見出し画像

「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」

この記事は、『安っさんのこんな本を読んだ 番外篇』というマガジンに分類します。

━━━━━━━━☆━━━━━━━━

11月24日の記事の最後に、「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」ということばをあげました。私の場合はどうだったか。

なんのために生まれたのか

私の場合、家(店)を守るために生まれてきたと言わざるをえません。

中学の頃までは比較的自由に育っておりました。自由にというよりは放任です。

勉強は好きな方で、高1までは理系志望でした。しかし、親の反対で文系に変更することに。理系への無理解もありましたが、このころから店を継ぐことへの思惑があったと思います。

家族(大家族だったのです)に大学に行った者がいなかったこともあって、進学も文系だったらどこでもいいという感じででした。

本当は学問の道に進みたかったのですが、これも親の反対で就職することに。

大学卒業後、金融機関に就職。ほどなくして、帰ってきて店を継いでくれが始まりました。しかし、その会社には17年もいることになります。

望んで就職したわけではないので、最初のころは荒れておりました。しかし、そのうち仕事もおもしろくなってきます。辞める前には大きなプロジェクトを任されており、これに時間がかかりました。なかなか辞められなかった理由です。声が小さかったので、出世はできませんでしたが。


なにをして生きるのか

「なにをして生きるのか」ということばには、「どう生きるのか」ということばにくらべ、倫理的なひびきが少ないように思えます。どちらかといえば、自分に何が向いているのか、何をしたいのか、何が人の役に立つのかということになります。「どう生きたか」という評価はあとになるかもしれないし、死後かもしれない。いまは評価は問わないということ。

私の場合は年齢上「なにをして生きるのか」というより、「なにをして生きてきたのか」ということになります。

故郷に帰ってきたら、父親(社長)はアル中。経営はグダグダ。大変なことになっておりました。さらに、帰ってきて2年めには父が倒れます。

経営の立て直しをしなくちゃならんのですが、店員は父の弟・妹ばかり。私からいえば全員おじ・おば。高給取りなのにいうことをきかない。それはそれは大変でした。

それでも、後半のネットショップの期間も含め25年店を続け、店員には全員高額の退職金を支払って閉店することができました。本音をいえば、父の代で清算しておいて欲しかった。

一方、倒れた父の看病・介護に10年。私一人がみたわけではありませんが、店の仕事をしながらでしたので、大変でした。また、妻の父も高齢であり、同時にいろいろなことが起こってきます。こちらは主に妻の負担でしたが、私も関わることも多かった。

二人の父親を見送ってからほどなくして、妻の母が認知症を発症しました。妻の負担が一気に大きくなります。

一方、私の母も、閉店前には認知症の兆候が見え、私が一人でみる他はなく、それもあって閉店を決断した次第です。

母の介護を始めて10年たったところで私がガンの手術を受け、母には施設に入ってもらいました。


私はどう生きたのか。

やりたいこともないわけではなかったが、店を継ぐことを前提とした前半生。店は父の兄弟ばかりのなかで四苦八苦し、恨みごとを言われ、中傷され、何のために懸命に働いているのか。

父を初めとして、およそ40年にわたる看護・介護。あげくのはては自分のガン。やれやれ。

私は人のために生きてきたという他はありません。苦労自慢をしたいわけではありませんが、これが私の人生でした。大変だったけど捨てたものじゃなかった。


まだ終わったわけではありません。二人の母親は施設のなかで生きている。妻は体調がよくありません。まだ死ぬわけにはいかない。


じゃあ残りの人生、自分のためにはどうやって生きていけばいいのか。そこには本があると思うのですが、その話はまた別の機会に。



***

『安っさんのこんな本を読んだ 番外編』はこちら

私のスキ・フォローのついてのポリシーはこちら


━━━━━━━━☆━━━━━━━━