いした。
こうして「書く」ということは、ただただ「楽しい」はずなのに、書いて公開するとそれはとたんにPVの奴隷になる。不思議。楽しかったのに、普段10000PVだったのが3000PVになるだけで「ダメなもの」になる。
さすがに10,000PVとか知らない世界なので、ちょっと違うのかもしれないけれど、PVで品質が評価されると感じてしまう部分は近い。楽しく書いた文章をよく見せようと整理していくと、そのうち書きたいのか、読まれたいのか、自分でもよくわからなくなってしまう時もある。たくさんの人に見てもらいたい気持ちがあるから、文章を住む部屋からモデルルームに作り変えてしまうのかもしれない。
もちろん書きたい話題は吟味するし、想いがあって書き始める。そんな文章をざっと書いた後で、AIと対話しながら整えることは、もう普通だと思う。でもそれをやり続けていくと、書いたのか、出力したのかわからなくなる。
文章を書くのが楽しかったのか、効率化が楽しかったのか、なにかを届けたかったのか、きれいな見た目を公開したかったのか。あげくの果てに「そもそもなんでこの文章書いたんだっけ?」とか思い出す。
最初に書いたメモみたいなきったない文字にあった熱量が、整えるたびに少しずつ冷えていく。最後は、ここにこう書かなきゃいけない、そういう決まりだからみたいな感じになって、自分の熱量も消えていく。
AIで消える情報
ここでもうひとつ紹介したい。
同じくやまだくにあきさんのビデオポッドキャスト『かくじかん』、エピソード「AI時代に『要するに』と言う人が嫌われる理由と、やめたら起こるいいこと」より。
詳しくは動画をみて欲しいのですが、書き手や表現者が大切にしている「割り切れない感情や曖昧さ、迷い」といったノイズを、安易に「要するに」という言葉で一般論にまとめ上げてしまうことの暴力性と、それをやめるべき理由について語られています。と書くこと自体も要約になるので、本当に動画をみて欲しい気持ちでいっぱい。
ではどのくらいAI要約によって情報が失われるのか?
メロスは、また、よろよろと歩き出し、家へ帰って神々の祭壇を飾り、祝宴の席を調え、間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。
眼が覚めたのは夜だった。メロスは起きてすぐ、花婿の家を訪れた。
走れメロスの「深夜の目覚め」の場面、メロスの疲弊と使命感の対比が静かに描かれています。
これを以下の文でAIで直します。ChatGPTでやってみましょう。
<プロンプト:いまnoteに掲載する文章を作成しています。以下の文章を読者に内容が伝わるように整えてください>
メロスは再び、よろよろと歩き出し、家へと帰った。そして神々の祭壇を飾り、祝宴の席を整えると、ほどなくして床に倒れ込むように横たわり、呼吸も感じられないほどの深い眠りに落ちた。やがて目を覚ましたのは夜のことであった。メロスは起きるやいなや、花婿の家を訪れた。
わかりますかね?表現が説明的になっていること。リズムが変わっている。
もう一回だけやります。今度は文章量を調整します。一度変えた文章から、上書きで2度目です。
<プロンプト:次にその文章を読者に要点が伝わるように文章を半分にしてください>
メロスは家に戻り、祭壇と祝宴の準備を整えると、そのまま深い眠りに落ちた。やがて夜に目を覚まし、すぐに花婿の家を訪れた。
原文は「読者の体に訴える」文章で、AI版は「読者の頭に伝える」文章。情報は残っています。ただ、感覚や感情の体験が消えている。
書く楽しみ
「書くのは自分だけやれ」ってことではないけど、どこにAIつかうかってところは、まだ工夫が必要なんだろうね。
書くことが楽しい。
だからそこはAIにまかせない。
自分もそんな気持ちで、まず書くことを楽しもうと思う。


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