アホウドリの空〜自衛隊ラブストーリー〜【第八話】可能なら実行する。不可能でも断行する。 ①
【第八話】可能なら実行する。不可能でも断行する。 フランス陸軍軍人 マルセル・ビジャール ①
「やーん! 可愛い!」
夕陽の甘ったるい声が病室に響き渡る。土曜日の昼下がり。腕の中には生まれて間もない赤ん坊が気持ち良さそうに寝息を立てている。
「夕陽ちゃん、抱っこ上手いのね?」
「あー。昔、従姉の赤ちゃんを良く抱っこさせてもらっていたので」
顔を寄せ、つんつん、と軽く赤ん坊の鼻の頭をつつく。
「おなまえは姫子ちゃんでしたっけ? ひーめちゃん。かわいいでちゅねー、べっぴんちゃんでちゅねー」
もっとも傍らの敏生にとっては、相好を崩して赤ちゃん言葉で戯れる夕陽の方が可愛くて仕方ないのだが。
「当たり前だろ、俺の娘なんだから。もういいだろ、返せ」
イライラした表情で割って入ってきたのは刑部。そう、今日は出産祝いを片手に産後で入院中の刑部の妻、葵を敏生と二人で見舞いに来たのだった。
「えー」
夕陽が名残惜し気に姫子を返すと、刑部がたまらず頬ずりをした。
「ねー、姫ちゃん。パパの抱っこが一番でちゅよねー?」
普段のクールな刑部からは想像もつかない姿に夕陽と敏生が顔を見合わせる。
「誰お前?」
「五月蝿い、何とでも言え。俺はこれから姫子との愛に生きるんだ」
「未来のお婿さんに同情するわ」
夕陽が冷ややかな表情を作って揶揄う。
「ふざけんな。こいつに近寄る男は俺が全員ぶっころす。ねー、姫ちゃん。パパ、絶対に姫ちゃんをお嫁になんかやらないでちゅからね~。ん~」
刑部が頬にキスすると、姫子がぎゃああと泣き出した。慌てふためく新米パパに、一同が爆笑する。
「多分そろそろおっぱいね。さっきは十一時頃に飲ませたから。はい、姫ちょうだい」
葵が夫から姫子を受け取り、胸元をはだけようとしたので、夕陽は慌てて敏生の手を引いた。
「はい、じゃああたし達は一旦退散ね」
「あら、せっかくなんだから夕陽ちゃんはもう少し居てよ。あなた、敏生君とお使い行ってきて。さっきLINER入れておいたやつ。駅前のショッカーズプラザに入っている東松屋で買えるから」
「ああ、ガーゼとおしりふきとおむつな。あと消臭袋だっけ? こんなに使うとは思わなかったな。行こうぜトシ」
「了解」
「ありがとうねー」
男二人が病室から出ていくと、葵が授乳を始めた。
「かわいい……。赤ちゃんってほんと、何考えてるんだろ」
中腰になり、興味津々の表情で赤ちゃんを覗き込む夕陽。
「今はまだおっぱいー! ウンチー! くらいじゃない? この子がいずれ大きくなって恋して結婚して子供を産むなんて、今は全く想像つかないわ」
「ほんとですよねー。いいなー、今のキミは悩みが無くて」
「で、敏生君とはどうなの?」
「え?」
「聞いているわよ、旦那から。あれほどじれったい奴らはいないって。傍から見れば既に恋人同士なのに、なかなかくっつかないって」
「あー……」
どうせ刑部にお子ちゃまとか言われているのだろう。
「あたしのせいなんです。肝心なところで怖気づいちゃうというか……今の関係が崩れちゃうかもしれないと思うと怖くてなかなか踏み込めなくて……」
自分でもいい加減、子供だと思う。だが、葵の反応は違った。
「いいねー、その感覚。今まさに恋していますって感じで」
「え?」
「あたしと旦那なんて、中一の時に席が隣同士になって以来の腐れ縁だからね。その感覚はもう思い出せないなー。羨ましい」
「ええっ!? アッシュとはそんなに長かったんですか?」
敏生からあいつらは出来婚だ、と聞いていたので、てっきり付き合いが浅いものだと思い込んでいた。
「何度も別れたけどね。あいつ女癖悪いし。でもしばらくするとまたいつの間にか一緒にいたりしてさ。長年そんなことを繰り返しているうちにこの子が出来て、ようやく二人とも落ち着いたというか」
