良くなったと思ったのに、また沈む夜に|回復は、螺旋階段のように
心に、ひと呼吸の余白を。
咲かなくても、あなたは美しい。
こんにちは、ゆきのです。
今日は、少しだけ「波」の話をさせてください。
心の調子には、どうしても波がある。
そんな当たり前のようでいて、とても苦しいことについて。
「抜けたかもしれない」と思った翌週に
少し前、久しぶりに朝すっきり起きられた日がありました。
カーテンを開けたら、光が柔らかくて。
「ああ、やっと抜けたかもしれない」
そう思えた朝でした。
その週は、仕事も少しだけ捗って。
週末には友人と会う約束もできた。
久しぶりに笑った気がしました。
「もう大丈夫」
「やっと、トンネルを抜けた」
心のどこかで、そう信じ始めていました。
でも。
翌週の火曜日。
朝、目が覚めた瞬間から、体が鉛のように重かったのです。
布団から出られない。
理由もないのに涙が出る。
あの灰色の感覚が、また胸の奥に広がっていく。
「なんで」
「せっかく良くなったのに」
「また元に戻った」
心の中で、「私は結局、ダメなんだ」という声が、小さく聞こえてくる。
あの朝の軽やかさが嘘みたいで。
自分を責める声だけが、頭の中をぐるぐる回っていました。

「元に戻った」わけじゃない
あの頃の私は、回復を「直線」だと思っていました。
悪い状態から始まって、だんだん良くなって、いつか「ゴール」に着く。
だから、また沈んだ時に絶望したのです。
「振り出しに戻った」
「今までの努力が全部無駄になった」
でも、時間が経って、多くの方の波を見守る中で。
自分自身も何度も波に揺られる中で、少しずつ気づいたことがあります。
回復は、直線じゃなかった。
螺旋階段のように、ぐるぐると回りながら、
上がったり下がったりを繰り返して、少しずつ進んでいく。
良い日と悪い日が交互に訪れるその波こそが、
螺旋を一段ずつ登る足どりなのだと、
今は思えるようになりました。
よく見ると。
沈んだ時の「底」が、前よりほんの数ミリだけ、浅くなっているかもしれない。
浮上した時の「景色」が、前とはほんの少しだけ、違って見えているかもしれない。
その小さな変化に気づけたとき、
私の肩から、重たい荷物がひとつ、ふっと降りた気がしました。
波の「谷」にいる時に思い出してほしいこと
今、あなたがもし「また沈んでしまった」と布団の中で震えているなら。
少しだけ、この言葉を思い出してほしいのです。
「元に戻った」のではなく、「波の谷にいる」だけかもしれない。
波は、上がったり下がったりを繰り返します。
今日は“谷の途中”というだけで、未来の見通しまで決めなくて大丈夫です。
沈んでいる時には苦しくて気づきにくいけれど、前回の谷より、今回の谷は、浅くなっているかもしれない。
前回は三日間、誰とも話せなかったけれど、今回はSNSを一回だけ開けたかもしれない。
前回は「私はダメだ」と、夜中に何度も呟いていたけれど、今回はその言葉に、ほんの少しだけ距離を置けたかもしれない。
その『ほんの少し』に、もし気づけたとしたら。
それもまた、あなたがここまで生きてきた軌跡の、ひとつなのかもしれません。

螺旋階段は、同じ景色を何度も見せる
ある日、ふと思い出したことがありました。
昔、旅先で登った古い灯台の螺旋階段。
ぐるぐると回りながら登っていくうちに、何度も同じ方角の窓が目に入りました。
「あれ、さっきもここを通った気がする」
そう思って、少し不安になったのを覚えています。
でもよく見ると、窓から見える景色は、さっきより少しだけ高い位置からの眺めでした。
同じ方角なのに、見えるものが少しずつ変わっている。
さっきは見えなかった水平線が、今は薄く見える。
その時は「ああ、ちゃんと登ってるんだ」と安心して、また一段ずつ登り続けました。
今思えば、心の回復も、あの螺旋階段と似ています。
同じように「また沈んだ」と感じる瞬間が、何度も訪れる。
でも、その時々で感じることが、少しずつ違っているのかもしれません。
前回「もう無理だ」と思った時は、ただ絶望していた。
でも今回は、「ああ、また谷が来たな」と、ほんの少し冷静に受け止められている。
その違いは、螺旋階段を一段登ったサインかもしれません。
「谷」にいる日の過ごし方
波の谷にいる時、無理に山に登ろうとしなくていい。
【今夜のひとかけら】30秒だけ、踊り場を認める
もし、ほんの少しだけ余白があるなら。
読むだけでも十分です。
① 心の中で、こう言ってみる(15秒)
「ああ、今日は階段の踊り場の日だな」
② ひとつだけ、手放す選択をする(15秒)
いつもより10分早く布団に入る。
「やらなきゃ」と思っていた予定を、ひとつだけ明日に回す。
「今は低空飛行中」と、心の中でつぶやく。
どれか一つでも、何もしなくても。
それが「今日の答え」です。
「谷にいるんだな」と気づいただけでも、それはもう十分です。
山に登る努力をするのではなく、谷で溺れないように、ただ浮いているだけ。
息をしているだけ。
それだけで、十分すぎるほど十分です。

今、谷にいるあなたへ
もし今、自分を責める言葉が浮かんでいるなら。
どうか、その責める手を、少しだけ緩めてください。
それは「元に戻った」のではなく、「波の途中」にいるだけ。
螺旋階段を、一段登っている最中なのかもしれません。
見えにくい夜もあります。
それでも、良くなった日も、沈んだ日も。
山にいる自分も、谷にいる自分も。
そのすべてが、あなたです。
波のように揺れながら、それでも今日、ここにいる。
その姿が、静かに美しいと思うのです。
咲かなくても、あなたは美しい。
また波が持ち上がるその日まで。
ここで静かに、一緒にいさせてください。
ゆきの

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