アホウドリの空〜自衛隊ラブストーリー〜【第七話】じっとこらえてゆくのが男の修行である。 ③
【第七話】じっとこらえてゆくのが男の修行である。 再び、連合艦隊司令長官 山本五十六 ③
「夕陽? どうした?」
突然泣き始めた夕陽に動揺する彼。だめだ、もうこれ以上は止め切れない。
「あたし、あたしね……敏生のことが……」
「タンマ。今その先は言うな」
「え……?」
「俺は弱みにつけ込んで夕陽をモノにするような真似はしたくない」
「弱みって……」
「今の夕陽は、病気で弱っているところを優しくされて揺らいでいるだけ」
「そんなこと……」
ない、と言いかけて口を噤む。彼はまだ知らない。とうの昔に夕陽が彼への恋を自覚しているということを。
「俺は好きな女の子のことが心配で様子見に来ただけだ。それ以上の下心はない」
敏生の手が頬に添えられ、親指でそっと涙を拭ってくれる。
「初めて会った日に言っただろ? 夕陽のこと正々堂々と口説き落としてみせるって。だから早く良くなって」
少なくとも自分の前ではどこまでもまっすぐな男。でもずるい。あたしだってこの溢れる気持ちは吐き出したい。
「ん? 何か言った?」
「ううん……。じゃあ、せめて何かお礼させて」
「いいよ、お礼なんか。俺が好きで押し掛けただけだし」
「でも……」
縋るように敏生を見つめると、彼は柔らかな笑みを口元に浮かべた。
「じゃあ再来週の金曜日、夕陽のクリスマス・イブを俺にちょうだい」
「え?」
「その週は浜松に出張だけど、金曜日の夕方には戻って来られるからさ」
いかに奥手な夕陽であっても彼の意図は充分に理解できた。この関係を自然な形で前へ進めるのに最も適した日。もちろん、夕陽にとってもそれは望むところだ。だから。
「……イブ、だけでいいの?」
拗ねたように首を傾げてみせる。
「それって……」
すごく遠回しな決意表明だったが、百戦錬磨の彼は心得てくれたようだった。
「じゃあクリスマスもいただきます」
「……ん」
おどけて小指を絡める二人。茶化さないとお互いどうにかなってしまいそうだった。でも、この日に限ってはいつになく夕陽の方の抑えが利かなかった。
「敏生」
「うん?」
夕陽は口元に耳を寄せてきた敏生の襟を掴むと、グッと引き寄せて彼の頬にキスをした。
「……これもお礼。今日は来てくれてありがとう。すごく嬉しかった」
予期せぬ突然の奇襲に、驚きのあまり目を丸くして夕陽を見つめる敏生。やがて理解が伴ってくると、相好を崩し、ぽりぽりと頭を掻いた。
「えへへ。俺、なんか幸せだー」
「あたしも……」
そう言うと夕陽は急に恥ずかしくなり、布団を引き上げて顔を隠した。
「さ、食べちゃおうぜ」
「うん」
それから敏生はしばらくそばに寄り添ってくれて、お互いの行きたい場所やお店などをとりとめもなくおしゃべりした。病床ながらそれがとても楽しくて幸せで。
ふと気がつくと既に夜の八時を回っていた。
「おっと、もうこんな時間か。じゃ、帰るわ。大人しく寝ているんだよ? 明日も課業後に寄るからさ」
「うん……」
ベッドから這い出し、玄関先まで彼を見送る。
「おやすみ、夕陽」
彼は夕陽の頭を愛おしそうに撫でると、振り切るように部屋を出ていった。パタンと閉まるドアの音が切なくて、夕陽の目にうっすらと涙が滲んだ。
*
ここなら大丈夫かな?
キョロキョロと辺りを見回し、人気がないことを確認すると、夕陽は地面に腰を下ろして手提げ袋から必要なものを取り出した。
十二月も半ばに差し掛かろうとしているが、陽射しが温かく、心地よい。休憩時間終了まであと三十分。気合を入れて作業に取り掛かる。夕陽にとっては初めてのことだったが、始めてから三日も経つと、コツも掴めてだいぶ慣れてきた。鼻歌交じりに手先を動かす。
敏生、今頃どうしているかな?
空自からの要請で、パイロット育成を担う浜松基地に二週間弱、臨時教官として出張中の敏生。インフルエンザから復帰して、敏生と一緒に飛べたのはたったの一日。考えてみると、彼と出会ってから十日以上も会えないのは初めてのことだ。
今では、彼とはコミュニケーションアプリでも頻繁に連絡を取り合っているし、夜もどちらからともなく電話をしている。
でも……足りない。そばに居て欲しい。
手元を止め、彼の顔を思い浮かべる。
「会いたいな……、敏生……」
誰もいないのを良いことに、声に出して呟く。信じられない。まさか、自分にこんな乙女な一面があったなんて。
「あれ? 夕陽さん」
突然降って来た声に、夕陽は慌てふためいた。
「みっ、美鈴ちゃん!?」
「こんなところで何しているんですか? あれ? それ……」
見つかってしまった。察しの良い彼女に言い訳は通用しない。ここは無条件降伏あるのみだ。
「えっとね、その、敏生と約束したの。クリスマス・イブ……一緒に過ごそうね、って」
夕陽が顔を真っ赤にして俯きながら話すと、美鈴の顔がみるみる輝いた。
「うそー!? きゃーっ! ついにですかっ!?」
興奮した美鈴が、夕陽に飛びつくようにしゃがみ込む。
「じゃあ、それは愛しの彼へのクリスマスプレゼントってわけですね?」
「う、うん……。変、かな?」
「そんなことないです! すっごく素敵です。門真一尉は夕陽さんがくれるものなら何でも嬉しいと思いますよ」
それから美鈴はニヤッと笑うと、夕陽を覗き込んだ。
「でもまあ、一番欲しいのは夕陽さん自身だと思いますけどねー?」
「ちょ、ちょっと美鈴ちゃん、言い方いやらしい」
えへへー、と舌を出し、額に手を当てる機付長。
「覚悟、出来たんですね?」
「うん。でも……」
「でも?」
美鈴から視線を逸らし、手元を膝に落とす。
「まだ、不安なんだ……。敏生とそういうことになったとして、あたし、どうなっちゃうのかな、って。今ですら彼のことで頭が一杯なのに、自分を抑えられるか自信が無くて。あたしは戦闘機パイロットなのに……」
「でも好きなんですよね?」
「う、うん」
美鈴の眼光に気圧され、頷く。
「だったら無理に恋愛感情を押し止める必要なんて無いんじゃないですか? 恋人同士になってからでもお互いを高め合うことは出来ます」
確かにその通りだ。少なくとも敏生のストイックさを考えると、二人で身を持ち崩すことは考えられない。一体、自分は何に怯えているのだろうか。
「大丈夫ですよ、お二人なら。あたしが保証します。だいたい、今だって十分恋人同士にしか見えないですけどー? あれで付き合ってないっていうのが信じらんないです」
やれやれ、といった様子で肩を竦める年下の親友に苦笑する。
「ありがとう、美鈴ちゃん」
彼との未来がおぼろげながらも描けた気がして、夕陽は手元の作業を再開した。
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