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最終回➕あとがき「断罪パラドックス」   第33話

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 五十嵐先生の弱みは見つかった。これでもう先生をいつでも脅せる。受験の不正行為も数学のテストで何をしようがお咎めなしになるだろう。母の復讐は先生が僕の言いなりになることである程度は満足してくれるはずだ。 そう思いはじめた時に、また五十嵐先生に進路指導室に呼び出された。

僕は意気揚々としていた。先生を逆らえないようにきっちり追い詰めるつもりでいたんだ。

「一条くん、なんてことをしたの!」

 いつものなだめるような、説得するような様子と打って変わって五十嵐先生は怒っていた。

「どうしたんですか、先生」
「あなた、二村さんに何をしたか言える?」
「別に何もしてませんよ」
「二村さんはあなたと約束した場所に行って、大神先生に襲われたと言っているのよ」

 二村さんがまさか裏切るとは思わなかった。僕に依存していたと思ったのに。

「知りません。約束なんかしてません」
「これでもしていないと言える?」

 五十嵐先生は僕と二村さんのメッセージアプリのやりとりを印刷していた。寝返ると女ってここまでやるのかと驚いた。

「約束を忘れただけですよ」
「そう」
「大神先生には確認したんですか?」
「いいえ。まだよ」
「止めたほうがいいですよ」
「どうして?」
「先生がこの件から手を引かないなら、僕先生が三十年前、叔母の美穂に何をしたか世間に公表します。こちらには証拠もありますから」

 先生は動きを止めて下を向き押し黙った。

 勝った。

 そう思ったんだ。

「……。ふ、ふふふふふふっ」

 空気が漏れるような音がした。

「先生?」

 先生は笑い出した。さも、おかしそうに。
「どうしたんですか? 頭がおかしくなったんですか?」
「いいえ。私の頭はまともです。おかしくてたまらないのは、一条くん、あなた、相手の弱みを見つけて色々巧妙に立ち回っている気でいるけれど、やっぱり、子どもですね。私が美穂ちゃんを連れていった証拠がなんなのかは私にも見当はついています。でも、その証拠は一条産婦人科医院が何を隠していたかを明らかにする証拠でもありますよ?」
「あっ!」
「そうです。私は祖父から性的虐待に遭い膣壁を裂傷し大量出血しました。性的虐待、もしくは児童に対するレイプは明らかであったにも関わらす、当時の院長、あなたのおじいさまですね。院長は通報しませんでした。そのことが露見すれば、あなたのお母さんだって無傷ではいられないと思いますよ?」

 完全に見落としていた。僕は身体中が震えていることに気づいた。呆然と五十嵐先生を見た。五十嵐先生は菩薩のような薄い笑みを浮かべていた。

「私は自分が関わった生徒の問題といつも向き合ってきました。一条くん、あなたの問題とも向き合いますよ」

 先生は優しくそう言ったけれど、僕は自分が初めて太刀打ちできそうにないと思った相手が目前にいることを自覚した。

 大神先生は生徒に対する強制わいせつで処分された。どうせまたすぐにどこかの学校に行くことになるんだろうなと、ぼんやりとそう思った。五十嵐先生は何度も僕と面会を繰り返し、僕が算数障害であるということを自覚させた。

「一条くん、あなたは他の可能性を探す必要があることを本当は分かっているはずです」

 五十嵐先生は、そう何度も言った。五十嵐先生は生徒の「幸福」について今まで真剣に考えてきたことはよく分かった。でも、それを選びたくない俺の気持ちはくんでくれなかった。

「医者になれなかったら僕が産まれてきた意味がなくなるんです」
「それはあなたのお母さまにとってでしょう?」
「僕にとってもそうです」

 先生は正しいのかもしれない。でもその正しさが僕には苦しかった。
 学校では五十嵐先生との一ミリも油断できない話し合いがあり、家では段々と狂気に取り憑かれたような復讐に燃える母の催促がある。

「こないだ学校で、あの女を見かけたけど、なんの悩みもないような顔をしていた! 美穂を殺したのはあの女なのに!」

 正確には五十嵐先生は叔母を殺したわけではない。でも、母には証拠の話はできなかった。祖父が本当は自分の娘を殺した犯人が誰なのか分かっていたかもしれないことは言えなかった。

 思い返せば祖父は事件のことをすすんで口にすることがなかった。祖父は事件のことを話し続ける母をどう思っていただろうか? 

