【人生編第8話】病院の待合室で、私は株を買っていた
夫は、精密検査のあと
やはり乳がんだと分かった。
紹介された総合病院へ転院し、
最初の頃は私も一緒に診察へ
付き添っていた。
大きな病院は、
とにかく待ち時間が長い。
診察まで何時間もあり、
私はスマホを見ながら
時間を潰していた。
その頃、私は
株を始めたばかりだった。
待合室で証券アプリを開き、
なんとなく眺めていた
三菱重工の株価は1株2256円。
よく分からないまま、
とりあえず10株だけ買った。
今、その株は4510円になっている。
あの頃の私は、投資の知識よりも、
「少し先の未来を、
自分のお金で買う」
その感覚が楽しかったのだと思う。
⸻
けれど、
夫には乳がん以外にも
病気が見つかった。
病名は、多血症。
亡くなった妹さんが
白血病だったこともあり、
夫の家系には血液の病気があることが分かった。
血が濃すぎる状態では
手術ができないと言われ、
そこから約2か月、
毎週400ccずつ血を抜いて処分する
「瀉血」が始まった。
初めて聞く言葉ばかりで、
正直、頭が追いつかなかった。
幸い、私の職場の親会社は
医療機器メーカーで、
周囲には医療知識のある
社員の方が多かった。
不安だらけだった私に、
皆さんは冷静に、
そして優しく助言をくれた。
あの時の私は、
その言葉にどれだけ救われていたか
分からない。
⸻
がんだと分かってから4か月後。
2025年2月、夫はガンセンターで
手術を受けることになった。
でも、まだ子どもたちには
病名を伝えていなかった。
入院直前、
今度は娘がインフルエンザになった。
家の中で必死に隔離を続け、
娘は
「何で今回はこんなに厳しく
隔離するの?」と
毎晩しくしくと泣いた。
本当は全部話したかった。
でも私は何も言えず、
ただ娘を抱きしめ続けていた。
⸻
夫が入院したあとも、
我が家は意外なほど普通だった。
娘と息子と3人。
ご飯を食べて、学校へ行って、
夜になると、なんとなく見始めた
「タイプロ」にハマった。
「この人やろ」
「カッコいいね〜」
そんな話をしながら、
息子まで一緒になって楽しんでいた。
始めは6日間の入院予定だったが、
経過が良く、夫は4日で退院することになった。
安心したはずなのに——
私は少しだけ、
3人だけの静かな生活が終わることを
寂しく感じていた。
⸻
退院の日、夫を迎えに行った。
病院の自動ドアを出たとき、
夫はほっとしたような表情をしていた。
家に戻ると、
子どもたちはまだ寝ていた。
しばらくして寝室の扉が開き、
娘と息子が眠そうな顔でリビングに入ってきた。
そこに夫がいるのを見て、
2人は目を丸くした。
「え、もう帰ってきたん?」
驚きと安心が混ざった声。
夫は笑って「ただいま」と言った。
そのあと、2人を呼んで、
改めて病気のことを話した。
がんであること。
遺伝のこと。
これからの治療のこと。
無理をしない生活のこと。
ふざけることもなく、
2人はまっすぐに夫の言葉を聞いていた。
その姿を見て、
私は胸の奥がすっと軽くなった。
家族に秘密をしていた時間が、
自分が思っていた以上に辛かったのだと気づいた。
説明してもらえたことで、
ようやく肩の力が抜けた。
子どもたちは、私たちが思っている以上に大人だった。
「なんでもっと前に言ってくれなかったの」
と、まっすぐな気持ちを夫に向けていた。
責める響きではなく、
ただ“知りたかった”という
素直な気持ち。
その言葉に、私は静かに救われた。
さらに、
もし今後転移が見つかったら
どうするか、
私ががんになったら
すぐに伝えるのか、
そんな具体的な話もした。
普段なら
避けたくなるような話題なのに、
その朝のリビングでは
自然に言葉が出てきた。
またひとつ、
私たちは“家族としてのチーム”に
なった気がした。
⸻
退院後の夫は、
思っていたより元気だった。
痛みも少なく、
家の中では以前と変わらない
生活ができていた。
不思議なことに、
私は最初から
「この人は大丈夫な気がする」と
どこかで思っていた。
義父母のこと、
自分の父のこと、
いろんな“病気の場面”を
経験してきたからなのか、
理由はよく分からない。
ただ、前ほど動揺しなくなっていた。
恐れ方が、少し変わったのだと思う。
⸻
そして、手術が終わって
ほっとした夫を待っていたのは、
ここから始まる“本当の治療”だった。
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