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恵比寿映像祭2026のあとに映像表現よりもマルチリンガリズムについて考えた

2026年2月6日から2月23日まで恵比寿映像祭2026が開催されている。今年のテーマは『あなたの音に|Polyphonic Voices Bathed in Sunlight―日花聲音―』である。
3階のコミッションプロジェクトは3月22日まで開催される。

渋谷で用事を済ませてから渋谷川沿いを歩いて渋谷区ふれあい植物センターに寄り、恵比寿映像祭2026の会場である東京都写真美術館に到着した。

2025年も恵比寿映像祭に来ている。映像作品は写真作品と比べて「よくわからない感」が多分にあるように思う。映像の性質上、鑑賞時間が長く、合わない作品との対峙時間も長くなるのが原因のような気がする。また、わりと難解なものが多い。
地下1階から2階、3階の順で鑑賞するようになっている。

地下1階

張恩滿(チャン・エンマン、CHANG En-Man)の《蝸牛樂園三部曲-啟航或終章》(カタツムリ楽園三部作-出航か終章か)(2021年)は、家に帰って来てからもメロディが思い出せる。台湾の先住民族パイワン族の古謡にのせて、日本の統治下に持ち込まれたカタツムリがしぶとく広まっていく様子と、先住民族とのかかわりを歌う映像だった。また、台湾で衣類などに使用されていた樹皮をとる木(木の名前は失念した)がほかの地域(オーストロネシア?)に広まっていった様子も歌になっていた。
日本の植民地統治下で、日本またはその他の地域から持ち込んだものが現地の伝統的な食生活などに影響を及ぼしたという現象は、2025年の映像祭のコミッションプロジェクトの永田康祐「Fire in Water」でも題材になっていた。日本から持ち込まれた稲や麹が朝鮮半島の稲作や酒造に影響したことと、カタツムリ楽園三部作のカタツムリには通じるものがあるように思えた。わたしが勝手にそう思っているだけなのだが。
外来種の持ち込みと持ち出しと広がりは、人が移動して交流して交易する以上は止めることができないので完全に阻止することは無理だとしても、植民地支配下で為政者がのちに害のあることが判明することになる外来種を持ち込むのと、そのほかの行為によって持ち込まれるのとでは意味が違ってくる。

鶴巻育子〈ALT〉より(2024年)は、視覚障害と言っても一様ではないことと、視覚障害者のどのように見える、または見えないという話を写真で表そうとしているというので印象に残った。これは、信頼関係を結んでそういった話をしてもらえるようになるということも非常に感慨深いし、写真で表したものがその見え方を表しているとも限らないという意味でもいろいろと考えさせられるものはあると思った。

2階

侯怡亭(ホウ・イーティン、HOU I-Ting)の《所有的小姐 Sóo-ū-ê sió-tsiá》(レイディたち)(2015年)と〈歷史刺繡人Lı̍k-sú Tsiam-tsí lâng―帝国婦〉(2019年)も日本統治の影響にかかわるものである。かなり前のNHKの番組で日本統治下の台湾についてのものがあったが、統治下では日本語で教育を受けるので母語で考える機会や能力を奪われたというようなことを言っていた人がいた。この番組が2009年4月に放送されたNHKスペシャルシリーズ「JAPANデビュー」大1回の「アジアの“一等国”」なのか、2012年のBSプレミアムの「三つの名を生きた兵士たち~台湾先住民“高砂族”の20世紀なのか、別の番組なのかは思い出せない。
母語以外で教育を受けることについて考えることがあるのだが、わたしはインターネットのない時代に小学校高学年と中学校の途中までを欧州の非英語圏の国の日本人のほとんどいない地域で現地校に通っている。日本の教育は海外教育振興財団の通信教育を受けていて家庭内では日本語で話していて、常に日本語が優位だったと思う。今になって、親の海外転勤がなければ外国語の習得にかけた時間をほかの勉強にかけることもできたかもしれないと思うことがある。その後、日本で英語教育に力を入れている大学に進学したが、大学生が学術的(アカデミックな)考え方を身につけるための授業も英語で行われ、英語で考えることが推奨されたので、単位は取れても重要なことを日本語(母語)で考えなかったので理解に時間はかかったし、どこまで熟慮できたかは疑問ではある。英語ができると進学や就職に有利だからと子どもをインターナショナルスクールに入れようとする人は、母語で十分に考えることの重要性についてきちんと考慮・考察したほうがよい。英語で文献を読むとか、意思疎通をするという意味での英語でのコミュニケーションはあとからどうにでもなる。