 もしかしたら……。

「久! 聞いているの?」
「聞いているよ!」 

 つい、強い口調で言ったら頭をこぶしで殴られた。痛みでクラクラする。

「ねえ、いっそ、あの女を辱めるのはどうかしら?」
「辱める? どうやって?」
「分かるでしょう? あんたは男なんだから」

 母が僕を捨て駒にしてでも、五十嵐先生に復讐したいのだ。胸が冷たくなった。

「あんなに僕に女の子だったら良かったのにって言ったのに、僕が男であることをこんな形で利用するんだね」

「うるさい! 私はどうしても女の子が良かったのに、お父さんが中絶は許してくれなかったのよ! せめて、私の役に立ちなさい! あんたなんか、悪魔のくせに! 悪魔なら悪魔らしいことをしろ!」

 母はそう言って僕を叩き続けた。このところ母は何かの精神疾患なのではないかと疑っている。ぶつぶつと虚空を見て泣いたり怒ったり感情の起伏が激しかった。悪魔とまで言われたのは初めてだったけど、きっと情緒が不安定だからだと傷つかないようにした。

 僕はむしゃくしゃしていた。二村さんとは二村さんが先生にすべてを話してからというもの個人的な連絡は一切とっていなかったから二村さんで解消することもできなかった。時々同情の籠もった目でこちらを見ることがあったけど、僕は二村さんを無視した。三国にけんかをふっかけたのは僕だった。母が学校に来ている時なら問題になりやすいと思ったからだ。

 実際に三国は自宅謹慎になった。 

 三国は五十嵐先生から特に期待されていたから、五十嵐先生もがっかりして、しばらくは大人しくしてくれるだろうと思った。

 でも、三国に殴られた怪我が落ち着いて学校に行くとその日のうちに先生に呼び出された。

「一条くん、三国くんに何を言ったんですか?」
「別に何も」
「三国くんは何もないのにそんなことをするような子ではありません」
「先生、殴られたのは僕ですよ」
「そうです。それがあなたの上手なところです。暴力は殴る蹴るだけではない。それはあなたが一番よく知っていることだからです」
「何が言いたいんですか?」
「三国くんが保護司の渡辺さんに助けを求めました。三国くんの妹の樹里杏ちゃんが薬物中毒になっていました。一条くん、あなたには心当たりがありますね?」

 僕は黙った。三国がまさか、妹を売るとは思っていなかったからだ。

「信じられないという顔をしていますね。三国くんは他人に助けを求めることができる子でした。あなたもそうするべきです」
「僕はどうするべきだって言うんですか?」
「お母さまから、離れて、他の道を選ぶんです」
「そんなことできません」

 先生は大きくため息をついた。

「これは言いたくなかったんですが、私はあなたの父親に心当たりがあります。いずれ、あなたのお母さまもそのことに気づくことになると思います。そうなったら……」
「先生、僕の父親が誰だって言うんですか?」

 先生は目を反らした。

「私の知っている人によく似ています」
「先生の知っている人?」

 その時、僕のスマートフォンが震えた。

 母からだった。

「久、どこにいるの? ねえ、あなたやっぱりいじめに遭っていたことにすればいいじゃない」

 全部、五十嵐先生に聞こえていることを母は知らない。このところの母は本当におかしい。僕は怒られるかもしれないけど、禁じられた呼び方を使った。

「母さん。僕の父親に心当たりがあるっていう人がいるんだ。一度も聞いたことがなかったけど、僕の父親って誰なの?」

 母は「母さん」と呼んでも怒らなかった。 
でも長い沈黙だった。そして、聞き取れるかどうかギリギリの小さな声でこう言ったんだ。

「悪魔よ」

 五十嵐先生が知っている……。悪魔……。

 頭の中でぐらぐらと今までの出来事が繋がっていた。祖父は叔母の死が本当は自分にもある意味責任があるのに、図書館で叔母を見失った母にその責任の全てを押しつけて母を密かに強烈に憎んでいた。 

 そして、人工授精か体外授精で妊娠するといった母に祖父が何をしたか……。

 まさか、そんな。

 スマートフォンの向こう側ではすすり泣く母の声が聞こえた。

「悪魔よ。悪魔。お前は悪魔の子なの。お願い。お願いよ。もう気が狂いそう。お願いだから死んで」

 母も僕と同じ時期に古いカルテを見たのだろうか? そして、僕が見なかったものを見ていたのだ。最近になって、自分に起きたことなのに自分が知らなかった事実を知ったのだ。

