「断罪パラドックス」 第27話
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祖父は私のかわりになる子どもを、母に産ませようとしているのではないか?
まさか、そんなはずはないと思いたかったのですが、母は私にお姉さんになるの。と言ってから二回ほど堕胎させられています。それはお腹の赤ん坊が男の子だったからなのではないのかと思います。
そうまでして、あからさまに女の子を欲しがることをあなたのお父さまはどう考えていたのか、一度お尋ねしたかったのですが、きっと、あなたのお父さまの医師としての職業倫理と、祖父のしようとしていたこととは別の問題だったのでしょう。
母は、二回の堕胎を経て三回目の妊娠で臨月を迎えました。私は近くの神社に行き、毎日、祈りました。
「神さま、どうかお母さんの赤ちゃんが男の子でありますように。女の子はお医者さんの見間違いでありますように」
そんな願いもむなしく、月満ちて、母は玉のような女の子を産みました。
妹は美香と名付けられました。母が名付けたのだと思ったのですが、今となってはちがうのかもしれないと考えています。
一条さん、大丈夫ですか? 顔色が悪いようです。おぞましい話をお聞かせしているので無理もないですね。
私はそんなおぞましい家で生まれ育ったんです。母と私だけなら、まだ、耐えられたかもしれません。けれど、妹の美香が産まれて、私が抱いた感情は、美香を守りたい。せめて、美香だけでも、幸せになって欲しい。そんな気持ちでした。
「お母さん、みんなでこの家から逃げようよ」
母に何度そう懇願したのか分かりません。母は無表情でこう答えました。
「逃げるってどこへ逃げるの? どこにも私たちが行く場所なんてないの。たとえどこかに行ったって、おじいちゃんは必ず私たちを見つける。そうなったら、倫子、おじいちゃんは美香だけを取り上げてしまうかもしれないのよ」
そう言われるとぐうの音も出ませんでした。美香だけを取り上げられてしまったら、私にできることはありません。
「どうして赤ちゃんを産むことにしたの?」
そう尋ねると母から恐ろしい返答が返って来ました。
「倫子、大学に行きたいって言ったでしょう? 私の時はだめだったの。おじいちゃんにどうしてもってお願いしたら……」
祖父が母に出した条件は、もうひとり女の子を産むことでした。
美香は私のせいで産まれたのか……。
その時の私の怒りと悲しみと憎しみは、きっと誰にも分からないと思います。私だけのものです。そして、私は何をしてでも、美香だけは、私と母のいる地獄には落とさないと誓ったのでした。小学六年生で、私はどうやったら祖父を殺せるかばかり考えていたんです。恐ろしいと思われますか? 私はもうそのころから正気ではなかったんだと思います。
来年こそ殺そう。そう思っているうちに美香はすくすく育っていきました。屈託のない笑顔が可愛かった。私だってこんな風に笑っていたのだと思います。私の笑顔は誰も守ってくれなかったけれど、美香の笑顔だけは守りたかった。美香が私のために産まれたというのならば、私は美香のために生きなければならないと考えていました。
ずっと祖父を殺すことばかり考えていました。包丁を握りしめて寝ている祖父の寝室の前まで行ったこともありました。
どうしても、できませんでした。祖父の部屋に入るのが怖かったのです。受け続けていた虐待の記憶が、祖父の存在自体を私の恐怖そのものに変えていました。怪物を殺せる勇気がなかったのです。
そうこうしている間に、美香はどんどん大きくなっていきます。祖父が美香を膝にのせているのを見かける度に私はどうすれば美香を守れるかと思い詰めていきました。
思い詰めて思いついた方法は、祖父の悪事が露見するように仕向けることでした。
今から考えると、一条さん、あなたのお父さまに協力してもらうのが一番だったと思います。でも、その当時の私にとって、あなたのお父さまは、絶望の一端を担っている大人で、祖父の協力者としか思えませんでした。美香に何かがあっても、助けてくれないと思い込んでいたのです。あなたのお父さまは美香だったら助けてくれたかもしれない。そう思ったのは事件が起きたあとのことだったので、どうしようもありませんでした。