そういう意味では、チョン・ソジョン(JUN Sojung)の《싱코피》(シンコペ)(2023年)も、作家の意図とは離れるかもしれないが、考えるところのある作品だった。インドネシアの楽器と朝鮮の伽耶琴(カヤグム)のそれぞれの奏者をめぐるドキュメンタリー風の映像だった。デジタル植物の映像が重ね合わされるが、その意味するところが何なのかはわからなった。インドネシアと日本の風景が出てきて、なぜ日本なのかと思ったら、日本で生まれ育った韓国か朝鮮にルーツのある若い女性奏者が出てくるからだった。韓国語(朝鮮語)で話しているのだが韓国の人と話し方が少し違うので日本で生まれ育った人だとわかる。もう一人のインドネシアに移住した韓国ルーツの女性は英語で話していた。内容からフランスで養子になったことがわかり、英語がフランス語風アクセントだったり、英単語が出てこなくて「フランス語ではXXと言うのだけど」という発言があったりするが、欧州の白人との見た目の違いから悩んだ様子も語られる。こういうのを見ると、自分の母語ではない言語で仕事をしたり、インタビューに応じたりするということについて考えてしまう。わたしは自分がフルに使える言語(日本語、東京方言)で生活できる土地で暮らすことを選んだのだが、複数言語ができるのが「〇〇語と××語ができてよいわね」というだけのことではないというのは世間一般ではあまり理解されていない(映像を見に行って、言語について考えている人)。

コミカルで面白かったのが、FAMEMEの《流槤王返》(ドリアン王が帰ってきた!)(2024年)だった。マレーシアの華僑で、ドリアン事業を営む一族の歴史をセレブインタビュー風に撮った作品だった。FAMEMEは実際にドリアン農家の子孫でインフルエンサーでアーティストだということだ。ハイテンションの楽しい映像(ベタな感じもある)なのだが、これはおもしろおかしいだけなのか、自分で自分をちゃかして何かを表現しているのか(セレブとインフルエンサーに疑問を呈しているのか)、おもしろおかしいの中に一族の歴史を真剣に振り返る行為を紛れ込ませているのか、ちょっと考えてしまう。成功者セレブの全面肯定というだけであったら、それはそれで新しい。
ここでも映像では英語で話しているが、家では中国語、学校では英語(高等教育から?)、外ではマレー語という生活をしているのだろうか。それとも華僑はコミュニティがあるのでマレー語は使用しないのだろうか。ここでも母語(家庭で話す言語)と教育を受ける言語が異なっていて、FAMEMEの英語を聞いているといろいろなことを考えてしまう。

3階

3階の展示室に田中未知/高松次郎の言語楽器「パロール・シンガー」(1974年)というものがあったが実演がないので、おもしろそうだとおもいつつ何だかよくわからなかった。

3階のコミッションプロジェクトの小森はるかは去年も展示「春、阿賀の岸辺にて」あって、今回の「おあがりんちょ」はその続編とも言えるのかもしれない。作品説明の冒頭で「災禍の後を生きている人、寄り添う人、記憶を繋いでいく人。過去の経験を無かったことにしないため、語り、伝える人たちに様々な土地で出会いました。彼らが同時代に生きていて、ひと知れず動き続けている姿に前を向く力をもらいながら、私はカメラで記録させてもらいました。」と書いている。こういった活動のきっかけとなったのが、瀬尾夏美とおもむいた東日本大震災直後のボランティアで、被災した人にハンディカムを持っているなら「代わりに記録して」と言われたことがきっかけのようだった。その映像も展示されていて、説明にはブレたりしてたいしたものは撮れていなかったとあったが、それも記録だと思った。メインの映像のほかに、小森はるかの父親の実家の兼業茶農家の記録(祖父母が他界してから空き家になっているが、茶畑で生産は続けてきたものの製茶工場の閉鎖が決まったことによって生産の継続の危機になるが別の工場での受け入れが決まり、規模を縮小して生産を続けられることになった)がよかった。お父さんとおじさん(父の兄)の自作ソングも出てきて、民謡ではなくフォークソング風だったので、今の60代や70代はそういう(若い)世代だし、これも家族の記録だ。

どうも写真も映像も造形美術のようなものよりも、記録の性格が強いほうが好きみたいだ。記録と言っても記録のしかたは多様だけど。

エキソニモ 《Kiss, or Dual Monitors 2026》

今年もシールラリーがあったので、美術館外の施設をまわってシールを集め、かわいらしいトートバッグをもらってきた。

パンフレットとチケット
恵比寿映像祭のトートバッグ


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