あれこれ思う日々(映画:「大人は判ってくれない」 フランス1959年 監督:フランソワ・トリュフォー キャスト:ジャン=ピエール・レオ、クレール・モーリエ、他)
予告編(YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=3T7Oh56PsBY
映画ドットコム:https://eiga.com/movie/43083/ (あらすじはこちでどうぞ)
Happy Bearは子供の頃から映画を見るのが大好きでした。まだその頃はビデオやましてストリーミングサービスなどは影もかたちもないころで、映画は映画館で見るか、テレビの洋画劇場などの番組で楽しむ特別な娯楽の名残りがありましたね。
ロードショー上映のハリウッド最新作も良かったけれど、Happy Bearは街にまだいくつかあった名画座(良質の古い映画を安い料金で見せてくれる映画館)がお気に入りでした。
さして映画に詳しくはなかったものの、「大人は判ってくれない」というタイトルとこの映画とても良い映画だという評判はどこかで読んでいましたから、この映画が街の名画座で上映された時は興味を持って見に行った記憶があります。
主人公のアントワーヌは、俗にいう悪ガキなのですが、大人になって再度この映画を見た印象としては、「あぁ、この子は愛情に飢えているのだ」ということでした。
アントワーヌが学校をサボって友達とパリの街を彷徨いている時に、偶然母親が男性とキスをしている(浮気現場)を目撃するあたりから、彼の表情や目が少しずつ変化したように思いました。
母親と何も知らない父親が彼の機嫌を取ろうと映画に連れて行ってくれるシーンは、微笑ましい家族そのもので、その時のアントワーヌは実に屈託のない幸福そうな子供の表情を見せてくれます。
お話が進むに連れて、この夫婦の関係はギクシャクし、アントワーヌも不安定になって、とうとうある事件を起こしてしまいます。父に連れられて警察に留置され、少年鑑別所に面会に来る母は相変わらず冷淡なまま。
映画の後半部に入ると、アントワーヌは無表情になり、彼の目からは子供の無邪気さは消えてある意味、諦観したかのように変化して行ったように記憶しています。
「目は心の窓」であると言われますが、まだ子供といっていいアントワーヌは、留置場で他の大人の逮捕者たちと同じ扱いを受けます。護送車の窓からパリの街をじっと見ている彼の目からは涙がこぼれます。まるでその涙と一緒に彼の子供のイノセンスも流れてしまったかのようです。
有名な最後のラストシーンも然りです。少年鑑別所から逃走して広い海を前にしたアントワーヌの目からは、これからの彼の一人で生きていく膨大な世界を見据えたある種の覚悟のようなものも感じます。
親から愛してもらいたいという子供としての当然の欲求が叶えられないまま、むしろその愛を拒絶された時の子供の、諦めや、結局頼れるものは自分だけなのだという状況をどう受け止めるのか・・・
Happy Bearにはその運命の残酷さを想像することはできますが、当事者になったら受け止めることができるか正直わかりません。
この映画は古い映画なのでモノクロなのですが、その時代を感じさせる当時のパリの街を見せてくれる記録的な要素もあると思います。
約70年近く前のパリの街並み、車、人々のファッション、アパートの庶民の生活、そして今の時代には完全にアウトであるだろう厳しい学校の先生の態度など、実に興味が尽きません。パリの街もこの映画の重要なキャストのようですね。
「花の都」のイメージ先行だけではない、薄汚れた面も含めて生活感のある当時のパリをまるでタイムカプセルに封じ込めて、21世紀の今に見せてくれる映画でもあります。そんなところがHappy Bearがこの映画を好きな理由の一つでもあります。
映画のフランス語タイトルは "Les Quatre Cents Coups"(400回の打撃・・・で、いいのかな?)で、AIさんによれば、「無分別な行為」や「悪さ」という慣用句らしいです。
アントワーヌにふりかかるさまざまな問題を、文字通り「外的な打撃」と捉えることもできるでしょうし、それに子供でありながら抗おうとする彼の「内なる反抗心」の両方の意味に受け取ることもできるでしょう。
日本でこの映画を配給する際に、「大人は判ってくれない」という邦題をつけたことは、映画の核心を突いた素晴らしい意訳の例になると思います。
