小説: ペトリコールの共鳴 ㉜
第三十二話 ペトリコールの共鳴 ①
「キンクマ、着いたぞ」
タツジュンは背負っていたリュックを自分の胸の前へ抱え、ポケットにいる僕を掬うと
「キンクマに見せたかったもの」
タツジュンの手のひらから希望が広がって見えた。
5月の美空は青が澄んで遮るものがなく青は広い。そして、海。
これが海なんだ。海には音がある。
弦楽器や打楽器ではなく、ちゃぷんちゃぷん。
空の青と海の碧は遠い先で線を作り、共存しているようだ。
僕はこれまでペットショップやタツジュンの家でしか生活したことがなかった。
しかし、タツジュンの手のひらからは、これまで見たこともないほど果てしない美しい光景。
僕にとって広い世界への憧れを呼び起こす希望だ。
「タツジュン、見えてるものは海だよね?」
「そうだよ。初めて見るもんな」
「この砂場は砂浜?それとも砂漠?」
「砂浜だよ」
青と碧がいっぱいで、遠くから人間の子どもの楽しそうな甲高い声がする。
僕達がいるところは、僕達しかいない。
海のちゃぷん、ちゃぷんが主旋律だ。
タツジュンが波打ち際まで歩き出し、砂浜が濃くグレーになった部分で止まった。
「降りてみるか?」
タツジュンは左手に僕を乗せて、屈むと砂浜に右手をついた。
そして「熱くない、大丈夫」
僕をそっと砂浜へ降ろしてくれた。
本当に熱くなかった。雑木林にあった土とは硬さが全く異なり濃い砂浜に足が埋まってゆく感覚がする。
僕は波がくる方へ走ってみた。きめ細かい砂には貝殻が混ざって砂粒の形が整っている。
波は碧ではなく、緑に近い碧の透明な水。
波の先が僕へ迫ると、膝を濡らして音を立てて退いていき、次にやってきた波は僕へ届かず引いていく。
風が吹くと海から海の匂いがした。家の水とは違う海には匂いがある。
僕は振り向き、砂漠色の砂浜を走ってみた。
こんなに広大な土地を走ったのは生まれて初めて。
小さく丸い石ころは優しく見え、僕がとても大きな存在に錯覚する。
四つん這いで走り抜けてもゴールはなく、
前足がつんのめって鼻から転んでも痛くない。
「なんだろう」
陽に反射するものに近寄ると、四角形が曇って角が取れている。砂から引き抜くと宝石に見えた。
「タツジュン、見て!宝石があったよ!」
僕の後ろから
「そいつはシーグラスよ、ガラスな」
綺麗だな、遥香へお土産にしたいな。
「タツジュン、これ持って帰っていい?」
昔、遥香から楽園があると聞いたことがあった。
平和で幸福に満ちた世界があり、遥香は楽園でタツジュンからプロポーズをされて結婚したらしい。
「きっと、こんなに碧と青に囲まれた楽園でプロポーズされたんだろうな」
二足で立ち上がり海を見る。
「お〜い、キンクマ!昼にするぞ!」
外食はどこでするんだろう。右を向けば高い位置に道路が通り、また移動するのかと思った。
