きのこ雲の下で消えた命と、今そばにいる子どもたちへ
あの日の話を聞くたびに、
ここにいたのが、もし我が子だったら。
うちの子の同級生だったら……
そんなふうに想像してしまいます。
そして胸の奥が、ヒリヒリします。
あのきのこ雲の下には、私の子どもたちと同じ年頃の命があった
私は今、中学生と高校生の子どもを育てています。
だからこそ、広島に落とされた原子爆弾で、
あの“きのこ雲の下”に何千人という中高生たちがいた事を知ったとき、本当にヒリヒリとした痛みを感じました。
1945年8月6日 午前8時15分。
広島の街には、建物疎開の作業に動員された多くの学生たちがいました。
まだ10代、勉強も部活も、恋も夢も、これからだった子たちです。
空が真っ白に光り、熱線と爆風が街を襲い、
何の罪もない子どもたちが、その場で、あるいはその後の苦しみの中で、命を落としていきました。
被爆当日、建物疎開などの作業に動員された中等学校以上の学生・生徒、約8,400名が現場に出ており、そのうちおよそ6,300名が犠牲となったとされています
自分の事で精いっぱい、、
そうなってもおかしくない状況下ですが、多くの証言の中で、ガラス片が刺さり、皮膚がただれながらも、友だちに肩をかし、肩を借りながら学校に戻ろうとした学生さんの事が出てきます。
もし自分の子どもがその場にいたら……
そんな想像をするだけで、息が詰まり、涙が出てきます。
歴史を「他人事」にしないために
戦争も核も、「過去のもの」「関係ない国の話」のように、どこか他人事のように、薄れてきているように思います。
でも、今また、戦争の只中にある国の人たちが、核兵器の使用を恐れて広島を訪れているというニュースを見ました。
核は、また私たち人間の隣にまで迫ってきている。
そう強く感じたのです。
「生きのびたあとの世界」を想像する
広島・長崎の被爆者の方々は、命を奪われただけではなく、
命が助かった後も、放射線による後遺症、社会的な差別、
そして自責の念と向き合いながら、人生を生き抜いてきました。
原爆は今でも生きている。
実際に、被爆された方は、そう言われます。
だからこそ、未来に同じ苦しみを味わう子どもを二度と出してはいけない。
そう誓うのは、今を生きる私たち大人の責任だと思うのです。
最後に
80年前、原爆が落とされた広島で、
中学生や高校生の子たちが、自分の名前も分からないくらい焼けて亡くなった。
――そんなことを、子どもたちに伝えるのは、つらいことです。
でも私は、あえて 伝えていきたいと思います。
事実を知ることは、悲しいけれど、優しさでもあると思うからです。
だから今日、私は黙祷を捧げます。
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