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「穏やかだった」と聞き、安堵を覚える夜

切っ掛けは些細な言葉のキャッチボール。

歴史が好きな少年が
京都の親戚と口約束を交わし
途方もない冒険を行う。

「高校生になったらチャリで行くから」
「楽しみにしてる」

そんな感じだったと思う。


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夫婦で楽しむ旅行記


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修学旅行の定番

私が生まれ育ったのは九州のとある県、とある市。
中学生の修学旅行と言えば
京都・奈良・大阪が
定番だった。

歴史好き、しかも坂本龍馬が好き
幕末には心が躍る。
だから京都はじっくり見てみたい。

だけど現実は残酷。
京都で自由に見たのは
二条城のみ。
あとは何故かひたすら歩いていた。

そんな事があり心の中でずっと
「必ず一人で京都へ行く」
そうだ、京都へ行こう
どこかで聞いたキャッチコピーのように
胸に秘め日々は過ぎていく。

中学3年の夏休みだったか
京都の叔母家族が帰省旅行で来ていた。
母の姉にあたる叔母だが
何故か通ずる物があり
よく話をした。

高校に合格して
自転車を買って貰ったら
京都に行くから!

そんな話をし、その時は別れた。
誰も本気に捉えている人間はいなかったが
私だけは本気だった。


高校合格と自転車

高校には合格した。
最終段階で志望校を変え
さらに狭き門にチャレンジし
見事合格したのだが…

普通の進学校に通って欲しがっていた
親と大げんかし
ぶち切れられ、呆れられ
結局、自分が我を通した形に収まった。

でも、合格した祝いに通学用の自転車を
買って貰う約束は生きており
普通の通学用シティサイクルではなく
スポーツタイプを指定した。

ドロップハンドルの18段変速タイプ
ただ、一応通勤通学用なので
よくあるスポーツ車ではなく
形がそれらしいというだけだが
とても嬉しかった。

翼は手に入れた。
あとは体力。
高校入学して
片道10キロ以上ある通学路を
毎日ほぼ全力で走り
20分くらいで行き来していた。

元々足腰は武道で鍛えていたから
呼吸やドライビングを身に付ければ
計画は進められると思っていた。


いざ、京都へ

そこから色々あり
詳しいことは割愛するが
夏休み、8月1日
最低限の荷物を積み
京都へ漕ぎ出した。

大分県を出て福岡県へ
関門を渡り瀬戸内側を走るルート。
何度も地図で距離を測り
1日で走るルートを決め
イメージトレーニングを重ねた。

1日目の夕方に関門海峡を渡り
そこで宿を探した。
宿探しを手伝ってくれた大学生と
宿の風呂で一緒になった大学生と
結局3人で関西まで走ることになり
大学2年生、3年生と高校1年の自分
体力差はあるし、経験も違う。
だけど一緒に走ってくれた。
一緒だったから京都まで行けたと
今でも思っている。

広島での宿泊

2日は防府
3日目は広島だった。

広島には親戚がいる。
祖父の兄弟(大叔父)の家族だ。
自分からするとはとこに当たる
ちょっと年上のお姉さん。
小学生の時に遊びに来て
ローマ字を教えて貰った記憶があり
それ以来会ってはいなかった。

だけどもその縁があり
毎年、年賀状と暑中見舞いを交わし
線は切れずにいたのだ。

行く前にはとこに電話し
広島を通るかもしれないから
何かあったら頼らせて
と厚かましいお願いをしておいたのだ。

道連れが増えて
しかも宿泊をお願いするなんて
厚かましいにも程があるだろう
と思っていたけど
ちょうど、その年は渇水で水不足。
安宿も休みのところが多かった。

電話でお願いし
泊まらせてくれこととなったのだ。

大叔母が待っていて
ここまでの話を聞いてくれて
コテコテの広島弁で
話を盛り上げてくれて
近所の中華料理屋で
ご飯も奢ってくれて
水不足で取水制限掛かっているのに
お風呂にも入らせてくれて…

終始ずっとニコニコで
朗らに温かく迎えてくれた。

翌る日、見送りに出てくれた
大叔母とはとこ。
手を振りながら「頑張れ」と
放たれた言葉に背中を押され
ちゃんと走りきることが出来た。

30年以上昔の話だけど
今でも覚えている。


母親からの電話

思考を現代に戻す。
昨日、夕方の散歩も終わり
風呂に入りアニメ鑑賞をしていた。

LINE通話の着信が鳴る。
母親だった。
舌打ち1つ、通話ボタンを押す。

ボタンを押す前から
何となくだが、分かっていたんだと思う。

「広島の大叔母が亡くなった」

それに対し
ああ、そっか。
としか答えなかった。

はとこから連絡があり
「林冲(私)にもよろしく伝えてくれ」と
言われたけど
あんた繋がりあったの?

(自転車旅行の時に泊めて貰ったわ)

「そんなこと忘れてたわ。
 家族葬だから参列はお断りだそうだよ」

という話で電話を切った。
30年以上前のことだし
親が細かいことまで覚えていると
期待はしてないけども。


人の生き死に
大きく心を揺らされることはない。
忘れてしまえば、生きていても存在は消える。
忘れなければいつまでも生きている。

ここまで長々と語ったのは
故人のことを語る言葉を
私が多く持っていないからだ。
ただ、私の人生に
大きな火を灯し、人情を育んでくれた
大事な思い出だったのだ。

最後は膀胱ガンの末期で
緩和ケアに入っていたそうだが
最期を穏やかな顔で迎えたそうだ。

それを聞いて
死に様には、その人の生き様が
でるんだろうなと
なんとなく、そう思った。

安らかであれ、大叔母。
またいつか、会いたいなぁ。



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