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『蒲田マッサージ夜話』第7話

おこぼれ組の夜と、盗んだ技術

前回のお話はこちら↓

【0】──稼げる街には、稼ぎに来る人たちがいる

私が蒲田で働いていた当時、この街は“マッサージが熱い場所”だった。
駅の周囲にはいくつもの店舗があり、
出張マッサージも含めれば、まさに“マッサージ戦国時代”。

仕事は多く、金にもなった。
その噂を聞きつけて、全国から腕自慢たちが蒲田に集っていた。
揉むために。稼ぐために。生きるために。


【1】おこぼれ組からのスタート

そんな中に、ぽつんと混じっていたのが当時の私だった。
指名もなく、経験も浅い。
最初に割り振られるのは、売れっ子の合間に流れてくる“おこぼれ”の仕事だけ。

自然と、マッサージ師たちは3つの階層に分かれていた。

  1. 最初から指名で埋まっている 売れっ子

  2. 固定客が少しはついた 中堅

  3. 指名ゼロの おこぼれ組

私は、もちろん3番目。
夕方から深夜まで待機しても、呼ばれるのは数えるほど。
でも、それが“最初の居場所”だった。


【2】猛者たちの伝説と、埋まらない本数

この頃、店舗には信じられないほどの“働き方を選ばない人”たちがいた。
なかには──

「3年間、控室で寝泊まりして、毎日朝10時から翌朝4時まで働いて、2000万円貯めた」

という猛者もいた。

令和の今、働き方改革が叫ばれる時代から見れば、
そんな生活はどこか嘘のようで、どこか羨ましいようでもあった。

ただ、事実として──
一晩に2〜3人しかこなせなければ、時給は1000円に満たない
だからこそ、1本でも多く施術することが“収入”だった。

60分は「1本」
30分なら「0.5本」
そんなふうに、自分たちの価値を数字で測っていた。


【3】盗み見た背中から、技術を覚えた

周囲には、さまざまな流派のような施術があった。
「これもマッサージなのか」と目を見張ることばかりだった。

私は学校で習ったことしか知らず、
それ以外の“現場の技術”に、ただただ圧倒されていた。

特に人気のあるマッサージ師の施術。
流れるような手順。心地よい間。
そして、決して口数が多いわけではない接客。

私は、彼らの背中を“盗み見”していた。
ちらりと横目で流れを追い、真似して、また試す。
それは、まさに「文字通り、技術を盗む」時間だった。


【4】この時代が、今の私をつくった

いま、私は医療保険を使った訪問マッサージをしている。
相手は高齢者や、病後で外出が難しい方が中心だ。
「グリグリ」揉み込むような圧は使わない。
ましてや、痛みを伴うような施術は禁物だ。

けれど──
どんな身体でも、怖がらずに、手を置ける自分がいる。

それは間違いなく、
この蒲田の、指名もなく、数字も立たず、
それでも“揉み続けた”日々があったからだ。

この時代はもう戻ってこない。
でも、私の中ではずっと、あの空気が生きている。

今は少しだけ、あの頃の夜を、懐かしく、愛おしく思う。


「彼らの名前を、今でも覚えている」
あの夜、一緒に揉んでいた仲間たち。
クセが強くて、不器用で、それでも真剣だった。
次回は、その個性豊かな同僚たちのことを綴ってみたい。


次のお話はこちら↓



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