 絶望はいつも身近にあったけど、突然許容範囲を超えてしまうものだと思った。僕はスマートフォンを五十嵐先生の前に置くと、進路指導室を出て、走り出した。

「一条くん! 待ちなさい」

 制服の右ポケットには屋上の鍵がある。身体は軽かった。先生はなかなかついてこれない。

 僕は階段を駆け上がって、悠々と屋上の扉の鍵を開けた。二村さんがよじ登ったフェンスを乗り越える。あの時の二村さんみたいに。 
空は雲一つなく青かった。風が気持ち良かった。

「一条くん、やめなさい! 私が助けてあげるから、お願い! やめなさい」

 嫌だ。

 助けてなんてもらいたくないんだ。僕は母の道具として産まれた。その上、祖父の復讐の道具でもあった。産まれたいなんて一言も言っていないのに産まれてきて、望まれてもいないのにこの世に産み出された。あまりにも無責任な存在が僕だ。

 きっと、五十嵐先生は僕が母のせいで死んだと言うだろう。でも違うんだ。僕に他の生き方をさせようと手段を選ばずに僕を説得しようとした先生のせいだよ。救えると言うのは先生の思い込みで、救いたいというのは先生の巨大なエゴなんだ。

 でも、五十嵐先生は気づかないだろう。自分は助けられると今も信じている先生には気づけないんだ。永久に気づかなければいい。そして、僕を救えなかった理由を考えるといい。

 僕は一瞬だけ、五十嵐先生を見て微笑んだ。 先生が安堵の表情を浮かべたのを確認してから、僕は躊躇わず一歩踏み出した。







あとがき

 初めましての方は初めまして。そうでない方はいつも本当にありがとうございます。星月渉です。

『断罪パラドックス』を最後まで読んでいただきありがとうございました。

 この作品を書くきっかけは数年前に聴いたラジオの人生相談にもやもやしたところからでした。もう番組名も、いつ聴いたかさえ思い出せないのですが、相談内容は「実父が自分の娘に性的虐待をしているようだ。実は自分も子どものころ被害に遭っていた。シングルマザーで経済的には実父を頼っている状況だ。どうしたらいいか」というような内容だったと思います。

 回答者はとてもまっとうなことを言っていたように思いますが、この相談者がそのまっとうなことを果たして実行できるだろうか? 私の中にはそんな疑問が浮かびました。 

 まっとうなこと、というものはまっとうな状況でないと通用しないことがあります。それに虐待や暴力や搾取をする人間というものは、大変に狡猾です。

 そんな風にもやもやしているうちに、私がこの相談者の娘だったらどうするだろうかと考えました。母親がもしまっとうな行動に移してくれなかったなら、どんなに嫌でも絶望しながらきっと己の心が壊れることになったとて、我慢をし続けてしまうだろうなと思いました。そして、もしこの子が我慢しない状況があるとしたら?

 そうしてできあがっていったキャラクターが五十嵐倫子です。

 そこから、あれよあれよと、ストーリーが膨らんでいきました。

 私はいつも思いますが、大人というものは「子どもがいつか大人になる」という想像力が欠落しがちではないでしょうか。

 私は嫌なことに関する記憶力が大変良いので子どものころ嫌だったことつらかったこと、子どもだからと見くびられたことを今でも鮮明に思い出すことができます。そして、大人になった今でもあれは許せないなあと思うこともある。

 あなたの周りにいる子どもたちは大人になります。そのことを忘れないで欲しい。そして「毒親」という言葉にくらいは寛容であって欲しいと思う。親だけでなく大人が毒にしかならないことがあるという想像力が欲しいと思います。

 そして、今怒りや悲しみを抱えている子どもたちにずっと許せないことがあったっていいんだよと伝えたい。

 そんな思いからこの物語を生み出したような気がします。あなたの心に何か少しでも波紋が広がれば幸いです。


 ここからは宣伝になってしまうのですが、自著『ヴンダーカンマー』のコミカライズが7/29(月)に発売されます。

 作画はアニメ化もされ大人気の『暴食のベルセルク』の滝乃大祐先生、そして構成は数多くの構成をてがけるそよき先生です。最高のお二人にコミカライズしていただきました。この恐怖の向こう側にあるものをぜひ見届けていただきたいです。


 また、昨年の創作大賞2023 光文社編集部賞、テレビ東京映像化賞の受賞作『私の死体を探してください。』の単行本の発売に関するお知らせもそのうちできると思いますので、よろしかったら、フォローをよろしくお願い致します。Twitter(X)もぜひ。

星月渉(@hoshizuki0)さん / X


そして、創作大賞2024漫画原作部門も応募予定ですので、またnoteをチェックしていただけたら嬉しいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

それではまた!!!



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