私は祖父の悪事を明るみに出すためには、私や美香ではない、他の子どもが祖父の毒牙にかかり、世間に「事件」として扱ってもらう他ない。私はそう考えてしまったのです。
狡猾な小児性愛者である祖父を罠にかけるために私は美香に似ている子どもを探すようになりました。
そして、運命のあの日。どうしてもあの日でなければなりませんでした。美香が中耳炎の手術をする日で、母と美香が家を留守にしていたからです。あの日、誰もいなかったら、諦めたかもしれません。でも私は美穂ちゃんを見つけてしまった。そして、声をかけてしまった。
「何年生?」
「一年生だよ!」
「お母さんと来たの?」
「ううん。お姉ちゃんと」
「そっか。読みたい本は見つかった?」
「美穂は見つかったから、もう帰りたいのにお姉ちゃんがまだなの」
私はさっと視線を美穂ちゃんが指さしたほうに走らせました。一条さんは、確かにあの時、本の世界に没頭していましたね。
「ねえ、お姉さんのお家ね、すぐ近くなんだ。大きい鯉がいるから餌をあげてみない?」
行かない。と言って欲しかった。怖がって欲しかった。でも美穂ちゃんは元気いっぱいに「行く!」と行ってくれました。図書館にいることに飽きてしまっていたのに私はつけ込みました。
こうして、私は市立図書館からあなたの妹の美穂ちゃんを連れ出しました。美穂ちゃんは屈託のない子どもらしい子でした。年は美穂ちゃんのほうが美香よりも一つ年上でしたが背格好も似ていました。
うちに連れて帰って、ふたりで池の鯉に餌をあげてから、縁側にふたりで並んで座りました。あの日はとても暑かった。ジュースをあげると美穂ちゃんは何も疑わずにごくごくと喉を鳴らして飲みました。
ジュースには当時母が常用していた睡眠薬が入れてありました。
二十分もしないうちに、美穂ちゃんは船をこぎはじめて、ぐっすりと寝てしまいました。私は美穂ちゃんをうつ伏せにして、そのまま寝かせました。そして、自室に籠もりました。私がやったことはこれが全てです。後のことはすべて祖父がやったことですから私には想像しかできません。
信じてもらえないかもしれませんが、祖父がまさか美穂ちゃんを殺してしまうとは夢にも思いませんでした。
母と美香が耳鼻科から帰ってくるころには、祖父も美穂ちゃんもいなくなっていました。翌朝、祖父が庭の松の木で首を括っているのを見た瞬間に、ようやく私は美穂ちゃんがどうなったのかを悟りました。
発売された、ルポルタージュを拝読しましたよ。本当に詳細に祖父の残忍な犯行の数々が描かれていました。当時小学生だった一条さんにはトラウマになってしまって当然だと思います。
だから、一条さんはショックで私の顔を忘れてしまったんですよね。でも、絞殺以外は私が小学校五年生までされていたこととたいして変わらなかったので、どうして祖父が美穂ちゃんを殺してしまったのかは今も分かりません。
私も事件当時真実を話すべきか悩みました。でも、祖父のために私と美香の人生を狂わせたくなかった。私の人生はもう十分狂わされていました。祖父から受けていた虐待のせいで、私は男性と関わることができなかった。
それは、現在まで、ずっとそうでした。
祖父に殺されてしまった美穂ちゃんに対する罪悪感はずっとありました。私はけだものを甘くみていたのです。けだものがけだものだと知っていたのに。そして、美穂ちゃんの死がけだものを死に至らしめました。美穂ちゃんの犠牲の上に、私と美香の平穏はあったのです。
私は本当は贖罪がしたかった。
けれども、おぞましい出来事を美香には知られたくなかったのです。
罪というものは、贖うほうが楽になれるものなのです。
けれど、私にはそれも許されないと思いました。
ならばせめて、残りの人生は私のような子どもを助けて生きていきたいと思いました。教員になったのはこういった経緯からです。本当は地元を離れてしまったほうが楽だったと思います。少しでもつらい記憶から離れることができたでしょう。でも、唯一の目撃者のあなたは私の顔を忘れていました。いつ、あなたに糾弾されても、断罪されてもいいように私はこの町にいるべきだとも思い続けていたのです。
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