『蒲田マッサージ夜話』第6話
深夜2時、川を越えて──はじまりの指名
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【0】──この物語の“本番”は、夜2時から始まった
私が蒲田でマッサージを始めたのは、まだ学生のころだった。
あん摩マッサージ指圧師の養成校に通いながら、現場に立つ日々。
今では「無資格での施術」は法律上の問題になる。
けれど、当時はまだ“黙認”という空気があった。
控えめに言えば、“そういう時代”だったのだと思う。
そして、その“時代”から、ようやく抜けた。
2月に行われた国家試験を経て、3月、正式に合格。
ようやく「免許を持った施術者」になった。
肩書きだけではない。
責任も、名乗る言葉の重さも、変わった。
それに伴い、働き方も大きく変えた。
夜7時からの短いシフトではなく、
夕方6時から翌朝4時までの“ロングラン”へ。
──実はその決断には、はっきりとした理由があった。
いずれ自分の治療院を持ちたい。
その夢を実現するために、
とにかく今は「稼ぐ」しかなかった。
同僚から「深夜2時を過ぎると、蒲田の出張は一番忙しくなる」と聞いていた私は、
生活時間を“夜の稼ぎモード”に合わせることにしたのだった。
【1】受付の声と、深夜2時のスクーター
「◯◯先生、出張で〜す」
控室で横になっていた私は、
その声に起こされるように目を開け、時計を見た。
──2時10分。
受付に向かうと、いつものように住所と名前が書かれたメモが渡される。
地図で場所を確認し、スクーターにまたがる。
目的地は、多摩川を越えた川崎市の住宅街にある高層マンションだった。
夜の橋を渡る風は、真冬の2月の空気そのものだった。
ヘルメットの隙間から吹き込む冷気が、目を覚まさせてくれる。
到着したマンションは、一目で“高級”と分かる外観だった。
【2】綺麗な女性と、煌びやかな部屋
チャイムを鳴らすと、ドアを開けたのは小柄で綺麗な女性だった。
「これは…ラッキーかも」
そんな不謹慎な感情が、ふっと胸をよぎる。
いくら仕事とはいえ、
ごつい男性より、綺麗な女性の施術の方が気が軽い。
それは、きっとどの施術師にもある正直な気持ちだと思う。
中に入ると、部屋はまるでヨーロッパのホテルのようだった。
煌めくシャンデリア、木製の階段。
ロフトではなく、しっかりとした2階建て構造のメゾネットタイプ。
「この人、お金持ちだな…」
思わず見回してしまうほどのインテリアと空間だった。
【3】「鼻と顎は、触らないでね」
「こっちでやります」
案内された寝室は、外観に違わぬ高級感だった。
彼女の物腰は柔らかく、決してツンとした感じではない。
むしろ、どこかフレンドリーさが滲んでいた。
施術の準備をしていると、
ふいにこう言われた。
「鼻と顎、触らないでね」
「え…?なにか痛みでもあるんですか?」
「ううん。整形してるから」
あまりにあっけらかんとした口調に、私は返す言葉を失った。
その沈黙を埋めるように、
「他は気にしなくて大丈夫」とだけ彼女は続けた。
【4】名乗った名前が、扉を開けた
仰向けになる前、まずはうつ伏せでの施術。
背中に手を置いた瞬間、指が跳ね返された。
──硬い。
驚くほどガチガチの筋肉。
細身に見えても、身体の内側は相当疲れているようだった。
指に負担を感じながらも、丁寧に、一定のリズムで圧を重ねていく。
やがて施術は終わり、
私は代金を受け取り、玄関で靴を履く。
そのとき、彼女がふと口を開いた。
「あなた、お名前は?」
一瞬、心の中で鐘が鳴った。
──これは、指名だ。
そう直感した私は、静かに名前を名乗った。
【5】この“名前”が、次の物語を呼び寄せる
その後、彼女は再び何も言わずに微笑んだだけだった。
けれど、それで十分だった。
私にとって、初めての“深夜指名”。
そしてそれが、やがてこの街の奥へ、
さらにディープな夜へと繋がっていくことになるとは──
このとき、私はまだ知らなかった。
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