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 昔、法学部在籍の人と付き合っていた。
部屋でニュースを観ながら、わたしがしきりに
「被害者、気の毒」って言うものだから
「加害者の視点で見てみてん」と助言をくれた。

 考えてみると、多くの人は被害者の立場に共感しやすいのよ。善悪を二元論で分けるから。

 理不尽に傷つけられた側、損をした側。
被害者に寄り添うのは自然で、倫理的にも安心できる。

 でも加害者の視点で考えてみると、また別の発見があったのね。

 どうしてその人は加害行為をしてしまったの?意図的?無自覚?環境要因?なんなん?

 加害者もまた人で、必ずしも悪意100%だけで動いているわけではないという推察。
 被害者と加害者の立場は状況次第で入れ替わり得る現象。

 言ってしまえば、被害者だけを見ていると、
一方的な話になってしまうけれど、加害者の視点を持つことで人間の弱さや根本的な問題、自分もいつか加害者になり得るという発見が得られた。

「うわぁ、視座が高まったな」と受け止めたわ。

 たぶん、「加害者の肩を持つの?」って警戒する人がいるかもしれないけど、被害者であるという立場を強く意識すると、自分の行為を正当化しやすいのよ。
なにをしても『正義』だと思い込む危険性。

 相手の事情や背景を一切考えなくなり、結果として二次加害みたいな形に転じてしまうことが、加害者を生むんじゃないかって。

 だから加害者の視点って、倫理的に許すとか加害を正当化するんじゃなくて、偏った被害者意識に飲み込まれないためのバランス感覚なんだと思った。

 加害者の過剰防衛や偶発性はまさにそうで、事件や争いは白黒では語れない要素が多い。
 どちらか一方の立場からしか見ないと、かえって見誤るよね。

 加害者の視点に立つことは、身近な人間関係にも応用できるよ。

 たとえばね、意見の対立が起きたとき。
わたし達は時々「自分が正しい」という被害者意識に陥りやすい。

 相手の言葉や行動に傷つき
「なぜ分かってくれないの?」被害者としての主張を繰り返すだけでは、溝は深まる一方。

 しかし、一歩引いて
「どうして相手はそう考えるんだろう?」
「もしかしたら、相手も私と同じように傷ついているのかもしれない」と考えてみることは、新たな道が開けることがある。

 相手の背景や事情に想像を巡らせることで、感情的な対立から抜け出し、問題の根本的な解決につながる対話へと進める可能性が広がる。

 これって、加害者の行為を許すことではなく、「どうすれば同じ過ちを繰り返さないか」
「どうすればより良い関係を築けるか」
未来への問いかけになるのよ。

 だけど注意が必要なのは、想像することには落とし穴もあって、想像を自分に都合よく解釈し、むしろ相手を見下す材料にしてしまうことがあるのね。

 だから必要なのは、相手に過剰な思考を向けるのではなく「ここから先は踏み込まない」という境界線を持つこと。
連絡を返す頻度を決めて、一緒に議論しない。
自分と約束するの。

 加害者を理解しようとしつつも、自分を守る線を引けないと、かえって
「加害者だから攻撃していい」と二次加害を招いてしまう。
そしてあなたは被害者から一気に加害者になる。加害者から学習したら線を引いて立ち入らない。

 必要以上に見ない、聞かない、深入りしない。
距離を置くこともまた、健全な対話の一部なんだと思う。 

 わたしも失敗してきてるからさ。
人様には、わたしの屍を踏んで失敗しないでほしいなぁって。

 加害者への共感は、
自分自身が加害者にならないためのブレーキにもなり得るって、考えたことがあった?

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