人それぞれ、色んなカタチの恋愛があるんだな、と今さらながらに感嘆する。この手の話に疎い夕陽にとっては先達の話はとても勉強になる。
「夕陽ちゃんも必要以上に怖がることは無いんじゃない? 恋なんてなるようにしかならないんだし、先に進まないことには彼との未来なんてないんだから」
葵の言う通りだ。今となっては敏生以外との未来など考えられない。必要なのは、あと少しの勇気。
「彼のこと手玉に取ってやる、くらいでちょうどいいのよ。男なんて単純だから女の言葉ひとつでいくらでも転がせるのよ?」
「そ、そうなんですか?」
「ま、こんな偉そうなこと言っておいて、実はあたし、旦那しか知らないんだけどねー」
「いえ! あのアッシュを長年に渡って手玉に取れるなんて、葵さんすごいです!」
「あいつ、職場でそんなに偉そうなの?」
「あ、いえ、そういうわけでは……」
アハハ、と葵が笑う。
「ほんと、困ったパパでちゅねー」
必死に乳房に吸い付いている娘の頬を、愛おし気に指の腹で撫でる母親の顔。
「敏生君、いい奴だよ。絶対に夕陽ちゃんのこと大切にしてくれると思う」
「あたしも……そう思います」
いい加減にはっきりさせなくてはならない。ずっと、待ってくれている彼のためにも。
*
課業を終えて帰宅の途につく足取りが、いつもより重いのは気のせいではない。今日の訓練はとてもハードだった。
「疲れたな……」
部屋に入ると、夕陽はふうっ、とため息をつき、ベッドに腰を下ろした。目を瞑ると、肩を手で軽く揉みながら首を回す。
敏生、何してるかな。
疲れているにも関わらず、思い浮かべてしまうのは、ついさっきまで職場で一緒だった上官の顔。
もう会いたくて、声が聞きたくてたまらない。ベッドに寝転がると、スマホのコミュニケーションアプリを開く。
どうしよう、何て入れよう。
あのクリスマス・イブの夜に、もし彼とそういうことになっていたら、今ごろは話をする理由なんてわざわざ探す必要もなかったのかもしれない。うーん、と唸りながら画面と睨めっこだ。図らずも定着してしまった帰宅後のルーチン。
悩む前に、晩御飯作ってしっかり食べなくちゃね……。
はぁっ、と再びため息をついて起き上がろうとしたとき、ピロン、と電子音が鳴った。
「えっ?」
敏生だった。やばい。多分、即既読ついちゃった……。
『ご飯食べた? まだなら一緒に食べに行かない?』
願ってもない彼からのお誘い。ガバッと起き上がり、ベッドに正座する。
『行くー!』
速攻で返信し、かわいいスタンプを添える。
『じゃあ、焼肉でいいかな? 駅前の牛士郎』
『わーい、やったー! 焼肉ー!』
『先に入っておくから、ゆっくりおいで』
『わかりました、編隊長殿!』
敬礼スタンプを添えて返信すると、急いで身支度をする。ゆっくりなんてしていられない。すぐにでも彼に会いたい。お洒落着を引き出そうとして、思い止まる。彼がわざわざ「焼肉」と言ってくれているのに、これでは痛い女だ。少し思案したのち、デニムのタイトパンツと、パーカーの組み合わせを身に着ける。これにワンポイントで余所行きのパンプスを履いておけばよいだろう。
問題は平日の課業後なので、化粧をしていないこと。うーんと考え、やはり少しでも化粧はしていくことにする。そもそも、課業時はスッピンなので、今更ではあったが、プライベートでは少しの隙も見せたくない。何より、牛士郎はどちらかというとお洒落な、全席半個室のお店。課業中より見つめられることは多いはずだ。
もはや、特技となった感のある早化粧を施すと、ミニバッグを斜め掛けして家を出た。
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