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 個人情報をちょっとだけ開示すれば、わたしは広島県の文京地区に住んでいる。

 様々な中学校から大学までが揃い、高偏差値の大学が狙える中学・高校の選択ができ、そのために子どもがいる家庭が引っ越してくる地域。
 わたしはその中に住む、突き抜けて頭が悪い子だった。

 伴って治安や住民のマナーが良い。
自慢していいことだが、それは表の部分。

 裏では児童や生徒が自死している。
原因は、学校でのイジメ。

 わたしが物心ついたときから、駅以外の場所へ不自然に電車が停止していると、それは誰かが自死したサインだった。

 祖父母がいる、うちの家へ叔父たちが帰省し、広場でボール遊びをしていると、
「また誰か亡くなったんだ」叔父が父と話していたのを聞いていた。

 白濁した空は物悲しく、大人はわたしの手を引いて家に帰る。
救急車のサイレンが背中の向こうから響いていた。

 それはわたしが少し大きくなってからも影響し、子ども達だけで川遊びをしていても、鋭い警笛と急ブレーキで停車した電車を見て、引き上げていた。地元民はこうして死を悼んでいた。

 わたし達の代にイジメがなかったのは、幼少期から痛みを踏襲していた由縁。高偏差値であるのも学習能力がある所以。

 イジメがなくなったら、イジメが再発した皮肉なプロセス。



 中年になり、家事をしていても、端末の前に座っていても、電車の警笛とブレーキ音がすると救急車のサイレンもセットになるので、言いようのない哀しみが込み上げてくる。

 命を落とすのは決まって子ども達で、後日、
「イジメを苦にしてらしいよ」近所から話を聞いて、非力な自分へ虚しさが溢れた。
 長期休暇の前後の光景だ。

 折しもnoteは26日から、嫌がらせや誹謗中傷を禁止する規約を盛り込む。
わたしはそこへ便乗し、二日に分けて記事を書いた。

 イジメっ子は、加害者は、加害を加害だと思っていない。正義であるという、正当化なんだ。

 わたしの“架空”の話をすれば、
友人が楽しそうに話す趣味を
「そんなのくだらない」と茶化した。
その場では笑いになったが、心のどこかで傷つけていたかもしれない。

 友人を怒らせて、
「自分は被害者!」と叫べば、人から慰められ、同情された。
しかし数回同情をひけば、まともな人は離れていく。

 トラブルメーカーか要注意人物しか周りにいなくなって、輪をかけて被害者意識が加速する。嫌がらせや誹謗中傷が悪循環を辿る。

 学校や職場で距離を置けない場合、まともな人は当たり障りなく接している。業務上、差し支えないよう対応しているだけで、内心は
「暴言を慎んでください」と願ったと思う。

 自称・被害者に優しくする人は、本当は思いやりがない人。
 ギャンブル依存症の人をパチンコ屋に連れて行くのと同じで、互いが依存し合っている。

 自分に暴言が向かないように、自分のために損得勘定が働いている。

 そんな風になりたくないでしょう?
だからこそ、皆が明日は我が身で慎重に言葉を選ぶ必要があるのではないかと提言する。

 不快を覚えて誰かを追及する場面は、誰だって自分の行いは正しいと自分の中では確信している。イジメっ子もそうじゃないのか。
なんなら、国と国との戦争も同じなんだよ。

 第三者のジャッジを自分へ向けようと、誰かを糾弾する、それが嫌がらせ。

 賛同を得られて、承認欲求が満たされて、クソみたいな争いは、第三者からは誹謗中傷にしか見えてない。

 日常にバカな中高年がこんなことをやっているのたから、未熟な子ども達のイジメはなくならないな。だって、我が身可愛さしかないでしょう。

 わたしも含めて、全員が加害者の芽を誰もが抱えている。自覚を持とうよ。

 イジメや誹謗中傷は、国や社会が悪い以前に、わたしたち一人ひとりの言葉選びに根ざしている。

 軽々しく放った大人の言葉が、子どもたちの世界でいじめの正当化に使われるのだとしたら、言葉を扱うわたし達は常に自分へ問いかけ、立ち止まる、自己へ批判的思考を巡らせていいのではないだろうか。

 あなたの正しさや正義は、誰かにとっての加害になっていないだろうか。

 わたしも含めて、明日は我が身なの。
例外なんて誰ひとりとしていない。

 子ども達が安心して学校に行ける社会になるよう、大人自身が気を引き締めたい。



『嫌がらせや誹謗中傷をしないために・提案』
…まだ、ここまでしか浮かばない

●  反論は翌日まで寝かせる
感情のまま書いた言葉は翌日に見直す

●  事実と推測を分ける
引用・スクショで事実を示す。憶測は書かない

●  否定でなく提案をする
相手を閉ざさず、改善の道を示す

●  プラスの言葉を添える
指摘と一緒に肯定を渡す

●  言葉のバトンを意識する
言葉は次の人の心に渡る

 言葉は刃にもなり、支えにもなる。
選ぶのは、わたし達ひとりひとりだ。